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わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

あるOssie(元東ドイツ人)の夢

こちらへ来る前、買うことになった家の持ち主との不動産屋を通したやり取りにちょっとした行き違いがあり、いささか不安な気持ちでした。しかし、実際に持ち主と会って話してみると、不動産屋の情報伝達が不正確だったための誤解とわかり、あ~よかったと互いに胸を撫で下ろしたのでした。

法的手続きを気持ちよく終えたところで、持ち主のWさんと夫が意気投合。すっかりお友達になってしまい、毎日、Wさんのお宅にお邪魔しています。

エンジニアで現在は会社経営者のWさんは、50代にさしかかったばかり。東ドイツ時代に今の家を建てました。土台はしっかりと建てることができたのですが、共産主義の当時は内装用の資材にろくなものがなく、あるもので我慢するしかありませんでした。ドイツが統一され、好きな資材が好きなときに手に入るようになって以来、Wさんは部屋を一つ一つ丁寧にリフォームしてきました。どうせ手をかけるなら徹底的にと、妥協せず、本当に気に入ったものだけを使って。

Wさんは大変な凝り性のようで、技術者ならではのハイテクな仕掛けが家中に施されています。それらを説明するWさんの嬉しそうな顔。また、Wさんには園芸の趣味もあるのです。庭には三つの池があるのですが、
「これが私のヨーロッパの池です。こっちがアジアの池。向こう側のがアフリカの池ですよ」
今は冬なので花はなく、雪も被っていますからなんだかよくわからないんですが、それぞれの池にはそれぞれの地域ならではの植物が植えてあるんだそう。
「東ドイツ時代に開発援助の仕事でアフリカの共産国に行っていました。それでアフリカに特別な思い入れがあるんです。壁の崩壊後にはアジアを旅行して回りました。そのときの思い出からインスピレーションを得て、アジアの池を作ったんですよ」
ほ~お。凝ってますね~。

「本当に、もう一歩で理想の家が完成というところでした」とWさん。
夫と私はこのコメントを不思議に思い、思わず訊いてしまいました。
「そんなに気に入ってらっしゃるなら、一体どうして手放すんですか」
「ええ、実は・・・数年前に娘が留学中のアメリカに遊びに行って、そこで素晴らしいアメリカンスタイルの家を見て、ガーンと衝撃を受けたんです。こういう家もあるのかってね。ドイツに戻ってもその家のことが忘れられなくて、しばらく悶々としていました。そして決心したんです。よしっ、また一からやり直そう。もう一度理想の家を建てようって。それでここよりも広い土地を買ったんです」
「へえ~。それは大決心ですね。ちなみにどのくらいの広さの土地なんですか?」
「ざっと五千メートル平米です」
「ごっ、五千メートル平米~っ!?」
どっひゃあ~っ!!す、すご過ぎる・・・

新居の建築計画を熱く語るWさんの目はいきいきと輝き、パワーに満ち溢れています。何歳になってもチャレンジ精神旺盛で前向きなWさんに脱帽。

さて、大晦日です。

本年度はブログでのみなさんとのお付き合いを本当に楽しませて頂きました。ブロガーの」方もそうでない方も、コメントをくださった方も静かに読んでくださった方も、みなさんに心よりお礼を申し上げます。

迎える年がみなさんにとって明るいものとなりますように!


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  1. 2005/12/31(土) 00:19:16|
  2. ドイツ
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ポツダムにいます

26日にポツダムに着きました。ドイツは26日もクリスマスの祝日ですから、ギリギリ間に合いました~。

そしてなーんと、ホワイトクリスマス。

雪化粧したポツダムは本当に美しく、長旅の疲れも吹き飛ぶ思い。町全体が博物館のようで、タクシーの窓から眺める外の景色に見惚れてしまいました。

ポツダムへ来たのは15年ぶり。ところどころに共産主義時代のかすかな名残が見られるものの、随分と街の修復が進んでいるのですね。正直に言うと、自分がまさか旧東ドイツに家を買って住むようになるとは思っていませんでした。ベルリンの壁崩壊後まもなく初めて訪れた東側はあまりにも惨めな姿だったので、それ以来あまりよいイメージを持っていなかったのです。ですから、夫がベルリン転勤と聞いたとき、東側の人々には失礼な話ですが、「う~ん・・・東ねぇ」とちょっと引いてしまった。

しかし、そんな躊躇いはどこへ行ったのやら。すっかりこの町に魅了されています。東ドイツ時代もポツダムは東側では別格だったのでしょうが、今は西側でもちょっとないだろうという素晴らしさかもしれません。

とは言え、今回の旅行の目的は「移住準備」ですから、観光はひとますおあずけ。新しい家の寸法を測ったり、公証人のところに行ったり、台所の設計をしたり、車屋さんに行ったり・・・バタバタ忙しく動き回ってます。

天気予報によると、明日は大雪。

カプートの森には、木の橇を引く子供たちの姿がたくさん見られることでしょう。





  1. 2005/12/29(木) 06:58:12|
  2. ドイツ
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Frohe Weihnachten!

