わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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言語習得に関するメモ

記事にするほどまとまっていないのですが、言語習得についてちょっと思ったこと二点、忘れないうちにメモしときます。

「小さな子どもは何の苦労もなく、外国語を覚えることができる」

という主張がありますよね。子どもは母国語を覚えるのと同じように外国語を覚えることが出来るからだとか。それで、「外国語学習を始めるのは早ければ早いほどいい」「○歳までにやらなければ手遅れになる!」と考え方が出てきて、幼児向け英会話学校が繁盛したり、義務教育における英語学習導入を早めようという議論がなされたりします。

個人的には、「子どもは何の苦労もなく~」はちょっと違うぞと思い、また「早ければ早いほど~」もなんだか短絡的な気がしてしまいますが.....

しかし、「同じ言語環境に置かれたとき、大人と子どもの言葉のおぼえ方は違う」、これは本当だと思いますね。環境の諸条件が整えば、ほとんどの子どもは外国語を習得できる。大人の場合は......人によりますね。覚える人もいれば覚えない人も。

そこのところがどうも不思議。

人間には言語を習得する能力が生まれつき備わっていて、日本に生まれたら自然に日本語を覚えるし、アメリカに生まれれば英語を習得する。もちろん、饒舌な人と口べたな人という程度の言語運用能力の差は存在しますが、基本的には誰でも言葉を覚えることができる。

それが外国語となると、急に難しくなっちゃうのは何故?

日本で日本語を習得するのと、日本にいながら普段耳にしない外国語を勉強するのとではそもそも学習環境が違うので、同じように覚えることが出来ないのは当然だけど、たとえばフランスならフランスに一定期間住んだとき、子どもと大人ではフランス語習得のスピードが明らかに違い、また大人の間にも明らかな個人差がある。

「母国語を習得するのと、外国語を習得するのは、全然違うプロセスだから」
と言ってしまえば片付いてしまうことかもしれません。
「母国語をおぼえるときには脳のこの部分がこう働くが、母国語を習得した後に外国語を学ぶ場合には、この部分がこうなってああなるから、違ったプロセスで言葉が学習されるのです」とか、「何歳までは脳がこうだから外国語も母国語と同じように学習できるが、何歳くらいからはああなるから云々」という脳科学的説明も存在するのでしょうね。

物理的メカニズムのことはよくわかりませんが、モンテッソーリの本を読んでいたら、手がかりになりそうな説明を見つけました。そこに書いてあったことを簡単に言うと、

子どもと大人では、「自己」と「外界」との関係性が違う。大人は見たもの、聞いたことを「記憶」するが、子どもはそれらを「吸収」し、内面化する

う~む。大人は、体験したことを内面化しないのだろうか?いや、すると思う。でも、言われてみれば、子どもほど何でもかんでも自分の中に取り込んでいくわけではないですね。多分、生まれたばかりの赤ん坊は自分と外界との区別がついていないんだと思うけど、それが大きくなるにつれ、次第に物事を「客観視」する能力がついてきて、客観的に物を見れば見るほど、それを取り込んで「内面化」することが困難になる、とは言える気がする。

外国語学習にも当てはまるでしょうか。年齢が上がって来ると、外国語は「記憶の対象」となってしまい、自分の血肉の中に取り込んで行くのが難しい。

大人の間の語学習得速度(または質)に差が出て来るのも、言語を内面化しやすい人と、そうでいない人がいるってことなのかな?ま、それだけじゃないでしょうけど、一要因ではある気がして来ました。

だとしたら、抽象思考能力が発達していない幼児に英語のフレーズを叩き込むより、別のいろんな体験をさせて「内面化の感度を高める」ほうが効果的では、という気もチラッとしますが、これはもうちょと考えてみることにします。これがメモその1。

メモその2は「外国語の発音やイントネーション」について。

外国語を話す人の中には、ネイティブそっくりの発音やイントネーションで話す人と、文法や語彙の面では非常に正確なのに発音がジャパニーズな人といますよね。これって、「口の筋肉が柔軟」とか「耳がいい」とかに関わるものだと今まで思っていたのですが、どうもそれだけじゃないようだ....

近所に南ドイツ、バイエルン地方出身の家族が住んでいるのですが、彼らはものすごくバイエルン訛りなのです。それが私には不思議で。「どうしてネイティブのドイツ人なのに、そんなに訛りを引きずるのか?外国人でももっと現地の言葉に同化している人、たくさんいるのに」と。

あっ、そうか。訛りの強い人って、会話相手の言語にあまりシンクロしないんですね、きっと。

人と話していると、つい相手の話し方につられてしまう、人の文章を長いこと読んでいると、文体が移ってしまうっていう現象があります。自分は自分らしい話し方を貫きたいと思いながらも、ついつい、関西弁の人と話してるとつられて関西弁もどきになっちゃうとか。人のブログを読みふけっていた後にさあ、エントリーをと思うと、なんだか文体がその人のにソックリ!とか。

でも、そうならずに、常に自分のペース、イントネーション、言葉遣いなどを保てる人もいるんですよね。

これは、どれだけ相手の言語にシンクロするか(いい、悪いは無関係に)によるのではないでしょうか。

ま、ちょっとした思いつきです。間違っているかも。

以上、考察メモでした。


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  1. 2006/08/31(木) 19:24:26|
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せ、先生になっちゃったよ~

今、ちょっと焦ってます。

ドイツ帰国前に仕事を一旦全部やめて、専業主婦状態になって早6ヶ月以上が経過しました。家や庭の環境整備はある程度のところまで進み、二人の子どもの学校生活も軌道に乗りつつあります。

午前中少し時間ができたので、そろそろ自分の身の振り方を考えようかな。何ができるかな。どのくらいできるかな。可能性を探ってみようか、と思い始めたこの頃。

そこにこういう話が舞い込んで来ました。

モンテッソーリシューレで日本語を教える

な、何っ?

校長に打診されたのは2週間前。モンテッソーリシューレには、通常のFreiarbeit(自由学習)の他に、ワークショップの時間というのがあります。日本の学校でいうと「クラブ」に相当するでしょうか。数多くあるワークショップの中から、子ども達がやりたいものを見つけて参加することになってます。

日本の学校と違うのは、教員がそれぞれのワークショップを担当するのではなく(そういう場合もある)、外部から講師を連れて来るところ。プロの音楽教師や語学教師が出張してくる場合もあれば、保護者が講師を務めることもあるそうです。この場合、ボランティアではなく、「仕事」として報酬が支払われます。

このワークショップの一つとして、「日本語クラスを是非設けたいので、講師やってください!」と言われてしまったのだ.......

え~~~!私、教えるの下手なんですよ。もちろん、日本語教師の資格もないし。10年以上前に、あるベテラン日本語教師に弟子入りして手ほどきを受け、一年ほど教えた経験はあるのですが、そのときは成人相手の講座でしたし。子どもに教えるなんて、自信な~い!

