わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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裸で泳ぐ?

毎日、暑いです。ここブランデンブルク州は、雨の多いドイツにありながら半乾燥地に属していて、中でもカプートは地形の関係で雨雲が停滞することが少なく、わずか6km離れたポツダムで道路が浸水するほどの大雨が降っても、ここは晴れていたりします。

大きな二つの湖が合流する場所にあるので、それぞれの湖には売店やレストランを備えた湖水浴場があります。でも、村人たちはあまりこの施設を利用しないみたい。というのは、村の中にも「カプート湖」という湖があるのです。

こちらは何も整備されていない自然のままの湖で、売店はおろか、更衣室すらありません。もちろん遊泳は無料。村人達は家で水着を着て、そのまま湖へ歩いて行き、ひと泳ぎしたらそのまま家に帰ります。今日の夕方、私達も泳ぎに行きました。

oyogi.jpg

湖に下りる道です。前方を自転車を押して歩いている娘を撮ろうとしたら、すっぽんぽんのドイツの子ども達が画面の中に飛び込んで来たので、そのまま撮りました。これは、こっちではごく普通の光景。

oyogi2.jpg

湖の周りはうっそうとした茂み。これはうちの息子。

oyogi3.jpg

夕暮れ前の時間帯は日差しも強くなく、水温も適当で気持ち良かったです。泳いでいるのは、わたし。泳ぎが下手なので、海は波があったりで怖いことがありますが、ここでは溺れる心配をせずに延々と好きなだけ泳げるのが気に入りました。毎日来れば、痩-せ-る-か-も。

遠くから白髪のご婦人が二人泳いで来て、岸に上がろうとしたところをたまたま見ていたら、大きなお尻が水面に現れました。全裸で泳いでいたのですね。手で体を擦るようにして水気を落とすと、草の上に脱いであったワンピースを来て立ち去りました。

この方達に限らず、一糸纏わぬ姿で泳いでいる人、多いです。もともとドイツ人は裸に対する許容度が高くて、町中のプールなどでも更衣室へ行くのを面倒がって、プールサイドで平気で着替えたりしますし(女性もです)、公園の芝生の上で裸で日光浴もするし、サウナも全裸混浴のところがほとんど。「見られても平気」なだけでなく、中には是非とも裸になりたいという「ヌーディスト」もいて、彼らが気兼ねなく裸で泳げるようにと、「ヌーディストの日」を設定してその日には水着着用を禁じているプールもあるほどです。

日本でも混浴温泉というのがありますから、こういうのは感覚が違うだけってことで、別に非難や批判をする気はありませんが、私はどうしても白昼堂々衆目に裸をさらすには抵抗があって、また、リゾート地のビーチで素っ裸になっている人達を見ると、「そんなにしてまで裸になりたいんだなあ~」と不思議な気持ちになります。

でも、今日、カプート湖の真緑の水の中を漂いながら周囲の景色をぼーっと見ていたら、なんだかちょっと感覚が変わりました。この自然の中では裸になることも、また自然なのかなあ~と。裸にならなければ!と思うわけではありませんが、別にたいして意識するようなことでもないのかも。裸の人間も風景の中に溶け込んで、違和感がありません。

自分が自然の一部になるって、贅沢なことかも知れないなあ、と思いました。

たくさん泳いだので、体がだるいです。これからワインを飲んだら、眠くなりそうです。


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  1. 2006/06/26(月) 02:55:42|
  2. ドイツ
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旅の感度

北海道新聞で見たのですが、日本政策投資銀行(政策銀)と北大、道がまとめた道内観光の満足度分析調査結果で、旅行者に「北海道は行けば行くほど飽きる場所」とみなされているという結果が明らかになったそうです。

一回目はいいけど、何度も行くほどは面白くない。たいした土産物もないし、観光施設もパッとしない。沖縄だったら病み付きになるんだけど、というのが多くの旅行者の感想らしい。

ふーむ、そうですか。

私達家族も沖縄旅行と北海道旅行、一回づつ経験しました。沖縄、最高に面白かったです。そして北海道も同じく最高に面白かった。リピーターではないので、回数を重ねるとどうかというのは今のところ、経験としてはわかりません。

私、道産子ですから北海道の肩を持ちたいですが、なるべく客観的に考えてみます。どうして北海道は飽きられるのか。やっぱり何もないからでしょう。何もないって、自然はいくらでもあるわけで、自然があれば充分じゃないかという気もするけど、それだけじゃ充分じゃないんでしょうね。
「うわ~、でっかーい!!」
と最初は雄大な景色に感動するけど、何度も見てるうちに「だから何?」となるというか、馬鹿でかい草原に突っ立っていてもすることがないというか、手持ち無沙汰になってしまうのかな。お洒落なレストランやギャラリーがあるのは一部の観光地に限られているし、お土産も、どこに行っても代わり映えしないアイヌ風の木彫りマスコットやホワイトチョコレート。食べ物だって、郷土料理らしい料理はジンギスカンぐらいしかないし。確かに寿司は美味しいけど、ネタの種類だったら東京のほうがずっと豊富。

といったところでしょうか。ん~、まあ、そう言われちゃったら仕方がない。

でもなあ、なんだか勿体ない。面白いこと見つけるぞーと思って見れば、いくらでも面白いものがあるのにな~。

旅行が退屈だったという経験はそもそもしたことがないのだけれど、「今までで一番よかったのはどこか?」と聞かれたら、大体いつの時点でも「一番最近の旅行」と答えます。旅行に行くたびに「最高度」が更新されていくんです。予算をどんどんグレードアップしていっているという話じゃありません。一番最後の北海道キャンプ旅行なんて、ほとんど無銭旅行でしたし。

