わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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日本の週末とドイツの週末

ドイツに戻って来て、2ヶ月が経ちました。家の方も少しづつ片付いて来て、一応なんとか生活らしくなってきました。

日本での生活とドイツでの生活。何が一番違うかと聞かれたら、即答できます。
週末の過ごし方が違う」と。

ドイツで12年暮らした後に日本で生活するようになって、何よりも驚いたのは日本での週末における時間の流れ方でした。

ドイツでは、週末というのは個人のためにある時間です。平日は会社やら学校やら、それぞれの所属する場所で活動し、週末には皆、個人に戻る。寝坊をする人もいれば、早起きをする人もいて、過ごし方は人それぞれですが、キリスト教の影響もあって基本的に日曜は店なども開いていないので、静かにのんびりと過ごす人が多いと思います。あ、もちろんスポーツなどしてアクティヴに過ごす人もいる。まあ、いろいろですね。

自分が予定を入れない限り、何かの予定が入ってくるということは、まず、ありませんでした。会社や学校で「○日に××をするので、集まってください」というようなことは、クリスマス会と夏のバーベキューパーティくらい。クリスマス会の方はともかくとして、バーベキューは行っても行かなくてもいいような気軽な集まりでした。

ところが日本へ行ってみると、自分が「さて、今度の週末をどう過ごそうか」と考える間もなく、カレンダーの週末はびっしりと予定で埋まっているのでした。生活を始めてしばらく経ったある日、ふと気がつくと、家族四人がそれぞれ複数の集団に属することになっていて、各集団の「年間予定」に基づいて、私達の週末の過ごし方は予め設定されていたのです。

それは、町内の草むしりやお掃除だったり、会社や学校のレクリエーションだったり、保育園や学童クラブの話し合いだったり、様々でした。ドイツでも、アパートの住民が分担で草むしりや掃除をしたりすることはありますが、それぞれが自分の担当の日に作業をすることになっていて、みんなで集まって作業をすることは稀だし、そういった作業が週末に予定されることも極めて稀。

日本では、週末は「個人の時間」とは認識されていないのだなあ、と、ドイツ式に慣れきっていた私には大きなカルチャーショックだった。そして、日本人にとって、週末とは平日と切り離された時間ではないのだということにも気づきました。平日と週末では一緒に活動するメンバーが変わるだけ。

皆で集まって草むしりをする。だって、みんなでやったほうが早いから。でも本当はそういう合理性よりも、「顔を合わせることが大事なのだ」と言う説明をいろんな場所で何度も聞きました。交流し、仲間意識を高めることが助け合いに繋がり、個人にとっても社会にとっても有益なのだ。確かにそうなのですよね。疲れているときや、他にやりたいことがあるときには、「自ら立てたわけではない予定」が煩わしいことも多々あったけれど、集団の一員として行動することがもたらす恩恵は計り知れない。

集団にとってたいして何の利益ももたらさない私でも、集団の一員と認識され、皆が集まるときに参加しないと、「あれ、今日はビアンカがいないね。どうしたんだろうね」と、気にかけてもらえることは有り難いことだったんだなと思います。私だけでなく夫もが、「日本へ行ってよかった。またいつか行きたい」という気持ちで日本を離れることができたのも、周囲の人達に気にかけてもらっていたからだ、とつくづく感じます。だから、あれはあれでよかったんですね。

だけどその一方で、私は今、ドイツでの静かな週末を再び堪能しています。どこにも属さない自分が、自分自身のために過ごす時間。ただひたすら自分のペースで流れて行く時間。

他人あっての自分なのだということを意識した日本と、自分なしでは他人との関係は生まれないということを意識するドイツで、時計の針の動きが意味するものは違うのです。


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  1. 2006/05/29(月) 06:42:13|
  2. ドイツ
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内面の充実

先日から、いろいろな方のブログを拝読して随分と考え込んでいるのですが、どうもうまく考えをまとめることができません。でもとても気になるので、2つのエントリーをここでご紹介します。

一つはヒロさん日記の「神話の力」:あなたの輝きこそが世界を照らすという記事です。「神話の力」という本からのこんな引用が私の心に引っかかりました。

私たちは外にある目的を達成するためにあれやこれやすることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。「いま生きている」という実感と結びついた無上の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。