断ろうかと思ったけど、「お願いしますよ。ねっ」と校長に依頼されてしまっては......

先週の木曜日は「ワークショップ紹介の日」で、昼休みの校庭に講師陣がずらりと並んでそれぞれ店開き。生徒達はブースを回って内容の説明を聞き、やりたいものに申し込むということになってました。仕方ないので私も行きましたよ。「日本語ワークショップ」って言ったってねえ。子ども相手にそう長時間は持たないし、どうしよう。言葉だけじゃつまらないだろうからと、折り紙や着物、お箸にマンガなど、いろいろ持って行きました。

しっかし、日本語なんてやりたい子、いるんでしょうかねえ~。

と懐疑的だった私。ところが、ところが!どんどん集まって来ました。テーブルに貼った「あいうえお表」に関心を示した子は少なかったのですが、「お箸使わせて~」「着物を着せて~」「折り紙を教えて~」と大騒ぎ。

「あたし、これやる!」「ぼくも!」「おれも!」と、申し込み用紙に名前を書いていきます。なんと30人以上!ビ、ビックリ~。

ということで、日本語ワークショップはめでたく成立することになりました。事前に「どのくらいの時間、やってもらえます?」と聞かれたので、「えー、そうですね。一時間くらいだったら.....」と消極的に答えておいたのですが......

ついさっき、教頭先生から電話があって、
「すみませんが、明日から早速お願いします」ですと。い、いきなり明日~。
おまけに、こんな展開に。
「1年生から7年生までの希望者がいますから、全員一緒というのは無理ですよね。1,2,3年生クラス一つに、4,5,6年生クラス一つ、それに7,8年生クラス一つということで、全部で3コマ担当してください」

な、なんか話が違うぞ~。

ああ、どうしましょ。今日はこれから授業計画を立てなければなりません。

うまくいくか、心配です....... 緊張~
  1. 2006/08/30(水) 02:37:18|
  2. モンテッソーリシューレ
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自分たちで作る修学旅行

息子のクラスの保護者会に行って来ました。

今回の集まりは、新年度の「役員選出」と、9月に予定されている修学旅行が話し合いのテーマでした。

今年4月に息子が転入して三日後くらいに、いきなり一週間の修学旅行があったのですが、このときは飛び入り参加のようなもので、準備期間にはいなかったので、親である私も息子も何が何だかよくわかりませんでしたが、今回はこうして事前の説明会にも出席して、少しその様子が見えて来ました。

この学校では、生徒は定期的に修学旅行に行くようですが、これは「学年ごと」の行事ではなく、クラスごとです。学校では「テーマ旅行」と呼ばれていて、あらかじめ設定した学習目的のための旅行ですが、クラスによってテーマが違うので、行き先もそれぞれ違います

今回の目的地はハルツ地方。日程はなんと9日間!長い!
先生曰く、「一週間では徹底的にその土地のことを調べるのは無理だろうということになりました」。はあ、本格的なんですねぇ。。。
場所はとりあえず先生が決めるのですが、その後は全部、生徒達が自分達で計画するらしい。先生が目的地に関する文献を用意して、「さ、これを読んで何を調べたいか、考えなさい」と。

生徒達は本や地図を見ながら、そこはどういう場所なのか、そこで何ができるのか、何が学びたいかを考える。アイディアがたくさん出たら、どこまで実行可能か、実行するためには何が必要か、どんな準備をしておかなくてはいけないかなどを考える。その後は具体的に、どうやって行くのか、お金はいくらかかるのか、持って行く物は何かを検討する。

9日間、テント生活で完全自炊だそうです。献立は?買い出しは?予算は?全部、自分達で。

「子ども達、張り切って着々と準備を進めています。これだけ大がかりな旅行を計画、実行するんですから、いろんな能力が身につくし、自信がつきますよ~」と、先生は仰っていました。

う~ん、なんだかすごく楽しそう。子ども達が羨ましいよ~。

私が小学生のとき、何かを決めるのに、ここまで自分たちの裁量に任されたことってあっただろうか。5年生のときに宿泊研修っていうのがあって、6年生で修学旅行がありましたけど、自分たちで決めたことなんて何一つなかったような......

旅行の「しおり」なるものが配られて、そこに「何時に出発して、何時にどこそこへ着いて、何時に何をして、何時にご飯で」というようなことが細かく書かれていて、「持ち物」と書かれた紙に書いてある物を用意して(親が用意した)、予定通りの場所に予定通り連れて行かれたって感じ。

何を見たとか、何を聞いたとか、なんにも覚えてないっす。

「お前達の好きなように決めなさい」なんて、せいぜい「お楽しみ会」ぐらいのものだった気が....

自主的に学ぶ、ということがモンテッソーリ教育の要ですから、それが修学旅行であっても、先生や保護者がお膳立てしないというのも頷けます。

自分で計画し、実行する喜びを味わって成長する機会になったらいいな~と、子どもを送り出すのが楽しみで、楽しみで。

  1. 2006/08/29(火) 05:47:54|
  2. モンテッソーリシューレ
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ドイツのお菓子地獄

前にも書いたことがあるような気もするけど、どうだったかな。

ドイツで子育てしていて、日本よりも楽なこと、日本よりもいいなと思うこともたくさんあるけれど、ちょっとこれだけは....ということもある。その一つが、「子どもがお菓子を食べる機会があまりに多い」ってこと。

ドイツの家庭ではお昼をメインの食事にしている場合が多く、夕食はパンにハムやチーズをのっけただけの軽食で、これにはそれなりの利点はあると思うんです。寝る前にあまりこってりしたものを食べないほうが健康にいいし、準備や後片付けの手間も少なく、のんびりできる(これは前に書きましたね)。

しかし、夕食を食べてるんだか、食べていないんだかっていう家庭もあるみたいで.....

昨日、娘は友達のお誕生会に招かれました。時間は午後3時から7時までという設定。終わるのが7時なんだから、何か簡単な食事でも出るんだろうなと思い、夫と息子との三人で夕食を済ませちゃったんです。しかし、7時に迎えに行ったら.....
「お腹空いた~。ご飯ある?」と娘が。
「何も食べてないの?」
「お菓子や果物は食べたけど.....あと、ちょっとバゲットが出た」
う....それだけなんですね。ソーセージとかフライドポテトくらいは出るのかと思ったが。

またあるとき。友人夫婦が「動物園に行くから、お宅の子ども達も一緒に連れて行ってあげる」と言ってくれました。お言葉に甘えてお願いし、昼食後子ども達は出発。帰りの時間は何も言っていませんでしたが、夜7時になっても連絡はなし。まあ、お金を持たせたから、何か買って食べただろうと思っていました。

ようやく子ども達が帰って来たのは夜9時です。娘は車の中で眠ってしまっていました。息子は、帰るなり、「お腹空いた!」。夕食は食べなかったのかと尋ねると、「食べてない。アイスや果物は食べたけど」

お菓子でお腹がいっぱいになれば、夕食は別に要らんだろう、って家庭、そんなに珍しくもないみたいなんですよ。

息子が一年生のとき、クラスでクリスマスパーティがあって、「各家庭、一品ずつ食べ物を持ち寄りましょう!」というお便りが来ました。食べる時間は夕方5時頃、と書いてあった。私は当然晩ご飯バイキングだと思って、「鶏のから揚げ」を持って行きました。ところが、他の人は.....

