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自分の欠点をあげていったらキリがないのだけれど、最もヒドい欠点、代表的な欠点は何ですかと聞かれたとしたら、私にはこう答えるしかありません。
忘れっぽいこと。 お茶を煎れようとやかんを火にかけたまま、忘れる。 傘を図書館の入り口の傘立てなどに立てたまま、忘れる。 携帯や財布を持って行くのを、忘れる。 約束を、忘れる。 子供の頃、買ってもらったばかりのカーディガンを来て遊びに行き、遊んでいる最中に暑かったので脱いで置き忘れた。 「せっかく買ってやったのに!」 もちろん、叱られました。一度や二度じゃなかったです。いつもいつもいつもいつも。小学校のときは忘れ物チャンピオン。宿題をやっていったことはほとんどありません。やるのを忘れるか、やったのを家に置き忘れるか、どっちかだったから。 約束を忘れるのは、人に迷惑をかけるので大変です。どうでもよいと思っているわけでは決してないのですが、「10日の午前11時」と約束したのが、いつのまにか私の記憶の中で「11日の午前10時」にすり替わっていたりして、結果的にすっぽかしになってしまう。(いままで被害を被った方達、ほんとにごめんなさい)なんとかしなくちゃ、って思うんですけど。 「忘れないように紙に書けばいいではないか!」 と、みなさんにアドバイス頂いているのですが、うまく行きません。いや、やろうと思って手帳を買ったこと、何度もあるんです。しかし..... 1. 手帳を持って行くのを忘れる。 2. 持って行っても、メモするのを忘れる。 3. メモしても、見るのを忘れる。 4. 見ても、直前にはもう忘れている。 なので、役に立たないのです。日にちや時間を間違ってメモした、または、ちゃんとメモしたが、間違って読んだために飛行機や船に乗り遅れたこともしばしば。 私は病気なのでしょうか...... 困ったことに、息子にもこの忘れ病が遺伝してしまいました。学校にいつも傘を忘れて来ます。そして、翌朝、勝手に私の傘を持って学校へ行き、それも忘れて来る。家中の傘がなくなるまですべて置いて来る。傘がないと私も困るので、100円ショップで子供傘を7本まとめ買いしました。「これだけあれば、大丈夫だろう」と。 でも......あっというまに7本全部忘れて来た。呆れ果てて、息子を連れてわざわざデパートへ行き、彼のお小遣いで買える一番高い傘を買わせました。それからしばらくは忘れて来ませんでしたけど。 しばらく前、水泳を習いたいというのでスイミングスクールに入会させました。入会金、買わされたグッズ代、月謝など、合わせたらバカにならない金額でした。でも、彼は忘れるんですよね〜、行くのを。「今日はスイミングの日だよ」と言ってやらなければ、ケロッと忘れてます。そして母も忘れていますから、月半分も行きませんでした。 「忘れるということは、たいして行きたくないということだから、やめなさい」と言うと、 「やめたくない」と泣くのですが、結局また忘れるので、とうとうやめさせました。 そして今度は空手を習いたいと言い出して...... 案の定、忘れます。そのたびに私に怒られるので(私も忘れているんだけど)、息子はこのあいだ空手の曜日と時間を大きく書いた紙をキッチンに貼りました。今日は日曜日、11時から稽古の日です。朝起きてからずっと、「空手、空手」と言って持ち物を用意していました。 ところが、ハッと気づくとすでに10時45分。自転車で30分近くかかるのに、まだ出かけようとしません。 「あんた、空手は?」 「エッ?11時半からだから、もう少ししたら行くよ」 「何言ってるの?11時からでしょ。自分でそう書いたじゃない」 「? ああああ〜っ!!!!」 「バカッ!」 ウワ〜ン、と泣きながら息子は飛び出して行きました。 台所に、せっかく用意した麦茶を置き忘れて....... 一体どうしたらよいのでしょうか。私達のような親子は。
来月、息子が子供キャンプへ行くために必要な医者の証明書をもらいに、息子を医者へ連れて行きました。