クリスマス・イブですね。

今年は夫も私も、なんだか今ひとつクリスマス気分ではないのですが、子ども達は毎日アドベンツカレンダーの窓を開けながら、クリスマスを楽しみにしてきました。

娘は一足早いプレゼントとして北海道のおばあちゃんから裁縫箱を貰い、「自分の針箱。うれしい。うれしい」と喜んでいましたが、三日前に突然、「サンタさんにプレゼントを入れてもらう靴下が家族全員の分ないよ!」と言い出し、小さくなった自分のTシャツを靴下の形に切って縫い合わせ、せっせと家族みんなの靴下を作っていました。

こんなに楽しみにしているのだから、何かやらないとなるまいなと、今日はそれなりにクリスマスらしいドイツご飯を作りました。本当はがちょうのローストが食べたいのですが、日本にいる間は鶏肉で代用です。

おととしは鶏肉のお腹にレバーの詰め物をしました。去年はりんごと栗の詰め物。今年はガーリックライスを詰めてみました。それに、赤キャベツの煮物。ケーキはりんごのスパイスケーキ。

クリスマス


まだおかずを全部置いていないのに、夫が写真を撮ってしまいました。娘は何故か浴衣で着席。

ま~、なかなか美味しかったですよ。

イブが無事終わって、やれやれというところ。あっ、これで安心してちゃいけないですね。クリスマスはこれからが本番です。

明日は荷造りして、ドイツへ行ってきます。ホワイトクリスマスになるかな~

みなさんもどうぞよいクリスマスを。
  1. 2005/12/24(土) 21:32:00|
  2. 日常
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アジアのマクドナルド

Kiasuさんのブログ、しゃべるマーライオンを拝読して知ったのですが、シンガポールでは客はファーストフード店で食べ終わった後にトレーを自分で片付けないのだそうです。この話題で、ちょっと前に読んだ「マクドナルドはグローバルか 東アジアのファーストフード」を思い出しました。

この本によると、マクドナルドは世界中の至るところにあるので、グローバル文化の象徴のように言われているけれど実はそうでもない。マクドナルドはその国々で、そこの文化や価値観に合うようにローカル化しているらしいです。

国によってファーストフード店の定義も違えば、利用法も違うということで、アジア各国のマクドナルドの利用状況が紹介されています。なかなか面白いので、かいつまんでご紹介しますね。

北京のマック 
中国人は一般にマックの食べ物の味は嫌いだが、雰囲気がロマンチックで快適であると人気がある。最初の店がオープンした頃は、中国人はマクドナルドをレストランだと思っていたので食べ終わった後、トレーは放置していたが、そのうち外国人が自分でトレーを片付けているのを見て、だんだんそれが定着していった。自分でゴミを片付けることは「文化的レベルの高さ」の証明と見なされる風潮も。

中国人にとってマックは一種のレジャーセンターで、のんびりと食事をするのでファーストフードというよりもむしろスローなくつろぎの場所。中華料理店でパーティをするのは時代遅れ、マックでのほうが洗練されていると考える。

香港のマック 
食べ物の豊富な香港でマクドナルドが成功した理由の一つは「トイレが清潔だから」。それまでは香港ではトイレの衛生は重要視されていなかったが、マックができて以来、清潔なトイレの快適さが認識されるようになり、香港全体のトイレ水準が上昇した。

台北のマック 
公共の空間としての要素が濃い。マックの店舗は広場に面したところや学校に隣接したところにあることが多く、マックの周りには屋台が立ち並び、そこに人々がたむろして世間話や商談の場になっている。子ども達にとってはマックは宿題をする場所。

ソウルのマック 
アメリカ文化の流入に抵抗のある韓国では、マックは当初、現地企業との合弁会社としてオープンした。韓国のマック利用客の男女比は三対七。男がマックに行くなんてカッコ悪いと思われている。

客が長居をするので回転を早くするために「ホステス・サービス」が導入された。ホステスが客のトレーを片付けながら、「さっさと帰れ」と無言の圧力をかける。

日本のマック 
「てりやきバーガー」など独自メニューが多い。日本のマックは社会の上層の人が利用する場所ではない。背広を着てマックに入るのは外国人くらい。日本人は食べ物を手で食べることに抵抗があるのでハンバーガーを紙で包んだまま食べる。


アジア全体に共通しているのは、マクドナルドが「食事をする場所」というより、「たむろする場所」「遊び場所」として認識されていることみたいですね。アメリカ人にとってマックは文字通り「ファーストフード」の店で、ドライブスルーの普及率も高く、長居をするためにある店ではないのでしょう。