全員、お菓子っ!!

クッキーにケーキにマフィンにチョコレート。手作りもあれば、市販品もありますが。もう、これでもかってくらい、お菓子お菓子のオンパレード。

いくら美味しくても、そんな甘い物ばかりはとても食べられないでしょう。と思ったのは私だけですか?そ、それに.....お菓子をそんなに食べたら晩ご飯に差し支える~。なんて、誰も心配しないのね。

すごいカルチャーショック。

それに....ドイツって、何か行事っていうと、子どもが山のようにお菓子をプレゼントされる仕組みになっています。こないだも、娘は小学校入学式のしきたりとして、ボール紙で作った巨大な円錐形の入れ物にお菓子をぎっしり詰めたものを抱えて学校へ行ったのです。しきたりですから、皆と同じように用意しましたが、内心、ため息でした。

だって、これを皮切りに、冬に向けて「ドイツお菓子食い大会」が始まるんですもの。

この入学式のお菓子を食べ切ってやれやれと思った頃に、クリスマス前の「アドベント」という季節がやって来ます。この時期のドイツ人のお菓子消費量はすごい。子ども達はどこへ行っても、チョコレートだのクッキーだのをプレゼントされます。おまけに、これもまたしきたりとして、この時期にはどこの家でもクリスマスのクッキーやチョコレートなどを器に山盛りにしてテーブルの上に置いておく。午後のお茶にでも呼ばれようものなら、「どうぞどうぞ」とひっきりなしにお菓子を勧められます。

大人はいいんですよ。自分でセーブすりゃいいから。でも子どもって、目の前にあればどんどん食べちゃうじゃないですか~。

クリスマスが終わった、やれやれ、と息をつく間もなく、2月にはカーニバル。パレードでは「飴の雨」が降り、子ども達はビニール袋いっぱいに、それを拾い集める。カーニバルのお菓子がなくなる頃には、復活祭。イースターバニーやイースターエッグをかたどったチョコレート攻めです。

まあね。こういう行事のときのお菓子って、その昔、日常的には甘いものなんて贅沢で食べられなかった時代にお祝いのときだけとお菓子を食べた、その名残なんでしょうけど。でも、現代では毎日のように食べてるわけですからね、そんな必要はないと思うんですよ。

さらに!ドイツの学校には日本のように「学校にお菓子を持って来てはいけません」という決まりはありませんから、平気で持たせてる親が多いですよ。誕生日にはお母さんの焼いたケーキを持って学校へ行き、先生やクラスメートと一緒に食べるのが習わしです。

年がら年中、誰かしらの誕生日があって、そのたびにケーキやらお菓子を頂いて、夏は夏でアイスクリームをしょっちゅう食べる。

どこかで読みましたが、ドイツ国民の一人当たり年間砂糖消費量は日本人の2倍らしい.....
日本人だって、必要以上にお砂糖摂取してるはずですから、その倍っていうのはあまりにすごい。これじゃあ、ドイツに肥満児が多いのも無理ないわ。

よその家庭のことはよその家庭として、うちはなるべく食べさせたくな~い!

と言っても、これだけお菓子が氾濫している世の中、お菓子与えないっていうのも難しいんですよね。せめて、お砂糖かなり控えめのものをと思ってなるべく手作りしてるんですが、子どもは「母の手作りケーキ」よりも添加物いっぱいの駄菓子の方が良かったりして、頭痛い~。

寒い季節が近づくに連れ、お菓子の洪水といかに戦うかと、身構える母です。



  1. 2006/08/28(月) 04:59:17|
  2. ドイツ
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ほんとに猫なの?

麻さんがブログに、夕方のお子さんとのお散歩について書いていらして、そのお散歩を「子ども達の放牧」と呼んでらっしゃるのを、なるほどなあと思いながら写真を拝見してました。

麻さんに習って、今日は私も夕食後に子ども達を放牧することにしました。行き先はすぐそこの森です。娘が自転車に乗りたいというので、自転車で。みんなで車庫から自転車を出して、さて行くか!と走り出すと、後ろから......

ニャー、ニャー

と、慌てた声が聞こえるので振り向いた。なんと、うちの黒猫「ぷう」が、急ぎ足でついて来るんですよね。
「おまえも来る?」と聞くと、「ニャー」。
そんなことってあります?犬でもないのに。

まさかと思ったんだけど、本当についてきました。森の中、数百メートル入ったのですが、しっかり足並み揃えて来るんですよ~。

森の中でカゴを下げた人達にすれ違って、カゴの中にはキノコが。キノコ狩りの季節なんですね。さっそく私達も探しました。
kinoko.jpg

いろんなキノコがありましたが、キノコの種類、よくわからないので、近所のおじいさんにでもよく聞いてみなければいけませんね。毒キノコだったら怖いもんね。

その間、ぷうは嬉しそうに、辺りをぐるぐる走り回ってました。ますます犬っぽい。

さて、帰るか~と走り出したら、
spaziergangmitpoo.jpg


ニャンニャンニャンと自転車の後ろを走っていくこの猫、何者でしょう?
  1. 2006/08/25(金) 03:12:43|
  2. 日常
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保護者の力が学校を変える?

楽しかった夏休みもあっという間に終わり、今日から子ども達は学校で~す!

私はもうしばらく夏休みでもよかったな~という気分だけど(だって、楽しいんだもん)、子ども達は「やったー。学校!」と張り切って出かけて行きましたよ。

さて、それでは雑務に取りかかるか、と、村の有機ショップに買い物に行きました。ここの店主は私と同年代の女性で、村の小学校に通う息子さんがいます。初めてこの店へ行ったとき、リーケに「あなたの息子さんはどこの学校?」と聞かれて、「ポツダムのモンテッソーリシューレに通っている」と話したら、彼女は大きなため息をつきながらこう言ったのでした。

「いいわね。私も本当はうちのヨーナスをモンテッソーリシューレに入れるつもりだったの。でも本人が、どうしても村の子ども達と一緒の学校がいいって言うから、その意思を尊重して村の学校に入れたのよ。結果的に、ヨーナスは元気に学校に行っているし、放課後は近所に友達がいるから、これでよかったのかなとは思うけど、でもここの学校、内容がちょっと......授業のことや運営のことで、不満がいろいろあって、もしあのときヨーナスを説得してポツダムへ行かせてたらと思うことがあるんだよね」