そうかもしれないと感じました。私達は「しなければならない」ことをするのに、本当に忙しい。「~のために頑張る」ということが、とっても多い。でも、「しなければならない」と考えていることのうち、本当にしなければならないことってどのくらいあるんだろう。

二つ目はKakoさんの記事、ゆとり

私が田舎の小学校に通っていた頃の、あの授業を都会の教育ママたちがみたらなんて言うだろう。「信じられない!」と抗議の嵐だと思う。だって教科書なんて半分も終わらないのだ。学期の途中で転校した私は、あまりに授業が進んでいなかったことに転校先の学校で驚かれ、急遽一週間ほど特別補講を受けたくらいだ。

じゃ、どうしてそんなことになっていたのか? 別に先生がさぼっていたわけではない。むしろ一生懸命だった。授業を工夫し、全員が分かるまで丁寧に時間をかけて教えてくれる。おかげで教室の中は子供たちの笑顔がいっぱいで、いつも明るかった。

それから、授業は教室の中だけにおさまらなかった。理科も、社会も、よく外へ出、じかに手にし、調べて歩いた。例えば、川の上流、中流、下流の様子が違うことも、実際にみんなで川沿いを歩いて石を拾い、確かめた。地層について学ぶときは、観察できるところがないかそれぞれ探して先生に報告し、そこへ皆でぞろぞろでかけるといった具合だった。今でいう総合学習のようなものも多かった。それらはとても楽しかったし、随分理科の目を養ってもらっていたと思う。実際、ああいう経験がなかったら、私は理系に進路をとらなかったかもしれない。



カリキュラムをこなすことと、学んだという実感を得ることと、どちらがより大事なのだろうかと考えてしまいました。一定の量をこなすことは安心と結びついている。「これだけやっておけば、まず安心」。でも本当にそうなんでしょうか。「しなければならないこと」に縛られて、見失うものは大きいかもしれません。

教育とは生きる力を育てるためのものだと人は言うけれど、生きる力は生きる喜びと切り離しては考えられないと思う。

社会の一員として行きていく上で、最低限知っておいた方がよい知識というものはあるけれど、その一定の知識を得ただけで社会の一員としてうまくやっていけるわけではないことは、日々起こる悲惨な事件を見れば明らかですよね。

「しなければならないこと」はちょっと置いておいて、「したいことをする」って、そんなに贅沢で我が侭なことなのかな........

もちろん、生きているうちには、「内面の充実」などということはとても言っていられない苦しい状況に陥ることもあるし、経済的なことを全く考えないわけにはいけないけど。

目標とか目的とか義務とかを一切忘れて、ただ楽しいから何かをする時間を私は大切にしたいです。


  1. 2006/05/27(土) 16:23:00|
  2. 教育・学校
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乾物の使い方

日本から、煮干し、ワカメ、ひじき、鰹節etc.といろいろ乾物を持って来たのですが、お味噌汁を作るたびにどんどん減っていくのを見ると、「あ~、ダシ取るだけにこんなに使っちゃって、もったいない~」って気がしてしまいます。

こちらでも買えるのですが、高いし、古かったりもするしで、お金を出すのはどうも悔しい。かと言って、「ほんだし」や「中華だし」を使うのは嫌な私。

そこで、この本を見ながら、粉だしを作ってみました。

乾物をミキサーにかけて粉末にするだけなのですが、だしに使うだけでなく、炒め物の味付けに使ったり、サラダのドレッシングに入れたりできるし、煮干しなんかは骨まで摂取できるから体にいいし、ってことで。

鰹だし、煮干しだし、昆布だし、帆立の貝柱だし、干しえびだしに干し椎茸だしを作りました。干し椎茸のだしは本には載っていませんでしたが、ずっと昔、ドイツのテレビ番組でやっていたんです。確かHobbythekという番組でしたが、「日本のシイタケというキノコはマッシュルームよりも風味があって、とても体にいいのです。是非、料理に利用しましょう!」と言って、干しシイタケをミキサーにかけたのを炒め物の味付けに使っていました。そのとき「ほ~」と思ったけど、試したことなかったんですよね。今日はついでに、作っちゃいました。

今日の晩ご飯は子ども達と作った「手打ちうどん」でした。鰹と昆布と煮干しの粉だしで麺つゆを作って、台所で育てている万能ネギとミツバを入れて食べました。晩ご飯がうどんって粗食ですが、結構充実感あり。おいしかったです。

