わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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頑張るだけじゃ駄目?

外国に留学を考えていらっしゃる方にとって、なにかの参考になればと思うんですが・・・

「コミュニケーション力」のエントリーで、私の聴く能力がドイツ人学生に比べて劣っていたため、ドイツの大学でノート取りに苦労したことを書きました。でも、もちろん、留学生活で苦労したのはノート取りだけではありません。正直に言いまして、何もかもが私には難しかったですね。

それでもどうにか単位は順調に取って行きましたが、4学期(つまり2年)を終えたところで、「中間試験」なるものを受けなければなりませんでした。ドイツの大学は、日本の学士と修士が一体化していて、この「中間試験」は言ってみれば学士試験のようなもので、これを突破しなければ先に進むことができません。

全く勝手がわからないので、非常に不安だったのですが、周囲の学生の話を聞いているうちに、ますます不安がつのりました。なぜなら、「口答試験」があるというので!

多くの日本人がそうであるように、筆記試験には慣れていましたが、口頭試験なんて、日本ではほとんど受けたことがありません。しかも、人前で話すのが大嫌いと来ているし。も~どーしよ、と胃が痛くなりそうでした。

言葉のハンデがあるので、知識量ではドイツ人学生たちの上を行っていなければならない。必死で準備しました。文献読みまくり。相当長時間、机に向かっていたと思います。そして、読んだことを「理解できた」という実感もあった。その甲斐あってか、筆記試験の結果は上々。ホッと胸を撫で下ろしたものの、まだ難関の「口頭」が待っています。

周りの学生に、「口頭が怖いよ~」と言ったら、みんな「えー!口頭なんて楽勝だよ。筆記に通れば、落ちる人なんていないよ」と口々に。そんなものかな・・・でもやっぱり、コワイ!心臓バクバクで試験会場へ。

なにが楽勝なもんか・・・案の定、頭の中が真っ白になってしまいました。何を質問されても、緊張のあまり、ほとんど言葉になりません。自分でもわけがわからないうちに、試験終了。

もう、その時点ですでに立ち直れない気持ちでしたが、教授にこう言われたんです。
「うーむ。筆記ができてたから、一応合格にしてあげるけどねえ。だめですよ、こんなことじゃ。卒業試験はもっと厳しいんだから、口頭試験でもちゃんと答えられるように練習しなければ。わかりましたね?」
わかってますよ、もちろん。

部屋を出るとき、ため息とともに、思わずこんなつぶやきが口から漏れてしまった。
「あーあ。あんなに頑張って勉強したのになぁ」

それを教授は聞き逃しませんでした。
あなたがどれだけ頑張ったかなんて、私には関心がない

エッと思い、ふり返った。

教授は続けます。
「あなたが何日徹夜で勉強しようとも、文献を何十冊読もうとも、そんなことは重要ではないんです。大事なのは、あなたが理解したかどうかということだけだ。あなたは、理解しているつもりかもしれない。筆記を見る限り、実際そうなのだと思う。でもね、○○さん。わかっただけでは駄目なのですよ。わかったことを、人にもわかるかたちで提示できないと。それができないのは、理解していないも同然です」

がっがっがあぁ~~~~~ん!!

うえ~ん
「結果はともあれ、精一杯やったのだから」
「真面目に頑張ったのだから」
そんな慰め言葉を自分にかけてやろうと思ったのに・・・

頑張っただけじゃ、だめなの?

日本の大学が懐かしくなりました。試験の時、「ノート持ち込み可」っていう科目があったなあ。持ち込みはOKだけど、自分のノートでなくてはならない。人のノートのコピーは不可。なぜなら、「人が頑張って書いたもの」を使うなんてズルイから。自分で頑張ることが大事。たとえ理解してなくても、理解しようと頑張ったことこそが大事。

そういうのは通用しないんですね。

日本の大学では、授業の出席を何回にもわけて取ることがありました。出欠を取った後、ずらかる生徒が多かったので。生徒を教室になんとか縛り付けておこうと、教官たちは苦労してました。真面目に90分座っていた生徒にしか単位はやれない。頑張らない生徒は評価できない。