私はあまりマックに行かないので、マックの各国比較をしたことがありませんし、この本に書いてあることがどの程度一般化できるものかわかりませんが、マック文化はその土地土地で違うということは大いにありそうです。
  1. 2005/12/21(水) 16:04:55|
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幼少時の服装と体感温度の謎

さ、寒いです~。去年の埼玉は暖冬で、私はズボンの下に一度もストッキングを履きませんでした。おととし買ったブーツも去年は靴箱にしまわれたままだったんですけど、今年はすでに毎日ブーツ。だって、寒いんだもん。

それとも私の体が暖かい埼玉に順応して、寒さに耐えられなくなったとか?来週からドイツへ行くのにどうしましょう。

外へ出て、高校生が素足にミニスカートで歩いているのを見ると、「そんな格好して!」と老婆心が沸いてきます。でも、考えてみれば私自身も高校時代は、厳寒の旭川の冬をペラペラのストッキング一枚で過ごしていましたね。「薄着は体によくない」と心配する母が勧める毛糸のパンツには目もくれず。今のところ体に不具合を起こしていないからいいものの、お母さん、言うこときかないですみませんでしたという気持ちです。

でも、若い頃ってあんまり寒くないですよね。「子どもは風の子」といって、小さい子には薄着をさせる習慣が日本にはあります。

ドイツでは逆に、子どもにはとにかく暖かい服装をさせるので、子育てを始めたばかりの頃、私は周囲のドイツ人に叱られてばかりでした。
「室内履きをちゃんと履かせないと、子どもが風邪をひくよ!」
日本では、子どもは室内では裸足が一般的かと思いますが、ドイツでは「足が冷えると体全体が冷える」という考えから、靴下の上から室内履きを履かせているのが普通のようです。ドイツの赤ちゃんは、夏に生まれた子でも、毛糸の帽子や靴下を被せられている場合もあるくらいで、私から見ると異様に厚着に感じられました。

息子は帽子が大嫌いで、被せてもすぐに取ってしまうので、しかたなく帽子なしでベビーカーに乗せ、外を押して歩いていると、通りかかったおばあさんなんかに、
「帽子も被らせないで外に出すなんて、なんて母親なの!子どもが中耳炎になるでしょう!」
と、よく怒鳴られてた。

そういうドイツ人からすれば、日本の子どもの冬の服装は尋常ではないのかもしれません。もちろん、寒さが違うと言ってしまえばそれまでなのですが、大人がコートを着こんで震えているところを見ると、日本の冬だってそれなりに寒いはず。

ドイツと日本の両方で子育てをしている私には、結局、わからないのです。

子どもは風の子。鍛えるためになるべく薄着がいいのか。
それとも、ドイツ式に暖かい服装をさせてやるべきなのか。

不思議なのは、日本人は「風の子」式に薄着で育つのに、決して「寒さに強い大人」にはなっていないこと。そして、着だるまのように厚着をさせられて育ったドイツ人は、大人になると結構暑がりの気がします。

私は埼玉では「異常な暑がり」ということになっていますが、ドイツでは他人の家に行くのが嫌でした。室内設定温度が低いから。
「ひぇ~、寒い。ヒーター上げてくれないかな・・・」と密かに思っていても、
「なんだかムウッとしますね。空気入れ替えましょう」なんて、窓を開けたりするから、ドイツ人の家に行くときにはいつもより厚着で行くようにしていました。

一般に欧米人が日本人よりも暑がりなのは、単に低い気温に慣れているからとか、皮下脂肪が厚いからとか、体温が高いからとか、汗腺数が違うからとか、いろんな説がありますが、なんだか私にはよくわかりません。それよりも、

子どもの頃の服装って、大人になってからの暑がり寒がりにどれだけ影響するんだろうか?

それが気になります。



  1. 2005/12/19(月) 22:29:30|
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焚き火

クリスマスが近いので、保育園の年長児はプレゼントを入れる長靴やリース作りに大忙しです。夕方五時に迎えに行っても、まだみんな黙々と作業をしていて、作業の区切りのいいところまで帰れないので、保護者達はその様子を眺めながらお喋りしつつ待っています。

娘は手作業が好きなので、いつも「まだ終わってないから待ってて!」と、長々作業を続けるのですが、三日ほど前のある日、いつもの時間に迎えに行くと、年長児の部屋に娘の姿は見当たりませんでした。

「ゆりこはもう作り終わって外へ行ったよ」と保母さんに言われて外へ出ると、娘は年長児の他の女の子二人と焚き火をしようとしていました。

娘の保育園では、寒い時期は毎日園庭で焚き火をします。お芋や拾ってきたシイの実やぎんなんを焼いておやつに食べます。薪は子ども達が定期的にその辺の林で拾い、リヤカーに積んで持ってきて、自分達でのこぎりで切ったものを使うのです。