受付を済ませ、待合室でしばらく待ち、名前を呼ばれたので診察室へ。診察はすぐに終わり、廊下へ出ました。ここまでは全部、無意識のうちに進んだのです。しかし、廊下へ出た瞬間に一瞬、フリーズ。 え〜っと。これからどうすればいいんだっけ? 次に踏むステップがわからずに、立ち止まってオロオロ。もう一度待合室へ入るんだっけ?それとも受付へ?じゃなくて、もしかして、このまま帰っちゃっていいの? 久しぶりにドイツで医者へ行ったので、システムを忘れてました。受付で聞いてみたら、診察が終わった人はそのまま帰っていいんでした。診察費は保険で賄われるから。そう、そういえばそうだったわ〜。 4年前に日本へ行って初めて医者にかかったときも、大失敗したんです。ドイツにいるときの感覚で、診察後、サッサと家に帰っちゃったんですよ。お金も払わないで。家に着くと留守番電話のランプが光ってて、「お金払いに戻って来てください!」と医院からのメッセージが入ってました。いやもう、冷や汗なんてもんじゃない。慌てて引き返して平謝り。勘違いしてましたなんて言ったって、信じてもらえるわけないし〜。 誰でも知っていることがわからないのって、困ります。 でも、私なんかよりも、もっともっと大変だった人のお話を読みました。Dschungelkind(日本語版はこちら) 著者は五歳からの十数年を、両親、姉弟とともにイリアンジャヤ(インドネシア)のジャングルの中で過ごし、十七歳で文明社会に戻って来ます。両親の庇護のもと、幸せに過ごしたジャングルでの子供時代と、単身でヨーロッパに戻ってからの苦悩について書いています。前半のジャングルの部分は私にとって魅惑的でちょっと羨ましいお話。生きることの本質を感じる機会って、先進国で生活しているとあまりありませんからね。そして後半の、ヨーロッパへ戻ってからの激しいカルチャーショックとアイデンティティクライシスの部分は、私にもちょっとは経験があるだけに(程度は比較にならないけれど)、切なかったです。 異文化に接することは「視野が広がった」という快感をもたらすものであるけれど、同時に、今まで持っていたものの一部を永久に喪失することでもあるなあ、と思う。異文化に順応するとは、「別のシステムについていろいろ覚える」というだけではなく、「今まで絶対だと信じていたものが絶対ではないと知る」ことで、「ひとつの完結した世界の外に出て、外から中を覗くようになる」ことじゃないだろうか。 サビーネのHPのインタビューを見る限り、彼女の苦悩はまだ続いているのかなという印象を受けましたが、自らの物語を書き記し、公表することで、サビーネの内面はどう変化したのでしょうか。 近々、映画化の予定らしいです。
Kiasuさんの記事の「シンガポールでは父親は子供と体をはった遊びはしない」と言うのを読んで、とてもびっくりしてしまいました。
根拠はありませんが、なんとなーく、父親が子供とじゃれて遊ぶのって本能じゃないかと感じていました。でも、違うんですね。 私も子供の頃、よく父にお腹を思いっきりくすぐられて、笑い過ぎて「ひぃ〜っ」となってるところを、フィニッシュに布団の上に放り投げられてました。ほとんど、毎日。その他にも、飛行機ブーンだとか、逆さに吊るされるだとか、いろいろありました。 シンガポールのお父さんはやらないんだ。そうか〜。 人が思い浮かべる父親像って、その人自身の父親がベースになっているものなのだろうか。子供を持つようになり、夫が子供達と接しているのを見て、自分がイメージしていた父親像とはかなり違う夫に、「へえ〜。こういうお父さんもいるんだね」と新鮮な感動を得たのをよく覚えています。 私の夫はひょろひょろとした外見に似合わず、結構サバイバル派。散歩とかハイキングなどに行くと、オフィシャルな遊歩道よりも、草むらをかきわけて進んだり、獣道を通ったりしたがります。「危険スレスレ」なことが好きで、登れそうなところにはとりあえず登ってみる、狭いところへも無理矢理入ってみる。そして、子供にお供させるんですよ。 臆病な私は、「そんなこと危ないからやめてぇ〜」と最初は怖くてしかたがなかったけど、本人は「無理なことは絶対にしないから、大丈夫」と言うので、元兵隊として一通りの体験をしてきたことでもあるし、まあ、大丈夫だろうと信用することにしています。 父親との冒険から戻って来る時、子供達は「すっごい楽しかった〜」と興奮気味に報告するんです。