そうそう。煮干しは完全に粉末にならずに、粗いままのが残るのですが、ふるいわけてフライパンで炒ったら美味しいふりかけになったので、お昼にそれをかけたおにぎりを作って、娘とすぐそばの森の中で食べました。

明日はどのだしを使おうかな~と、楽しみ。

食べ物の話ついでに。今年是非とも作りたいものがあります。それはRumtopfというもの。大きな蓋つき容器にラム酒とお砂糖を入れ、春から旬の果物を順に漬け込んでいくのですが、最後の果物を入れてしばらく経ったクリスマスの頃に、果物が柔らかくなって、果汁のたっぷりしみ込んだ赤い色のラム酒ができあがります。どういうものか見たい方はこちらのサイトの右下に写真があります。それをバニラアイスと一緒にデザートとして食べる。前から一度作ってみたいと思いつつ、やりそびれてました。そろそろドイツ産のいちごが出回るので、今年こそ!カシスが大好物の息子が、庭にカシスを植えたので、実がなったらそれも入れて......

楽しみ、楽しみ。


  1. 2006/05/24(水) 03:33:17|
  2. 日常
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家族が増えました

我が家のニューフェースをちらっとご紹介します。

poo1.jpg


「ぷう」です。今年の秋で1歳になる女の子。ポツダムの捨て猫保護センターから、我が家にやって来ました。とても性格のよい子です。

好きな物 お肉。
嫌いな物 お魚。

ドイツ猫なのね~。

どうぞよろしく。
  1. 2006/05/23(火) 00:22:54|
  2. 日常
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カプートの日常

前エントリーでバカンスについて書きましたが、ここブランデンブルク州では6月の半ばにはもう学校が夏休みに入ります。そう、もうじきバカンスシーズンに突入。多くの人がバカンス計画を練るのに忙しいんでしょうね。

我が家は。。。今年はバカンスなしです。引っ越しのため、金欠&暇なし。

しかし、なにを隠そう、我々の住むカプート村はバカンス村。夏になると観光客で結構賑わうようです。毎日、息子はフェリーで湖の向こう岸に渡って学校に行くのですが、5月に入ってからはフェリーの待ち時間が増えました。モーターボートやカヌーや遊覧船が行ったり来たりするので、それらの通るときにはフェリーは渡れません。

朝っぱらからカヌーを漕いでいる人を見ると、あまりにのどかな光景に「これって現実なんだろうか!?」と思ってしまうほどです。ときどき岸辺を泳いでいるカモがフェリーに乗り込んでくるんですが、昨日などは私の車の上に飛び上がって、フロントガラスの真ん前に座りました。私の方を見て「クワックワッ」と鳴くのを見て、地球の反対側では一分半ごとに来る電車に乗れるか乗れないかという熾烈な戦いが繰り広げられているんだよな~と、本当に不思議な気がしました。

カプートにはカプート城とアインシュタインの別荘という見所があります。まあ、必見って感じではないですが。でも、湖で泳いだり、釣りをしたり、サイクリングをしたりしてのんびり過ごすにはいいところだと思います。野外コンサートなども催されますよ。

古都ポツダムから車で10分ほどのところにあって、環境がいいのに一般にあまり知られていないのは、やっぱり「旧東ドイツ」だからでしょうか。ええ、道路はボロボロです。建物もまだボロボロのが結構残っています。でも、想像していたような気が滅入る感じではないんです。共産主義の象徴とも言えるPlattenbauという高層団地があるのは都市部で、田舎の方はボロッちいと言えばまあそうだけど、どことなくノスタルジックな素朴な感じもして、西側のピカピカの田舎とはまた違う雰囲気。

この村に来てびっくりしたのは、「安息日の日曜日には仕事をしない」ということにあまりみんなこだわらないらしいこと。西側でも都市部ではいろんな人がいてそれぞれですが、夫の両親の住む村などでは、日曜日に庭仕事なんてしていると近所に顰蹙を買います。しかしこちらでは、みんな日曜日に外に出て何やらガタガタ作業をしています。長く続いた共産主義の間に、キリスト教の伝統が薄れたということなのかよくわかりませんが。

カプートに住んでいる日本人は、多分私だけ。でも、じろじろ見られたりしたことはないし、嫌な空気を感じたりもしないです。でも、すでに存在は知れ渡っているらしく、先日、近所の床屋に息子を行かせたら、「ぼうや、日本から来たんだってね~」と言われたそう。