私、旅行って、回数を重ねれば重ねるほど楽しくなって行く気がするんです。旅の感度が上がって行くんですね。たとえば高校の修学旅行で京都のお寺巡りをしたときにはちっとも面白くなかったけど、30歳になってからもう一度京都へ行ったら感動した、とか。まだ若かったときには、「旅行は若いうちにこそするもんだ!」なんて思っていたけど、そうでもないなあと今は思う。年を重ね、いろんな体験をしていくうちに、面白いと思ったり感動したりする範囲が広がっていくし、また深みも増してくるような気がする。昔は見えなかったものが見えて来ると楽しいです。

だから、「旅行は何度も行ったから、もういいや」という日は永遠に来ないような気がします。それぐらい、旅行が好き!





 
  1. 2006/06/24(土) 07:43:16|
  2. 旅行
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ダチョウ卵のキャンドル

この間、青空市場でダチョウの卵が売っていたので、買って来ました。

巨大な目玉焼きを作ったら楽しいかな~と思って。殻が硬くて包丁でガリガリやらなくちゃ切れなくて、内側の膜も厚くてナイフでぐさっと刺しました。

ホットプレートに割り入れたら、鉄板いっぱいに広がって、目玉焼きだと食べるときに白身だけの人がいて可愛そうということで、炒り卵に変更になりました。ちょっと濃度が高い以外は匂いも味も鶏の卵とそれほど変わりません。ダチョウの卵1個で、鶏卵20~25個分だそうですね。

tamago.jpg



割った後の卵をSueさんに見せたら、「割らずに上手に中身を出して、イースター飾りにすればよかったのに」と言われて、あ~、しまったぁと思ったのですが、割れた殻でも何かに使えないかな~と考えているうちに、キャンドルにしようと思いつきました。

rosoku1.jpg

左のが息子ので、右のが娘の。アクリル絵の具で絵を描いて、切ったフェルトを貼っただけですが、ころんころんと左右に揺れるところがなんとも可愛いです。

火を灯すと、殻が透けて見えてきれい。
rosoku2.jpg

rosoku3.jpg

  1. 2006/06/22(木) 10:03:32|
  2. 日常
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様々な子育ての価値観と理論

なんだか、いつになくちょっともやもやとしています。

世の中には、子育てに関していろいろな考え方、やり方があって、そもそもどれが絶対正しいとか、間違っているというのは多分ないのだと思います。どんな理論にも一理あるけれど、どんな理論も多分完璧ではない。大体、特定の理論に基づいて子育てをするということからして、不自然なのかもしれません。

それでも育児理論が世の中に存在するのは、指針を求める親がいるからで、またなんらかの方針がないと教育機関はプランを立てることができないからでしょう。あるいは、大脳の発達した人間には、動物のように本能だけで育児をすることが不可能で、どうしてもいろいろ考えざるを得ないからかも。

私は育児に関しても、なるべくいろんな考え方に対してオープンでいたいなと思ってはいるけれど、好みの育児の方向というのはもともと漠然とあって、それは多分、私の性格や成長過程での体験から形作られているものだと思うんですよね。それでたまたま自分のもともとの方向にフィットするような理論に出会うと快感で、そういう理論が気に入ってしまうようです。

息子が幼児のときには特定の教育論、育児論にはあまり接したことがなく、自分ができるようにやっていただけですが、初めての子育てはわからないことばかりでかなりストレスがありました。それが娘のときには、ある子育て理論に出会って、目からウロコというような体験も多くあったし、精神的に助けられ支えられた部分も非常に大きかったのです。あ~、そうか、息子のときもこうしてあげたらよかったのかな~なんて感じることも多々ありました。

同じような考えの人達に囲まれているということは、精神的に楽ですから、リラックスしていることが育児に良い影響を与えるんじゃないかと思うんです。しかし、同じような考えの集団の中にいるということは、また危険でもある。通気性がよくないというか、その中で特定の考え方がどんどん濃縮されていくような感覚を、私は怖いと感じることがありました。

特定のポリシーを持つ育児組織の中に入ったからといって、別にそのポリシーに全面的に賛同する義務はないし、染まりきる必要もありません。学べるところは大いに学び、良いと思うところは積極的に取り入れ、馴染みにくいと感じる部分に関しては距離を保てばいい。頭ではそう思うんですね。

だけど、実際には必ずしもそうサラッとは流せないんです。そこまで達観できないので、いろんな価値観の中でゆらゆらと揺れ動く。育児以外のことだったら、あーだこーだと好きなだけ思い悩んでも別に毒にも薬にもならないでしょうが、子ども相手にふらふらと路線変更しては子どもは堪らない。

どうしてこんなことを書くかというと、日本で娘は「さくら さくらんぼ系」の保育園に通っていましたが、そこの考え方が私には大まかなところでは気に入っていたのですね。そして娘もとても幸せに成長して来たように思えるので、できれば、そこの考え方と共通性のある学校がいいなと思って、現在のモンテッソーリシューレに決めました。

ただ、方向性としてはよく似ているとは言え、もともと別の理論ですから、細かいところではたくさんの違いがあります。さくら-さくらんぼ系で最も重視されることは、早寝早起きの生活リズム、幼児期には文字を教えずに自然の中で体を使って五感を磨かせること、それから「自立を急がず、子ども自身の成長をじっと見守る」ということです。