それで最近は、「私も連れてって〜」になりました。夫が一緒ならとりあえず安心して、「ちょっと怖いこと」ができます。 それから夫は「修理屋父さん」。家の中の壊れたものを直すのが趣味です。土日は必ず何かしら直したり、改良したりしていて、子供達はそれを手伝わされてます。そうやって子供達は、私なんかは触ったこともないような、いろいろな工具の扱い方を覚えていってますね。 母親である私も、もちろん子供と一緒に遊んだり何かをすることはあるけど、危険が伴うかもしれない豪快な遊び方はできず、どうしても活動範囲が狭くなってしまいます。だから、夫が時間に余裕があるときに子供達と一緒に活動しているのを見るのが好きです。 外でバリバリとお仕事しているお父さんもかっこいいものだろうけど、個人的には「子供と多くの時間を共有するお父さん」がいいなあと思う。できればだけどね、できれば。 そういえば、いままでにたくさんの「かっこいいお父さん達」に遭遇して来ましたよ。 手先が器用で家中の家具は全部手作り、子供のために「ねぶた」まで作ってしまうお父さん。折り紙名人お父さん。子供の通う小学校に料理を作りに行くお父さん。ボランティアとして大勢の子供達を山登りに引率する山男お父さん。他にもたくさん..... 世の中にはいろんなお父さんがいるんだな〜と、ちょっと感激したりして。 私のお父さん? 私の父は教師でした。勉強でわからないことがあると、父のところへ直行。参考書不要。子供の頃の私にとって、「お父さん」とは「何でも知っている人」のことでした。
も〜、あっつくて......今日は何もする気がしません。
今日のお昼ご飯は、夫がホームセンターの前にあるアジアインビスで買って来たチャーハンと焼きそばで済ませました。 インビスというのは、日本で言うと「ほかほか弁当」のこと。ファストフードと言ってもいいかもしれないけれど、マクドナルドやバーガーキングのようなチェーン店ではなく、たいていは個人経営です。 このインビスにはいろいろあって、ドイツインビス(カレーソーセージやフライドポテトなど)の他に、トルコインビス(ケバブなど)、ギリシアインビス(ギュロス)そしてアジアインビスが数の上では最も多いかな。 アジアインビス、ほんとにどこにでもありますね。旧東ドイツの田舎にもちゃ〜んと。中華とタイ、ベトナム、インドネシア料理が全部ごっちゃになったようなメニューで、日本の中華の味を期待すると『あれっ?」なことが多いけど、たまーに美味しい店もありますね。今日のは美味しかったです。ちなみにシェフはタイ人でした。 トルコインビス、ベトナムインビス、インドインビスには学生時代、よくお世話になりました。だって、マックなんかよりも安いし、栄養だってもうちょっとありそうだし。最近はあまり利用しなくなりましたが。 ドイツに住んでいながら、実はドイツ料理をそれほど食べていないんです。ドイツパンやドイツハムは日常的に食べているけれど、家で料理するときには、日本食か、イタリアンもどきか、創作料理が主。本格的なドイツ料理はあまり作りません、何故か。外食するときも、ドイツレストランよりも「各国料理レストラン」へ行くことが多いです。よく行くのはイタリア、インド、タイ、インドネシア、韓国のお店。夫は日本かギリシアのレストランへ行きたがります。 日本では各国料理レストランがあるのは都会に限られていて、田舎にはあまりありませんね。イタリアンレストランだけはやたらとあるけれど、イタリア人が経営していることはまずなくて、日本人が経営し、日本人が料理していることがほとんど。ドイツではドイツ人が作っている外国料理の店って、あまり聞いたことないな。あっ、そういえばベルリンにはドイツ人が経営および調理するラーメン屋があるんだったっけ? ドイツにこれだけ「外国料理の店」が多いのは、移民が多いからでしょうね。日本でも市役所のパンフレットなどは最近いろんな言語でかかれているから、外国人や移民もそれなりに増えているのかなと思うけど、その割には「ブラジルレストラン」とか「フィリピンほか弁」なんていうのは見かけませんね。あればいいのにな。なんでないんだろう?保健所の許可を取るのが大変なんでしょうか? はあ〜、あつい〜。 今晩も、料理したくない......
