わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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髪は女の命

「絶対に切りたくない!ずっと伸ばす!」
そう娘は言っていたんですがね。週末に、なんとか説得して美容院へ連れて行きました。

ボサボサ頭が獅子のようで、前髪も目に入りそうなのがずっと気になっていました。ロングヘアにするにしても、たまにはカットしないと見苦しいですから。
「絶対に短くしないから。毛先を揃えるだけ」
何度も説明して、娘はやっとうんと言ってくれたのです。

「伸ばしているので、長さは変えずに毛先だけ揃えてください」と美容師さんにお願いし、娘は奥の椅子に案内されて行きました。私はソファーに腰掛け、目の前にあった「女性自身」を手にとって芸能人の写真を眺めながら待っていました。

ところが、しばらくして、スタッフの一人が私を呼びに来ました。
「あの、お嬢さんが、暑くて気分が悪いと言っているんですが.....」
え?と思って、様子を見に行くと、娘は私を見るなり椅子から飛び降りて抱きついて来ました。そして、私の手を引っ張って、出口の方へ行こうとするんです。
「どうしたの?暑いの?」
私を無視して、娘は強引に出口に向かいます。美容師さんが慌てて追いかけて来て、
「あのっ。髪が多くて重たいので、ちょっと薄くしたんです。長さは変えていないんですけど....」
「はあ、そうなんですか。あの、もう終わったんでしょうか」
「いえ、まだ片側しかやっていません」
しかし、娘は私の手を引っ張り続けます。
「まだ終わっていないんだってよ」
「もう帰る。暑い。気持ち悪い」
見ると目には涙が。しかたないので、「どうもすみません」と美容師さんに謝り、お金を払って外に出ました。

「ウッウッ。短くしないって言ったのに。こんなに切られちゃって」
「それが嫌だったの?」
「そう。だから暑いって言ったの。そうしないと止めてくれないと思って。シクシク」
はーん、そういうことなのね。確かに片側だけ薄くなっています。

娘はさめざめと泣きながら、薄くなった方の頭にしきりに手をやって歩いていましたが、飯盛川に架かった小さな橋の上でしゃがみ込んでしまいました。思いつめた顔で川を見下ろしている様子は、まるで恋に破れた乙女のよう......

髪の毛なんてすぐに伸びるだの、ボサボサ頭がすっきりして可愛くなっただの言ったところで、気休め言うなって感じでしょうから、余計なことは言わないでおきました。
「もう、絶対に絶対に、二度と切らないもん」
「うん、わかった。もう切らなくていいよ。無理に連れて行ってごめん」
「あああ~。もう結べなくなっちゃった~」
「ショックだよね~。わかる~」
相づちを打っているうちに、自分自身の似たような体験を思い出しました。中学生の頃、よく前髪を切られすぎて「明日、学校に行けない~」と困ったこと。頼んでもいないのに刈り上げにされて、ショックで口がきけなかったことも一度ありましたな。

思ったのと違う髪型にされた!!

確かに女にはツライのう。しかし、まだたったの6歳。足の裏は常に真っ黒、顔はたき火の煤で汚れ、洋服はシミだらけの野生児であるうちの娘なのに、乙女心はちゃんと芽生えているのですね~。不思議なものです。

左右アンバランスな髪型で、娘は保育園へ行っています。当分の間、髪の毛の話題はタブーです。

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  1. 2005/11/30(水) 14:33:05|
  2. 日常
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移住へのステップ2 家が見つかった!?

ゆうべ、夫がドイツから帰って来ました。

木曜日に子どもの学校を決めた後、ポツダムで住宅探しをしていましたが、見に行った物件の一つにどうやら一目惚れしたようです。

ポツダムから南に5kmほどのところに、カプートという小さな町があるそうです。アインシュタインの別荘があるので有名で、ヨットやカヌー、湖水浴のできる湖の畔にある集落です。

そのカプートの町に、夫は家を見つけて来ました。築20年の古い一戸建てですが、持ち主が愛情を注いで丁寧にリフォームしてきた家だそうで、そのしっかりとした造りや造園に夫はすっかり心を奪われてしまったよう。毎日、ドイツから電話をしてきて家の間取りや内装について説明してくれたのですが、電話じゃ、とてもわかりません。夫はすぐにでも契約書にサインしたいぐらいだったみたいですが、まずは両親に電話で相談したそう。

「息子よ。早まってはいけない!いいか、これからチェックポイントを言うから、メモしなさい。これを全部クリアしていなければダメ」

自分で家を建てた経験のある義父ですから、家作りの問題点に詳しいです。翌日、夫はチェックリストも持って再び物件を見に行き、地下室は湿っていないか、窓は結露していないかなど、あらゆる点をよ~くチェック。とりあえず問題なさそうだということになりました。それでも心配なので、大工の親方である従兄弟に電話して、プロの目で鑑定してもらえるよう依頼してきました。

夫がいたく気に入ったのは、立地条件や間取りもそうですが、庭に面した大きなサンルームがあることと、水は庭に掘った井戸から供給されること。もともと夫は、新築の住宅をそのまま使うより、古いものを好きなように手直しして使うことに興味があったので、「ここをこうして、あっちをああして」と考えだしたら嬉しくてたまらなくなったみたい。

家に着くなり、スーツケースからビデオカメラを取り出してパソコンに繋ぎ、撮って来た映像を見せてくれました。
「ねっねっ、いいでしょ。気に入ったでしょ?オッケーだよねっ?」
「うん、確かにいいね~」
「やったーっ」
と言うなり、受話器を取って、ドイツの不動産屋に電話してしまいました。
「妻もいいって言いましたから、交渉開始してください!」
そ、そんなに慌てなくても.... もっと慎重なタイプだと思っていたんですけどね。

でも、夫が惚れ込むだけあって、素敵なお家です。私が出した唯一の条件である「日当たりがいいこと」もバッチリです。息子の希望は「森のそば」と「暖炉がある」でしたが、これもクリア。ペットを飼いたいという娘の要望にも応えてやれそうです。

それから、すっごく嬉しいことに、庭には温室があります。日本の野菜を栽培するという計画が実現しそう。

なんだか、だんだん楽しみになってきました~。

交渉成立するといいな。

  1. 2005/11/29(火) 16:10:19|
  2. 日常
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チューツマの生活

留学生としてドイツに渡ってまもなく、やはり留学生だったある日本人から一本のカセットテープを貰いました。
「これ聞いてみてよ。笑っちゃうよ」

「土曜日はインマーマン」と題された歌が吹き込まれていました。ドイツに住む(あるいは住んでいた?)日本人バンドがデュッセルドルフ市に住む日本人駐在員たちの暮らしぶりを風刺して唄った曲です。

テープがどっか行っちゃったので、歌詞を正確におぼえていませんが、
「ベンツのカンパニーカ~♪ブランドの服に身を包み~ただの買い出しに~。ベンツの~扉が開き~、流れるのは日本語だけ。ここはどこの国?ここはインマーマンシュトラーセ~♪」
とか、そんな感じ。