いまのところ至って平和な日常です。ただ、一つだけ気に入らないことが。ポツダムに出ると、建物のいろんな所にスプレーで落書きしてあるんですよね。アートではなく、変な言葉が書いてあります。いちいち読みませんけど、視界に入るとどうも気が滅入ります。それから電車の窓という窓に引っ掻き傷がついてる。

なんでそういうことしますかねー。公共の物を故意に傷つけて楽しいのでしょうか。よくわからない心理です。もっとも、ここに限ったことではなく、前に住んだケルンやフランクフルトでも見ましたが、こっちの方がさらに凄い気が。やだな~。

まあ、そんなマイナス面もありますが、それ以外はなかなかいいところなので、みなさんバカンスにいかがですか?

  1. 2006/05/21(日) 06:09:20|
  2. 日常
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お家を交換しよう!

一週間ほど、夫の父が引っ越しの手伝いに来てくれていました。25年前に自分で家を建てたスーパーおじいちゃんです。お陰で、バスルームに念願の洗面台が取り付けられ、庭には小さな菜園ができ、テラスに根っこが食い込んでいた木は切り倒され、一週間前と比べて生活が随分と進歩しました。

私も「ドイツの嫁」として、がんばってドイツ料理を作ったりしておりましたので(おじいちゃんは「日本のご飯でいいよ」って言ったんですけど、力仕事をしてもらってるのにカロリーの低い和食じゃ悪い気がして。。。)、ブログの更新が遅れました~。

それはさておき。先日、仕事仲間から入って来た話。あるビジネスの顧客ターゲットを日本人にまで広げたいけれど、うまく行くと思うか?と質問されました。

どんなビジネスかと言うと、「バカンスの滞在先としてお互いに自宅を提供し合おう」というコンセプトなのです。バカンスには行きたいけれど、ホテル代が高い。あるいは、せっかく旅行に行くのに、観光客として滞在するだけではつまらない。できることならそこで生活して、普通にスーパーで買い物したり、洗濯したり、近所の人とおしゃべりして、その土地のライフスタイルを体験したい。でもどうやって?

バカンスに出かけている人の家を使わせてもらう。そしてそのお返しに、自分たちがバカンスに出かけている間は自宅を人に使ってもらう。または、相手のメンバーが生活しているところにゲストとしてホームステイさせてもらう。お家交換のアレンジは簡単。会員になり、協会のHPにアクセスし、登録されているメンバーのリストの中から自分の訪れたい場所のメンバーを探して希望の期間にお家を使わせてもらえるかを確認する。宿泊費はナシ。年間数千円の会費を協会に払うだけ。

このコンセプト、実はかなり前から知っていました。協会に登録するシステムでなくても、ドイツでは新聞や情報誌などに「バカンスの間、家を交換しませんか?」という広告を見かけることがあります。初めてこれを知ったとき、「へ~、なかなかいいアイディアだね」と思ったものです。私は無類の旅行好きですが、学生時代が長かったため、費用の捻出にはいつも苦心していました。それに、今までに数多く訪れた土地の中で特に思い出深い場所というのは、そのほとんどがホテルではなく現地の人の家庭に泊めて頂いた場所です。高級ホテルほどの快適さやサービスがなかったとしても、その土地の人の生活を垣間見ることはとても興味深いし、泊めてくださる人達の心遣いが有り難いし、ご迷惑をおかけしたことも多々あったかもしれないけれど、いい体験だったな~と思います。逆に、我が家にもよく知人友人親戚が遊びに来てくれますが、「楽しかったよ」と言ってもらえると、とても嬉しい。

でもね、でもね。「このビジネス、日本人にもウケると思うか」って聞かれると。。。。

う~~~~~~~ん。

どうかなあ~?利用する人、いるでしょうか。まず第一に、日本人は欧米人のようにはバカンスに出かけませんよね。休暇で旅行に出かけるにしてもせいぜい数日。2週間も3週間もの長い休みが取れる人は稀だし、もし休みが取れたとしても、その期間ずっと同じ場所に滞在するという発想があまりない。

人の家を使わせてもらうということに抵抗を感じる人が多そうだし、そこをクリアしたとしても、勝手のわからない外国で何か不都合が生じたらどうしようとか、人様の家を汚してはいけないと気を遣うのが面倒だとか、ってのもあるかも。