ドイツの大学には、居眠りしたり、やたらと私語を交わしている生徒というのはいません。授業を聞かないのなら、そこにいても意味がないから。その代わり、コーヒーを飲みながら、あるいは編み物をしながら授業を聞いている学生はたまにいました。授業に頑張って出ていることを教師に評価してもらうために出席するのではなく、自分が授業を理解するために出席しているということなんでしょう。

なんかだいぶ違うな~と思って見ていました。

「頑張り」より「結果」か。
「結果」より「頑張り」か。

結果を重んじる社会はシビアです。情け容赦ないです。でも、頑張りを重んじる社会も苦しいです。

日本のサラリーマンの残業がいつまでも減らないのは、「頑張り」があまりにも重要視されるからかもしれません。




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  1. 2005/09/30(金) 23:23:27|
  2. 各国情報
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超常現象の心理学

「超常現象の心理学 人はなぜオカルトにひかれるのか」(菊池聡 著)という本を書店で見かけたので、なんとなく買ってみました。

何か面白いことが書かれているかな、と思ったけれど、目新しい情報は得られず、ちょっと失望。(内容が悪いというわけではありません)

ただ、なるほどそうかなと思った部分はここのところです。血液型性格判断についてなのですが、

 ここに血液型性格判断が構造的に持っている差別性を見ることができる。社会的に望ましい性格イメージはA型とO型に集中しているのに対し、ネガティヴなイメージは、おおよそAB型(とB型)に特徴的に現れている。これは、日本人の血液型分布と照らし合わせれば合点がいくだろう。日本人の場合、A型とO型が約七割を占め、AB型はわずか一割に過ぎない。企業社会の中の女性差別や少数民族差別などと全く同じで、「多数派が力を持って、少数派を差別する」構図がここにもはっきりと見て取れる。


それはなきにしもあらず、でしょうね。

AB型の人達って、なんだか気の毒です。AB型だから変わり者だ、とか言われたって困るでしょう。A型の遺伝子を持つお父さんとB型の遺伝子を持つお母さん(あるいは逆)が結婚した、ただそれだけなんだから。本人のせいではありませんもの。

私自身は血液型判断を含め、占いやそれに順ずるものを信じませんが、占いの社会的存在意義は必ずしも否定していません。いいことも色々あるんだろうな、と思う。でも、社会的弊害っていうのもあるだろうから、メリットとデメリットのどちらが多いのか・・・ちょっと、わからないです。

先日、コピーをしにコンビニへ行ったら、コピー機がふさがっていて、空くまでの間、雑誌のコーナーで待っていました。そこに、有名な某占い師の本があったので、どんなものなのか手にとって見てみました。星の計算票がついていたのでその場で計算したところ、私は水星人。

「水星人の性格」という欄を読んでみました。そうしたら、そこに書かれている性格的特徴のうち、約3割は私の性格にドンピシャと当てはまっていました。そして約3割は全然、当てはまっていません。残る4割は、そうだとも言えるし、そうでないとも言える。要するに、よくわかんない。

占い好きの人であれば、「当たっている3割」に着目し、「やっぱりね!」と思い、逆に占い嫌いの人だったら、当たっていない方の3割をクローズアップして、「そおら、当たってない!」と本を放り出すでしょうか。

しかし、よくできてるもんだな~、と思いました。全体的には「当たらずとも遠からず」という感じに書いてあるんですね。試しに他の星の性格も読んでみたところ、自分に当てはまる部分と、当てはまらない部分と、どっちつかずの部分との配分は、やはり3:3:4くらい。

つまり、実際に自分が何星人であっても(~星人というものがあると仮定して、ですが)、当たると信じれば当たるように、実にうまーくバランスよく性格特徴を12の星に散らし、さらに「ここの部分、全然当たってないじゃん!」とツッコミを入れられないように、巧みな表現で書いてある。

そういう印象を私は持ってしまいました。

結局、誰しも自分の信じたいものを信じる。それに尽きるのではないでしょうか。

星とか干支には基本的に少数派がいないので、上記の本に指摘されているような差別性はほとんど生まれないと考えていいのかしらね。

でも、例外があります。私、「ひのえうま」生まれです。(あ~、年がとうとうバレたよ~!)ひのえうまの年には出生率が激減します。女の子が生まれたら困るからって、赤ちゃんが人工中絶されてしまうことだってありました。