日本人街とも呼ばれるインマーマンシュトラーセ。その通りにある日本食料品店に買い出しに行くのに、いちいちブランド物なんか着て気取っちゃって~。ドイツ語を勉強する気なんてさらさらないんでしょ。日本語だけで生活できるもんね~。いいよね、あんたたち駐在族は~、っていう、駐在員ではない日本人滞在者の彼らに対する憧れとやっかみと多少の軽蔑の入り交じった気持ちで書かれた曲だったのでしょうか。

その曲を聴いたとき、ふ~ん、そんな優雅な人たちがいるのかあと思いました。しかし、留学生だった私には彼らとの接点は全くなく、同じ地域に住みながらも、交流はなかった。

結婚し、フランクフルト近郊に引っ越したとき、近所に駐在員家族がたくさん住んでいました。同じ年頃の子どもがいたことからお近づきになれ、随分と親しくしてもらいました。よい人たちばかりで、別にブランド物を着込んでスーパーに行ったりしてませんでしたし(しても別に構いませんが)、「土曜日はインマーマン」のイメージとは違う、もっと気さくな人たちでした。

それでも、駐在員妻、略して「チューツマ」の生活と、現地人を夫に持つ日本女との生活には結構隔たりもあり、どっちかというと、同じようにドイツ人夫を持つ日本女性たちとのおつきあいの方がより気楽だったかな。たとえば、現地組の場合、日本への里帰り費用の捻出に頭を抱えたりしますが、駐在組は会社が一時帰国費用を出してくれるとか、いろいろと「羨まし~い」ことがありました。だから、「私もいつかチューツマしてみたいな~」と憧れていましたね。

ですから、夫が日本駐在を希望し、それが通ったときは、わおっ!と歓喜。いよいよ私もチューツマとなる日が来たのです。

夫の会社の日本ヘッドオフィスは東京のど真ん中にあります。会社側は、夫は当然そこに勤務を希望したのだと思ったそうです。しかし、夫は、
「ヘッドオフィスじゃなくて、埼玉の工場に行かせてください」
「へ?埼玉?」ちょっとびっくりされました。何故なら、ドイツ人駐在員というのは普通、ヘッドオフィスに勤務し、広尾とか田園調布の「外人ゲットー」にある家賃100万円くらいの高級マンションに住み、子どもはインターナショナルスクールに通い、買い物は紀伊国屋か麻布スーパー、日本語は話さず、ドイツ語ないしは英語のみで生活するもんなんだそう。ところが夫は、「都会は疲れるし、せっかく日本に行くんだから、ドイツ人ゲットーに住むより、日本人が普通に生活しているところで日本人とつきあいながら生活したい」と、埼玉行きを言い張りました。

会社にしてみれば、インターナショナルスクールの授業料を払わなくていいし、埼玉には外人専用マンションがないのでバカ高い家賃を払わされずに済むわけで、断る理由もなく、夫の要望は認められました。子どもたちに日本の生活を味合わせるという点でも、普通の日本の学校に入れるのがいいかなと思って、私も賛成しました。それに、ドイツ人ゲットーに住んでも私自身は日本人なので、ドイツ人チューツマ達から日本への不満なんかを聞かされても困ってしまうし.....

以来、普通の日本の町で、普通の日本人に囲まれ、私たちは幸せに生活しています。工場では夫は唯一の外国人なので、まあそれなりに苦労もありますが、他の駐在員と自分を比べる機会もないので、こんなものだろうと思って、それなりに楽しくやってきたようです。それに、子どもを通じて日本人の友達ができて、それが何より嬉しいようです。

だから、私、一応はチューツマなんですけど、全然チューツマらしくない毎日です。普段、チューツマを意識することもありません。

しかし、先日、歯医者の待合室に置いてあった「Very」という雑誌を手に取ってパラパラめくり、「ほ~う。きっとこういう生活なのね。本当のチューツマは」と思いました。白金台にあるレストランでランチをするマダムたちの写真なんかがたくさん載っていました。ドイツ人チューツマたちも白金ランチやっているんでしょうか。

やっぱり、私にはとてもついていけそうにもない世界だわ。ブランドバッグ買いまくりのバイトはしてましたが、自分が高級品を身につけているところは全然想像できません。

夫の滞在許可更新のため、広尾にあるドイツ大使館に行ったときにも同じような感じを持ちました。さすが広尾。パリからそのまま持って来たようなパン屋さんがあったりして、「なるほどここなら、ヨーロッパにいるのとほぼ同じ感覚で生活できるんだろうなあ~」と思いましたけど、妙に落ち着かなくて、用を済ませたらサッサと埼玉へ逃げ帰って来てしまいました。

人のことだと、「まあ、素敵ね~」と素直に思うけど、やっぱり自分には関係ない世界ですね。慣れないことはしなくてよかったかも。

チューツマになりきれなかったチューツマの生活も、もうすぐ終わりです。


  1. 2005/11/27(日) 00:51:15|
  2. 異文化
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心を育てるって

娘の保育園で神戸大学の広木克行教授をお招きして育児講演会を開催したので、講演を聞いて来ました。

でも、家探しのことで夫から国際電話が入ったもので、前半しか聞けなかったんですけど...

広木氏はとても優しそうな先生ですが、私にとってかなりグサリとくることをお話しされていたので、ちょっとご紹介します。今回のテーマは、昨今、後を絶たない少年事件を糸口に今の日本の社会が抱える問題を考え、思春期を見通して親は子どもとどう向き合ったらよいのか学ぶ、というものでした。

私がショックを受けたのは、こんなあたりです。広木先生が言うには、現在の日本の子育て環境は極めて深刻なものだけれど、私たちは状況の深刻さに気づくことができない状態なんだそうです。

「まるで下りのエスカレーターに乗っているかのようにどんどん落ちて行くのに、みんなそのエスカレーターに乗っているので、落ちて行っている実感がない」

日本のどこかで恐ろしい事件が起こるたび、「なんて怖い!」「信じられない」と震え上がるけれど、でも心のどこかで、「でも、あれはどこか遠くで起こった出来事。自分の日常には関係がない。うちの子は大丈夫」と思っている自分がいないか。そう問われて、ドキッとしました。

「みな、現実から目を背けているのです。あまりにも大変な状況なので直視できない。でも、それではどんどん落ちて行くだけです。どこか遠くで起こった子どもの事件は自分とは繋がっていないのだと考えてはいけません。何も考えずに子育てをしていくのはもう無理な世の中になっているのです」

ぞわっ。

広木氏は、幼児期から英会話を習わせたりする早期教育の風潮に警鐘を鳴らし、勉強ができるかできないかが基準となる「教育家族」から、子どもを含めた家族の一人一人が家事などの役割を分担し、一緒に家庭生活を作る「生活家族」へ、家庭のあり方を変えていくことを提唱していますが、今日はこのように言っていました。

「子育ての本質は何か。真剣に考えなければなりません。だって周りだってみんなこうしてるじゃない。みんなと同じにしていれば大丈夫、と安心してはいけません」

う~ん。流されてはいけないということですな。先生は下りのエスカレーターにたとえていましたが、私は川の中で流されないようにと足を踏ん張っている自分を思い浮かべました。

では具体的に?