私は、村の公立小学校については何も知りません。息子の学校と比べてどちらが良いというようなこと、全くわからないし、比較して云々する気もないのですが、まあとにかく、リーケは上記のように言っていたんですね。

我が家の場合、ドイツに戻って来るときに、まず学校探しをして、たまたま良さそうなところが見つかったので決めました。ですから、できれば学校の近くに住居を得たかったのですが、短期間ですべてを決めなければならない状況だったので、思った具合にいかず、結局、6kmも離れたカプート村から子どもを通わせることになってしまいました。

この辺りの環境がとても気に入ったので、後悔はしていないんですが、交通の便が悪くて子どもが自力で学校に通うことができない上、友達はポツダムに住んでいて、放課後遊ぶ約束をするたびに私が車を出さなければならないのが、正直言って面倒です。でもまあ、子どもが喜んで通っているんだからいいか、と思うことにしてるんです。地元の学校があまり評判良くないならなおさら。

しかし、今朝私が、「今日から新学期だね。ヨーナスは元気に学校に行った?」と声をかけると、リーケは明るい顔でこう言いました。

「聞いてくれる?ヨーナスの学校、大改革して、今日から晴れて全日制の学校になったのよ!」

前にも書いたことがありますが、ドイツの公立校は伝統的に授業は午前中だけで、給食もありません。それが、このたび村の学校に給食が導入され、生徒は午後1時半まで学校にいることができるようになったという。

「それだけじゃないの。朝は授業前の6時から預かってくれることになったし、午後はいろんなアクティビティに参加できることになったの。学校でピアノを習ったり、空手や柔道もできるのよ。授業の進め方も、新しいアイディアを取り入れてかなり変わるはず

へえ~、そうなんだ。それはすごい、よかったね!と私が言うと、

「でもね、ここまで来るのは大変だったのよ。私達保護者が改革班を立ち上げて、一生懸命学校や市に働きかけて、ようやく子どものために良い環境をここまで整えてやることができたわ。保護者が立ち上がらないと、何も変わらないからね」と。

頑張ったんですね~。

日本でもドイツでも、教育制度に対する保護者の不満は大きく、「公立校にはとても任せられない」と私立の学校に目を向ける保護者が増えている印象を受けます。とは言っても、私立校が近辺になければ選択のしようもないし、経済的なこともあるし、「公立校にはもう見切りを付けた」なんてみんなが言えるわけじゃない。

「いまや、良い教育を受けられるのは裕福な家庭の子どもだけ」なんていうことをしょっちゅう耳にするようになって気が滅入っていたので、村の小学校改革のニュースを聞いて、少し明るい気持ちになれました。

ヨーナスの学校生活が、ますます楽しいものになるといいな。
  1. 2006/08/21(月) 20:38:36|
  2. 教育・学校
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少しじっと座っていなさい!

先日、夫の母に本を一冊プレゼントされました。「面白かったから、よかったら読んでみて」と。

「Sitz doch endlich still! Mein Leben mit drei hyperaktiven Kindern (少しじっと座っていなさい! ー 三人の多動児との生活)」

三人のお子さんが全員、そして後に自らもADHD(注意欠陥多動性障害)であると診断を下された著者が、家族の障害に気づき、治療により困難な状況を克服していくまでの手記。

夫の母は元保育士で、障害児施設に長いこと勤務していた経験もあって、このような本に自然と関心を持ったのだと思いますが、表題を見て、孫息子のことが頭をかすめたというのもきっとあったでしょう。うちの息子、ほんとうにじっとしていないものですから。

夫が子供の頃、義母も彼の落ち着きのなさには相当に手を焼いたそうです。小さい頃の夫はとても衝動的で、そのためかなり怪我が多かったらしい。あるとき、子供をどうしても人に預けなければならない用事があって、近所の人にお願いしたら、
「こんなクレイジーな子を一人産む代わりに、普通の子を二人産んだ方がよかったんじゃない?」と後で嫌みを言われたこともあるとか。学校に入ってからも、「息子さんの態度が悪い」と担任からしょっちゅう呼び出しくらってたそうなんですね。

そして孫は見事に息子のコピー。
「ビアンカ、あなたも大変ね。わかるわ、その状況」
そう言われるんです。

ADHDというのは以前から聞いたことが合って、「もしや....?」と思ったこともあるのですが、少し調べてみた範囲では、やっぱりちょっと違うなという感じでした。今回薦めてもらったこの本を読んで、描写されているFelix君の赤ちゃん期の様子が息子のそれと酷似していたのでびっくりしましたが、その後の生活の部分はあまり当てはまらず、ADHDの基本的な特徴と言われる「注意力散漫」「衝動性」「多動」のうち、息子の場合、衝動性と多動の傾向は強いものの、「何にも集中できない」というのは完全に違います。

ADHDにもいろんなタイプがあるそうなので、素人に簡単に判断がつくものでもないでしょうが、個人的に知っているADHDのお子さん数人とも息子はかなり違うし、結局、自分達の状況と照らし合わせて「目からうろこ」という感じではありませんでした。それに、学校を変わってから息子は目に見えて落ち着いて来たので、この頃はあまり心配していません。

でも、この本、とても興味深く読みました。母親である著者は三人の子供が学校で問題児扱いを受け、周囲からさんざん苦情を言われ、仲間はずれにされ、おまけにカウンセラーや心理セラピスト達からことごとく、「お子さんがこうなったのは、母親のあなたの躾けが間違っているから」「あなたの愛情が足りないから」「あなたの接し方が悪いから」「あなたの精神状態がよくないから、子供がトラウマになる」など言われ続け、悩み、親としての自信を失って行く。そして長い闘いの末、ようやく診断が下され、投薬治療によって状況が大きく改善されます。しかしそこでもまた、「ADHDなんて、子育てがうまくできないことの言い訳」だとか、「子供に薬を与えて静かにさせるなんて、ドーピングと同じ」という批判の目に曝され、苦悩する。

ADHDに限らず、昔なら「変な子」「どうしようもない子」と見られて終わっていたのが、実は特定の先天性もしくは後天性の原因による障害であることが明らかになるケースが増えていますね。セラピーによって困難な状況が取り除かれたり、周囲の理解が得られるのはよいことでしょう。

でも、とても難しいですね。障害ってそもそもなんなのか、と考えると。

私なりの理解では、世の中には健常者と障害を持つ人の二種類の人間がいるのではなく、人間には知的にであれ、身体的にであれ、それぞれ特徴が必ずあって、その特徴がある一定以上に目立って、その結果社会の中で生活するのが難しくなった場合、それを「障害」と呼んでいるのだ、とそう思っているのですが、そうではないのでしょうか。

そして、「普通の人」とはあらゆる意味で平均的な人のことで、実際にはあらゆる面で平均的な人なんて滅多にいない。たとえば私の「日付/時間間違い癖」なんて、人から見ればかなり異常なことだろうと思うし.....