両親が「ひのえうま」の怖ろしい伝説を迷信として笑い飛ばしてくれていなかったら、私は今、ここに存在していません。

だからやっぱり、占いは「自分自身」のことに利用するのにとどめて欲しいな。他人のことを占いで判断するのは・・・








  1. 2005/09/30(金) 12:06:55|
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背筋力と集中力

神戸大学発達科学部の広木克行教授の本に書いてあったんですが・・・

最近、小学生でも授業中に居眠りする子が珍しくないそうです。

しかしこれは、「やる気がない」「教師をナメている」と憤慨する前に心配してやらなければならない、子どもの「体力」の問題らしい。

最近の子ども達って、集中したくてもできないほど体力がないんだそうですね。現在の生活環境を考えれば、不思議はない気がします。

筋肉には動筋と静筋があって、動いているときには動筋を使っているので、眠くならない。しかし、座って人の話を聞くときには、体を動かす時に使う動筋は使わないので、だんだん眠くなってしまう。このときに静筋を使って集中力を保っているのだが、その静筋群の中心にあるのが「背筋」で、これが弱い人は長時間、集中して人の話を聞いていることができない。そういう説明でした。

背筋というのは、子ども時代からの遊びの中で鍛えられるのだけれど、近頃の子どもは外で遊ぶ機会がめっきり減ったため、どうしても背筋力がつかない。背筋が発達していないと、すぐ眠くなるので、動筋を使って目を覚まそうとする。つまり、「あくび」をしたり、体をゆすったり、歩き回ったり。


そういえば埼玉県には、Y先生という有名な理学療法士がいて、私の周りには、子どもの行動について不安なことがあると、このY先生の診察を受けに行く人がたくさんいます。不安なことといえば、例えば、「落ち着きがない」「母親から離れたがらない」「すぐキレる」など。Y先生は目が不自由なのですが、子どもを膝に抱いて、体を触診し、「この子はここの部分の筋力が弱い。だから、筋力を高めてあげなさい」と言って、その子に合ったマッサージや体操のプログラムを組んでくれるんだそう。

私も、息子があまりにいつもハイテンションで、くつろぐということのない子なので、ちょっと心配していたら、まわりのお母さんから、「Y先生に診てもらったら」とアドバイスされたことがあるんです。ちょっと興味はあったんですが、でもなんとなく、精神的な問題を相談に行って筋トレの方法を教わってくるというのがピンと来なくて、診療所が家から遠いこともあり、まだ行ったことがありません。

しかし、広木先生の書いてあることを読むと、
「そうかあ。筋力というのも、侮れないんだなあ」という気がしてきました。精神面とも無縁ではないんでしょうね。

ところで、私もすぐ眠くなる・・・

背筋を鍛えましょうか。

  1. 2005/09/30(金) 07:56:41|
  2. へえ~のお話
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博士の愛した数式

小川洋子「博士の愛した数式」。

読みました。評判を聞いて気になっていたのに、やっと今頃手に取ったのは何故でしょう。

本当に美しく、感動しました。それしか表現を知らないのがなんとも情けないです。

幸せな気持ちになると同時に、かつて出会った一人の教師のことを思い出していました。私が今までに教わった中で、最も好きだった先生の一人。数学の先生です。

もともと、数学はあんまり好きじゃありませんでした。国語や英語や社会が好きだった私。数字をわけのわからない公式に当てはめて問題を解くのは面倒で、面白いと思った記憶はありません。ですから、数学は得意科目の中には入りませんでした。

ところが、高校2年生でアメリカの公立校へ留学したとき、数学は必須科目だったのですが、「高2なら大体このレベル」と勝手に決められたクラスはしかし、いくらなんでも程度が低すぎた。高2なんて冗談じゃない、日本だったら中1くらいのレベルです。

いくら数学の苦手な私でも、あまりに簡単すぎて、授業を聞く気にもなれません。週に1度くらい、テストがありましたが、10分で終了。退屈で、退屈で・・・アメリカってみんな、ああなのでしょうか。それとも、私のいた高校が特別?

