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異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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教科書のない勉強

わくわくふわくさんの「石に教える言葉」へのTBです。

調べものをするため図書館に来た学生が、どうやって本を探していいかわからない。具体的に何を調べようとしているのかも人に説明できない。どこの棚のどのあたりに参考になりそうな本があるよと教えられても、まだどうしていいかわからない。

司書であるわくわくふわくさんが、そんなエピソードを綴られています。

それを読んで、「人に頼ることばっかり考えないで、少しは自分で考えないかなあ。まったく嘆かわしい」とも思うし、「ううっ。私も大学に入学した頃は、この学生とたいして変わらなかったかも....」と恥ずかしくもなります。

大学とは学問をする場所で、調べものは学問の基本。求める情報がどの辺にありそうかの見当をつけるところから調べものは始まる。なのに、その能力が全く身についていない状態で大学入試に合格するということは、考えてみれば不思議です。

日本の大学受験は決して楽じゃないのにね。「小学生のうちから遊ぶ時間を返上して必死に勉強しないと合格できない。生半可な気持ちじゃ乗り切れないのよ」そう語る親も多いです。それなのにどうして、難しい試験に合格したはずの学生が調べものの初歩すら理解していないということが起こるのだろう?

高校までの教育は生徒にどういう能力を培わせようと意図しているのか。大学は学生が学問をすることを前提に選抜をおこなうのではなかったのか。「はてな」マークが頭の中をふわふわ飛んでます。

飛躍するようですが、「教科書」の意義についてまでちょっと考えてしまいました。

息子がドイツの公立小学校一年生に入学したとき、教科書は国語(つまりドイツ語)と算数しかないと聞いて、驚きました。理科も社会も音楽も図工も教科書はありません。理科や社会はテーマごとにプリントなどを使って学習するということでした。テーマが鳥なら鳥のプリント、テーマが騎士なら騎士のプリント。

そういうのも面白そうだなと思ったものの、実はちょっと不安でした。教科書がないなんて、どのくらい学習が進んだのか親にはさっぱりわからないじゃないの。それに、教科書なしでシステマティックに学べるの?先生の好みで偏るんじゃないの?日本だったら、四月にはこれをやって、五月はこれをやって、というのがはっきりわかるのになあ。

と思っていたんですけど、シュタイナー校では教科書というものは全然使わないと聞いてさらに仰天。え~、それでどうやって勉強するの?

シュタイナー校を卒業した知人が言うには、
「教科書がないから、先生の話を真剣に聞かなければならないの。自分で教科書を作るようにノートを作るから、とても身についた」
へ~、なるほど。
そしてさらに、東京にあるシュタイナー教育を実践している学校の公開日に出かけて行き、そこに展示されていた生徒達のノートを見たときには、かなりの衝撃を受けました。5年生(複数)の理科のノートには人体解剖図がカラーで描かれていたのですが、その美しいこと!単に細かいとか、そんなレベルじゃありませんでした。魂をこめなきゃこんな作業はとてもできないだろう、と感動してしまった。

そして、現在息子が通う学校にも教科書はありません。教室や図書室には学習図書はたくさんあって、授業で参考書を使うこともよくあるそうなのですが、いわゆる「一年 国語(上)」とか「二年 算数(下)」のような本はないのです。

教科書がないと勉強ができない、というのは違うのかもね......

教科書があれば系統立てて学習できるから良い気もするけど、教科書があることの弊害も全くないとは言い切れないのでは。教科書があるとどうしても受け身学習に陥りやすく、自分自身で考えを展開することが難しい。「これをやって、その次にこれをやって、その次は....」というレールの上を進むような勉強から脱却することができない。

巷で批判は多いけど、日本の文部省はかなりいろいろ考えて教育カリキュラムを組んでいると私はいまでも思っています。子ども達に必要な知識はこれとこれ。なるべくまんべんなく、易しいものから難しいものへと順序よく。悪いことじゃないと思う。

だけど、そのきめ細かなカリキュラムには落とし穴がある。そういう気がして来ました。

「習ってないから、わかりません」
「試験範囲じゃないから、できません」
「教科書にない単語が出て来たから、答えられません」
そんなに簡単に諦めないで。よーく考えればわかるかもしれないのに。

大学で教えている弟の話なんですが、学生がいつまで立っても実験報告を持って来ないので痺れを切らして見に行ってみると、何もしていない。どうしてやってないのときくと、「先生が次々と指示を与えてくれないからじゃないか」と言ったとか。