「○○症候群」という名称が与えられると、その特徴は「病気」や「障害」として扱われるようになって、そこに医学的定義が存在するようになるのでしょうが、異常であるということの定義だって、時代背景や文化によっても相当に誤差が生じそうだから、普遍的なものとは言えない。

複雑だなあと思います。

何かの困難にぶつかった人にとって、原因を知ることは状況克服の助けになるのでしょう。そして今のところ困難にぶつかっていない人にとっては、「世の中にはいろんな人がいて、何が普通であるかは簡単には定義できない」と心に留めておくことが助けになるのかもしれない。

そんなふうに思いました。


  1. 2006/08/18(金) 22:08:20|
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電車タイムを有効に

今日、感動したこと。

子育て仲間のなかいパパさんからのメールです。夏祭りで子供が締めるはちまきにアイヌ模様の刺繍をしていたのが、完成したそうです。

そのはちまき、なかいさんのブログ折りペルカーゾに写真がアップされているのですが、素敵です~。ここは夫婦揃って手先が器用で周囲をわっと驚かせるんですよね、いつも。

なかなか時間がないので、通勤電車の中で刺繍をする「変な人」になりつつ仕上げたって.....

なかいさん、すごーい!「変な人」になっても、子供のためにはちまき作るなんてかっこいい。

いや、「子供のために頑張るぞ!」じゃなくて、デザイン考案したりして、実はなかいさんが楽しんじゃっている(んだよね?なかいさん)ところがいいな~。

私がそのはちまきを貰えるわけじゃないのに、なんだかすっごく気分イイ今日です。
  1. 2006/08/17(木) 22:11:35|
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興味ってなんだろ?

人にはそれぞれ「好きなこと」とか「趣味」があって、何に対して興味を持ち、何に興味を持たないかは人によって違うわけだけれど、そもそも「興味」って一体何なのだろう?どうして、特定の物に興味を持ったり、あるいは持とうとしても持てなかったりするんだろう?

かなり長いこと私が「興味」を持っているテーマです。

結構いろんなことに興味があるほうだけど、どうしても興味を持てない分野というのがあります。ゲーム、経済、物理。この三つはどうしても無理。

ゲームをしないのは、勝ち負けに興味が沸かないので。勝っても嬉しくないし、負けても悔しくない。同じ理由で競技スポーツにも関心がありません。経済が苦手なのは、桁の大きい数字がピンと来ないから。百万円を越すともう実感がありません。目の前にお札をズラーッと並べられたら、「おお、こんなに!」と興奮するかもしれないけれど、頭の中で数字を思い浮かべることが苦手です。そして、物理。これは本当に努力して好きになろうとしました。だって、夫は物理専攻だもんね。でも、だめですよ。考えようとすると、脳の一部が痙攣を起しそうになっちゃう。

興味のどうしても沸かないこの三つの分野、苦手な分野でもあります。興味がないからやる気になれない。だから、何かをやるときには「興味」ってとても大事だと思う。

夫は日本にいた頃、日本語を覚えるのにとても苦労していました。「オレは語学の才能がない」って嘆いてました。でも、私が観察したところ、才能がないっていうよりも興味がないんじゃないの?と思った。一緒にドライブしていても、視界に入って来る看板やポスターなどを全く読もうとしない。「なんて書いてあるんだろう?って気にならない?」と聞くと、「全然気にならない」と。

へえ~!と新鮮でした。私は文字に興味があるので、文字を見ても何も感じないって不思議。文字だけでなく、言葉も好き。日本語も好きだし、外国語も好きです。外国語を何かの目的のために学習したことはありません。ただ純粋に「外国語を話す」ということ自体が好きなのです。まず第一に、日本語にない音が面白い。意味がわからなくても、外国語が流れているのを聞いているだけで楽しいです。それから、文法が面白い。特定の言語に法則を見いだして、それを応用させるという行為が楽しいですね。そして実際に通じると本当に面白い。そんなわけで、齧った言語はかなり多い(マスターしたのは少ないが)。

そんな話をしたら、ある人にこう言われました。
「それはもともと語学の才能があるからでは?人は、生まれつき高い能力が備わった分野に自然と関心が沸くのではないだろうか」
う~ん。そうなのだろうか。言われてみれば、息子は赤ん坊の頃から機械に興味を示していて、実際、メカに強いのです。

また、別の人は、
能力がある分野に関心が向くとは限らない。もしそうなら、天職とか自分に合った仕事を見つけられる人がもっとたくさんいてもいいはず
ふむふむ、これまた言えてる。下手の横好きっていうのもあるしね。私、料理がだ~い好きだけど、その割に腕はたいしたことないもんなあ。

だから要するに興味って何?

興味は「快感を得ようとする心の動き」とも言えますかね。「○○に興味がある」ということは「○○を面白いと感じる」ことで、何かを面白いと思うことはすなわち「快感」なわけで、好奇心が強い人というのは「快感を求める程度が高い」ということかな。
精神的性欲とでもいいましょうか。

そして、何に興味を持つかというのは、潜在的能力に左右される部分もあるし、そうでない部分もあるということでしょうか。(って、また得意のグレーな結論。)他人の影響も大きいですね。自分が好感を持っている人のすることは何でも面白そうに思えるけれど、関心がない人のやっていることには関心が持てない。

とすると、人間嫌いよりも社交的な人のほうが多くの人間の影響を受けやすいので、結果的に多趣味になる。いや、逆かな?もともと気が多いから、いろんな人と交流を持とうとするのかな?

と、ここまで考えて時計を見たら、もうとっくに寝る時間。わかんないから、もう寝ます。


  1. 2006/08/16(水) 07:39:52|
  2. う~ん、わからん!
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体力つけたい

もともとはアウトドア派どころか、スポーツとは全く無縁だった私。泳げるようになったのも成人してからだし、運動は上手にできなくてつまらないだけでなく、

疲れるからやだ

ったんですよね。広い北海道で育ったので、自転車に乗るのには慣れていましたし、スキーも一応滑れますが、それ以外はまるでダメ。高校のマラソン大会なんて、最初から走る気皆無でした。護送車の前をたらたらたらたら歩いて行き、でもビリは嫌なので、最後の最後にラストスパートで何人か追い抜いてそれで満足ですよ。

当然のことながら、あまり体力がありません。

ドイツの大学で文化人類学を専攻していたのですが、研究者としてフィールドに出る人生を送るのは諦めました。諦めた理由は他にもいろいろあったのですが、「体がついていきそうにない」というのも一つの大きな理由でした。暑いのダメ、寒いのダメ、アレルギー体質で喘息、それにすぐお腹壊す。世界中の病院にお世話になってきました。そんな調子だから、長期的にテント生活なんて到底無理だ、と思って......