そんな私に先生が聞くの。
「ビアンカ君は、どうしてそんなに数学ができるの?」
別に、できないのに。
「ビアンカ君は、数学の天才だね。君がこんなクラスにいたんじゃ勿体ない!是非、私の別のクラスに来なさい。一番上のクラスも受け持っているんだよ」
それで、クラスを変わることになったのですが・・・

移動したのは、「Math. Analysis」というクラスでした。どうせまたたいしたレベルじゃないんだろうな~と思って、教室に入って行くと、な、なんか雰囲気が普通じゃない。前のクラスは男女半々くらいだったのに、今度のクラスはほとんど男子のみ。しかも、分厚いメガネをかけた、いかにも「ダサ~っ」って風の男の子達です。

そのクラス、「微分・積分」を教わるクラスだったのですが、それはさすがに私には難しすぎ。日本ではまだ習っていなかったし、学期の途中でもあったしで、授業を聞いていても何のことやらさっぱり。まるっきり、パープリンです。先生はさも楽しそうに説明してるけど、私、ここで一体どうしたらいいのでしょうと落ち込んでしまいました。

でも先生は、チョークで黒板に図を描きながら、私の方を向き、ニコニコして、「ビアンカ君。ちょっと待っててね」って言うのです。
しばらくして、「じゃ、テストタイムにしましょう!」
テ、テストって・・・私はどうなるの?

用紙が配られる中、先生は、
「ビアンカ君。椅子を持ってこっちへおいで」
言われた通り、先生の机へ行くと、
「これからみんなはテストだからね。さあ、君の時間だ。微分はまだやったことないね?じゃ、始めよう」

そして、私と先生のマンツーマン授業が始まった。そのクラスでは毎日のように小テストがあり、他の生徒が問題に取り組んでいる間、私は先生と一緒に勉強し、他の生徒が説明を受けている間は、私が問題に取り組むという、二重授業。

先生の授業は、いまだかつて受けたことのないような素晴らしい授業でした。それまでは数学っていうと、ただ公式を与えられて、「これを使って解け」と言われるだけで、少しも楽しくなかった。でも、先生は「公式を考える」ところから教えてくれたんです。それも、一方的に説明するのではなく、紙に図を描いて、「まず、これがこうあるとするね。こっちにこう、移動させたらどうなるかな?」「そうだね。じゃその次は?」というふうに、少しづつ、ヒントを与えながら、私自身が答えに到達するのを導くやり方。私が自分で答えを発見すると、「その通り!発見したね。凄いね、ビアンカ君!」先生は心から嬉しそうでした。

数学って、こんなにもワクワクできるものなんだ。とても意外でした。毎日、わずかな時間ではあったけれど、先生と一緒に考え、閃きを得たときの爽快感。忘れられません。おかげで、微分・積分だけはすっかり得意になって日本へ帰国。エッヘッヘでした。何もやらなかった幾何のほうは、やはり全然ダメでしたが・・・

しかし、その後私はやはり文系に進み、数学の能力がそれ以上伸びることはありませんでした。それどころか、今となっては微分・積分のなんたるかも、まったく覚えていない。

無駄だったといえば、無駄でした。

でも、先生と勉強した時間は、私にとってとても素敵な思い出です。「わかった!」と思った瞬間の喜びも、いつまでも忘れない気がします。

今でも数式と戯れているのかな、先生・・・


アメリカンハイスクールに関する過去記事:
自立していない日本の私
旅のびっくり話 その1 アメリカン・ハイスクール




  1. 2005/09/29(木) 10:19:13|
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自己紹介バトン

えー、ヒロシさんより「自己紹介バトン」を受け取りました。

でも、あえて紹介するほどの内容がなくて・・・ウッ。いかんいかん。自己紹介もできないなんて、今の国際社会、渡っていけません。頑張って「私全開」でやってみましょう。

① 名前*******ビアンカ(仮名)
  性別********女
  生年月日****そのうちネタにするので、今はパス!

② 身長********154cm。
  体重******こちらは永遠にパス!