「子育てのメインは、子どもの能力を育てることではありません。何よりも大切なのは、子どもの心を育てること。心が育てば、それにともなって様々な力がついてきます。心は、いろいろな関係を結び、いろいろな体験をすることで育ちます。早期教育で特定のことができるようになっても、心が育っていなければ何もならないのです」

子どもが起こす悲惨な事件の数々。健やかな心を育てるって、それほどまで難しくなっているのでしょうか。そういえば、息子が昨日、言っていました。
「お母さん、あのね~。今日下校のとき、ぼくの前に中学生の女の子が三人、歩いていたんだよね。その中の一人が突然、『うぜえ。ぶっ殺してやる』ってもう一人に言ったんだよ。びっくりしたー。中学生になってもそんなこと言うんだね~」

中学生になっても、って?

「小学校では言ってる人いっぱいいるけど、中学生にもなったらおとなだから、もう言わないんだと思ってた~」だそうです。
そんな台詞を日常的に聞いて暮らしているのかと思うと、暗澹たる気持ちになりますよ。そんな殺伐とした.....

しかし、人事だと思ってちゃ、いけないんですね。

子どもを守り抜かなくては。守るって、どこに行くにも送り迎えして、変質者にさらわれないように見張るってことじゃなくて、(いや実は、暗くなっても遊びから帰ってこないと、もしかして誘拐?と心臓が止まりそうになるのですが)それよりも子どもの心を守らなくちゃ。生きていればそりゃまあ、いろんなことがありますが、たとえ傷ついても、また立ち直れる健康な心。

それには、自分自身の心が健康でなければなりませんよね。



またまた反省の午後でした。


  1. 2005/11/26(土) 19:36:03|
  2. 日常
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移住へのステップ1 学校選び

水曜の朝、夫がベルリンへ発ちました。来年の赴任に向けて、労働条件の交渉のためです。

そして、その足で子ども達の学校探し+家探しもして来ます。日程はたったの3日間!

そんな無茶な!って話なんですが、来週の頭に東京オフィスで大事な会議があるので、それまでに帰ってこなくちゃならないんだそうです。ですから、木金土の三日間で用事を済ませて、日曜日にドイツを発ち、月曜日には帰って来ます。

仕事の条件交渉とか、学校選び、家探しって、どれも人生において結構重要なことだと思うのに、そんなにパパッと決められるものか。というより、そんなにパパッと決めていいものでしょうか?しかし、ドイツと日本の距離を考えると、あまり何度も足を運ぶことはできませんから、しかたないです~。

というわけで、この数週間は連夜、夫婦で情報収集&作戦会議。

夫の職場はベルリンのソニーセンター内。街のど真ん中です。でも、夫も私も田舎っぺなので、できれば町中には住みたくありません。それに、大都市では、地域によっては治安やドラッグの問題などもあって、子ども達が心配。学校にしても、ベルリン市内では特定の学校に人気が集中して、それらの学校は受け入れキャンセル待ち状態だとか。学校がキャンセル待ちって.....よく理解できないのですが、学校選びが簡単でないことだけはわかりました。

さあ、どうするどうする?すっかり焦ってしまいました。でも、今はネットがあるからいいですね。不動産屋と学校のHPを閲覧し(ついでに保護者の掲示板に「不満」が書かれていないかを細かくチェック)、Google Earthで上空から周囲の環境を偵察し(緑豊かな環境かどうか等)、地図およびバスや電車の路線図+時刻表を検索してプリントアウトする。埼玉にいても、ここまではできます。便利な世の中になったものですね。

そして狙いを定めたのは、ベルリンの隣町、ポツダム市にある学校。ポツダム市は「ポツダム宣言」とか「サンスーシ宮殿」で有名ですが、周りを湖に囲まれた環境の良さそうな町。そこに、良さそうな小~高校までの一貫校が見つかりました。早速、夫が電話して問い合わせ、面接のアポイントを取りつけました。しかし、人気校だけあって、かなりの倍率だそう.......

現地に住んでいないので、あれこれ時間をかけて検討するわけにはいかず、「これだ!」と思ったところに押しまくり、何が何でも入れてもらわなければなりません。
「HPを拝見して気に入ったので、入れてください」では弱い。そんな人はごまんといるでしょう。ここはひとつ、子どもたちを売り込まねば。

う~む。必死で考えます。その学校に子ども達を通わせることは自分たちにとってメリットがある、ではなくて、その逆をアピールすることにしました。つまり、
「うちの子ども達を受け入れることで、あなたたち学校側にメリットがある!」
って、強気に出る作戦です。

「うちの子ども達は日本語ペラペラ。日本の日常文化に造詣深く、日本の伝統文化であるORIGAMIの技術も習得しています。彼らが転入することにより、ポツダム○○学園には新しい風が吹き込み、学徒達の視野は広がることでしょう。また、素晴らしいORIGAMI文化が導入されるでしょう!」

いや、これって明らかな誇大広告です。だって、日本に住んでいる日本の子どもなんだから、日本語が喋られて、日常文化を知っていて当たり前。それに、日本人の子どもであれば、誰だって折り紙の一つや二つ折ったことありますよね?つまり、どこにでもいる普通の子ども。

しかし、物は言いよう。

落ち着きがない、言うことを聞かない、うるさい、だらしないなどの特徴は、もちろん伏せておきます。

あ~、お願い。なんとかうまく行って。夫君、面接でヘマやるなよ~。

と祈りに近い気持ちで、今朝、メールを開けました。

Alles klar! (成功!)

ふぇ~。ほっとしたぁ~。第一関門クリアです。

今日は不動産巡りだそうです。さて、こちらはどうなることやら........
  1. 2005/11/25(金) 10:24:34|
  2. 日常
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異国でアルバイト その4 ブランドマダム

ここのところ、日常生活、かなりドタバタしてます。そこでちょっと気分転換に、また昔話を。

ドイツでの長い長い窮乏時代に戻ります。

本を出してから、新刊の間は講演や朗読会、ラジオ出演依頼なんていうのもチラホラ来ました。ま、数えるほどの本数でしかありませんでしたが、拘束時間が短い割に高額ギャラがもらえて思わぬ臨時収入に。しかし、それも1年くらいの間だけ。その後はパッタリと来なくなります。そして再び厳しい現実に逆戻りです。

はぁ~っ。今度は何で儲けようかねえ。そのとき夫は博士課程の学生で、給料は10万円弱くらいでした。少なくともあと2年間は知恵を絞って乗り切らねばなりません。おいしい話がどこかに転がっていないものか。

すると.... 転がってました!