まあ、それでもいいや。体力がないならないなりの旅行ができるのだし、キャンプみたいな疲れることはもともと嫌いだし、なんて考えていました。それがいつの間にか、子供と一緒に沢登りしたりまでするようになるとは。自分でもびっくりだけど、やってみるとアクティブな生活って楽しい。どんどんはまっていきます。

埼玉にいた頃、娘の保育園の行事がいろいろあったのですが、暑い時期に屋外で活動することが多くて、暑いとすぐ疲れる私は「ヒェ~勘弁してくれぇ~」と毎回息も絶え絶えでした。でもそのお陰で少しは鍛えられたのでしょうか。この夏、子供達と湖水浴三昧の毎日を送っていても結構元気なんです。テクはないけど、かなり長距離泳げるようになったし、ここのところ毎日自転車に乗ってもそれほど疲れません。嬉しいな。

私が、「体力がなくて悔しい」と心から感じたのは、アイスランドへ行ったときでした。レンタカーを借りて、アイスランドをぐるりと一周しました。本当に言葉ではちょっと形容できないほど、自然の素晴らしいところです。行く前に用意したトレッキングシューズを履いて一日何時間も歩き回り、自分が広大な大地を踏みしめていることに深い感動を覚えました。

だけど、世の中にはすごい人がいるもので......

マウンテンバイクで一周している人達にすれ違ったんです。真夏とは言え、風が吹けば身を切られるような冷たさで、火山地帯は灼熱のアイスランドです。いや~、みなさん体力がありますね。途中で具合が悪くなっても、病院はおろか、民家だってないところが多いのに、平気なんですね。

そして、アイスランドの雄大な景色の中で草を食んでいる馬を見たとき、突然無性に馬に乗りたくなったのです。

この大地を、アイスランドの馬に乗って駆け回りたい。他の場所じゃイヤ、アイスランドの馬じゃなくちゃだめ。なにがなんでもそうしたい!

それまで馬にはまるっきり興味がありませんでした。アメリカでホームスティをしていた家には馬が四頭もいたのに、当時の私は「馬なんて、ハエが止まってて汚い」なんて思っていたんですよ。なんてバカだったんでしょう。

うまい具合に、アイスランドには体験乗馬をさせてくれる施設がたくさんあったので、ビギナー乗馬に申し込みました。やった~明日こそ馬に乗れる!とわくわくで床についたのですが、その晩に限って喘息発作が起こり、夜中のうちに宿を出て、病院のある町へ車を走らせることになりました。

ああ、無念。

以来、「体力がないと、人生の楽しみも減る」と感じるようになり、なんとか体力つけたいんですよね。と言っても、フィットネスのように黙々と体を動かすのはどうにも苦手で...... 子供のレジャー引率を通じて少しづつ体力アップを図っております。

最近こちらで知り合い、仲良くなった夫婦は、子供ができる前にはバックパックで14ヶ月かけて世界を旅して回ったそうで、奥さんの方はインスタラクター並の腕前のダイバー、だんなさんは国の内外でエコツアーを企画、引率しています。とてもアクティブ。

また別の友人は、毎年キャンピングカーでカナダの国立公園を周遊する、これまた強者のアクティブ旅行者。この間会ったときに私が「去年、釧路川でカヌーに乗ってとても楽しかった」という話をしたら、「どのくらいの距離をこいだの?」と聞かれ、「え?どのくらいって。半日だけど」と言ったら、「ワハハ。たったの半日?少なくとも100kmは漕がないと、カヌーに乗ったとは言えないんだよ」と大笑いされてしまいました。彼は奥さんと一緒に、一週間くらいかけてカヌー旅行をするんだそうですよ。

次元が違うので、いきなり真似をするのは無理ですよね。でも.....

私もまだまだ若い!つもりなので、これから少しづつ体力つけて、未知の体験がたくさんできたらいいなと思ってます。
  1. 2006/08/11(金) 22:55:00|
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ドイツでもレストランが禁煙に?

このところ、ドイツでも「飲食店での喫煙を全面的に禁止すべきかどうか」について議論が活発になっていますね。

ようやく、という感じです。

二ヶ月ほど前だったか、フォークス(だったかな?シュピーゲルだったかな?)に喫煙に関する特集が組まれていて、「ドイツも他の欧州諸国を見習って禁煙を徹底させるべきだ!」という論調だったので、少し期待していました。

私は喘息持ちなので、タバコの煙に曝される機会が少なければ少ないほど発作を起こさずにいられます。だから、公共の場が禁煙になってくれれば嬉しい。レストランは行きたくなければ行かないでもすみますが、行かなければならないところが煙もうもうなのは絶対困る。そして、レストランにもやっぱり行きたいので、禁煙だといいのにとずっと思っていました。

喫煙者を糾弾する気持ちはないのですが、煙草はやっぱりやめたほうがいいと思います。「百害あって一利なし」と昔から言われていながら相変わらず吸う人が多いのは、依存症に陥っているから。「喫煙者の権利云々」というのは依存症を誤摩化しているように思えるのです。社会的問題というより、医学的問題として考えた方がいいのではないでしょうか。

禁煙の苦労は私にはわかりません。吸わない人間が「やめろ」というのは簡単ですからね。「体を壊すことも覚悟で、それでも吸いたい」という人を説得するつもりもありません。でも、子育てをしていますから、煙草が減ってくれたら本当にありがたいのです。受動喫煙の害から子供を守るということはもちろんですが、子供が喫煙者にならないようにするためにも禁煙が広がることを願っています。

最近、喫煙がどんどん低年齢化していますよね。小学生でもバンバン吸ってる。「煙草を吸うのは不良だ」とか、そんなことはどうでもいい。とにかく、彼らの健康が心配です。最近の煙草には、「隠し味」として微量のバニラやココアなどの成分も含まれているそうで、その甘い味で子供はアッサリと中毒になってしまうらしいですね。子供のうちから中毒にさせて「お得意さん」にすれば煙草産業は儲かる。ゾッとします。

喫煙って、たいていは思春期に「ちょっとやってみよう」と好奇心から手を出したのが癖になって、やめられなくなってしまうと思うのですが(実は、私もやってみたことあります。ガラムという煙草です。幸い、癖にならずに済みました)、周囲に喫煙者が多くいればいるほど、「ちょっとやってみよう」の時期が早まり、「やっぱりやめておこう」とセーブする力が弱くなるんじゃないかしら。家に煙草があれば、喫煙はよくないという感覚も鈍くなるに違いないですから。

大人一人が禁煙することで、どれだけの子供の健康が守られるか。貢献度は大きいと思います。自分が癌にならなくても、周りの人が健康を害すれば、その人達の治療のために結果的により多くの健康保険料を負担しなければならなくなる。どう考えたって損じゃないでしょうか。

レストラン、禁煙になるといいな~。喫煙者の方には嫌な発言でしょうが、正直な気持ちです。


  1. 2006/08/09(水) 16:52:06|
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探検がやめられない

実は、昨日から私、お暇を頂いております。

夫はフランクフルトで仕事をしています。息子は子供キャンプへ行きました。娘は祖父母の家に遊びに行きました。つまり家には私一人(とネコ)。木曜日まで全日フリ~!