③ 既婚or未婚**既婚 13年前に結婚しました

④ 現在恋人はいる?****いません、というか夫が恋人。

⑤ 一番好きな季節******春。北国生まれなので、雪が溶けて川になって流れて行きます♪っていうのが心から好き。

⑥ 動物にたとえると*****猫っぽいかもしれません。(でも犬が好き)

⑦ 好きな異性のタイプ***

これはかなーり具体的にありますね。

まず、髪の毛は直毛でサラサラしていること。
中性っぽく、サラッとしたイメージのこと。
知的で、かつ優しいこと。
苦労人よりもむしろ、可愛がられて育ったお坊ちゃんタイプ。
根性やポリシーはなくても構わないが、発想が自由なこと。
行動的なこと。
ハキハキしていること。
言葉使いがあまり「男っぽく」ないこと。
機械いじりが得意なこと。
ギターが弾けること。
食べ方が汚くないこと。
嫉妬深くないこと。
昔、学級委員をやっていたこと。

全部クリアしてなくても構いません。そうですね、二つくらい当てはまれば・・・

⑧ 嫌いな異性のタイプ***

うーん。嫌いなタイプについて考えることってあまりないですね。強いて言えば、「男なんてみんなそうさ」「男には~はできない」を連発されると嫌ですね。他の男の人のことは聞いていないでしょ、って思っちゃうから。

⑨ 好きな言葉 **********「好奇心」。


⑩ 将来の夢************子供たちと旅行をするのが夢でした。もうすでに叶っていますが、これからも続けたいです。

⑪ なにか一言**********そろそろ寝ます。

⑫ バトンを回す人*******こういうのお好きじゃない方もいらっしゃると思いますが、遊びなので気楽に指名させて頂きます。これからお名前をお呼びします方、受け取るも受け取らないもまったく自由ですので、どうぞお気遣いなく。

受け取らなかったら、ブブー。ゲームオーバー。ビアンカ沈没ということで。

では・・・

ローマのyuranotoさん
  1. 2005/09/26(月) 23:58:00|
  2. 日常
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子どもの絵と自我の発達

保育園の子育て講座へ行ってきました。

毎年やっているもので、園長のお話はすでに何度も聞いているから今回はいいかなと思ったけど、やっぱり毎回新たな発見があります。話の内容は大体同じようなことだけれど、聞くたびにまた違った感想を持ちます。

娘の保育園では、保育の中で子どもが描く絵がとても重要視されています。
「子どもの絵にはすべてが表れます」
園長はそう言って、子ども達の絵を貴重な資料として一枚一枚、大切に保管している。保育士たちは絵に子ども一人一人の状態を読み取って、その状況を把握した上で保育をしてくれています。今回の講座でも、実際に園児のいろいろな絵を見ながらお話が聞けました。

私には絵心がまったくないのですが、本当に興味深かった。子どもの心って、こんなにも絵に表れるんだ。びっくりです。

普段は明るくのびのびとした幸せいっぱいの絵を描く子が、ある日描いた絵。紙の上には大小の二人の人物。目が異様に真っ黒に塗りつぶされ、歯はギザギザ。その日は何枚描かせても同じような絵ばかり描く。
「お家で何かありましたか」保育士が聞いてみると、その子のお母さん、「ええ。昨日しこたま叱っちゃったんですよ」

また別の子は、いつもは細かくて丁寧な上手な絵を描く子。でも、その子がある日描いたものは、ギザギザのグチャグチャ。何枚描かせても同じ。絵にならない。その前の日、親の職場で人が亡くなり、親はひどいショックを受けて帰宅した。その動揺が子どもの絵に表れたっていうんです。

ドキッとしてしまいます・・・

また別の絵は、遠足でぶどう狩りに行ったときの様子を描いたもの。ぶどうの房に伸ばした手がびよーんと、体と同じくらいの長さになっています。
「一生懸命手を伸ばしてぶどうを取った、その気持ちが表現されているんですよ」

逆に、手のない絵もありました。
「この子はね、親が忙しくて子どもに自分でいろいろやらせてあげられなくて。服も着せてやるし、ご飯支度を手伝いたがっても、あっちへ行っていなさいと言っていたら、そのうち子どものほうがやりたがらなくなったんですよ。手を使うようなことをほとんどしないから、手を認識しなくなってるんだね。このくらいの小さな子どもは、生活の中で感じたこと、認識したことしか描かないんですよ」

へーっ。

子どもの絵というと、つい「上手か下手か」で見てしまっていました。バランスよく描けているか、きれいな形になっているか。そうでないものは「イマイチだな」なんて。そうじゃないんですね。子どもが何を表現したがっているかを見てあげなければならないんだな。