日本人留学生仲間の一人が日本に帰ることになり、それまでやっていたアルバイトを引き継ぐ人をちょうど探していたんです。その仕事というのは、大きな声ではあまり言えませんが、並行輸入の買い付け。ブランドグッズをドイツのブランドショップで安く買い、航空便で日本に送る、それだけです。

日本のある地方都市のお店に並べるためのもので、買い付けた物の定価の7%をコミッションとして受け取るというのです。
「それって、もしかして....ヤバイ仕事じゃないよね?」小心者の私は、なんとなくビビってしまったのですが。
「う~ん。まあ、ブランド側からすれば好ましくないよね。でも、日本のその会社は信用のおける会社で、社員はみんないい人たちだし、今まで一度も嫌な思いしたことないから、自信を持って紹介できるよ」と友達に言われ、引き継ぐことになりました。

「え~っ。なにそれぇ!スッゴイおいしいじゃん。やったね!!」夫は大喜び。

ドイツ国内に儲けた銀行口座の現金と、私名義で会社に作って貰ったクレジットカードを併用して買い物をします。買うのは主に、シャネル、ヴィトン、フェラガモ、プラダ、DKNY。たまに、エルメスのバッグを買うこともあります。エルメスのバッグって、うん十万円しますから、一個買うとコミッションは...... うふ。とっても幸せ?

それにっ。私も一応女ですから、ブランドには興味がないとはいえ、ファッショングッズを金に糸目をつけずに買うのって、快感ですっ!!しかも、何を買うかは私の裁量に委ねられているんです。

楽しく、拘束時間が短く、お金になる仕事。

し、しかし......月に一度、ドイツの某ファッション都市のブランド街に出没する私は、あまりに怪しいのでした。だって、毎月毎月現れて、バンバン買っているくせに、自分ではブランド物を何も持っていないのですよ。VISAのゴールドカードを取り出すお財布は、薄汚れたイチキュッパ。バッグだって、「そういうの昔、日本でありましたよね」っていう代物。服も靴も......

でも私自身はまだよかった。少しでも「怪し度」を下げるために、さりげなく振る舞ってました。100万円くらいの買い物をするときも、バッグを一つ選んだら、それに合う靴、キーホルダー、お財布、帽子などをトータルコーディネートで購入し、「自分のためよ」ということを強調。それでも充分、怪しかったはずですが、夫はもっとひどい。

そう、夫にも買い物を手伝わせたんです。同じ人物がいつも来るのでは目立つので、夫に現金を渡して買いに行ってもらいました。

でもね~。何も考えてませんから、彼は。格好のみすぼらしさは私と変わりませんが、買い方がすごいんです。店に入るなり、ツカツカと陳列棚に直行し、
「この棚のバッグ全部!」とかやっちゃう。ありえません。
「ちょっとー。それまずいよ。絶対変に思われるよ」と注意しても、
「思われてもいいもん」

二人して、両肩にブランドショップの紙袋をかけ、裏道に停めてある車に積み込むのですが、その車がまたすっごいボロボロ。

人目が気になって、妙にキョロキョロしてしまって.....
あるとき、「もしや、ビアンカでは!?」と大声で呼び止められ、ぎょっとして振り向くと、高校時代の同級生が立っていたのには仰天。
「いや~。こんなところで会うとはびっくりだね。一体、何してるの、ドイツで?僕は指揮者として留学に来たんだよ。覚えてるよね。高校の合唱祭で僕が指揮やったこと。いや、まったく懐かしいな~」
懐かしいのはこちらもですが、こんな姿で再会したくなかったかも~っ。

2年後、夫が就職し、この怪しいブランドマダムの仕事から足を洗いました。正直、ほっとしました。顔を上げて歩けない仕事は長く続けられませんね。

でも、2年間、買いまくったお陰で、物欲とは無縁の人間になりました。ブランド物っていうのは買えないうちが花なのだなと思った。いくらでも買えたら、面白くも有り難くもないんですね。もっとも私の場合、買っただけで所有はしていませんでしたが。

すでに一生分の買い物をしたかのような(いや、それ以上だな)錯覚とともに生きている私です。

  1. 2005/11/21(月) 21:09:28|
  2. ドイツ
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失敗は成功のもと!

「失敗は成功のもとっ!」
よく、小さな子ども達が言っています。

そういえば、私も子どもの頃にはよくそう言っていましたね。でも、最近は言いません。なんででしょ。

そんなことをふと思い、以前panicsさんがブログで紹介されていた「失敗学のすすめ」という本を手に取ってみました。プロローグはこんな感じです。(抜粋)

人は失敗から学び、さらに考えを深めて行きます。(中略)失敗はとかくマイナスにみられがちですが、じつは新たな創造の種となる貴重な体験なのです。
 いまの日本の教育現場を見てみますと、残念なことに「失敗は成功のもと」「失敗は成功の母」という考え方が、ほとんど取り入れていないことに気づきます。それどころか、重視されているのは、決められた設問への解を最短で出す方法、「こうすればうまくいく」「失敗しない」ことを学ぶ方法ばかりです。(中略)
 創造力を身につける上でまず第一に必要なのは、決められた課題に解を出すことではなく、自分で課題を設定する能力です。あたえられた課題の答えのみを最短のみちのりで出していく、いまの日本人が慣れ親しんでいる学習法では、少なくともいまの時代に求められている真の創造力を身につけることはできません



ごく当たり前のことという気もしますが、改めて言われるとちょっと考えてみたくなります。そういえば、今の世の中、ハウツー本が多いですね。「初めてでも失敗しない~作り」「成功する~法」というタイトルの本、すごーく多いですね。

 「こうすればうまくいく」といういわば陽の世界の知識伝達によって新たにつくりだせるものは、結局はマネでしかありません。ところが、「こうやるとまずくなる」という陰の世界の知識伝達によって、まずくなる必然性を知って企画することは、人と同じ失敗をする時間と手間を省き、前の人よりも一ランク上の創造の次元から企画をスタートさせることができます



つまり、失敗することは自分自身の創造力を高めるチャンスであるばかりでなく、失敗談を公表することで人の為にもなるということですね。これも当たり前のようでいて、なかなかできません。でも今後は、失敗しても転機の訪れだとポジティブに考えるように心がけようかな。

しかし、世の中がどんどん複雑化して、時間に追われて生活していると、一つ一つのことにじっくりと時間をかけていられないから、手っ取り早く目的を達成する方法をつい考えてしまうんでしょうね。子どもの頃は時間が無限にある気がして、合理性など追求しませんでしたけど。

今の自分の生活において、本当に試行錯誤しながらやっていることって育児くらいでしょうか。そういえば、私の子育て奮闘を観察していた母が、あるときこんなことを言いました。

「私がもし今、もう一度子育てをするとしたら、今度こそうまくやれそうな気がするな~」

そ、それって.....私たち姉弟は失敗作でしたってことなのかい。なんだか、笑うに笑えませんでしたが。私も子育てに自信が持てるようになるのは、孫を持つ頃なんでしょうか。それもなんだかね~。

ま、それはおいといて、この本の著者は面白い提案をしていました。
「失敗博物館」を作ってはどうか。
失敗を公共のものとして、みんなで有効利用する。いいかもしれません。

当ブログに晒している私の数々の失敗談も、どなたかのお役に立てばいいんですがね.....
  1. 2005/11/17(木) 13:05:11|
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三年間の成果 ピアノ