その日は寒かったので、娘達は暖を取るのとオヤツの両方が目的で焚き火の場所へ行ったのですが、なぜかすでに火は消え、そこには誰もいなかったようです。どうもその日に限って早めの終了で、出遅れてしまったらしい。

「なーんだー。もう消えてる~」
ブツブツ言いながら、棒きれで灰の中を引っ掻き回していたら、下のほうに火の粉が見えた。
「あっ。まだ火の粉があるよ。これ、もう一度燃やせるよ!」
「ほんとだ。やったー」
三人は、その辺からダンボールの切れ端を持ってきて、パタパタ扇ぎだした。
「こっち側からやったほうがいいよ」
「もっと強く!」
相談しながら一生懸命扇ぎます。
「ついたついた」
「じゃ、木を入れよう」
「いや、まだ入れないほうがいいよ」

私は、少し離れたところでその様子を見ていました。

しばらくして、いい感じに燃え始め、
「やったやった。じゃ、何か焼こうよ」
「うん。お腹空いたね~」
友達二人がそう言ったところで、娘は、
「ねぎを焼こう。ゆりこね、隠し場所にねぎを隠してあるんだよ」
と、焚き火の側に置いてある丸太の裏から、長ネギを一本出してきた。

焚き火にネギをかざして、先が黒くなりかかったところで、ガブリ。
「おいし~い!」
「ゆかりにもちょうだい」
「りなも~」
三人でかわるがわる、ネギに齧りついてる。美味しそうに食べてます。

こういうのって、この子たちの日常なんだなあ、と思いました。

娘がこの保育園に入ったときにはまだ三歳で、大きい子たちに混じって焚き火の傍に立っているだけでした。ボウボウ燃え盛る火にただ見入っているだけ。取ってもらったお芋やシイの実を齧るだけ。

四歳になり、恐る恐る火の中に枝や木切れを投げ込んでみるようになり、五歳になったら、火にかけたフライパンの中をかき混ぜたりひっくり返したりして、おやつの焼け具合を確認するようになりました。そして年長児の今は、当たり前のように火を熾して、当たり前のように野菜を焼いて、当たり前のように食べている。

大きくなったんですね。

「焚き火のやりかた」なんて特別教わったわけでもなく、ただ三年間の日常があって、その日常の中に「焚き火」があった。それだけ。イベントでもなんでもない、フツーのこと。

娘にとっては普通のことなんだけど、贅沢なことだなあと思います。

「ああ、美味しかった。じゃあね~、バイバイ」

娘は満足してリュックを背負い、友達に手を振りました。そして私と娘は、月明かりの中を駐車場に向かって歩いて行きました。月は丸く大きく、オレンジ色に輝いていました。なんだかちょっと楽しい気分だった。


それにしても、あのネギ、一体どこから入手したんだろ?
  1. 2005/12/17(土) 23:18:23|
  2. 日常
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海外在住日本人の名前について

ワイン山の麓からのサイトでnyf1403さんが書いていらっしゃることを読んで、思い出したことのあれこれ。

ドイツ人と日本人のカップルに子どもができると、どんな名前をつけるのか。

私の知っている限りでは、日本でもドイツでも通用するような名前をつけている場合が多いです。女の子であれば、「マリア」とか「エリカ」とか、いくつかありますね。男の子の場合は、「カイ」それから・・・えーと。男の子の名前はなかなかなくて、難しい。アメリカだったら「ケン」とか「ケント」もあるでしょうが、ドイツの名前ではないですしね。ドイツ語の中に日本語と兼用になる名前が見つからないので範囲をイタリア語にまで広げ、息子さんを「Enzo(円蔵)君」と命名した方もいらっしゃいました。

うちはどーしても思いつかないので、しかたなく息子にドイツ名(というより洋名)と日本名と両方つけました。娘のときは両用の名前でもよかったのですが、「おにいちゃんは二つあるのに、なんで私は一つ?」と言われたら困るので、やはり二つ。

現在日本では、○子という名前は極めて少ないですね。私の時代はほとんど子つきでしたが、私は子なしの名前なので目立ってました。ですから今度はその逆を行こうと、娘には「ゆりこ」という正真正銘ジャパニーズな名前を選んだ。

しかし、ふと周りを見回してみると、近所には日本人駐在員家族がたくさんいたのですが、ドイツで生まれた女のお子さん達の名前は、「なおこ」「まりこ」「えりこ」「ゆきこ」って、み~んな「子つき」だったんです。そして、その現象とは対照的に、日本で生まれてドイツにやって来たお子さん達には、見事に洋風な「子なし」の名前がつけられていました。

日本に住んでいる時には、なんとなく西洋への憧れがあって洋風なものを好むけれど、いざ西洋に住んでみたら別にエキゾチックでもなんでもなくなって魅力が褪せ、日本情緒が恋しくなる。そんな心理が子どもの名づけにも反映されているのかな?