滞在していた母が、明日日本へ帰国します。
休みのなかなか取れない職業婦人である母にとって、初の海外旅行でした。休暇は全部で十日間。行き帰りの時間を引くと、わずか八日間という短い滞在です。本当にあっという間。 ベルリンもポツダムも、見所はいくらでもありますが、この一週間、本当に暑くて、エアコンもなければエレベーターもないドイツの美術館や博物館を巡るのは拷問に近く、あれもこれも欲張るより、むしろのんびりしたいということで、家で過ごしたり、湖にピクニックに行ったりして過ごしていました。 私から今までにドイツの話をいろいろ聞いて、予備知識は相当にあったけれど、実際に自分の目で見てビックリしたことはやはりあったようです。たとえばこんな点。 1 「オオハンゴンソウ」 「繁殖し過ぎて周りの植物をダメにしてしまう悪い花」と母が認識していたオオハンゴンソウが、こちらでは庭に植えられ、可愛い小さな花を咲かせていたこと。それのみならず、ビアガーデンでは切り花として花瓶に活けてさえあった!北海道では空き地や河原などに増え過ぎて、「オオハンゴンソウを抜こう運動」まであると言うのに。 「同じ花でも、場所が変われば、良い花だったり悪い花だったりするんだね」と、コメントしていました。私はそれを聞いて、「同じ子供でも、環境が変われば、良い子だったり悪い子だったりするんだよな〜」なんて思ったりもしました。(ちょっと飛躍かな?) 2 「瓦屋根」 瓦屋根や枝垂れ柳、ヤマブキ、茅葺き屋根の古民家など、母が「日本的」だとイメージしていたものが、こちらにも普通にある。 1とは矛盾するようですが、場所が違っても、同じようなものは結構あるものだなと思った。 3 「静かだ」 うちは田舎の住宅街にあるので、車の音はほとんどせず、耳に入って来るのは鳥のさえずりくらいです。家にいると、平日なのか休日なのかもわからないほど。ポツダムやベルリンでも、日本よりずっと静かでびっくり。 4 「広い」 部屋の一つ一つが大きい。町の中の公園が広い。 ドイツはアメリカやオーストラリアなどに比べると、なんでもかなり狭いけど、日本よりは広いですよね、やっぱり。もう、これだけはどうしようもないですね。 5 「ドイツ人は人目を気にしない」 ビア樽体型でも堂々と歩く人達、カラフルな買い物カゴを下げて歩く男性、スカートが風でめくれ上がっても平気で自転車を漕ぐ女性、そして、どこでも裸になる人達...... 「日本人は人目を気にし過ぎかね?」とコメント。日本にいるときには、お腹の贅肉を隠すためにTシャツの上からベストを着るとか、いろいろ気を遣っているらしいが、ドイツでは私の母など、どう見たって痩せている部類。ドイツの方がそういう面で気楽そうだ、と感じたようです。 6 「ドイツ人は家の中と外を区別しない」 うちの娘、家の中では裸足ですが、そのままテラスや庭へ出て行ってしまうんですよね。それを見て母は、「なんてことするの!」とギョッとしていましたが、ビアガーデンなどに行くと、よその子供も裸足になっている子がいた。 「小さい頃から、靴を履かずに外を歩くのは行儀が悪いと教わって来たからそういう感覚だけど、ドイツでは気にしないんだね〜」とびっくり。 7 「入れ墨をしている人が多い」 これ、かなりびっくり! 他にもまだまだあるんでしょうけどね...... 明日、帰国して、一週間ぶりの日本は母の目にどう映るのでしょうか。「狭い!」「うるさい!」「やっぱり日本食は美味しい!」「みんな痩せてる!」この四つは絶対に感じるね。 これまでは「自分は知らないけど、娘が住んでいるから気になる国」だったドイツ。明日からはドイツは母にとってリアルな外国です。母にとってドイツの思い出とはどんなものになるのかな?