実は、ピアノを習っています。三年前からです。

ず~っと昔から、ピアノに憧れていました。でも、ピアノって高いですから、自分のために購入したいなんて夫にはとても言えず、夢は夢のまま。学校の音楽の時間に鍵盤ハーモニカやオルガンを弾くのはわりあい上手な方でしたが、家系的に音楽の才能はまったくありません。臨界期をとうに過ぎていることは言うに及ばず、青年期すら過ぎ去っていますから、ピアノを習いたいだなんて、呆れられるに決まっていました。

ですから、息子がピアノを習うと言い出したとき、内心「やった!」と思ったんです。子どものためという大義名分があれば、ピアノが買えますもの。

そして、中古のピアノを購入しました。年代物のYAMAHAです。古さでは、私とどっこいどっこい。息子がレッスンを受けるようになってしばらくして、思い切って先生に切り出してみました。
「先生。実は、私も習いたいんです」
「エッ。ママもですか?」
「はい、お願いします」
「そ、そーですか... わかりました(^^;)」
ということで、私もレッスンを受けることになりましたが、先生が言うには、
「大人の方は基礎からみっちりというのでは辛いかもしれませんね~。どうでしょう。クラシックではなくポピュラーピアノということで、簡単な曲を弾きながら少しづつテクニックを覚えていくのでは?」
早い話が、いまさら初めてもどのみち多くは期待できないのだから、せいぜい楽しめば?ということですね。素直に、助言を受け入れることにしました。

楽器というのは、毎日コツコツやることが肝心なんですよね?そう思って、あれから三年、一応毎日かかさず鍵盤には触れているんですが........ うまくならないんですよね。いくら才能がなくたって、地道に続ければそこそこ上達するものだとタカをくくっていたが。なんだかいつまで経っても「弾けるようになってきた」という実感がありません。

もちろん、一日何時間も必死で練習すれば、ある程度の成果は上がるんでしょうが、そんな時間はありませんし、練習タイムはいつも子どもが寝た後ですから、その時間には自分も疲れて眠くて、さっぱり練習に身が入りません。一回か二回、ちょろっと弾いてハイおしまい、という日が多い。

そもそも明確な目標があるわけではなく、単なる気晴らしなのですから、自分が楽しければそれでいいのです。好きで始めたことなので、全然苦ではありませんし。しかし、それにしても.....

ピアノって、練習すればどんどんレパートリーが増えるのかと思っていたけど、新しい曲を始めると前の曲はあっさり忘れるので、常にレパートリーは一曲のみ。その一曲さえも、自分で納得のいく程度に弾けるようになる前にその曲に飽きてしまうので、結局、適当なところでお茶を濁してしまうんですよね~。

コツコツというよりも、むしろダラダラと練習を続ける毎日。楽しけりゃいいっていっても、何も弾けるようにならないんじゃ、あまりに無意味?と定期的に自問しつつ。

そしてポピュラーピアノの教本二冊がなんとな~く終わった頃、先生が仰いました。
「たまには、クラシックの曲に挑戦してみませんか?』
「はあ。クラシックですか」
「ビアンカさんならショパンなんかイメージにぴったり。これなんかいかがです?」
そう言って見せられたのは、ノクターンの2番。しかも、原曲です。楽譜を見ただけで真っ青。
「むっ、無理ですぅ!!」
「まあ、そう言わずに頑張ってみましょう」

まず、譜読みをするだけで一ヶ月かかりました。よく知っている曲だというのに、情けない。そして、毎日、毎日、ノクターン。おっそろしいスローペースでじりじりと。へたくそな演奏を延々と聞かされ、家族も発狂寸前という頃、ようやく完成しました。なんと五ヶ月もかかったんですよ。

先生いわく、
「いや~。ハッキリ言って、ここまで弾けるようになると思いませんでしたよ。楽譜をお渡ししたとき」

ここまで弾ける=上手に弾ける、って意味じゃないですよ。それなりにかたちになってよかったね、ということです、むろん。

でも、弾けるようになってよかったです。なんたって三年も習い続けたんですから、ちょっとはその実感がないと虚しいですもの。なにがしかの成果はあったということに、無理矢理してしまいましょう。

と、喜んでいたのもつかの間。本日、先生に言い渡されました。

「じゃ、今度はベートーベン、いってみましょう!」

ひえ~っ。
  1. 2005/11/14(月) 21:05:51|
  2. 日常
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突然、帰国モードに

今、我が家は大混乱の最中にあります。私のPCが壊れたのにも困っているんですが、もっと大きな変化があったのもので。

突然の帰国命令。

来年の夏までは日本にいる予定でしたが、夫にいきなり「来年の一月よりベルリン勤務」の話があり、大慌てです。

今、11月ですから、そんな急に言われても~。と、焦っています。なんとか転勤の時期を遅らせてもらえるよう、交渉はしていますが、それほど大幅には延期してくれそうにありません。しかし、もといた場所に帰るわけではないので、まず家探しからしなくては。子どもたちの学校も早急に決めなくちゃ。

はあ~。

3年半前に日本へやってくるとき、毎日ネットで埼玉の不動産をチェックしていたことを思い出します。娘の保育園だって、ドイツにいながらネットで検索して決めたんです。今、その逆を必死になってやっているところ。

でもねえ。1月だなんて、あまりに急すぎるし、子どもたちの学校も保育園も中途半端になるし。。。しかたないから、夫だけ当分の間、単身赴任してもらうことになりそうです。家族で移住の目標は4月。

数日前に、のんきに野菜の移住について書きましたが、野菜よりもまずは自分たちの移住問題をクリアにしなければ。ドイツでの新しい生活のことを考えだすと、日本での今の生活に身が入らず、いろいろヘマをしてしまうし、日常生活モードでいると、帰国のことを考える余裕がなく、困ったよ~。脳みそを半分に分けて、同時に二つのモードで使いたい気分です。

来週早々に、夫はベルリン本社の下見および学校視察に行ってきます。いったん帰って来て、今度は私も一緒に家探しに行かないと。もちろん、子どもたちもゾロゾロ連れて~。

気が重い......

国際転勤族の宿命だから、しかたないんですけどね~。
  1. 2005/11/13(日) 21:04:09|
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野菜の移住計画

『今年も、大きなカボチャがたくさん採れましたよ』

夫の母から手紙が来ました。ホクホクのカボチャ。西洋カボチャではありません。

夫の両親は、もともとカボチャが嫌いでした。日本に遊びに来たときに、北海道の母が送ってくれたカボチャを煮付けて出したのですが、断っては私に悪いと思ったのか、しかたなそうに箸をつけました。でも、一口食べて、
「おいしい!こんなおいしいカボチャは初めて食べたわ」
「ドイツのカボチャと全然違うね!」
二人とも、北海道のカボチャの味に感動したようです。

「種、捨ててなければ頂戴。ドイツに持って帰るわ」
そう言って、種を乾かし、スーツケースに入れて持ち帰りました。ドイツの畑に蒔いた北海道カボチャの種は、ちゃ~んと立派に育ち、以来、彼らは毎年、カボチャの煮物を食べているのです。