すっごい開放感!

さて、この主婦休暇、何をして過ごそうか。普段なかなかできないこと、って思いますよね、当然。第一日目の今日はベルリンへ行きました。うちの子供達、都会が苦手なので連れて行けないんです。ポツダムから電車でベルリンへ出たのですが、自転車持参で行きました。だって、徒歩だとすぐに疲れて地下鉄に乗りたくなるから、街の隅々までようく見られないんですもん。

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首都行きの電車がこんなにガラ空きって、信じられます?

ベルリンはものすごく広いので、自転車なんかでは到底回れませんが、ごく一部の地域を走り回るだけでもとても楽しかったです。今回はSteglitzという地区で降りて、その一帯を探検しました。目的もなくフラフラと何やってんだ?と自分でも思うけど、近郊を地区ごとにシラミつぶしに歩き回るという趣味があって、どうにもやめられないのです。

大学生になって北海道から上京した一年目、都内を徹底的にうろつき回りました。まず中央線から始めて、中央線の一つ一つの駅に降り、駅周辺をぶらぶらしては「そうか、ここはこういう場所か。よしわかった」と満足しました。すべての駅をチェックし終えると、今度は山手線、次は総武線、というふうにつぶして行きます。

埼玉でも、毎日のように地図帳を眺めて、「すでに行った場所」に印をつけ、これから行く場所に順番をつけてました。出かけて行った場所に面白い物が何もなくても構いません。「どういう場所か」がわかればそれでいいのです。

こちらに引っ越して来てからは、子供達をお供に、車で近郊の湖巡りをやってます。何なんでしょうね、一体、この徘徊癖は?

今日はSteglitzで、Globetrotterという大型アウトドア専門店に寄りました。双眼鏡が見たかったのですが、このお店、アウトドアグッズの他に、地図、ガイドブック、写真集、冒険記などの充実したコーナーがあるんです。旅行会社も入ってます。も~、大興奮で売り場を見ていました。金欠のため当分大きな旅行の予定はありませんが、地図やガイドブックを見てるだけで幸せ~

それから、大型書店、Hugendubelにも寄りました。これは必須ね。探検の次に好きなことは読書だから。
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本屋の中にソファーが置いてあって、立ち読みどころか「座り読み」ができる。最高!

3時間かけて自転車で一帯を走り回った後、再び電車に乗って帰って来ました。本当はポツダムまで乗るつもりだったのですが、探検欲が充分満たされていなかったので、途中のWannseeで下車しました。そして、森を突っ切って、Babelsbergの森も突っ切って、ポツダムの森も突っ切ってカプートへ帰って来ました。

今日は全部で25kmくらい自転車で走ったかな~。

ausflug7.jpg

こんな景色を見ながらね。

わざわざベルリンまで行って、買って来たのは本数冊だけですが、ものすごい充足感。
「あの道もこの道も通ったし、あの景色もこの景色も見た」
と思うだけでいいんです。私ってやっぱり変なのでしょうか?

さあ、明日はどこへ行こう?

でも.....筋肉痛で動けないかも.......
  1. 2006/08/08(火) 06:08:05|
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国民の夢

「内田樹の研究室」というページにこういうコラムがありました。

バブル崩壊少し後の「古い話題」であると断り書きがありますが、現在もそれほど変わってはいないんじゃないかなという感想です。一言で要約しますと、日本の新聞の折り込み広告はざっと三種類に分けられる。それは、不動産広告、塾の広告、そしてエステの広告だ、とか。言われてみれば、確かにこの三つ、すごく多いですね。

コラムでは、これら三つの広告の山は、平均的日本人の欲望がどんなものであるかを示している、いえ、もっと突き詰めて、「マイホーム」「できのよい子供」「妻の美貌」は、実はすべて妻の欲望であると仰られていて、そこの部分は読んでいてちょっとゾッとしちゃったんですが。

ふと考えてみると、ドイツの折り込み広告って日本のとは随分違います。日本でいう「塾」がないので、塾の折り込み広告というのは今のところ見たことがありません。エステの広告もないです。エステって、ドイツにもないわけじゃないけど、かなり地味ですよ。日本のように駅前にチェーンのエステサロンがいくつもあって、女性誌の後ろの方はエステ広告ばっかりとという風ではありません。嫌でも目につく状態ではなく、探さないとエステサロンなんてどこにあるのかわからない感じです。

不動産広告。これはありますが、やっぱり地味。裏表カラー刷りで、「七月完成!○○駅から10分!△△ショッピングプラザまで徒歩7分!」の他に何やら魅力的なキャッチフレーズで国民に夢を見させるような広告は目にしないなあ。新聞の不動産欄はどっちかというと、条件のみ数行で簡潔に記したアパマン情報の物件紹介みたい。

ではドイツの折り込み広告にはどういうのが多いのでしょうか。うちは有料新聞を取っていないので、ローカルな無料新聞が投げ込まれるだけですが、そこに挟まっている広告は圧倒的に家具屋の広告が多いですね。次に多いのが、ホームセンターの広告。日本ではホームセンターは大型雑貨店という感じですが、ドイツのホームセンターはDIY専門店。

ということは、ドイツ国民の最大の関心事は、「家の内装を自分好みにする」ということなのでしょうか。入れ物である「家」を買うことそのものが目標ではなく、家を手に入れた後、理想の内装を手に入れることに相当な情熱が注がれている気がします。

そういえばドイツ人って、他人の家の内装にとても興味を示すなあ。人の家に初めて招かれたら、玄関を入るなり、まずぐるりと辺りを見回して、「素敵なお家ですね」とコメントする。内心、「あまり素敵じゃないな」と思っても、ノーコメントでは許されないような雰囲気を感じるんですが、私の考え過ぎでしょうか。

それに、客が「お部屋は全部でいくつあるんですか?」とか、「あっちの部屋も見せて頂いていいですか~」などと言うこともしばしば。ドイツ人は「いいですよ。どうぞ~」と言って家中案内したりする。寝室やバスルームまでも。(でも、アメリカ人ほどではないな。アメリカ人ってお客が来ると、家の中ツアーをやりますよね?)

