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異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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様々な子育ての価値観と理論

なんだか、いつになくちょっともやもやとしています。

世の中には、子育てに関していろいろな考え方、やり方があって、そもそもどれが絶対正しいとか、間違っているというのは多分ないのだと思います。どんな理論にも一理あるけれど、どんな理論も多分完璧ではない。大体、特定の理論に基づいて子育てをするということからして、不自然なのかもしれません。

それでも育児理論が世の中に存在するのは、指針を求める親がいるからで、またなんらかの方針がないと教育機関はプランを立てることができないからでしょう。あるいは、大脳の発達した人間には、動物のように本能だけで育児をすることが不可能で、どうしてもいろいろ考えざるを得ないからかも。

私は育児に関しても、なるべくいろんな考え方に対してオープンでいたいなと思ってはいるけれど、好みの育児の方向というのはもともと漠然とあって、それは多分、私の性格や成長過程での体験から形作られているものだと思うんですよね。それでたまたま自分のもともとの方向にフィットするような理論に出会うと快感で、そういう理論が気に入ってしまうようです。

息子が幼児のときには特定の教育論、育児論にはあまり接したことがなく、自分ができるようにやっていただけですが、初めての子育てはわからないことばかりでかなりストレスがありました。それが娘のときには、ある子育て理論に出会って、目からウロコというような体験も多くあったし、精神的に助けられ支えられた部分も非常に大きかったのです。あ~、そうか、息子のときもこうしてあげたらよかったのかな~なんて感じることも多々ありました。

同じような考えの人達に囲まれているということは、精神的に楽ですから、リラックスしていることが育児に良い影響を与えるんじゃないかと思うんです。しかし、同じような考えの集団の中にいるということは、また危険でもある。通気性がよくないというか、その中で特定の考え方がどんどん濃縮されていくような感覚を、私は怖いと感じることがありました。

特定のポリシーを持つ育児組織の中に入ったからといって、別にそのポリシーに全面的に賛同する義務はないし、染まりきる必要もありません。学べるところは大いに学び、良いと思うところは積極的に取り入れ、馴染みにくいと感じる部分に関しては距離を保てばいい。頭ではそう思うんですね。

だけど、実際には必ずしもそうサラッとは流せないんです。そこまで達観できないので、いろんな価値観の中でゆらゆらと揺れ動く。育児以外のことだったら、あーだこーだと好きなだけ思い悩んでも別に毒にも薬にもならないでしょうが、子ども相手にふらふらと路線変更しては子どもは堪らない。

どうしてこんなことを書くかというと、日本で娘は「さくら さくらんぼ系」の保育園に通っていましたが、そこの考え方が私には大まかなところでは気に入っていたのですね。そして娘もとても幸せに成長して来たように思えるので、できれば、そこの考え方と共通性のある学校がいいなと思って、現在のモンテッソーリシューレに決めました。

ただ、方向性としてはよく似ているとは言え、もともと別の理論ですから、細かいところではたくさんの違いがあります。さくら-さくらんぼ系で最も重視されることは、早寝早起きの生活リズム、幼児期には文字を教えずに自然の中で体を使って五感を磨かせること、それから「自立を急がず、子ども自身の成長をじっと見守る」ということです。

モンテッソーリの育児についてはまだそれほど多くを知りませんが、モンテッソーリのキーワードは「自立」であり、子どもが就学前に文字を覚えたがった場合はそれを積極的にサポートするようで、その辺りが今まで自分が実践して来たやり方とどううまく繋がるか、まだちょっとわからない状態です。

埼玉でのやり方には愛着があるので、変わり身早くパッとモンテッソーリに鞍替えというのでもないし、かと言って現実の生活は既にこちらにあるので、だんだんと気分的にこちらモードにシフトして来ている感は拭えません。

本当はどっちのやり方がどうこうではなく、子ども達が笑顔で生き生きとしているかどうかが一番大事なはずなので、難しい理論は置いておいて、感覚的に気持ちがよいと思えるやり方で進んで行けば良いのですよね。

わかってはいるんだけど、なんとな~く落ち着かないような、へーんな気持ちです。
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  1. 2006/06/20(火) 05:34:42|
  2. 教育・学校
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

わたしも

いろいろと幼児教育の本(3歳までの教育とか)、しつけの本とか読んでぐったりしています(笑)。周りの人から「きちんと日本語を教えるのが母親の勤め」とか言われたりするし、彼とあたしの間にある「しつけ理論(とでも言うのでしょうか)」が同じじゃないから、なーんとなく折り合いが悪くなりそうな気配だし。