世の中には、理性的な人と感性豊かな人がいると思うけれど、自分がそのどちらに属するのか、よくわかりません。
すでに何度も書いていることだけれど、日本のメディア報道を見ていると、何かの出来事について「可愛そう」とか「けしからん」などの情緒が前面に出ていると感じることが多く、それに違和感を持つ自分は理屈っぽいのかなあという気がする。 でも、このブログに自分が今まで何を書いて来たかよく考えると、結構、心とか精神性について多く語っているから、私ってやっぱり情緒的なのかしらとも思う。 日本人は本当に情緒的なのか、ということも、よく考えるとやっぱりわかりません。ドイツ人から見れば日本人は曖昧で情緒的に見えるだろうけど、たとえば日本人よりも感情が豊か(そうに私には見える)韓国人などからすれば、感情に乏しくクールに感じられるのかも知れないですね。 理性的な人にとっては、根拠なく物事を判断することは正しくないだろうし、感情豊かな人にとって、理屈で物事を割り切るのは正しくないんだろうな。もちろん、理性だけの人というのはいないし、感情だけの人もいない。あるのはどちらかへの傾向なわけですが。 「理性」とか「情緒」って何なのだろう?と、考えてみたくなりました。人と話したり、ネットに「理性」「情緒」と打ち込んで検索してみたところ、いろいろな意見が見つかりました。 一つは、「西洋では理性が重要視され、人間性が軽んじられて来た。日本では理性よりも人間性が重んじられる」という論調。これは私には意外です。理性VS人間性という考え方は私にはなく、人間性には理性の力も含まれるのだと思っていますから。しかし、「あの人は頭はいいかもしれないが、人間性がね....」という批判フレーズを聞くのは稀ではないので、頭がいい(理性的という意味なのでしょうか?)ことと人間性が高いことは結びつかないと、一般的に認識されているのかもしれない。(それにしても、西洋人は人間性に価値をおかないというテーゼって、どうなのかなあ〜) もう一つは、「感情は大切だけれど、感情ばかりでは社会は破綻するので、ときどき論理的に考えることが必要」という意見。これは確かにそうだね、と思いました。家族に対してギャーギャー文句を言った後で、冷静になって考えてみたら、なんであんなことで怒ったんだろ?大人げない、と反省しますものね。 しかし、逆の意見もありました。「論理は万全ではない。世の中には論理として正しいことはいくらでもあって、その中からどれを選択するのかを決める基準となるのは情緒である」 う〜ん。これもなるほどだなあ。「論理的に完全である」ことは「正しい」ということではありませんね。「私のやっていることは間違っていない。何故なら、これこれでこうだから」と論理づけることは、論理構築能力が備わっていれば、いつだって可能なのではないか。 だからつまり、人間には「理性」と「情緒」の両方が必要だっていう、面白くもなんともない結論に落ち着いちゃうんですけど。 感情をコントロールするために理性が必要で、特定の論理を正しいと思い込む危険性から人間を救うために情緒が必要である、と言えるでしょうか。 ところで、ある行為が「人間的に正しい」かどうかを判断するのは、理性なんでしょうか、情緒なんでしょうか。やっぱり両方なのかな。
夏休みに入ってから、子供達と野外を走り回って(泳ぎ回って)いるので、肉体的に疲れ果ててベッドに倒れ込む毎日です。すでに、この一帯のオススメスポット満載のガイドブックが書けるんじゃないかという勢いですが、日本語で書いても利用者はほとんどいないに違いないのが残念。
しかし今日は珍しく睡魔に襲われずにいるので、頭に浮かんでいることを書いておきます。 「学校教育の現場でもっとも大事なことは何か」と考えるとき、私は「たくさんの知識を提供すること」や「暗記テクニックを伝授すること」よりも、「学びへの興味を喚起すること」が何より大事と相変わらず思っています。 先ほど拝読した、ヒロさん日記の最新エントリーのここの部分、
共感、共感。 何故って、学ぶことが楽しいと思えたら、一生退屈しないもの。客観的に賢くなれなかったとしても、主観的に賢くなったつもりになれたら、それだけでもいいじゃないか。 「おとなはいいなあ。もう勉強しなくていいんだから」って、多くの子供が言いませんか?なんだか悲しい。 大人になる=勉強をやめる=嬉しい。何かが違うと思う。世の中にあるものを「勉強」と「遊び」に分けるってことからして、ナンセンスじゃないでしょうか。どんな遊びだって、そこから何かを得ようという意思があれば勉強になるんだし、どんな勉強も、楽しくやれば遊びみたいなものなんだから。 何故勉強が嫌になっちゃうかっていうと、「知識」を「道具」だと認識するからでは?知識を「○○するために必要なもの」だととらえると、そりゃ面白くないです。せっかく学んだことを記憶しておけないなら無駄だとか、せっかく学んだのに使う機会がないなら無駄だっていう考え方から抜け出せたらいいのに。知識が単なる道具であって欲しくない。学んだことを記憶しておけるかどうかは置いといて、学んだという体験そのものが自分という人間を形作る細胞の一つになればいいのに。 語学学習者に対するよくある批判に、「中途半端に外国語を覚えたって何もならない。言葉は道具なのだから、仕事で使えないような日常会話しか身につかないなら、お金や時間を費やしてもムダ」とか、「発音や文法を完璧にしても、伝える中身がなければ何もならない。