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異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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「相対的私」よ、さらば

帰省でみんないなくなって人口密度の低くなった埼玉から、イギリス在住のヒロさんへTB致します!宛先エントリーは「愛に目覚めることのない、節操のない日本の男性たちへ」

私、ワタクシ、あたし、あたい、僕、ボク、俺、おら、わし、ウチ・・・
種類の豊富な日本語の一人称。一体どうして、こんなに一人称がたくさんあるんでしょう。
I, ich, je, io, yo.....なんでヨーロッパ言語には一人称は一つしかないの?

それはつまりこういうことよ。
欧州言語における一人称は「絶対的一人称」なのだ!

欧米人にとっての「私」は、いかなるときにも、いかなる場所でも、いかなる状況においても「私」。赤ん坊だった「私」がおじいさんになっても「私」、社長だった「私」が会社潰して浮浪者になっても「私」、男だった「私」が性転換して女になっても「私」。「私」とは不変のもの。世界がどう変わろうとも、自分が世界を去るその日まで「私」は「私」であり続ける。だから「私」に別の名称を与える必要はない。

でも日本語世界では違うんですね。「私」というのは絶対的存在ではない。他者との係わりの中で初めて「私」が存在しうる。他者がいなければ「私」を定義することはできない。他者との関係によって「私」の存在は変化するのだ。

な~んて、これは私のただの思いつき。「哲学」しちゃってるようですが、別にムズカシイこと考えてるわけじゃありません。ちょっとお尋ねしますが、あなたはどのタイプ?アタシ派?ワタクシ派?オレ派?ボク派?そのときによる、のではないでしょうか。「オレ」なんてぞんざいな言葉遣いは許しませんという家庭に育ち、「僕」を使用している人でも、友達と一緒にいるときには「オレ」を使いはしないでしょうか。普段は「アタシさ~」なんて言ってる人も、仕事のときには「わたくし」と言うでしょう。孫に向かって「小遣いなんぞ、わしゃ、やらん!」と言うおじいさんも、ゲートボールで出会った素敵なおばあさんを口説くときには「僕は鳥の生態を研究していましてねえ。バードウォッチングはお嫌いですか」とかさ・・・

自分の子供に向かって「これは私のカップ」という人もあまりいませんね。「これはお母さんのカップ」と言います。生徒には「先生の言うことを聞きなさい」と言ったり・・・

「私」は七変化するのです。他者との関係で、他者に「どう見られたいか」によって。真面目な人間に見られたいとき、おカタいヤツと煙たがられたくないとき、実直な人らしく振舞いたいとき、シニカルなインテリという印象を与えたいとき。そのときどきでピッタリな「私」であればいい。日本人が「私」というとき、それは「相対的一人称」なのである。

ってホントか?(単なる思いつきをもっともらしく語るなよ・・・)

近頃、「自分」っていう言い方をする人がいますよね。
「ジ・ブ・ン」。使ったことないですが、便利な言葉なのじゃないでしょうか。相手が誰かを気にせず使ってますね。ジブンは、ジブンが、ジブンの、ジブンに。

「相対的私」から脱却しようとする「自我」の目覚めなんでしょうか・・・
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  1. 2005/04/30(土) 10:32:11|
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