なかには「雰囲気が素敵だから」ではなく、「将来、海外に住むことがあるかもしれないから」という実際的な理由でお子さんに洋風な名前をつける日本人もいると思うのですが、でも、これちょっと要注意ですね。だって、せっかくアメリカやフランスの名前をつけても、日本ではローマ字表記しか認められないですよね。ですから、実際に外国に行ったときに「あらら~」ってことに。

「リサ(Risa)ちゃん」という可愛い名前の子がいましたが、ドイツでは「リーザ」っていう巻き舌の可愛くない発音で呼ばれていました。「クリフくん」というかっこいい男の子もいました。しかしドイツで、無惨にも「クゥリーィフゥ(Kurifu)」という変な呼ばれ方をされて、可哀想でした。

外国産の名前をつけるときには、オリジナル表記とローマ字表記が大体一致しているものを選んだ方が無難なのかもしれません。

余計なお節介かな。
  1. 2005/12/15(木) 08:52:10|
  2. ドイツ
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家族の今後

土曜日は暖かい、よいお天気でした。家族で森へ行き、ぶらぶら散歩してきました。

子ども達は枯葉を蹴ったり、枝を振り回したりの大はしゃぎでしたが、夫と私の胸にはいろいろな思いが渦巻いていました。

会社員である以上、会社の意向で家族の計画が狂うこともあるのは仕方がない。どこへ行くことになっても、その場所なりの「楽しいこと」を見つけて、それなりにやっていくことはできるでしょう。

とはわかっているんですけど、何事にも心の準備ってものがありますから、今回の展開にはさすがに参りました。

プロジェクトは二年だそうですが、実際にはどうなるものやら。週二日はベルリンオフィスっていうのも、蓋を開けてみたらなし崩しに・・・の可能性もありますね。大体、四拠点を移動し続けるなんて、否現実的な気が。始まってみないことには、なんだか想像がつきません。

まあとにかく、プロジェクトが終わり次第(あるいはポシャり次第)、夫がベルリン勤務になることは確定だそうで、日本駐在後の雇用契約はベルリンと結ぶらしいので、よかったです。

って、来週にはまた全然違うこと言われたりして・・・

いろいろ考えた末、会社にあっちへ行けこっちへ行けと言われるたびに引越しだの転校だのしていたら大変なので、ベルリンに家族の拠点を定めることにしました。

世の中には(特に日本には)長期別居をしている家族、長距離通勤をしている人、大勢いるのでしょうから、それほど悲惨なことではないのかもしれません。家族と同居していても、父親は残業ばかりで家族に接する機会もないというケースも珍しくないのでしょうね。それに比べればまだマシと考えることはできます。

しかし、息子はすでに十歳。十八歳にもなれば、家を出て行くかもしれません。家族が一緒に暮らせる時間は、あとわずか八年。

そう考えると、一日一日がとても大切に思えてきます。私達家族は、空間と時間を共有し、お互いの存在を肌で感じながら生活することを大事にしてきたので、できれば離れ離れになりたくないな~というのが正直な気持ち。夫も単身赴任はなんとか避けたいらしいです。

しかし日本にいる現在、ジタバタしてもどうにもならないので、とりあえずはおとなしくドイツに帰り、改めて作戦を練ることにします。

皆さんのお気遣いやご意見のお陰で、いろいろな角度から現在の状況を考えてみることができ、気持ちが落ち着きました。感謝致します。

今年も残すところあと三週間。みなさんもそれぞれお忙しいことと思います。どうか恙無く一年の終わりを迎えることができますように。





  1. 2005/12/12(月) 10:36:46|
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波乱の師走

ショック受けてます。週末だというのに、どよ~んと暗い気分。

来年の夏まで日本にいるはずだったのが、突然夫に転勤の話が来たのが先月。1月からベルリンへ行けと言われました。青天の霹靂。夫と私は巣をつつかれた蟻のごとく慌てふためきました。

先月末に夫がベルリンに飛び、将来の上司と面接。私と子どもが学年が終わる三月末まで日本に残る許可を取りつけ、その足で学校を決め、家探しもした。

家の持ち主との交渉が成立したのが今週の月曜日。契約書にサインしなければならないので、息子が冬休みに入ったらすぐに現地へ飛べるよう、飛行機の手配をしたのが三日前。

これさえうまく済めばやっと安心してベルリンでの大晦日を迎えられる筈でした。

なのに・・・おととい、とんでもないことが起きたんです。

夫が会社へ行くと、フランクフルトのお偉いさんから電話があり、
Kさん。悪いんだけど、やっぱりベルリンじゃなくてフランクフルトに戻ってきて
と言われた。

えーっ。えーっ。ええーっ!?