言葉は所詮、情報伝達の道具なのだから」というのがあって、どちらも言いたいことはよ〜くわかります。確かにその通りですから、いつもウンウンと頷きます。 だけど、なんだかちょっぴり物悲しくなるんですよ。言葉って単なる道具に過ぎないのかって。言葉ってそれ以上のものなのじゃない?言葉って心なのじゃない?言葉って人間の血肉なのじゃない? 外国語を覚えるのは、仕事に使うためだけじゃなくて、自分という人間を豊かにするためでもあると思うんだけど。 勉強したくないと子供が言うとき、そこには「何故こんなものをやらなければならないのか?」という疑問や怒りがあります。「将来の為」と言われて、納得する子がどのくらいいるんだろう。子供にとって大切なのは、将来ではなくて「今」。 私の好きな歌の歌詞に、「一瞬の今を千秒にも生きる」っていうフレーズがあります。千秒の積み重ねが将来を作っていくのではないでしょうか。
私と夫の身長差があまりに違うので、家具選びに苦労することは何度か書きました。
基本的に、私はデザインで家具を選び、彼は機能性で選ぶ。私、品質や機能やブランドや金額にはこだわりませんが、ダサいものは嫌いです。彼は、いい加減に作ってあるもの、使い勝手の悪いものは嫌がるけど、色や模様などはなんでもいい。 ソファーのようなものを選ぶときには、本当に意見が合わなくて困ります。何度も何度も家具屋に行き、お互いに不機嫌になって何も買わずに帰って来る。だって、いいデザインで値段も手頃なのが見つかったと思うたびに、「こんなのはダメだ」って言うんですもん。 何がダメなのかというと、「快適ではない」と言う。もちろん、ソファーは快適に過ごすための道具であるから、快適であることは最も重要かもしれない。だけど、私には何故それが「快適でない」のか、今ひとつわかんないんですよね。「スプリングがダメだ、背もたれの角度がダメだ、腕を乗せるところがない、安定が悪い、座る部分の深さが足りない、etc.」と言われても、それほどたいしたことではないような気がしてしまいます。それよりも、気に入らない色だったりするほうがよっぽど快適ではない。 日本にいる間に、いくつか家具を買い足すような機会がありましたが、も〜大変でした。高級家具屋の商品はどうだかわかりませんが、うちの近所で買えるような普通の日本の家具というのは、どれも彼の基準を満たさないんですな。欧米人の体格に合わないという事実を差し引いても、あまりにちゃちで、「快適」からはほど遠いらしい。 ベッドのマットレス一つにしても、硬すぎるだの柔らかすぎるだの、いろいろ注文をつけるぐらいだから、彼は煎餅布団でなどとうてい寝られません。私なんかは、極端な話、家具なんてなくても、座布団でもあればどこにでも座れるし、どこにでも寝られます。そのうち年をとって来たら辛くなるかもしれないけど。 ドイツで子どもを産んでびっくりしたのは、ドイツには「オムツ替え台」っていう、立ったままオムツを替えるための家具が存在すること。オムツなんて、床の上でもベッドの上でも、そこらへんで替えれば済むんだからそんな家具は要らないと思って買わずにいたら、「何故買わないの?どうやってオムツを替えるの?」なんて逆に不思議がられました。その辺に座って、あるいはかがんでというのは「快適ではない」らしいんですね。 生活の道具などにしても、長い柄がついていたりと、とにかく直立姿勢で仕事ができるように体制が整っていて、日本人がかつてよくやったように、前屈みになって床に手をついて雑巾がけしたり、床の上に座ってアイロンがけなんていうのは、ドイツ人にとっておっそろしく「非快適な」ことなんだと思う。 彼らの説明では、「不自然な姿勢で作業をすると、体に負担がかかり、背中が曲がったり、腰を痛めたりして不健康である」らしい。そう言われてみれば、確かにそれは否定できない気がします。赤ん坊が歩き始めて初めて履く靴も、日本だと布製の柔らかいものが普通だと思うけれど、ドイツでは「歩行がしっかりしていないうちこそ、しっかりした靴を履かせてやらないと足の形が悪くなる」という考え方から、デビューの靴も底がしっかりした革靴です。たかだか半年も履かないのに1万円近くもする革靴を!?とビックリしたけど、一番小さいサイズは数種類しかなく、選択の余地がないので買うしかありませんでした。 この「体に負担のかからない姿勢で生活する」ということ、なるほどとは思うのです。でも、どうも腑に落ちない点がありますね。欧米人って、体がやたらと硬い人多くないですか?正座ができないのは習慣の違いで仕方がないにしても、胡座をかくのにすら苦労してる人、結構いますよ。体操で前屈するだけのことにヒィヒィ言っていたり。 もしかして、生まれたときからこだわりの快適さの中で生活しているから、体がなまっちゃっているというか、状況に柔軟に対応できないんじゃないの?なんて勘ぐってしまうんです。 アジア人の方がずっと体はしなやかなイメージなんですが、これは単に体格および体型の違いによるものなのか、生活習慣なのか。 しかしその反面、日本女性のO脚率が極めて高いことを考えれば、正座という欧米人から見れば不自然で非快適極まりない座り方をする頻度が高いことが、身体に好ましくない影響を及ぼしているのかなとも思えるし...... 猫背を気にしながらも、つい、椅子の上で正座しちゃう私なんですが......