モンテッソーリの育児についてはまだそれほど多くを知りませんが、モンテッソーリのキーワードは「自立」であり、子どもが就学前に文字を覚えたがった場合はそれを積極的にサポートするようで、その辺りが今まで自分が実践して来たやり方とどううまく繋がるか、まだちょっとわからない状態です。

埼玉でのやり方には愛着があるので、変わり身早くパッとモンテッソーリに鞍替えというのでもないし、かと言って現実の生活は既にこちらにあるので、だんだんと気分的にこちらモードにシフトして来ている感は拭えません。

本当はどっちのやり方がどうこうではなく、子ども達が笑顔で生き生きとしているかどうかが一番大事なはずなので、難しい理論は置いておいて、感覚的に気持ちがよいと思えるやり方で進んで行けば良いのですよね。

わかってはいるんだけど、なんとな~く落ち着かないような、へーんな気持ちです。
  1. 2006/06/20(火) 05:34:42|
  2. 教育・学校
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テレビ番組の裏側

某超有名ブログで、テレビ番組におけるヤラセがテーマになっていますね。

真実とはまったく異なる内容の台本があらかじめ用意されていて、その通り演じるように強いられた出演者の体験談を読みましたが、大変な目に遭われた人がたくさんいるのですね。

私はテレビはあまり見ませんが、これ明らかにヤラセでしょうっていう番組、確かにありますよね。芸能人が外国のどこかでホームステイしながら貴重な体験をし、帰国の日にはホストファミリーと涙の別れ、そういう趣向の番組とか。結構面白いけど、でもこれ、実際にはありえないよね~。異文化って、つまらぬことがトラブルになったりして面倒だったりするんだから。毎回こんなふうに美しく終わるわけないもんね~。なんて思いながらも、別に目くじら立てることでもなさそうだから、あっさり流してましたが。

こないだドイツのテレビでも、ヤラセもいいところっていうルポがありました。ある若い家族の日常を映しているんですが、失業中の父親がどうしようもない男だという設定らしい。朝いつまでも寝ていて、やっと起きて来たときの「オレって朝は機嫌悪くってさー。起されるとチョームカつくんだよね」というセリフといい、妻が「坊や。先に朝ご飯にしましょうね」と言いながらヌッテラを塗った食パンをテレビの前で子どもに食べさせるところといい、夫が昼間っからゲームに興じて「オレ、こうやって一日中ゲームできればハッピーなんすよ」とカメラに向かって言うところといい、庭で洗濯物を干している妻に「おーい。早く中入ってメシ作れや」と呼びかけるところといい、演技しているのがミエミエ。

この出演者、ギャラを貰って「ダメ家族」を演じるお仕事をしたんでしょうか。それとも、日本の気の毒な出演者のように、騙されて泣く泣く不本意なことをする羽目になった?

実は私にも、もしかしたら危なかったかもってことがあるんですよ~。

かなり前のことですが、ドイツで本が出版されたとき、ラジオに出演しないかとか、朗読会をしないかと声をかけて頂いたことが何度かあるのです。実際に出演したものに関しては、最初に電話または手紙で「当方はこれこれこういう者で、あなたの書いたものをベースにこのような企画をしたいと思うのですが、興味はおありですか」と丁寧な問い合わせがあり、その後何度かやり取りして詳細が決まりました。仕事をした後もトラブルは一切ありませんでした。

ところが一度だけ、妙な問い合わせがあったのです。

夕方、食事の仕事をしていると電話が鳴ったので出ると、
「こちらハンブルクの○○というトークショー番組のスタッフなんですが、あなた本をお書きになりましたよね」と女性の声。そして、
「近々、番組にゲストとして出演して頂こうかと思っているんですよ。日本人でいらっしゃるってことですが、日本人とドイツ人の違いってどんな感じなんですかねえ」
はあ?いきなりそんなこと、何話せって言うの?電話で?
「はあ。確かに違いはいろいろありますけれど......本を読んで頂いたのでしたら、そこに書いたことが私の主な印象なんですが.....」と口ごもってしまいました。
だって私、ご飯支度があるし、その番組知らないし、どういう趣旨で電話をして来ているかもわからないので、答えようがなくて。すると相手はイライラして来たようで、

「あなたね、これはテストなのよ。テレビでまともなトークができるかどうかチェックしてからじゃないと、テレビに出演させるわけにいかないでしょっ」

なにぃ~っ。テストだとぉ?テスト受けるなんて誰がいったぁ?
気分を害しました。確かに私には素晴らしいトークなんてできませんよ。それはわかってます。出演を依頼したのに本人がカメラの前でしどろもどろっていうんじゃ、確かにテレビのスタッフは困るでしょう。でも、知らない人にいきなり電話して来てその言い方はないよな~。ですから、結構ですと言って、電話を切ったんです。

後で友達に、「○○という番組知ってる?」と聞くと、「あー、知ってる、知ってる。女装したタレントのトークショーで、愛について語るんだよね~」と教えてくれました。「愛」についてだって!?なんじゃ、そりゃ?私、愛についてなんて一行も書いていないぞ。さっぱりわかんねーとしばし首をひねってましたが、そのうちにその一件は忘れてしまいました。

その数ヶ月後......