一体、どういうことなんでしょう。

こういうことらしいです。日本市場向け商品のプロジェクトをフランクフルトで立ち上げることになった。そのリーダーをやれ。

もちろん、夫は拒否しました。
「そんな無茶な。だって、すでにベルリンとは条件交渉まで済んでいるんですよ。子どもの学校も決まったし、家だって買うんです。いまさらそんなこと言われてもっ!」
「どうしてもあなたにやって欲しいんですよ。日本の事情がわかってる人間じゃないとこの仕事はできない。つまり、あなたしかいない」
「そ、そんなこと言われても!ダメです。無理です。やれません。やりませんっ」
「あなたがやらないと、このプロジェクトは失敗する。それでは会社は困る。嫌とは言わせませんよ」
「私だって困りますー!これからまたフランクフルトで学校や家探しをやれっていうんですか」
「プロジェクトは二年間だけだから、終わったらベルリンでもどこでも好きなところへ行っていいから」
「二年後にまた転校なんて、子ども達の身にもなってくださいよ」

かなり食い下がったけど、聞く耳持たず。

夫は日本の上司や同僚に助けを求めました。しかし・・・

「まあねえ。奥さんや子どもさんのことを考えるとね。同情しますよ。でも、日本向けの商品なわけだから・・・」
「そうそう。私たちとしても、全然知らない人よりKさんがやってくれたほうがなにかと・・・」
「だよねえ。事情のわからない人と英語でコミュニケーション取るのも疲れるし。」
暗にフランクフルト行けば?って反応だったらしい。

酷い顔して家に帰ってきました。私もあまりのことに何と言っていいのかわかりません。
「ベルリンの上司になんとかしてもらったら」
夫は早速、ベルリンへ電話したのですが、
「いやー。こちらとしてはすぐにあなたに来てもらいたいんですが、フランクフルトがすごいプレッシャーかけて来てるんですよ。プロジェクトが終わったらすぐに返すから、それまでどうしても貸してって強く言われて断り切れなくて・・・」

貸してって・・・・夫は物ではありませんよー!

もう、どうすんのー!!って夫婦で頭を抱えてしまいました。とにかく、まだベルリンへ行く可能性が残っている以上、家の手続きやらなんやらを続行しなければなりません。しかしその一方で、夫は会社のお偉いさん達との話し合いもしなくちゃいけない。もちろん工場での通常業務だってある。

可哀想に昨日から夫は下痢気味です。

そして今日、フランクフルト・東京・ベルリンの間で電話会議があり、夫の今後についての話し合いが持たれました。夫は必死で抵抗したんですが・・・

断れなかったっていうんです

あっちからもこっちからもギャーギャー言われて闘い疲れ、とうとう屈服したんだそうです。その結果、家族はどうなるかというと、こんな風に決まったのだとか。

私と子ども達は予定通りベルリンへ行く。夫は、週二日ベルリンオフィスから遠隔操作、週二日フランクフルトオフィス、残る週一日はフランクフルトからさらに南下した工場で現場指揮。定期的に日本へ出張。

つまり、四拠点をぐるぐるぐるぐる移動しながら生活するんだってよ!!!!

うっうっうっうっ。あんまりじゃないでしょうか。そんなことをしたら夫は病気になってしまうかもしれません。私だって、知り合いもいない土地で半母子家庭生活なんてしたくありません。それならこのまま日本にいたほうがましです。

サラリーマンだから、会社に振り回されるのはしかたがないんでしょうか?

それにしても、こんなにコロコロと予定を変更されたら、いくら順応性には自信のある私でも・・・

あああ~。もういやっ


しばらく立ち直れない気分ですわ。

波乱万丈な師走です。そんなこんなで頭が回らず、まだ年賀状の手配もしていません~。もう間に合わないかも。

もし、うちの年賀状が届かなくても、どうか勘弁してくださいませ。




  1. 2005/12/09(金) 22:18:58|
  2. 日常
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方言が好き

高校までは北海道で育った(一年間のアメリカ留学を除く)私ですが、高校卒業と同時に上京してきました。一人娘を平気でアメリカへ送り出しておきながら、父は「東京は危ない。心配だ」と言って、カトリックの女子寮に私を入れました。(私はカトリックではないのですが)

寮に引っ越したのは大学の入学式の数日前でしたが、まだ誰もいませんでした。いえ、正確には、私の他にもう一人の学生が同じ日に入寮してきました。彼女は奄美大島出身。日本の端と端からやって来て出会った私と美奈子さん。たった二人しかいないのですぐに打ち解けて、他の人たちが来るまでの数日、お互いに部屋を行き来していたんですが、話をしていて驚くことがありました。

ダンボールから衣類を出してタンスに入れる作業をしていたときのこと。
「あら、どうしたの。こんな薄い洋服ばかり」彼女が言うんですよね。
私の荷物には薄いブラウスとか半袖のTシャツばかり入っていました。だって、当然でしょ。北海道と違って内地は暑いんですから。
「何をいうのよ。本土は寒いじゃない」
美奈子さんのダンボールを見せてもらうと、オーバーや厚手のセーターでぎっしり。一体どうしたの~と私は唖然。4月だというのに、手袋やマフラーまで入ってます。
「奄美大島でも手袋って必要なのぉ~?」と私が大声を出したら、
「もちろん、奄美でも手袋つけるわよ」と。
それを聞いて、再びびっくり。手袋って「つける」ものなんですか?