『あなたたちがドイツへ帰って来たら、北海道のお母さんの代わりに、今度は私がカボチャを送ってあげるからね』
手紙にはそう書かれていました。分家したカボチャが彼らの畑で繁栄している様が目に浮かびます。ドイツへ帰ってもおいしいカボチャが食べられるのは、嬉しいです。

カボチャに限らず、ドイツでも食べたい日本の野菜がいろいろあります。種を持って来れば育ててあげるよ、と義母は言っているんです。彼女は、いわゆる「みどりの指」の持ち主で、植物を枯らしたことがありません。

さあて、何の種を持って行こうかな~。

実は、畑は私もやってみたいのです。今まで、ハーブとかトマトとか、放っておけば育つものしか栽培したことがありませんが、売っていないものを食べようと思えば、育てるしかない。

夫がリストのトップに上げる野菜は、ゴボウ。
「ゴボウは絶対に必要。キンピラが食べられないのは耐えられない」と言っております。私が必要なのは、シソ。これは多分、難しくないですね。あとは大根。ドイツにもあるのですが、すが入ってスカスカのものばかり。どうしてでしょうか?

キュウリ。ドイツの大きなキュウリもいいですが、たまには小さくてシャリシャリしたのが食べたくなりそうです。だけど、どこかで読んだのですが、「日本のキュウリの種をヨーロッパに持って行って蒔いても、日本のキュウリが採れるのは最初の一年だけ。翌年からは、ドイツのお化けキュウリに変身してしまう。何故ならば、土の養分が違うから」って本当なのでしょうか?

それから、サツマイモ。寒い土地じゃ、やっぱり無理なのかな~?それとも土や水の問題?

枝豆もいいですね~。

と、希望は際限ないのですが、なにしろ園芸の知識がゼロですから・・・

野菜のヨーロッパ移住を成功させる秘訣をご存知の方がいらっしゃいましたら、どうかアドバイスくださいませ。よろしくお願いします。
  1. 2005/11/09(水) 16:45:08|
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警察に捕まった

昨日、娘の保育園の友達がうちに泊まりに来たいと言いました。それで、一緒に連れて帰って来ました。

ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、もう少し遊んだら寝ようね~と話していたら、玄関のドアがすごい勢いで開いて、夫がバタバタと入ってきました。

「あれっ?パパ、もう帰ってきた」
「今日は早いね」
子ども達と顔を見合わせて、そう言い合いました。
「やったー。パパが帰って来たから、今日はアブブをしてもらえる!ねえ、花。うちのパパはね、寝るときにベッドでアブブをしてくれるんだよ。花もしてもらえるよ」
娘は友達に言いました。アブブ、というのは、ベッドの上に子どもを放り投げたり、飛行機ブンブンしたり、くすぐったりして遊ぶことです。何故かうちでは、それをアブブと呼んでいます。

「パパー!」
子ども達は喜んで夫のところへ走って行きましたが、どういうわけか、夫は殺気だっています。
「今はダメ。今はダメッ!」
ただいまも言わずに書斎に駆け込んで、ガサゴソと何かを探し出した。
「どうしたの~?」
「大変なことになったんだよ。免許証が・・・免許証が・・・」
「免許証がどうした?」
「ポリツァイが家の前に来てるんだよ」
「ポリツァイ!?」
慌てて窓から外を見ると、そこにはパトカーが停まっているではないかあ。

夫はふたたび、外へ飛び出しました。私も後に続きます。
夫「メンキョショハ、アリマセ~ン。ワタシハ、ドイツヘシュッチョウニイキマシタ。レンタカーヲカリテ、ソノトキニー、メンキョショーハァ、エートエート・・・・」
お巡りさん「出張がどうしたんですかっ。免許証、いつも持っていないんですかっ。いつ日本に来たの?本籍は?ガイジン登録はっ?」

どうやらこういうことらしい。会社から家に帰る途中、夫はUターン禁止のところでUターンして、パトカーに停められ、免許証提示を求められた。ところが、いつも免許証を入れてある財布の中に、あるはずの免許証がない。家に忘れたのかも知れないと言ったら、お巡りさんは家まで一緒に来た。しかし、家にも見つからない。
「きっと、落としたんだ。こないだドイツ出張のとき、レンタカー借りて・・・あのときかな」
慌てふためいています。私も、子ども達三人、家の中に置いているので気が気でない。二言、三言は夫を庇うコメントをしたものの、状況判断が遅い性質なので、機転が利かずに困ってしまいます。

そのうち、息子が窓から顔を出して、
「パパ!どうしたのー?お巡りさんに捕まったの?牢屋に行くのー?」
と大声で。
パトカーが家の前に停まっているだけでも近所の手前、マズイのに、そんなことを叫ばれると困るっ。
「バカっ。中に入っていなさいっ。大丈夫だから、静かにしなさいっ!」と、ドイツ語でまくし立てて、中に追いやります。

夫は連行されて行きました。

すると、そのうち、娘の友達が泣き出した。
「やっぱり、おうちに帰るぅ~。エーン」
そ、そんなこと言われても~。今は「取り込み中」ってやつだよ、花ちゃん。

なだめてもすかしても、なかなか機嫌が直らず、泣き止まないのでどうしたものかと思案していたら、案外あっさりと夫は戻ってきました。
「よかった。罰金取られただけだった」
ホッとして、花を家まで送って行きました。でも、家に戻ってから、
「ちょっとー。どういうことなのっ。警察に捕まるなんて。だからいつも言っているでしょ。交通ルールは守りなさいって」とガミガミ。忙しいのに、遠い場所にある免許証再発行の手続きに付き添っていかなければならないかと思うと、ウンザリしたのです。
「なんだよー。人が困ってるのに、その言い方はないだろ~」
険悪ムードに。いつの間にか、違反や免許証の話が、全然関係ない家事の話にまで発展して、わけのわからない議論で一日が終わりました。

今朝、起きると、息子が調子悪そうな顔をしています。
「お母さん。ぼく、熱があるから学校休む」
「えー!」
そこへ夫が起きてきて、
「今日、免許書センターへ行くよね?」
「無理だよ。大介、具合悪いんだよ~。明日にして」
「明日は会議なんだよー」
「そんなこと言われても、私にも都合があるから」

夫はブツブツ文句を言いながら、出かけていきました。電車で行くのも面倒だし、日本語で書類に記入するのも一人ではできないしで、困っていたみたいです。

試練じゃ。わたしゃ知らん。

とまでは言わなかったけど、「頑張ってね~」の一言で送り出してしまいましたっ。

数時間後、「結局、一人で行って、再発行してもらえた」と連絡があり、安堵のため息。

夕方、保育園へ娘を迎えに行くと、花のお母さんが、
「ゆうべはごめんね~。大変だったんだってね。お父さん、警察に捕まったんだって!?
うちではあんなに泣いていた花なのに、家に帰ったらケロッとして家族に一部始終を語ったらしい・・・

あ~ん。なんて恥さらしな我が家族。

ところが!さらに嫌になっちゃうオチが・・・

今晩、夫は嫌にヘラヘラして帰ってきました。
「聞いてよ~。もう笑っちゃうよ」
そう言って、財布の中身のカード類をテーブルの上に出しました。クレジットカードやポイントカードに混じって、真新しい運転免許証。
「これでしょ。今日、発行してもらったのは」
「そう。でも、もっとよーく見て」
一枚一枚、ひっくり返して見たけど、別に変わったものはありません。
「ねっ、わかんないでしょ。でもホラ」
そう言って、紙製の一枚のカードの裏面を指で擦ると、パラリともう一枚のカードが外れて落ちた。

それは、古い免許証

つまり、免許証さんは、ちゃーんとお財布に入っていたのです。別のカードに貼りついてしまって、見落としてただけ。

はああ~?