今朝までの四日間、友達一家が遊びに来ていました。一緒にサイクリングをしたり、泳いだりして過ごしたのですが、彼らにとってこれはバカンス前夜祭とでも言いましょうか。本格的なバカンスはこれからだそうです。北ドイツのリューゲン島で二週間の休暇を過ごすと言って、車の屋根に家族全員の自転車を積んで出かけて行きました。
友達いわく、 「本当はリューゲン島じゃなくて農家バカンスにしたかったんだけど、計画を立てるに出遅れちゃって、希望のところはどこもいっぱい。やっとのことで空いている休暇村を見つけたのよ」 もともと希望していたペンションは大人気でいつも満室、2年前から予約を入れる人もいるとか。 いやはや.....二年も前からですか。 私も旅行が大好きだし、計画を立てるのも好きな方ですが、さすがにそんなに先のことまでは考えられないな〜。どうしても行きたい場所があって、夢を実現させるために何年かコツコツお金を貯めるというのならともかく、来年度の夏休暇はこう、冬休暇はこう、その翌年はこれにあれ。って、そこまで頭が回らない。 そもそも休暇って本来は、「最近、残業が多くて肩が凝って困ってるから、どこか暖かい場所でのんびりして疲れを取ろう」のように、そのときの自分の欲求や必要性に応じて内容を決めるものだと思うのに、スケジュールのように予め組んでそれを律儀にこなすっていうのも妙な気がする。 しかし、そうせざるを得ないのは、なんと言ってもお金が絡んでいるからですよねー。 ドイツではパック旅行など、日本人の感覚ではとうてい考えられないほど安いものがたくさんありますが、それはあくまでシーズンオフの話。就学児童のいる家庭では、学校が休みの期間にバカンスに出かけるしかなく、夏休みや冬休みに入った途端にパック料金が3倍ほどに跳ね上がるのは日本と同じ。財布と相談しつつ、できるだけ理想的バカンスの条件を満たす場所を選ぼうとなると、誰よりも早くからカタログを入手して計画を立てないと、条件のいいところからどんどん人に取られていくわけです。このカタログっていうのがまた分厚くて、複数の旅行会社のものを比較し、たとえばビーチリゾートだったら部屋や食事の条件はもちろん、海の水温、ビーチの状態、子どもの遊び場、ベビーシッターサービス、空港からの距離など、いろんな方面からチェックを入れつつ選ぶ。なかなか大変。 なにもそこまでしてバカンスに行かなくても〜、と日本人の多くは思うかもしれませんね。 我が家は、今年の夏は日本から母が来て、おうちバカンスなんですが、友達にきかれました。 「来年はどうするの?」 「さあ〜。まだ考えてないわ。ダンナの休暇がいつ取れるかわかんないしね」 「子どもがいるんだから、夏休みの期間中に休暇が取れるように会社が配慮してくれるはずでしょ」 「う〜ん。それが、プロジェクトワークなもんだからね〜。前のプロジェクトのときにも、終了間際はバカンス禁止になったりして大変だったの。だから来年も当てにならないなあ」 「大丈夫よ。会社の都合で学校の休みの期間中に休暇が取れない場合は、会社側から学校宛に手紙を書いてもらえば、二週間までなら『学期中特別休暇』が認められるのよ。だって子ども達にはバカンスに行く権利があるわけだから」 そ、そうなんですか?初めて聞きました。 日本では、「夏休みに海へ行きたいけど、お父さんがお休み取れないから」と諦める子どもが大勢いると思いますが。最近は日本の学校も柔軟になって来たと言うか、学期中に「旅行に行くので学校休ませます」という家庭があっても、「そうですか。では楽しんで来てください」と送り出すケースもちらほらありますね。でも、それって「まったく、しょうがないなあ」と大目に見てるんであって、バカンスに行く権利云々という発想には達していないような。 ドイツ人の場合、せっかくバカンスに行く権利と時間があっても、夫婦でバカンスに対するイメージが食い違ってケンカになるとか、何週間も一緒にいるうちにお互いが鬱陶しくなるとか、高いツアー料金を払ったのにサービスが思ってたのと違って頭来たとか、雨ばっかりで何もできなかったとか、土産話ならぬウンザリ物語もよく聞きます。 バカンスはストレスにならないように楽しみたいものです。