知識は人に与えてもらうものという前提でいると、勉強するのにお金ばっかりかかっちゃう。高い授業料を払って大学に行ったのに、先生が知識を与えてくれなかったから何もおぼえられませんでした、ってことにもなっちゃう。

なんだかな~と考えてしまいます。



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  1. 2006/06/18(日) 05:12:04|
  2. 教育・学校
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

その「先生に言われなかったから、やりませんでした。」っていう、弟さんの経験、似たようなこと、社会人で聞きましたよ。 上司から、あれこれ指示を受けて、全部しっかりこなさなかった新入社員を問いただし、全部指示を覚えてないと答えた社員に「なぜメモを取らなかったのか。」と聞いた上司に新入社員は、「メモを取れといわれなかったから。」と答えたそうな。 

日本の教育の自主性がなさが、ここまで響いてるとは・・と驚きましたね。 私もそういえば、誰かに最初、メモを取りなさいといわれたような気もします、お恥ずかしながら。
  1. 2006/06/18(日) 07:42:36 |
  2. URL |
  3. すまいる #-
  4. [ 編集 ]

「教科書がないから、先生の話を真剣に聞かなければならないの。自分で教科書を作るようにノートを作るから、とても身についた」

勉強が好きな子供や論理的にキチンと説明してくれる先生には、もってこいの教育法ですね。

その反面、勉強が嫌いな子供、先生が自分の言葉で教えることができない・・・・・などの状況を考えると少し???です。
  1. 2006/06/18(日) 11:03:09 |
  2. URL |
  3. Kiasu #-
  4. [ 編集 ]

すまいるさん

学校教育だけのせいでもないのかもしれませんが、子どもはこれだけ勉強勉強と言われて勉強するのにその結果は....と考えると複雑です。
  1. 2006/06/18(日) 13:54:26 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

Kiasuさん

前提では、シュタイナー教育やモンテッソーリ教育は子ども一人一人のやる気を引き出すということになっていますが、実際に全員がやる気マンマンかどうかというと、やはりそうではないのでしょうね。先生の力量によってクラスに差が出るのも、一般校以上ではないかと想像します。

そのあたりも含めて、自主性を重んじる教育法がどういうふうに機能するのか、もうちょっと観察したいと思います。
  1. 2006/06/18(日) 13:58:46 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

はじめまして(だと思います)。
いつも興味深く拝見しています。
以前、家庭科の教科書を作る仕事を受けたことがあるのですが、内容にとても違和感を感じました。勿論間違っているわけではないのですが、実際的でないと言うか…。児童のために作るより、教師のために作るべきなんじゃないの?と思いました。
うまく言えませんが、やっぱり模範解答を書いておくだけじゃ、考える力はつかないんじゃないかなぁ…って。
  1. 2006/06/19(月) 00:02:38 |
  2. URL |
  3. クマ #pK.suSk6
  4. [ 編集 ]

クマさん

初めまして。

そういえば中学では期末テストに家庭科や美術もありましたね。市販のテスト問題が使われていましたが、確かにちょっと違和感がありました。

「洗濯の仕方」を覚えたかどうか筆記試験をして確認するより、汚れ物を渡して「洗ってみろ」という方がよほど実際的だと思いますが、そうはできないところがなんとも....ですね。
  1. 2006/06/19(月) 02:23:05 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

いつも思います。

ちょっと遅れたコメントなので短めに努力しますが、自分で『考える力』です。これについて考えていかないと、『人間力』は伸びません。そういう意味では、教科書がないというのは、教える側&学ぶ側にとってもハードルが高いと言えると思います。きっと、「何を知りたいか?」、「何を学びたいか?」、「何を探したいか?」といったことを自分で考えられなければ駄目になってしまうわけで、そういことに意識のいかない子供たちは、まだ学習する『時』に達していないのでしょう。
  1. 2006/06/19(月) 19:44:27 |
  2. URL |
  3. RYO #-
  4. [ 編集 ]

RYOさん

時期が熟していないという状況は往々にしてあるのだと思います。でも、なかなか時期が来ない子はどうしたらいいのでしょうか。

教科書があることにも、またないことにもそれぞれ長所短所があるのかなあと思うんですが、子どもは一人一人違うということを考えれば、どの子にもぴったりの教育法もないということになり、考えれば考えるほど難しいですね。
  1. 2006/06/19(月) 22:05:33 |
  2. URL |
  3. ビアンカ #JeDKLqWY
  4. [ 編集 ]

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