「ああっ!日本人が出演してるよっ!○○にっ!」
夫が叫ぶので慌ててテレビの前に飛んで行くと、かの番組でした。夫の言う通り、ドイツ在住と見られる若い日本女性が二人並んで、質問に答えています。テーマは日本人の性愛について

「日本の男性は、×××のことをmein Sohn(オレのムスコ)って言うんだよね」
とか、語ってます。げげげっ。こ、これだったのか、彼らが私に語らせたかったことは。

私、日本人の性愛についてなんて語れないし、語りたくもないから、出演を断られてよかったよ。






  1. 2006/06/19(月) 04:24:04|
  2. ドイツ
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教科書のない勉強

わくわくふわくさんの「石に教える言葉」へのTBです。

調べものをするため図書館に来た学生が、どうやって本を探していいかわからない。具体的に何を調べようとしているのかも人に説明できない。どこの棚のどのあたりに参考になりそうな本があるよと教えられても、まだどうしていいかわからない。

司書であるわくわくふわくさんが、そんなエピソードを綴られています。

それを読んで、「人に頼ることばっかり考えないで、少しは自分で考えないかなあ。まったく嘆かわしい」とも思うし、「ううっ。私も大学に入学した頃は、この学生とたいして変わらなかったかも....」と恥ずかしくもなります。

大学とは学問をする場所で、調べものは学問の基本。求める情報がどの辺にありそうかの見当をつけるところから調べものは始まる。なのに、その能力が全く身についていない状態で大学入試に合格するということは、考えてみれば不思議です。

日本の大学受験は決して楽じゃないのにね。「小学生のうちから遊ぶ時間を返上して必死に勉強しないと合格できない。生半可な気持ちじゃ乗り切れないのよ」そう語る親も多いです。それなのにどうして、難しい試験に合格したはずの学生が調べものの初歩すら理解していないということが起こるのだろう?

高校までの教育は生徒にどういう能力を培わせようと意図しているのか。大学は学生が学問をすることを前提に選抜をおこなうのではなかったのか。「はてな」マークが頭の中をふわふわ飛んでます。

飛躍するようですが、「教科書」の意義についてまでちょっと考えてしまいました。

息子がドイツの公立小学校一年生に入学したとき、教科書は国語(つまりドイツ語)と算数しかないと聞いて、驚きました。理科も社会も音楽も図工も教科書はありません。理科や社会はテーマごとにプリントなどを使って学習するということでした。テーマが鳥なら鳥のプリント、テーマが騎士なら騎士のプリント。

そういうのも面白そうだなと思ったものの、実はちょっと不安でした。教科書がないなんて、どのくらい学習が進んだのか親にはさっぱりわからないじゃないの。それに、教科書なしでシステマティックに学べるの?先生の好みで偏るんじゃないの?日本だったら、四月にはこれをやって、五月はこれをやって、というのがはっきりわかるのになあ。

と思っていたんですけど、シュタイナー校では教科書というものは全然使わないと聞いてさらに仰天。え~、それでどうやって勉強するの?

シュタイナー校を卒業した知人が言うには、
「教科書がないから、先生の話を真剣に聞かなければならないの。自分で教科書を作るようにノートを作るから、とても身についた」
へ~、なるほど。
そしてさらに、東京にあるシュタイナー教育を実践している学校の公開日に出かけて行き、そこに展示されていた生徒達のノートを見たときには、かなりの衝撃を受けました。5年生(複数)の理科のノートには人体解剖図がカラーで描かれていたのですが、その美しいこと!単に細かいとか、そんなレベルじゃありませんでした。魂をこめなきゃこんな作業はとてもできないだろう、と感動してしまった。

そして、現在息子が通う学校にも教科書はありません。教室や図書室には学習図書はたくさんあって、授業で参考書を使うこともよくあるそうなのですが、いわゆる「一年 国語(上)」とか「二年 算数(下)」のような本はないのです。

教科書がないと勉強ができない、というのは違うのかもね......

教科書があれば系統立てて学習できるから良い気もするけど、教科書があることの弊害も全くないとは言い切れないのでは。教科書があるとどうしても受け身学習に陥りやすく、自分自身で考えを展開することが難しい。「これをやって、その次にこれをやって、その次は....」というレールの上を進むような勉強から脱却することができない。

巷で批判は多いけど、日本の文部省はかなりいろいろ考えて教育カリキュラムを組んでいると私はいまでも思っています。子ども達に必要な知識はこれとこれ。なるべくまんべんなく、易しいものから難しいものへと順序よく。悪いことじゃないと思う。

だけど、そのきめ細かなカリキュラムには落とし穴がある。そういう気がして来ました。

「習ってないから、わかりません」
「試験範囲じゃないから、できません」
「教科書にない単語が出て来たから、答えられません」
そんなに簡単に諦めないで。よーく考えればわかるかもしれないのに。

大学で教えている弟の話なんですが、学生がいつまで立っても実験報告を持って来ないので痺れを切らして見に行ってみると、何もしていない。どうしてやってないのときくと、「先生が次々と指示を与えてくれないからじゃないか」と言ったとか。

知識は人に与えてもらうものという前提でいると、勉強するのにお金ばっかりかかっちゃう。高い授業料を払って大学に行ったのに、先生が知識を与えてくれなかったから何もおぼえられませんでした、ってことにもなっちゃう。

なんだかな~と考えてしまいます。



  1. 2006/06/18(日) 05:12:04|
  2. 教育・学校
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プールできました!

連日30度のカプートです。

うちの庭には前の持ち主の作った池が三つ。池は好きだけど、三つは多いよね。このせいで芝生の部分が狭いよね。そう話していました。

そこで三つのうちの一つを潰して芝生スペースにしようかとか、ブランコ作ろうかとか相談していたのですが、この暑さで突然ひらめきました。池をプールにしちゃえ!