日本だと、親しい友達は別として、あまり人の家でキョロキョロすると覗き見趣味と嫌がられそうだし、客が寝室に入るなんてことはまずないんじゃないだろうか。

内装に凝るドイツ人は、自分の家の中を人に見てもらいたいと思い、また他人の家の内装も参考のために見たいと思う。

日本では「立派な家」とは「外観が立派な家」のことで、もちろん内装も立派な方がいいには違いないんだけど、ドイツでは家の外観はわりとどうでもよくて、築100年でボロボロでも中が綺麗であれば「立派な家」に住んでいると言ってよい。

幸せな暮らしとしてイメージするものも、その国民によって違うようですね。

  1. 2006/08/07(月) 00:52:00|
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ライフスタイルと女性の体

数日の間、旧友が日本から遊びに来ていました。

彼女は私と同い年。都心の分譲マンションに住む、外資系企業の部長さん。子持ち主婦の私とは対照的な生活をしています。

久しぶりに会ったけど、相変わらず体型は若いときのまま。髪は黒々、皺もなく、踵はスベスベ。いいな~、羨ましい!
そう思ったのですが、彼女曰く、
「そうでもないわよ。ストレスのせいか吹き出物ができやすいし、ちょっとした傷もなかなか治らないし、日焼けでできたシミも、レーザー治療とかいろいろやってみたけど良くならないの。あなたこそ、シミもなくて健康的じゃない」

いやー、私も結構あるんですよ。シミなのかソバカスなのかわからないものがね。彼女は近視だから、よく見えてないだけ。でもまあ言われてみれば、基礎化粧をまったくせず、日焼け対策も怠っている割には、肌のトラブルは少ない方かもしれません。

「それは、子供を産んでるからよ。子宮をちゃんと生理のサイクルから休ませたから、健康でいられるのよ」と彼女。

かつて女性は、初潮後まもなく第一子を産み、何人もの子供を産んで、最後の子供を産んでしばらくしたら死んでいった。女性の生涯における総月経回数は約50回。しかし、寿命が延び、ライフスタイルが大きく変化した現代では、女性が生涯に産む子供の数は大幅に減り、月経の止まる妊娠や授乳期間がほとんどないので、死ぬまでの総月経回数はなんと平均で450回。昔の10倍近くにも増えている。つまり子宮は、作っては壊し作っては壊しという作業を休みなく延々と続けているわけ。

「これだもん、体がおかしくなって当たり前なのよ」
負荷がかかりすぎということなんですね。確かに、子宮内膜症や子宮がん、乳がんなどの疾患と出産経験の間には関係があると言いますよね。うーむ。子供を少なく産むようになって、いろんな面で楽になった、その分若さを長く維持できるようになったと考えていたけど、事はそう単純ではないってことか。プラス面があれば必ずマイナス面もある。

先日、ニュースで聞いたばかりです。日本女性の平均寿命は21年連続で世界一だそうですね。いや~、日本女性って元気なのね~って単純に感心してましたが、よく考えると、世界一長く生きるから健康状態も世界一というわけではないんでしょうね。あちこち不具合を抱えての長生き、ということもありえる。

より快適で、より豊かで、より充実した生活を送りたい。そう切望して人間はライフスタイルを変化させて来たわけですけど、そうして得られたものもあるが、そこから発生した新たなトラブルもある。

難しいですね~。
  1. 2006/08/02(水) 23:08:36|
  2. へえ~のお話
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パラレルに作業ができない

前エントリーですごい欠点を披露してしまったので、とんでもないchaoticな人間、という印象を読者のみなさんに与えたことと思います。

しかし、実はそんなにメチャクチャでもない。(←自己フォロー)仕事も早いし、自己管理能力にはちょっと自信持っています。矛盾するようだけど。なんたって、計画大好き人間で、日常生活の何割かの時間はプランニングに割いているのです。

大学を出てから今まで、企業人であったことはなく、ずっとSOHOでやってきました。(この数年は廃業寸前状態だが)人から、「よく家で仕事ができるね。ついダラダラしてしまったりとかはないの?」と質問されますが、ダラダラはしないです。締め切りまで何日、全部で何枚あるから、一日ノルマ何枚!と決めたら、その通りにやります。もしかして、頭痛その他で仕事できない日もあるかもしれないからと、その分も計算に入れて予定を立てますし、余裕がある日はノルマを超えて多めにやっておくので、必ず予定よりも早くに終わります。

中学のときに、中間や期末試験の勉強予定表を作れと担任に指導されて以来、すっかりはまってしまたのです。この日は数学のこのチャプター、そして英語の単語練習、次の日はこれとこれ、というふうに色分けして計画表に書き入れて行くんですが、これが楽しかったんですよね。期末試験なんて二ヶ月以上前から準備開始して、試験の三日前からはもう勉強しない。前の日は9時には就寝。直前にやるとかえって焦るから。だから、「ギリギリにならないとやる気になれない。前の晩に徹夜で覚えるのが一番効果的」なんていうの、信じられません。

こういう性格なのに、どうして何でもかんでも忘れてしまうのか。どうして大事な約束をすっぽかしたりするような「超いい加減人間」的振る舞いをするのか.......

それは、私にパラレル機能が備わっていないからですっ!!

自分で計画を立てると、「まずこれをして、その後あれをして....」と順番に予定を組み込み、それに従って一つ一つ作業をしていくから、何の問題もない。しかし、世の中はそういうふうにはできていなくて、一度に複数のことをしなくてはいけなかったり、状況に応じて臨機応変に作業の順番を変えたり、途中に何かを差し込んだりしなければいけないですよね。それができない。

やることが無数にあって、どっから手をつけたらいいかわからない。という状況が苦手で、パニくってしまうんです。

会社に勤めたらきっと、作業の真っ最中に、「ビアンカちゃん、ちょっとお茶煎れてよ」なんてことがあるでしょう。「今やってることは一旦中断して、先にこっちやってくれない?」ってこともあるに違いない。だから一人で家で仕事する方が合っているんです。「何枚やったらコーヒーを飲む」と決めて、そのようにやりますから、頭が混乱したりしはしない。

そうやって自分に合ったやり方でずっとうまく行っていましたが、子供ができたらガタガタになっちゃいました。

洗濯物を干しかけたところで、「おかーさ~ん、おしっこ~」と呼ばれ、中断。掃除機をかけていたら、別室から子供の悲鳴がして、中断。天ぷらを揚げていたら、子供達がケンカを始めて、ぶったとかぶたないとかでギャーギャー泣きわめいて、中断。何一つ、最後までやることはできないんですよね。家族全員が同時に話しかけて来るしさ~。たかだか家事ですらそうだから、家で仕事をするのは非常に困難になりました。

いつも思うんですけど、母親業って「秘書」あるいは「マネージャー」の仕事に似ています。家族全員の予定を把握して管理する。月曜日は上の子はこれとこれがあって、下の子はあれとあれで、何日は上の子の保護者会で何日は下の子のナニナニ大会で......ありとあらゆる予定を頭の中に入れておかなければなりません。

これ超苦手。

シンプルに、極めてシンプルに暮らしたいけど、そうも行かないから辛いです。


  1. 2006/08/01(火) 18:30:37|
  2. 日常
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