そして、人の家を使う分にはよくても、自分の家を貸すのはかなりキビシいかもしれない。今のところ、このようなシステムを利用するのはほとんどが欧米人で、日本の家屋は欧米人の基準から言うととても狭いですよね。仮に日本人が「貸してもいいよ」と言っても、借りたがる人がどの程度いるものだろうか。

日本人としても、彼らが土足で家の中に入ってくるかもしれないしー、冷蔵庫やタンスの中を勝手に開けられたら嫌だしー、と思うと、やっぱり貸す気になれないのでは。

ネガティブに考え過ぎでしょうかね?日本人にもいろいろな人がいるし、欧米人にも「狭くてもなんでもいいから、本当のジャパニーズライフを体験したい!」という人がいるでしょうから、案外、機能するのかな。

じゃ、自分は?メンバーになる?

やっぱりちょっと躊躇しますね。親戚や友達はいつでも大歓迎だし、場合によっては知らない人をお泊めするのも構いません。でも、自分たちが家にいるときに限ります。自分たちのいない間に知らない人がタンスの中や戸棚を覗いているかもしれないと思うと、おちおちバカンスを楽しんでいられないような気がしちゃう。

みなさんはどうですか?
  1. 2006/05/19(金) 00:03:58|
  2. 旅行
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言うことをきかない子 2

やっとコンテナが到着しました~。ないないづくしのキャンプ生活から、今度はダンボールだらけで足の踏み場もない戦場生活に!

夫の父が、昨日から手伝いに来てくれています。几帳面で器用で忍耐強いお義父さんですから、とても助かります。夫は義父と入れ替わりに今朝、フランクフルトへ飛びました。いえ、正確に言うと、飛ぶところです。彼はギリギリにならないと支度ができない人で、今日もいつものように齧りかけのパンを片手にドタバタと出て行ったのですが、さっきかかってきた電話によると。。。。

「5分遅れで飛行機に乗り遅れた。そんでもって、さっき次の飛行機に乗ろうと思ったら、鞄の中にポケットナイフが入ってて、友達の関さんにもらった大事なナイフだから取り上げられるわけにはいかなくて、それで手間取ってたらまた飛行機が行っちゃったんだよ~。だからまだベルリン。今日は本当についてないよ~」

(追記*チェックインしたのに置いて行かれるなんて変だなと思ってよく聞いてみたら、ナイフで手間取ったのは別の話で、飛行機そのものの出発が遅れたんだそうでした(^^) )

な~にをやってるんだか!と思ったけど、
「それはついてないね~。可愛そうに~」
と共感し、電話を切りました。すると義父が、
「何だって!?ダメじゃないか、そんなことじゃ。あ~、母さんにはとても言えないね。そんなだらしない子に育てた覚えはないのに、なんてことだろう」と。さらには、
「ビアンカ、お前からも注意しなさい。あいつは車の運転は荒いし、全く落ち着きがなくて困ったものだ。うちに来るたびにいつも言ってやってるのに、全然親の言うことをきかないんだから!子どもっていうのは、まったくいくつになっても親に心配かけて。。。。

何と返事したらいいのやら。いや~、欠点の数で言ったら、夫より私のほうが。。。なのでね。そして私はいけない点を夫に寛大にも赦してもらっていますから、「あんたはこういう点を直すべき!」と偉そうに言えないものがあります。(それに、言っても変わらないだろうし)

それにしても、親にとって「言うことをきかない子」をどうするかって、永遠のテーマなんですね~。

前記事に書きましたように、うちの息子は言うことを聞きませんが、娘も同じく、いえ、兄に輪をかけて言うことを聞かんです。息子の方はまだ、「お母さんの言うこと聞かなくちゃとわかっているけど、どうにも止まらない~」って感じですが、娘の方は、「言うことを聞かなくては」とは別に思っていないよう。

息子はそもそも、思考回路が私と似ているらしく、私が「これはああでしょ」と理屈で説明すれば、「ああ、そうだね」とすぐに納得しますが、娘の場合はそうはいかない。
私「こうだから、ああでしょ」
娘「それは違うよ。お母さん。○○だから××で△△だよ」と独自の論理で切り返してくる。聞いてみれば、彼女の言っていることも、それはそれで筋道通っていたりするので、「むむむ、そうか。そういう考えもあったか~」となることも多い。