プールと言っても泳ぐほど大きいわけでもないし、排水溝もない。しかも池の中は藻や泥でいっぱい。だけど、お父さん、頑張りました。今日は勤務地のフランクフルトのあるヘッセン州は祝日なので家にいます。お魚を一匹一匹すくって別の池に移動させ、ポンプで池の水を抜き、泥をせっせとすくい出して、プラスチックの水槽の内側をタワシでごしごしごしごし。いつもは午後のコーヒーを絶対に欠かさない人なのに、「飲む?」と聞いても、「いや、要らない。これ終わらせたいから」と一心不乱で作業してました。

完成したのは夜の7時。入れたばかりの水、冷た~い井戸水です。
「わー、できたね!明日の午後には水も温まっているだろうから入れるね」
と子ども達に言ったが.........

poolfertig.jpg

「イエ~イッ!」
ざっぷーん、と飛び込んでしまいました。(この写真は10回目くらいの飛び込み)

風邪引くから出なさ~い、と言っても知らん顔。キャアキャアキャアキャア大騒ぎ。

そんなに嬉しいか。よかったよかった。夫の苦労、報われたかな?
  1. 2006/06/16(金) 02:39:54|
  2. 日常
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卒業プロジェクト

子ども達の通う学校の「卒業プロジェクト発表会」を見に行って来ました。

ここブランデンブルク州では、ギムナジウムの生徒は10年生(つまり日本で言う高校1年生)の学年末に「10年生統一試験」というものを受験しなくてはいけません。これは13年生の終わりに受ける大学入学資格統一試験(アビトゥア)とは別のもので、アビトゥアの予行練習も兼ねて最近導入されたそうです。

試験科目はドイツ語、数学、英語(もしくは他の外国語)の三つ。試験時間はドイツ語が150分(長いな!)、残る二教科はそれぞれ120分。モンテッソーリシューレの生徒達にも受験が義務づけられています。ポツダムのモンテッソーリシューレは現在のところ10年生までしかないので、大学に行きたい生徒は、11年生から別の高校に編入します。ですから、10年生で受けるこの試験は、言ってみれば卒業試験。

さらにモンテッソーリシューレでは、この三科目の他に「個人プロジェクト」というものがあるんだそうです。卒業生はそれぞれ自分が希望する分野で自由研究をおこないます。見に行ったのは、その発表会。

この日卒業生は、それぞれ校内の適当なスペースを与えられて、自分の展示ブースを設置します。昼間は在校生が順々に発表ブースを周り、展示を見たり発表者から説明を聞いたりする。そして夕方からは保護者が見に行く番です。

どんな風なのか興味津々で覗きに行ってみて、その雰囲気にまずちょっとびっくりしました。なんというかな。研究所の一般公開日のようでもあるし、見本市のようでもある。校内のいろんなところにあるブースに高校生がちょっとおめかしして立って、見学者が来るのを待っています。恥ずかしがっている子は見当たらず、展示の前を素通りしようとすると、「説明を聞いて行きませんか?」なんて声をかけられたりもしました。

発表の内容は、まさに様々でした。水力発電について発表した子、イヌイットの「かんじき」を研究し、それを自分で制作した子、女性の服飾史の展示をする子、物理の実験装置を作った子、バレエとブレイクダンスのコラボレーションを発表した男女コンビ、いろんな椅子を集めて来てそれぞれの特徴や歴史を説明した子。

この個人プロジェクト、まずどんなことがしたいか、計画書を作成して先生に提出し、アドバイスを仰ぐ。それから実際の作業をして、最後にこの発表をもって完結。そんなふうに生徒の一人が説明してくれました。

文字の歴史」という研究をした生徒がいました。この子は階段の踊り場が発表スペースだったのですが、踊り場の壁に世界のいろんな文字を墨で書いて、その前に立って一つ一つについて説明していました。そして、お客さん一人一人にペンを渡して、階段の脇の壁に「記念のサインをしてください。永久保存されます」と言ってました。学校の壁に記念のサインを貰う、というのも彼のプロジェクトの一部で、ちゃんと学校の許可を得ているんだそう。

机の上には、作成したレポートが置いてありました。中を見てびっくり!こりゃ~、大学のゼミレポートのレベルだよ~。A4用紙にパソコン打ちで約30枚(ドイツ語の30枚ですから、かなりの文字数です)。ちゃんと目次も文献目録もあって、論文の形式になっているんです。形式だけじゃなく内容も、大人が読んでも勉強になるものでした。う~ん、すごいっ!

10年生と言えば16歳。私、その年で論文の書き方なんて全然知りませんでしたよ。ドイツの学校では、そういうことも早くから教えるんでしょうか?文献目録を見たところ、参考にした資料は本約20冊。
「いい研究したね」と褒めたところ、本人は超張り切って、
それはどうも。このテーマに興味あります?論文は一部、学校図書室に寄贈しますから、じっくり読んでみたかったら図書室で借りてくださいね。2、3日中には貸し出し可能になるように手配しときます
だなんて、すっかり研究者気取りで言うので、思わず吹き出しそうになりましたけど。

客観的な仕事レベルで言うと、その生徒によってかなりの差はあったんですが、それぞれの生徒が自分の好きなテーマで一生懸命頑張ったのが伝わって来て、みんな、おめでとう!という気分です。

校庭にはテーブルや椅子が並べられ、手作りのケーキブッフェが用意されていて、ちょっとしたサマーパーティのようでした。ケーグラー校長は後ろにスリットの入った黒い麻のドレスで、他の先生もほぼみんなドレス姿で生徒達の晴れの日を祝っていました。

うちの子ども達が卒業するのはまだまだですが、最後の年をこんなふうに迎えるんだな~と、ちょっと楽しみになりました。二人はどんなプロジェクトをやるんだろうな~。

でもその前に、もうすぐ夏休み。子ども達との楽しい夏休みプロジェクトの季節で~す!