あと5日で、子ども達は夏休みです。
息子は「もう学校が終わっちゃうなんて、残念だよ〜」と言っています。学校が楽しくて楽しくて、夏休みなんてなくてもいいのにという気分らしいです。 今日は学校の夏祭り。久しぶりに息子の担任の先生とお会いして、学校での様子を聞くことができました。本人は学校が楽しいと言っているけど、ちゃんと勉強しているのかどうかよくわからないし、ドイツ語の遅れなど、気になるところもあるので、一度先生に聞いてみたいなと思っていたところでした。以下、先生との会話の一部です。 先生「きっかけさえ与えてあげればどんどんやる子です。この短期間に随分伸びたという感触がありますよ」 私「そうですか。それならよかったです。でも、決まったカリキュラムがないのに、伸びたとか伸びないとか、どうやって見るんですか」 先生「私達教師の仕事は、カリキュラムを組むことではありません。子ども達が何に興味を持ってどう取り組んでいるかを観察すること。そして、さらに発展していけるように道案内をすることです。息子さんにはいいお友達ができたので、刺激を与えられて発展していっているのがはっきりとわかります。それに、息子さんのお陰でクラスにもいい影響が出て来ました。そのいい例をお見せしたいので、教室に来てください」 教室に入って行くと、床の上にボール紙で作ったものが並べられていました。 「今、中世についてみんなで勉強しているんです。各自、自分で文献を読んで中世の都市について勉強し、みんなの前で発表することになっています。息子さんも一生懸命本を読んでいたんですが、他の生徒が発表用のレポートをまとめ出しても、まだじっと考えていて、なかなか書き出しませんでした。それで私、ボール紙を渡して、『模型作れば』って耳打ちしたんですよ。そうしたらパッと目が輝いて、すごい集中力で作り始めました。それがこれなんです」 「いいですか。これが城塞ですね。そしてこれが中世の武器や道具。大きさの比率が自然でしょう。頭の中で比率を考えながら作るのも算数です。そしてこうやって、作ったパーツを慎重に正しいポジションに並べて行きましたよ」 確かに、折り紙好きでレゴ好きの息子らしい作品ではあります。でも、ボール紙切って曲げて中世の都市のミニチュア作るって、ただの工作じゃないの? しかし先生は言いました。 「発表というと、読んだ本に書いてあったことをまとめてレポートにするというのが一般的なイメージですよね。でも、それだけでは不十分です。文章にまとめるには表面的な理解でも間に合いますが、こうして立体的に再現するには、本当によく理解していなければならないんです。」 「ここの部分までが、息子さんの作ったものですが、こっちは他の生徒達のです。息子さんがこれを作り始めたら、他の子も面白そう!と言って乗って来たんですよ。それで、ここが川、こっちが町とみんなで広げて行きました。一人の生徒のアイディアでクラス全体が活発になるのは大変いいことです」 そんなふうに言ってもらって嬉しかったです。 先生の話では、立体的に学習するのはとても身につくそうです。息子が転入する前のことですが、惑星について勉強したときにに生徒達が作ったという模型を見せてもらいました。生徒達がそれぞれの惑星の大きさの比率を計算し、作った模型を実際の距離と同じ比率で配置して行く。かなり大型の模型なので、教室の外に出てメジャーで地面を測りながら、地球はここ、火星はここというふうに、正しい位置に置いて行ったとか。 「こういうふうに勉強しなければならない、こういう順番でなければいけない、というのはないんですよ。お宅の息子さんには、パンを頭から齧るか、それともおしりから齧るか、自分で決められる能力があります。ですから心配せずに、好きなように勉強させてあげてください」 そうアドバイスされて帰って来ました。焦らずに見守っていけるでしょうか......
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