しかし、いちいち「あー言えば、こう言われる」と、忙しいときなんか特に腹立って、「この、生意気娘~」とキレそうになる(というか、キレます)。こんなことでいいのだろうか。「親に向かって口ごたえなんかするんじゃない!」と躾けるべきなのだろうか。。。と、考え込んでしまうこともしばしば。

とはいえ、自分の意見を堂々と述べるのが娘の持ち味で、娘の発言によって私はそれまで考えたこともなかったことを考え、彼女の斬新な発想に視野が広がるような思いをすることが多いから、やっぱり娘には口をつぐんで欲しくないのです。

言うこときいてくれないと困るんだけど、大人の言うことを何でも黙って聞くっていうのもまた心配だろうし、フクザツ。。。

  1. 2006/05/11(木) 18:43:17|
  2. 日常
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言うことを聞かない子

よく記事を読んでくださる方はお気づきと思いますが、私達夫婦は娘を「ちょっと変わった保育園」に入れ、現在は息子を「ちょっと変わった学校」に通わせています。

なにか特定の子育てのポリシーでも持っているのか、それともよっぽど変わり者の親なのか、と思われるかもしれませんが、正直に言いますと、ポリシーや趣味でそうしているというよりも、こうならざるを得なかったという感じです。私と夫の試行錯誤子育てに興味を持ってくださる方も少しはいらっしゃるようなので、どういう経緯でオルタナティヴ育児の方向に私達が進んで来たのかをお話しようと思います。

息子を妊娠中、活字中毒の私は育児に関する本をたくさん読みました。そして思ったことは、こんなことでした。
「きちんとした人間に育つよう、子どもは厳しく躾けよう」
「そのときによって子どもに対する態度を変えたりせずに、いつも一貫したやり方を貫こう」

でも。。。実際に子育てを初めてみたら、そんなふうに簡単にはいかないとわかって、がっくり。息子が幼児のときには、次から次へと難問にぶちあたり、「あ~、どうしたらいいんだろう」といつも悩んでいました。考えても考えても対策が思いつかず、そのうちにその時期が過ぎ、気がついてみると今度は新しい問題にぶつかっている。それを繰り返しているうちに「そうか。大抵の問題は時間が解決するのだな」ということがわかってきたけれど、そのまっただ中にあるときにはやはり悩むのでした。(そして今でも悩んでいます)

息子は「おとなしくて聞き分けのいい子」からはほど遠く、こちらのやって欲しくないことばかりやりました。はいはいができるようになってからは、家中を好き勝手に動き回り、ゴミ箱はあさるわ、植木鉢の土は食べるわ、ラジカセにバナナを突っ込むわのいたずらっ子。「子どもの手の届くところには何も置いておけない~」とこぼしたら、先輩お母さんに「触られるからといって物を片付けるのは逆効果。そのまま置いておいて、ダメと教える方がいい。だって全部片付けるなんてできないでしょ」と教えられて、「なるほどそうか」と思ったのですが、教わった通りにやってみても何も効果なし。

ダメよ~と優しく言っても全く反応しない。メッ、メッと恐い顔で睨みつけてもだめ、いたずらした手の甲をペチペチと叩いてもだめ。そのうち私が見ているところでやると怒られるとわかって、見ていない隙を狙ってやるように。結局、私が一日中ダメダメと怒り続けているという以外の結果は得られなかったのでした。

そのとき夫が言ったこと。
「よっぽどやりたいんだね~。いいじゃないか、いたずらしたって。やらせてあげようよ。物なんか壊れてもたいしたことじゃないさ。気が済むまでやれば、そのうち満足するだろう」
いたずらって、大人にとって都合が良くないからいたずらなのであって、子どもは単に好奇心からやっているだけ、悪いことをしようと思ってるわけじゃありません。そう考えたら少し気が楽になりました。

でも、やっぱり大変。息子は何でも「ジブンで」やりたい子でした。離乳食をスプーンで食べさせてやったのは、最初の数日だけ。私の手からスプーンをひったくって自分で食べようとする。自分の体よりも大きいベビーカーを自分で押すと言い張る。視界に入るものは何でも触ってみたくて、人がやっていることは何でもやってみたくて、じっとしていることができません。

意欲があるのはわかるけれど、混んでいる電車の切符売り場で子どもに自動販売機を使わせれば周囲に迷惑がかかるし、公共のものにやたらと触ってはまずいし、「あれは何、これは何」と興奮して大声を出されると静かにさせるのに苦労します。そんなわけで、私達は息子が人に迷惑をかけてしまいそうな場所は極力避けるようになり、どんどん田舎へ田舎へとシフトしてしまいました。