去年の夏は「土のクレヨン作り」をやりました。その前の年は「ハチミツ作り体験プロジェクト」と「せっけんプロジェクト」。

今年は何をやろうかな~。今、考えているのが「カプート村の植物&昆虫調査プロジェクト」。子ども達と村を歩いて、道端や森の中で見つけた植物や虫の名前や生態を調べ、その名前の学名/ドイツ語名/和名の対応表を作るつもりです。そのためにドイツ語の「植物見分け方辞典」「昆虫見分け方辞典」を買いました。学名がわかれば、ネットにそれを入れたらわりと簡単に和名が出て来ますね。子ども達が毎日いろんな虫や植物をとってきて、「これ何だ?日本語では何て言うんだ?」と図鑑を覗き込んでいるので、「そうだ。今年はこれで行こう!」と思いつきました。

そんな対応表作って、何かの役に立つのか?って聞かれると困るんだけど.....

でも、ちょっとわくわくです。





  1. 2006/06/13(火) 05:03:15|
  2. モンテッソーリシューレ
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週末はドイツ式です

食べ物の話をしつこく書いてすみませんが、もうちょっとひっぱらせてください。

我が家では息子が日本食とドイツ食が同じくらい好き、夫と私はどちらかというと日本食が好き、娘は断然日本食が好き。

ドイツの典型的な食事は、朝はパン、昼はお肉料理にじゃがいもと野菜、夜はまたパンです。一日のメインの食事は昼食。夜には火の入ったものは食べない家庭が圧倒的だと思います。

ドイツ式の晩ご飯、私は決して嫌いではありません。パンもハムも美味しい。だけど、毎晩じゃ(私には)飽きるし、子どもがお昼にドイツ食を食べてくるので夜はご飯を炊いている。夫も家では日本食がいいそうです。

しかし、週末はドイツ式にお昼をメインにして、夜はパンというパターンが多いのです。夫が朝寝坊なので朝ご飯が遅くなって、お昼ご飯も午後にずれ込んで、その2時間後くらいにコーヒー飲みながらケーキ食べたりするので、夜6時には全然お腹が空いていません。それで、夜は時間にはあまり関係なく、「そろそろお腹空いたな」と思ったときに、パンにハム乗っけて食べてそれでおしまい。

これを手抜きと呼べば手抜きになってしまうけど、ドイツでは正式な晩ご飯なので、主婦として罪悪感はありません。その代わり、お昼はしっかり作ってますから~。

このドイツ式晩ご飯、パンとハムだけで栄養的にはどうなのかとか、ツッコミどころはありますが、いい面もありますよ。午後の時間をゆったり使えるという。

日本の主婦が一番忙しいのは夕方からですよね。買い物して、ご飯支度して、後片付けして、お風呂の用意して。専業主婦の場合、昼間は少しはゆとりがあって、昼メロ見たり、井戸端会議に参加したりするかもしれません。逆にドイツの主婦は午前中が忙しいんじゃないかな。スーパーは朝早くから開いています。この辺りだと、午前8時から。でも、お昼ご飯を作って食べて片付けてしまうと、もうその日は食事作りがないので、夕方は余裕。夕食にはパンやハムやチーズをテーブルに並べるだけだし、お鍋を使わないから洗い物もほとんどないし。夜お風呂に入る習慣も特になく、食べたら寝るだけ。

これだと、本当にのんびりできて、家族との団欒の時間も充分に確保できてよいです。週末なんだからバタバタしたくない、というわけで私はちゃっかりこれを採用しちゃっています。でも実は夫はたまにちょっと不満らしい。
「ドイツ人の奥さん貰ってたら、これが当たり前だったはずだよ」と言うと黙りますけど。

一日三食、きっちり料理して食べる。これもよし。
ときどきは三食にこだわらないで、お腹が空いたときにその辺のものを食べる。これもありかな、と思ってます。

今日は日が暮れるまで夫と庭仕事をしていました。それから家の中に入って、二人で太鼓を叩きました。そのあと「そろそろなんか食べるか~」と台所からパンとスモークサーモンとドライトマトのオリーブオイル漬けその他を持って来て、テレビの前で食べました。行儀悪いですけどね。子ども達は先にお腹が空いたので、各自パンの晩ご飯を済ませていました。後でみんなでゲームを一回やりました。

こういうのもなかなかいいもんだ、と思います。






  1. 2006/06/12(月) 06:06:02|
  2. ドイツ
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未完成の家

今日の午後は、今住んでいる家の元の持ち主の新居へ遊びに行って来ました。

以前にも書きましたが、このWさん、娘さんがオーペアをしていたアメリカで、その家族が住む豪邸に一目惚れし、アメリカンスタイルの家を建てるために広大な土地を購入したという人です。

初めてお邪魔したのですが、それはそれは凄い。家は斜面の一番上に立っているのですが、湖を見下ろすテラスからの眺めは絶景です。庭も普通の庭じゃないんですが、細かく描写してもしょうがないので、とにかくすごいお庭と表現しておきましょう。