なんということでしょう。「免許証不携帯」の罰金を払い、近所に恥を曝し、保育園で犯罪人だと噂になり、無意味な議論で貴重な時間を潰し、会社を遅刻して警察に紛失の届出に行き、免許証の再発行までした。それが全部、無駄だったとは。

なんというか・・・・

退屈しなくていいです









  1. 2005/11/08(火) 22:48:25|
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異国でアルバイト その3 仕事を生み出す

ドイツでのアルバイト話、まだまだあります。

いろいろやりましたが、経験を重ねるごとにだんだん賢くなってきました。自分の分だけではなく、在学中に結婚した夫が実験理科系でバイトの時間が皆無でしたので、なおさらのこと「手っ取り早く稼ぐ!」がモットーとなっていきました。

翻訳の仕事も内容が簡単であれば、時給に換算して結構いいお金になりましたが、注文がない限りはもちろん一銭にもなりません。仕事がなければ生きていけませんから、どうにか自分で仕事を作るしかないです。では、元手を全くかけずに、仕事を作るにはどうしたらよいか。そして、できるだけ短時間で儲けるにはどうしたらよいのか。

うんうん唸って考えたけど、そう簡単には思いつきませんね。でも、あるときグッド・アイディアが!

書くのが趣味の私は、このブログを始める前にも何かしら書いていました。嬉しいとき、悲しいとき、怒ったとき。自分の気持ちや考えを文にまとめて書き出すのが好きです。書くとスッキリするので、書いたものは捨ててしまいます。何の未練もありません。でも、これって

もしかして、捨てる前に有効利用できるかも・・・・?

そう思いました。その頃、私はドイツ語の練習も兼ねてドイツ語で書いていました。内容は、このブログに書いているような日常のつまらぬことです。ある日本人から見たドイツといいますか、そんなものが大半。でも、あるときドイツ人の友人達に見せたら、
「ぎゃはは~。面白い。日本人って変なこと考えるね。あんた、これ本にしたら?」
そんなコメントをもらいました。もちろん、本気で言ったのではないと思いますけど。しかし、そのときの私は本気にしてしまったんですね。

早速、論文出版の経験のある友達に頼んで、ドイツにある出版社の住所をリストアップしてもらいました。そして、家に帰って、意気込んで夫に宣言。
「本出すから、出版社に手紙書くの手伝って!」
「はぁ~?」
「いつも書いてるの、出版してもらうから、出版社探すんだ」

「ちょちょっと、待ってよ。本出すって、あんた何考えてんの?そんなに簡単なことじゃないよ。文才あるネイティヴのドイツ人でだって、なかなか本なんて出せないんだよ。あんたの文法間違いだらけの作文が出版なんてされるわけないでしょー」
「どーしてそんなことがわかる?やってみなきゃわかんないよ。そんなこと言ってないで、文法とスペルの間違ってるところ、直してくれない?」
「えええー!!!

夫は絶句しておりました。コイツ、信じられないって顔して。でも、しぶしぶ手伝ってくれたんですね。原稿の校正をし、出版社に手紙を書いてくれました。
「全部の出版社に原稿を送るんじゃ、コピー代と郵送代がかかっちゃうから、まずは手紙で内容を知らせて、読みたいっていう出版社にだけ原稿を送ろう」と私。
「手紙一枚で釣れるもんかなァ~」と夫。

『いまや世界はますますグローバル化し、社会はマルチカルチャーへの道を辿りつつあります。ドイツとて例外ではありません。異民族が平和に共存するためには・・・・なんちゃらかんちゃら・・・・異なる視点の重要性が・・・あーだこーだ・・・・ですから、私はこれを書いたのです。関心があったら連絡してね。原稿送ってあげるからね』

というような手紙(もうちょっとマシな文面ですが)を、全部で30社くらいに送ったでしょうか。どんな返事がくることやらとドキドキして待っていましたが、最初の一ヶ月くらいは、どこからも何の音沙汰もありませんでした。そして、ボツボツと返事の手紙が郵便受けに発見されるようになりましたが、ことごとく断りの手紙。
「そういう原稿には興味ありませ~ん」って。
やっぱりね~。ま、ダメもとでやったことだから・・・

しかし、その後さらに数週間して、「原稿送ってください」っていう出版社が、なんと七社も現われたんですよ。原稿をコピーして、喜び勇んで郵便局へ持って行きました。それからまたしばらく、何の音沙汰もなし。3ヶ月くらいは経過したと思います。そして、三社から原稿が送り返されてきました。「うちのプログラムに合いません」。つまり、面白くないよってことですね。

それから、また長い長い時間が経過して、もう自分でも原稿のことを忘れかかった頃、電話がかかってきました。
「こちらXX出版です。あなたの原稿、出版したいと思っているんですが」
時間差がありましたが、残る四社、全部です。

きゃ~っやった、やった!

舞い上がりました~。でも、正式に決定するまでは油断なりません。ぬか喜びに終わりたくないですから。

最終的に、話のあった四社のうちの一社から郵便で契約書が送られて来たときには感無量でした。いや~、やってみるもんだなって。

あっ。本が出せるだけで喜んでちゃいけないのでした。お金にならなければ・・・目を皿にして契約書を読みました。どういう条件で出版してくれるのか。発行部数はわずか三千部。ペーパーバック。たいしたことないです。当然のことですが。そして気になる原稿料は・・・・・・・7000マルク。(当時のレートで70万円くらい)

ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい!!

涙を流して喜んでいるところに、夫が帰ってきました。事情を聞いて、夫も一緒に、

ばんざーい!!