私、手袋は「履く」ものだと思っていましたから。(爆)


ええ。北海道では手袋は「履く」んです。「つける」のはブローチとかじゃないでしょうか。のっけから異文化体験してしまいました。

こんなふうに私の東京生活は始まったのですが、まもなく落ち込むようなことを次々に体験することになったんですよ。というのは、言葉が通じなかったんです。
「私って、日本語と英語のバイリンガルよ~。うふ」って思っていたのに、どうやらそれは思い込みであったらしいのです。バイリンガルはバイリンガルでも、北海道弁とアメリカ西海岸弁のバイリンガルだったらしい。標準日本語はまだマスターしていなかった。

もちろん、人の言っていることはちゃんと理解できるのですが、こちらが話すと、わかってもらえないことが結構ありました。自分が今まで話していた言葉が方言だったなんて全然知りませんでしたから、「なんで通じないの!?」って不思議で。

「これとそれ、ばくって~」と言ったら、「は?」と変な顔をされた。
「ばくる」って、「交換する」って言うんですね。

「これ、いたましいから取っておこう」と言ったら、また「え?」
「いたましい」って、「もったいない」って言わなくちゃならないのね。

「これはもう要らないから、なげる」は「これはもう要らないから捨てる」
「目にゴミが入っていずい」は「目にゴミが入って、異物感がある」

まだまだたくさんありますよ。北海道には方言がないなんてよく言われるから、油断してましたね。その後一年くらいで標準語マスターしましたけど、私の母語はやっぱり北海道弁です。現在は埼玉に住んでいるので、なるべく埼玉人らしい話し方をするように努力していますが、北海道の母と電話で話すときが一番ほっとします。子ども達は埼玉弁です。ときどき息子に、「お母さんが家で変な言葉使うから、学校で方言と知らずに使っちゃってみんなに笑われたよー」と文句を言われて、「え?埼玉ではそういうの?」ってことがいまだにあります。

ドイツでは「高地ドイツ語」と呼ばれる標準語を話せることイコール教養がある、という考え方があって、方言丸出しで話す人を「あの人はドイツ語もろくに話せない」と悪口言ったりするようですが、私は方言が好きです。ずっと一つの土地に住み続けるのなら、方言しか話せなくても別に構わない気がするんですが、どうでしょうか。

普段は標準語ないしは埼玉弁で日本語を話している私ですが、どうしても抜けきらない北海道の言葉が二つあります。

一つは「あずましくない」という表現。うちの子ども達は落ち着きがなく、いつもソワソワモゾモゾドタバタとうるさいのですが、そんなとき口に出る言葉は、

あ~、あずましくないなあ~

こういうとき、標準語では「落ち着かないな~」って言うんでしょうか。私には全然しっくりきません。ちなみに、「あずましくない」は夫が最初におぼえた言葉の一つです。

Hey! Ruhig sein! Ihr seid aber azumashikunai!
(コラ、静かにしなさい。お前達はあずましくない!)

と、いつも子ども達を怒鳴りつけてます。

もう一つは、「こちょばしい」。「くすぐったい」という意味です。こちょばしいと言っても通じないとはわかっているのですが、くすぐられたら咄嗟に「きゃー。くすぐったい。やめてー」と言うことはなぜかできません。どうしても「きゃー。こちょばしい。やめてー」となってしまいます。

夫も、
Nein! Bitte nicht! Kochobashii!
と叫んでいます。

この二つの言葉を我が家で確実に定着させることができて、満足です。
  1. 2005/12/06(火) 23:22:11|
  2. 日本
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異文化橋渡し人としてのお仕事

ドイツでのアルバイト体験についてあれこれ書いてきましたが、日本でも学生時代にはいろいろアルバイトしていました。私が生まれて初めてアルバイトをしたのは19歳のときです。

仕事内容は翻訳でした。

あれから20年。いまだに翻訳をしたり(しなかったり)してますが、こんなに長い年月が過ぎたのに、翻訳者としてほとんど進歩していないのに自分でも呆れます。

ま、それはおいといて。(懺悔が本記事のテーマではありません)

とにかく、初仕事は翻訳でした。仕事をくださったのは、私が高校時代アメリカへ留学したときにハイスクールやホストファミリーを斡旋した留学機関です。大学を卒業するまでずっとこの機関で仕事をさせてもらったのですが、私の仕事は子どもをアメリカへ送り出す日本の親がアメリカのホストファミリーに宛てて書いた手紙を英文にすることでした。「うちの息子(娘)を一年間、よろしくお願いします」というお手紙です。

個人的な手紙なので、ビジネスレターや機械のマニュアルのように難しくありません。女子大生の私にも完全に理解できる内容です。辞書を引くほどの言葉もでてきません。自ら留学経験があるので、事情はよくわかっていました。

だから簡単!と言いたいところなんですが、そうでもなかったんです。

だって、日本人の保護者が子どもについて書く文章って......