そしてお家も超豪邸!.......に多分なるでしょう。多分ね。今のところは人の住む場所とはちょっと言えない状態です。引っ越してからもう二ヶ月以上になるのですが、一階部分はまだ床材も張っていないし、壁紙もありません。キッチンもない。家具も全然並べていない。外壁もブロックを積み上げたままの剥き出しです。寝室以外、すべて工事中。

いや~、もうびっくり。私達の家も越して来たときはえらい有様で、今でもバスルームにはまだ鏡がないし、シャワー室のドアもついていないし、完全に設備が整うのはいつの日やらという状態ですが、Wさんちは工事のスケールが違います。家が完成していないうちに入居して住みながら作って行くのってかなりストレスだと思うんですが、それが数年にも及ぶなんて私には信じられません。

夫の両親が家を建てた時も似たようなものだったらしい。四方の壁と屋根ができた段階で引っ越して、住みながら一部屋一部屋仕上げていったそうです。全部の部屋ができるまでに何年かかったって言っていたかな?今回自分たちがちょっとだけその真似事をしてみて、つくづく感心しました。本当にみんなよくやるな~。

なんでもいいからチャッチャッチャーと仕上げてしまって、なるべく早く普通の生活をしたいと思うのは日本人的感覚なのでしょうか。家に対するこだわりの度合いが違いますね。日本でも昨今はホームセンターが大流行りですが、日本のホームセンターとドイツのホームセンターでは、売っているものがまるで違う。私達がよく通っていたカインズホームでは店舗面積の半分以上を日曜大工とは関係のない、自転車や食料品や布団などが占めていました。こちらのホームセンターは工具や内装材がほとんど。

そりゃまあ、お財布の中身に余裕があるのであれば、一つ一つ納得のいくものを選びたいと言う気持ちはよくわかるんですが、私だったら待ちくたびれて、「もうその辺のものでいいや」となってしまいそう。先日もホームセンターで私は思い切り不機嫌になったのでした。

鏡を選びに行ったのですけどね。お店に並んでいるものの中から一つ選んで持ち帰るものだとばかり思っていたんです。ところが夫が、「ここにある鏡は全部ダメだ」と言う。デザインがどうこう、ではなくて、身長2m近くの長身の彼が腰を屈めずに髭を剃ることが出来、それより40cmも短い私が背伸びせずに髪の毛を梳かすことのできる鏡は特長サイズでなくてはならん。つまりお取り寄せということになります。ところが注文してから納品まで8週間かかるという話。

「なんだとぉー?鏡一つつけるだけで、なんで二ヶ月も待たなきゃいけないの。いい加減にしてくれ~」と、わめいた私。鏡だけだったらいいけど、何もかもに4~8週間かかるので、もうウンザリ。ドイツ人は気長だな~。

Wさんの新しいお家、ワンフロアーだけで220m平米。語ってくれた設計計画から想像するに、素晴らしい御殿ができあがるに違いありません。

でも....それまでの大変な作業と落ち着かない日々を思うと、素直に「羨ましい~」という気分にはなれなかったのでした。
  1. 2006/06/11(日) 07:57:24|
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食の許容範囲

先週末の三連休には友人家族が遊びに来ていました。旦那さんは夫の古くからの親友で、奥さんと私も親友、子ども達も仲良し。住んでいる場所は数百キロ離れていても、年に数回は行き来し、バカンスも一緒に過ごす友達です。

この友達一家と会うのはいつも楽しみなんだけど、実はちょっと厄介なことがあります。っていうのは、彼ら日本食が全然ダメです。いや、中華もインド料理もダメ。洋食以外全部ダメ。だから、一日二日のときはいいけど、何日も一緒に食を共にする場合、メニューを何にしていいか悩みます。

彼らが料理をするときはいいんですよ。私達、合わせられるから。問題は私が作るとき。

彼の方は、好きじゃないものでも出されればちょっとは食べますが、彼女はまるっきり手をつけませんの。日本食は慣れない素材が多いから抵抗があっても仕方あるまいと思って、日本食は一切出さないことにしてるんです。それでは洋食ならいいのかと言うと、これまた好き嫌いが異様に多くて、肉はフィレしか無理、魚介類は絶対無理、あれは無理これも無理。困っちゃうな~。

まあね、食べないのは彼女の問題ですから、私が困ることはないんですけどね。

そして彼らの子ども達も恐ろしい偏食です。どうせ知らない物は食べないだろうからと思って、ドイツの子どもがよく食べるものしか用意しません。それでも、「このパンは白すぎるから嫌い、あのパンは黒すぎるから嫌い」と好みがうるさい。嫌いなものが多そうだからと、いろんな(普段買わないような結構高い)ハムを10種類近く並べてるのに、「いいハムがない~」と食べない。スパゲッティを作っても、「ソースなしにして~」。じゃあ、ヨーグルトでも食べなさいと冷蔵庫から出してやると、「果肉の入ってるのは嫌い。入ってないのないの?」

もう知らんよ。

母親が偏食で限られた食品しか食卓に上らないなら、これも当然かもしれませんな。うちはみんな舌が肥えているとはとても言い難いけど、食の幅を広げることに積極的で、「知らないものを食べてみる」のが好きなので「味見もせずに拒否」というのは不思議。だから、いろいろ食べてみた方が楽しいのにね~と思わないわけでもないけど、特定のものしか食べない人はそれで満足しているわけで、「美味しいものいっぱいあるのに食べないなんて人生損してるわね~」と同情するのは余計なお節介なわけで、本人が望む食生活を送っているならそれでいいわけで。