ほんとは、子どもをいろんな場所に慣れさせて、どんな場所でもそこにふさわしい行動を取れるように教えた方がいいのかもしれないなあ、とときどき思います。でも、ガミガミ小言を言っているとすごく消耗するので、つい楽な方に流れて、「野原で好きなだけ遊んでおいで」になってます。

こういう性格の息子にとって、学校という場所はこれまで「完全燃焼」できる場所ではありませんでした。まだドイツの幼稚園に通っていた頃、一時期、日本人学校の土曜日の補習授業に通わせていたことがありますが、すでにこのときにつまづいてしまいました。

迎えに行くと、毎週のように先生から、「おたくの息子さんは指示に従いません」と苦情を言われてしまう。
「なんで先生の言うことをちゃんと聞かないのっ!」と叱りつけ、息子は泣きながら帰宅。行くたびに先生と私の両方に怒られるので、もう行きたくないと訴えるようになりました。

何がそんなに嫌だったのか、息子が説明するには、「せっかくやっていることを無理にやめさせられる」ことだそう。土曜の補修授業というのは、基本的にいつか日本に帰る駐在員の子ども達のためにあり、日本に帰ってもすぐに授業についていかれるようなカリキュラムが組んであります。日本の子ども達が一週間かけて勉強することを土曜の一日でやろうとするので、どうしても「あれもこれも」と盛りだくさんになってしまい、幼稚部と言えども20分刻みくらいで「ますはひらがな、その次は縄跳び、その後は折り紙で。。。」というふうに予定が組まれていました。

これはしようがないことだと思うんですが、息子にとっては「せっかく楽しくお絵描きしていたのに、終わらないうちに、ハイ次は○○の時間ですと中断させられるのが嫌だ」となるようでした。「先生、ぼくまだ終わってないんだけど」と言うと、「続きはお家でやってね」と言われてしまい、なにもかもが「続きはお家で」で何一つ心ゆくまですることができない。欲求不満が募るだけで楽しくない。それで、補修校に通うのは挫折してしまった。

小学校に通うようになってからは、多少の分別もつき、「学校とはそういうもの」と、先生の指示に従って行動することを覚えはしましたが、相変わらず息子にとって学校とは「面白いことをいろいろ見せてくれるのに、思う存分にはやらせてもらえない場所」であったようです。

実際、息子を相手に授業をするというのはとても骨の折れる作業です。埼玉で来てもらっていたドイツ語の先生にも何度も苦情を言われましたし、私も何度か息子に英会話を教えようとして酷い目にあいました。何か一つ説明すると、
「じゃ、この場合は?あの場合は?こういうことも言えるんじゃない?もしこうだったら、その決まりは当てはまらないんじゃない?」と次から次へと展開して、もとのところからどんどん離れてしまい、こちらの予定通りには全然進まない。英会話をやっているはずが、気がついたら経済の仕組みについて議論。。。ということになったりする。

悪気があって大人を困らせるわけじゃない。やりたい、知りたい、動き回りたいという欲求を抑えることが難しい子なのです。

そんなわけで、ドイツに帰ってからの学校探し、かなり頭を悩ませました。息子の欲求がある程度満たされ、かつ、彼が学級の邪魔にならないでいられるような学校はないだろうか。そして見つかったのが今の学校です。

昨日、おとといと丸二日かけて、息子は「カエルの研究」をしてきました。先週の修学旅行のレポートを書くことになっているらしいのですが、内容は自由で、彼は森の中で遭遇したものすごく珍しい種類のカエルに興味を持って、それについて図書館でずっと調べていたらしいです。

「はあ~、疲れた。なんかあの学校に行くと、すごく疲れるなあ」
迎えに行くと、車に乗り込むなり、息子はこう言いました。
「それって、悪いこと?」
「いや、そうじゃなくてね。ぼけーっとしている時間がないんだよね。いつも真剣に何かやってるって感じ」
息子の学校には、お昼休み以外、決まった休み時間というのがありません。チャイムもなりません。必要に応じて休憩を取るんだそうです。

持て余していたエネルギーを使い果たして、心地よく疲れて帰って来ているのならいいなあと感じています。

  1. 2006/05/04(木) 20:42:00|
  2. 教育・学校
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全日制の学校