「うちの息子は乱暴で、勉強はちっともせずに遊んでばかりいて困ります。元気で明るいのだけが取り柄でお恥ずかしい。そちらにお世話になりましてもご迷惑をおかけするのではと心配でございますが、よろしくお願いいたします」
とか、
「うちの娘は素直な子ですが、なにぶんウブで甘えん坊で.....」
というようなのがほとんどなんですもん。

最近は日本の親も変わってきたのかもしれませんが、当時はまだ、我が子を卑下して言うのは常識だったようで、「うちの子は愚図で馬鹿で....」式の手紙ばかりでした。それを読んで私は、「う~む。これは困った」と思った。アメリカでは、親が子どものことを話すときには、卑下するどころか長所のみをアピールしている感じでしたから。

初対面の人にいきなり家族の写真を披露し(いつもお財布に入れて持ち歩いてる)、「うちのマイケルはと~ってもいい子なんですよ~」なんてアピールしていました。いや、アメリカ人がみんなそうかどうかは全然わからないのですが、少なくとも私が滞在した田舎町の中産階級の人たちはそうでした。そして、日本からの留学生はたいてい、私が滞在した州やそのお隣の州の田舎町の中産階級の家庭に配置されることになっていました。

ですから、「愚図で馬鹿で」とか「迷惑をかけるがよろしく」というノリで書かれた手紙を受け取ったら、びっくりするに違いないのでした。

そのまんま英文に直訳してしまうと、
「実の親ですらこんなにけなしているのだから、とんでもない子に違いない」
「何故、そんなとんでもない子を私たちのところへ送りつけるのか」
「もしかして、自分たちの手に負えなくなったから、他人に押し付けて厄介払いをしようってんじゃ.....」
と思われるかも。素直に訳したんではトラブルになってしまう。
そう思って、上司に相談したら、
「そこはビアンカちゃんがうまいこと訳しといてよ」
うんにゃー。ムズカしいー。

手紙に書いてないことを英文にするわけにいかないので、内容には忠実に、かつニュアンスはポジティブに。

乱暴 → 元気いっぱい  怠け者 → リラックスした ワガママ → 自分の意見がある 
落ち着きがない → アクティブ  etc.

「迷惑をおかけすることもあると思いますが」は訳しませんでした。「習慣の違いにより慣れないこともあるかもしれないが、良い経験をさせてもらえたら嬉しい」ぐらいにしておきました。

これが私の異文化橋渡し人としての初めての仕事です。

そうやって毎年、何十名もの高校生をアメリカに送り出すお手伝いをしたんですが、現地ではやっぱりトラブルもありました。ホストファミリーと合わないとか学校が合わないなどで現地のカウンセラーを通じて日本事務所に相談があったり、日本の保護者が苦情を言ってきたり。

こんなことがあったんですよ。ある親が、アメリカから送られてきた娘の手紙を読んで仰天。
「こんなとんでもないホストファミリーにこれ以上、娘を預けておくわけにはいきません!!すぐにファミリーを代えてくださいっ!」
怒り心頭で訴えてきました。一体何があったのかと思ったら、

「娘が自分に与えられた部屋の見取り図を手紙に添えて送ってきたんです。そうしたらなんと!娘は北枕で寝かされているじゃありませんかっ。すぐにベッドの向きを変えてもらうように娘に言ったんですが、聞き入れてもらえなかったって言うんですよ。北枕で寝かせるなんて信じられません。このままでは娘の身が心配です。不幸が起きないうちになんとかしてくださいっ!」

え.......北枕って........

そういうのアメリカ人に通じるわけないよー!!

スタッフも困っていました。この手のトラブルを解決するのは私の仕事ではないので傍観していましたが、枕の向きにこだわるこの母親をなだめるの、大変だったみたいですよ。

異文化ってムズカシイ。でも、異文化って面白い。このときそう思いました。

だからいまだにやっているんでしょうか、この仕事。
  1. 2005/12/06(火) 14:08:12|
  2. 異文化
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アドベント

日本式に早々とツリーを飾りました。今年は折り紙のオーナメントで飾り付けです。

クリスマスツリー


  1. 2005/12/03(土) 21:13:23|
  2. 日常
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