この「未知の食べ物にどう反応するか」って、その土地にどういう食べ物があるかとか、家庭でどんなものを与えられているかなどが影響しているのは間違いないけど、遺伝的要素も大きい気がします。うちの息子は好き嫌いがなくてよく食べるんですが、単に嫌いなものがなく食欲旺盛というだけでなく、個々の食べ物に異様なほどの関心を示します。テーブルにつくといつも、キリンのように首を伸ばしてどんな食べ物があるかチェックするし、食べる前から舌なめずりしてるし、「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」という言葉を発せずに食事を終えることはないし、お腹がいっぱいでも必ず全種類のおかずを網羅したかどうかにこだわるんです。

これは我が家の食育の成果ではなくて、どうも生まれつきみたい。

初めて離乳食をあげたとき。「離乳食のあげ方」という本には、最初からいきなり大量にあげるのではなく、最初の日はスプーン一匙から始めましょう、毎日少しづつ量を増やしていきましょうと書いてありました。初めての経験で何を食べさせたらいいかわからないから、とりあえずベビーフードのニンジンペーストを買ってみました。瓶のラベルには、防腐剤が入っていないから開けたらすぐに食べきるように、とある。ああ、一口しかあげないで残りは捨てるなんてもったいない~。

そう思ってスプーンを息子の口に差し込むと、ごっくんと飲み込んでまた口を開けました。あ、もっと食べたいのね、もう一口だけいいよね。ごっくん。期待に満ちた目をしてまた口を開ける。いいよね、もうちょっとだけ。ごっくん。本人が食べたがるだけ与えても大丈夫だよね?ごっくん。

結局、一瓶全部食べちゃった~。彼の食い意地は育ちのせいじゃないです、多分そういう遺伝子です。

世の中には「新奇探索傾向」の強い人と「損害回避傾向」の強い人がいるらしいですが、味覚に関してもきっとそういうのがあるんだろうなあ。ゲテモノ食いの人、食わず嫌いの人。

どっちが得なんだろう?未知の食べ物にどんどん挑戦する人は、驚きとそれにともなう喜びを味わう機会が多いけど、毒キノコなんかをうっかり食べて死ぬ確率も高い。しかし、未知の物を食べてみる勇気ある人がいなければ、それが食べられるか食べられないか永遠にわからないのだから、そういう人のお陰で人間の食生活の幅は広がって来たんですよね。特定のものしか摂取しないとなると、食糧難に陥りやすい。つまり珍しい食べ物好きな人は、人類の存続に貢献するってわけか~。

まあ、どっちでもいいです。厳選された食生活でも、バラエティに飛んだ食生活でも、自分の食べたいように食べられるのは恵まれたこと。そうできない場合だってあるんですものね。感謝しつつ、我々家族は未知の食品の探索に励むこととします。







  1. 2006/06/10(土) 04:53:55|
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ピッカピカの0年生!

うちの娘は幼稚園児でも保育園児でもなく、小学生でもない。なんとも宙ぶらりんの状態。四月生まれの七歳で、三月に日本で保育園を卒園していますが、こちらの新年度は八月に始まるので、一年生になれずにいます。

入学までの間、幼稚園にでも入れたらよかったのですが、ドイツは幼稚園の数が非常に少なく、どこも定員いっぱい。そんなわけでどこにも彼女は籍がなく、「家事手伝い」状態。

家にいてもそれなりにすることはあるけれど、友達がいません。それが少し可愛そうです。

この間、お客さんが来て、ドイツ語で冗談を言いながらみんなで笑っていると、娘が日本語でこうポツリと。

わたしは、わからない言葉がいっぱいあるから、みんなが笑っていてもどうして面白いのかわからないの

日本にいたときは、私と子ども達の会話についていけない夫がちょっと疎外感を抱いていたようですが、今度は娘が寂しい思いをしちゃってるんだなあ。

学校に行かないとドイツ人の友達ができなくて、ドイツ人の友達ができないとなかなかドイツ語が上達しないんだよな~。

そう思い、学校に掛け合ってみました。
「入学前だけど、通わせるわけにいきませんか?」と。
OKが出ました。明日は祝日なので、火曜日から娘は学校へ行きます。一年生ではなく、ゼロ年生として。

娘はやっと学校に行かれることになったのが嬉しくて、でもドイツ語がよくわからないからちょっと心配で....と、複雑な心境のよう。

先日、スペインで生まれ、6歳までスペインで過ごしたというドイツ人の女の子のお母さんと話す機会がありました。そのお母さんが言うには、
私達夫婦は二人ともドイツ人だし、スペインでも家ではドイツ語を話していたけれど、娘にとって故郷はスペインみたいなの。ドイツの生活に慣れるのに1年以上もかかったし、今でもスペインに帰りたいとよく言うのよ

うちの息子も、6歳でドイツを離れ、日本で4年近く生活しても、「自分の本当の居場所はドイツ」という意識が最後まで抜けきらなかったようです。ドイツに戻って来たら、何の違和感も感じずにスッと周囲に溶け込んだように見えます。

息子とは対照的に、3歳からの4年間を日本で過ごした娘には、ドイツとはいろいろ奇妙なことの多い国らしく、「どうしてドイツでは○○なの?」と毎日のように言います。子どもなりにカルチャーショックを経験しているようで、「自分は日本人」という意識が息子よりずっと強いみたい。

6~7歳というのは文化的に敏感になる年齢というか、特定の文化に根を張り出す時期、あるいはそれを自覚できるようになる年齢なのだろうか。

娘はドイツ社会にソフトランディングできるでしょうか。ちょっとドキドキです。


  1. 2006/06/05(月) 03:08:54|
  2. 日常
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