なんて、産まれてくる前からこんなに頭でっかちでいいんでしょうかね(笑)。

ビアンカさんもおっしゃっているように、子どもが笑顔で過ごせる環境が一番大切だと思うのですが、自分とはまったく違う「自我」を持って出てくるだろうから、その時その時で判断していけばいいでしょうけれどね……。
  1. 2006/06/20(火) 11:13:11 |
  2. URL |
  3. アキツ #-
  4. [ 編集 ]

本当に

難しいテーマです。
個人的なイメージですが、結局僕らって不安なんですよね。だから、理論なり指針なりを求める。これを良く言えば、謙虚に学ぶとなるわけですが、往々にして、そういったハウツー本にどっぷりと浸かってしまう人たちが多いように思われます。
そうであればこそ、(僕も家内ももちろんまだまだですが)親が親としてもっと自分たちで確固とした確信みたいなものを見つけていかなければいけないのだとも思います。
そのためには当然、何かを読むことが必要で、その後、それらの本にどっぷりと浸からず、自分の子供をしっかりと把握・理解して、いつも自分なりの方法論を見出す努力が必要なのでしょう。
で、そんなこと一生掛かってもできそうにないから、こういう風に悩むだけでもいいんだと自分を励ましてます…。
  1. 2006/06/20(火) 14:07:25 |
  2. URL |
  3. RYO #-
  4. [ 編集 ]

このブログから見えてくるビアンカの子育ては、結構モンテソーリだなーっと思っています。たしかにモンテソーリのキーワードは、自立だけど、私はもっと深めて、子供たちが自立できるような環境を、親がて整える、また、親そのものの生き方を子供たちにみせる。そして、子供たちを自立した一人の人間として扱う、だと思うんだけど。ビアンカは実行していると、ブログを読んでいて思いました。子育てに正解はないし、そうやって試行錯誤するのが、子育てで。自分の子育てが正解だったかどうかも、後になってわかるかという保証もないんですよね。だから、いろいろな子育て理論のいいところを取り入れて自分なりにアレンジしたっていいじゃないですか。ひとつの理論に縛られなくてもいいと思うけど。
  1. 2006/06/20(火) 16:27:55 |
  2. URL |
  3. とんちんかん #-
  4. [ 編集 ]

こうやって、古来からずーっと、親は子育てに心血を注いできたんでしょうね。
こう思うと、親であることは誇りでもあり、どことなく安心もできちゃったりします。
なんて、悠長なことを言ってますが、日常はと言えば…不安だらけですね。
つい、最近までは、子育て忙殺されて、あまりじっくり考えている暇もなかったという感じでしたが(笑)。
でも、最近、いろいろな例を見ていると、「とにかく、煮詰まるのはよくない」と思うようになりました。
一貫した教育理論や価値観に忠実にというのも、開けてみると、風通しが悪くなっていたりするしね。
とりあえず、私が今、念頭に置いているのは「自分の身体と心を、自分で管理ができる人になってほしい」ですかね。
って、私自身はできてないんですけど。
  1. 2006/06/20(火) 17:22:30 |
  2. URL |
  3. 麻。 #-
  4. [ 編集 ]

アキツさん

「~することが母親の役割」って言葉、重いですよね~。二、三人育て上げた後なら、周りが何を言ってもどーんと構えていられそうですが、私も一人目のときは特に、何か人の意見を聞くたびに「そ、そうなのっ!?」ってビビってました。

そして、聞くとやるとでは大違い。はあ~。
  1. 2006/06/21(水) 15:33:48 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

RYOさん

「謙虚に学ぶ」と「信じ込む」の境目がどこにあるのか、ですね。

深く考えずに自然体で子育てするには、社会状況が過酷過ぎて、しっかり足をふんばっていないとどんどん変な方に流されて行くような不安があります。
  1. 2006/06/21(水) 15:37:53 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

とんちんかんさん

自分なりにアレンジしていけたらいいなあ。「この部分はうちは取り入れないことにしよう」と決めるには、いったん自分を白紙にして考えてみなくちゃいけなくて、その段階でふらついちゃうみたいです。

でも、こうして文章化してみると、自分がなんでもやもやとしているかがわかってスッキリするし、コメントでアドバイスもらえて少し安心できるから、よかったです。
  1. 2006/06/21(水) 15:40:40 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

麻さん

そうですね~。自分の親もこうやっていろいろ悩んで自分を育ててくれたのだなあ~と思うと、有り難いですね。

客観的に見て立派な大人になったかどうかはさておき、生を受けたことに感謝しながら生きていられるなら、それだけでもその親の子育ては成功だったと言えるのかな、なんて思います。

自分の子ども達にも「生まれて来てよかったな」と感じてもらえたら、私にとってそれ以上の幸せはないです。



  1. 2006/06/21(水) 15:52:13 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

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