慣れないドイツ車で息子の学校の送り迎えをしたら、すごく肩が凝ってしまいました。自転車でも通える距離なんですが、息子の自転車は引っ越し荷物の中。コンテナが到着するまでのあと2週間は送り迎えの毎日です。

授業は14:30まで。ポツダムのモンテッソーリシューレは全日制の学校です。学校が全日制なのは当たり前じゃないか、と日本にいる方は思うでしょうけれど、ドイツではそうではありません。ドイツの学校は基本的には半日制、つまりお昼で終わり。息子が以前通った公立小学校もそうでした。一年生はなんと11:40に授業が終わっていたため、息子は12時前に家に帰ってくるのでした。給食はありませんから、ご飯は家で食べます。

授業時間が短いだけでもびっくりでしたが、もっと驚いたことに、学校へ行ったと思ったらすぐに帰って来たということもしばしばありました。授業がよく休講になるのです。理由は先生が病気だからとか、暑すぎて授業にならないとか。何の前触れもなく、子どもは予定より早く家に帰って来ました。

これには困りましたね。ただでさえ短い「子どものいない時間」。この時間をあてにして、買い物やお役所や医者や美容院などへ行く予定を詰めているのです。仕事を持つ母親もいます。休講で授業時間が減ることはともかくとして、少なくとも預かると決めた時間内は責任を持って預かってくれないものかと思ったものでした。日本では子どものいない間に専業主婦のお母さんたちが一緒にランチをすることもあるなんて聞いて、「いいなあ」と密かに羨んだりしたことも。

「日本では子どもは午後3時くらいまでは学校にいます」と言ったら、
「そんなに長時間勉強させられるなんて可愛そうね」と同情する人が年配のドイツ人には多かったですが、同年代のお母さん達の中には、
「いいわね。ドイツも学校を全日制にすべきよ」と言う人も結構いました。実際、ドイツでは全日制の学校を作ろうという動きが高まっているようです。

ですから、今の学校が全日制で嬉しい。もちろん、単に拘束時間を長くするというだけなら、子ども達が可愛そうかもしれませんが、内容が充実しているなら、早く帰って来てゲームボーイばかりに興じているよりいいと思うので。

息子が通っている学校では、放課後にいろいろなアクティビティが用意されていて、好きな活動に参加できるようになっています。日本で言うと「部活」ということになるでしょうか。しかし、一つの部に所属して毎日練習というのではなく、月曜はこれ、木曜はあれ、というふうに複数選んで半年間継続して受講する、むしろ習い事に近い感じのようです。

資料によると、現在あるコースは
 
コーラス、パソコン、自転車組み立て、映画/ビデオ撮影、写真、園芸/ビオトープ造り、楽器、陶芸、料理、美術、サイエンス、チェス、学校新聞、HP作り、スポーツ(体操、ダンス、武道、カヌー、フェンシング、水泳)、外国語(フランス語、スペイン語)、演劇、サーカス、カヌー作り、メソッドトレーニング、工芸、ヨーガ、男の子クラブ、女の子クラブ

「メソッドトレーニング」というのが内容不明ですが、結構いろいろあるなと思います。「サーカス」って、どんなことやるんでしょう。。。。

今学期は中途半端なので、息子が参加するのは来学期からになりますが、彼の好きそうなものがたくさん。これらのコースは、学校の先生が受け持つものもありますが、多くは外部の組織から先生が出張でやってきます。ピアノの先生も学校に来てくれるそうです。生徒達は最長17:00まで、学校にいられます。(強制ではない)

子ども達の習い事の送り迎えであっちへ行ったりこっちへ行ったりしなくて済むと思うと、ホッとします。

もちろん、放課後を習い事で埋め尽くさなければならないということはありませんし、特別何も習わなくても、自由に遊ぶのだっていい。むしろ、自由に遊ぶ時間がたくさんあったほうがいいと思う。けれど、どうやらドイツも、放課後に近所の子ども同士が往来に集まって遊ぶ時代は終わり、複数の習い事を母親がスケジュール管理するようになりつつあるようです。先日来た親友も、「子どもの習い事オーガナイズでストレスが溜まっちゃって。。。」とぼやいていました。

ドイツの学校も、これからだんだん変わって行くのかもしれません。



  1. 2006/05/03(水) 06:48:57|
  2. モンテッソーリシューレ
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