7000マルクの稿料って、多分最低ランクだったのでしょうね。しかも、この本、一応完売はしましたが、そのまま絶版になっています。要するに、ただそれだけのことでした。

でも、何もないところからそれだけのお金を生み出せたっていうのは、私にとっては感動的でした。ひじょーに嬉しかったです。切羽詰ると、なんとかしようとするもんなんですね。

どってことない私の人生において、子どもを産んだときの次に感動したかも・・・
  1. 2005/11/05(土) 22:50:26|
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異国でアルバイト その2 女優

またまたドイツでの苦学生時代の話です。

基本的には翻訳の仕事で生計を立てていましたが、お金になる単発バイトの話があれば、たいてい乗りました。あるとき、デュッセルドルフ日本人クラブからお誘いがあったのはこんな仕事。

「映画のエキストラやりませんか」

アジア人女性のエキストラが必要だという話です。予定されていた人が急に病気になったそうで、ピンチヒッターとして翌日スタジオへ行けですって。

「簡単なお仕事のようですよ。報酬は2~3時間で500マルクだそうです」
500マルク。それは、とっても美味しいかも。喜んでお受けします。

スーツか何かを着て来いと言われ、たいした衣装持っていなかったけれど、一番マシなのを着ていきました。指定されたスタジオに入ると、「じゃ、ヘアメークを最初にやりますから」と言われたので、おとなしく椅子に座ります。事務所の一室で、鏡台なんてありません。メークさんに髪の毛にホットカーラーを巻かれ、顔にいろいろ塗られるまま、じっと座っていました。

「さあ、できました。撮影の前にお手洗いへ行くならどうぞ」
トイレへ行って鏡を覗き込みます。どんなふうに変身したのかしら。プロのメークなんて、結婚式以来だわ~。

しかし、鏡に映った自分と対面した瞬間、
「嘘っ!」
と、心の中で叫びました。信じたくありませんでした。だって・・・そこには、45歳くらいの私がいたんですもの。(当時28歳)

大きなウェーブのオバサン風ヘアに、グレーのアイシャドー。地味~な色の口紅。いくらなんでも、これはないんじゃない?って憮然。エキストラだからって、もうちょっと見栄えのするメークにしてくれてもいいじゃないのっ!と、プリプリ怒ってスタジオに戻り、メークさんになんとかしてって訴えると、「だって、中年のキャリアウーマンの役なんですよ~」だって。

仕方ありません。諦めて撮影を待つことにしました。が、そこへやってきたスタッフに、
「メーク終わった?じゃ、これ台本ね」
と、なにやら紙の束を手渡されて・・・

台本って?
「中国人キャリアウーマン、Mrs.Yuの役ですからね。自分のところ、すぐ憶えてね」

事前にはなーんにも聞いてなかったんですが、これはあるビデオ会議用機器のプロモーションビデオの撮影で、私はエキストラではなく、「女優」として雇われたらしい。台本を見ると、長~い台詞が20くらいあります。しかもドイツ語~。

助けてぇ~!!

台本を読み上げるくらいなら、なんとかなりますけどね。でも、台詞を暗記してカメラに向かって微笑みながら喋るなんて、日本語でも難しいです。アマチュアどころか、初体験なんですから。

向こうもちょっとびっくりしていました。ド素人が来るなんて思っていなかったみたい。日本人クラブの人、ちゃんと内容わかってて紹介したのでしょうか。

NG出しまくり、冷や汗かきまくりで、どうにか撮影終了。本当に大変でしたが、500マルクはちゃんと貰えました。

しかしねぇ・・・あの時のメークを施された自分の顔が忘れられないんです。
「私って、年とったらこうなるんだね~」
と、そのとき思ったんですが。最近、鏡の中に、あの日の自分の面影がちらりちらりと・・・

嫌だよう。






  1. 2005/11/04(金) 20:36:30|
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運動と意欲

私、体を動かすことがキライです。子どもの頃から、臆病でモノグサでした。おまけに、5歳の頃、交通事故で重症を負って長いこと寝たきりだったので、「外で泥んこになって元気に遊ぶ」こととは、ほとんど無縁の子ども時代を過ごしました。家の中で絵本を読んだり、ぬり絵を塗ったりしてました。

ですから、子どもができて、公園へ子どもを連れて行くっていうのも嫌いで、雨が降ると「よかった~」って内心、喜んだりして。

ところが、昨日、ある本を読んでいて、気になることを見つけてしまいました。

お母さんの「敏感期」 モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てるというのが、その本です。モンテッソーリ教育ってどういうのだろう?と、ただいま興味を持っているところなので、図書館で借りて来たのです。

すごく大雑把に言いますと、そこに書かれているのは、子どもの発達の過程には「敏感期」といって、特定のことに強い感受性を示す時期があるので、その敏感期を見極め、時期に応じた活動をさせましょうってことみたいなんですけど。

それでですね、人間の脳の発達は、「延髄」から始まり、「脳橋」→「中脳」→「皮質」へと進んでいくらしい。健全な発達において大事なことは、この自然の法則に従った活動をすること。つまり、「新しい段階へと順調に入っていけるかどうかは、その前の段階をうまく終了してきたかに、全面的にかかっている」のだそう。(どっかで聞いたことあるな・・・)

具体的には、はいはいの時期には、充分はいはいをさせるべきで、歩行器になんかに押し込んでしまうな、とかそういうことのようです。

この理論では、三歳から七歳までは「運動の敏感期」だそうで、この時期には、子どもは随意筋肉を訓練するためにやたらと動き回るのが普通である。

ちょっと引用しますと、

 この時期には、からだ全体の筋肉を動かして、大きな動き方の筋肉調整をします。この大きな動きを自由自在にできるようになると急に自信がついて、態度が堂々とすることがあります。タイヤ跳び、跳び箱跳び、逆上がり、縄跳びなどで、より高度な目的に向かうような環境を整えてあげると、涙ぐましいような全力投球の努力をするものです。



ううう・・・最近、ごくごく身近に例があったような。

さらに、

 からだを100%使って、精一杯の努力を惜しまないのは一生に一度、この時期だけです。しかも大事なことは、この時期に100%の力をだし切る全力投球の経験をした子どもは小学生以後、何事にも力をだし切ることができます。ところが、幼児期に100%の力をだし切って全力投球でがんばる経験をしなかった人は、小学校以上になってから、とことん最後まで努力をするという粘り強さに欠けます。能力はあるのに、100%の努力をしないで、「もう、ここらでいいわ」と切り上げます。



ひえ~っ。私、全力投球で体を動かしたことなんてありませんよ。そして、「意欲」は結構ある人間だと思うけど、「粘り強さ」「闘争心」などというものは、まるでないですね。好奇心だけは旺盛だけど、何をやっても「もう、ここらでいいわ」で終わってしまうタイプそのもの・・・

ま~、巷に数ある理論の一つに過ぎませんから、鵜呑みにするこたぁないですよねっ!

と思ったけど、夫にこの話をしてみると、こんな返事が返ってきました。

「う~ん。よくわかんないけど、でもなんとなーく、運動と意欲には関連性がある気はするなあ。筋肉を動かし、鍛えることで意欲とか闘争心とかが湧き出てくるメカニズムが人間にはあるんじゃないの?」
「えー!それって、筋肉を動かすと特定の脳内ホルモンが分泌されるとか?」
「たぶん、そういうことじゃない?」

うーん。その可能性は否定できないですな。

私の「粘りのなさ」は、子どものときに体を動かさなかったせいなんでしょうかね~。そして「運動の敏感期」を過ぎた今は、もうどうしようもない!?

でも、これって「人間には前進しようとする本能があり、前進しようと努力することは善である」という前提のもとに成り立っている理論のような。

どちらでもいいんですが、やっぱり運動不足はいけませんね。今日は休日ですから、散歩にでも行くことにします。

  1. 2005/11/03(木) 07:12:24|
  2. へえ~のお話
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