園長が常々口を酸っぱくして言っているのは、「幼児期には、子どもはありのままを親に受け入れてもらわなければいけない」ということなんですが、私はこれに共感しつつも心のどこかで「でも・・・」って思っていました。
「ほんとになんでもかんでも受け入れちゃっていいの?それで我儘な子にならないの?」

その先のお話を聞いて、やっと「ああそうか」と思いました。

やっと点が描けるようになった1歳児から6歳児まで、成長過程の順に並べた絵を見ていったのですが、大きな紙いっぱいにたくさんの丸が描かれた2歳児の絵を示して、園長はこう言いました。
「いっぱい描いてあるでしょう。虐待が始まるのはネ、たいていこの時期ですよ」
虐待?絵と何の関係があるのだろう。
「この時期の子どもは欲張りです。あれもこれも、たくさん欲しい。木の実なんか拾わせると凄いですよ。それだけ拾ったんだからもういいだろう、という状態になってもまだ拾ってます。でもそれでいいんです。DNAにそうプログラムされている。正常な成長の一過程なんです」
抱えきれないほど、入れ物から溢れるほど得て、満足して、そして初めて人に分け与えられる。自分が満足できないうちはできないんだそうです。

大人はどうしても社会の規範で見てしまい、
「仲良くみんなで分けなさい」
「もう充分でしょう」
「一人一つずつね」
「けんかしないの」
ってなっちゃうんですね。そして、子どもがそれをできないと、なんでうちの子はこんなに欲張りなの、ちゃんと躾けなきゃって焦ってしまう。叩いたり、罰を与えたりしてでも世の中のルールを教えなくちゃと思ってしまう。

しかし、成長の段階を無視して早くから規範を押し付けてしまうと、自我が健やかに発達できない。社会のルールを学ぶのは絶対必要なことではあるけれど、まずは子どもの自我をちゃんと育ててあげないと。規範を守るということは、健全な自我の上に乗っかってくるものなんですよ。だから、しっかりと自我が育つよう、子どもの気持ちを受け入れてやらなければならない。そう教わって来ました。

そうか、そうなのか~。非常に納得です。

大人でも同じだよね。自分に自信が持てないと、自分が好きだと思えないと、人に寛容にはなれない。他人に優しくとかなんとか言う前に、まずは自分なんですね。

子どもは人類の進化の過程をそのまま辿るように発達する。進化の流れを無視した育児をしてはいけない

ははーっ。いたく反省。

ま、言うは易し、行なうは・・・なんですけどね。

でも、なるべく頑張ります。





  1. 2005/09/25(日) 14:32:54|
  2. 日常
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コミュニケーション力

先日、子供の言語習得についてエントリーしましたところ、多言語に堪能で、外国語学習や言語学の理論に精通されている澁澤寅彦さんより、子供をバイリンガルで育てることの長所や問題点についてアドバイス頂き、また関連図書をお薦め頂きました。

そのうちの一冊、市川力 著 「教えない」英語教育 という本を読んでいたら、面白いことが書かれていました。

OECD国際学習到達度調査(国際的にはPISA試験と呼ばれることが多いようです)というのがありますが、2004年度のこの試験において、日本の子供の国語読解力は前年度の8位から14位に下がったのだそうです。

いえ、それは面白くないんですが・・・

どういう点がまずかったのか、というのが興味深いんです。2004年度の試験で出題された問題のうち、正解が少なかったのは、「落書き」と題された問題だったそう。

「落書き」について、賛成派と反対派の2通の手紙を読み比べ、どちらに賛成するか、そしてその理由は何か、自分の言葉で論じよという内容。

著者によると、この問題ができない子が多かったのは、「他者の意見をしっかり分析したうえで、自分の意見を論理的に構成し、読み手を納得させるような文章を書く力」が日本の学校教育では充分に養われていないことを表すのではないか。

なるほどです。振り返ってみると確かに、そういう訓練はあまり受けてこなかった気がしますね。

コミュニケーションの柱。それは、考え、聞き、話すこと。
そのうちの「考える」。いろんなレベルがありますが、国際的には「論理的に考える」ことが重要だとみなされているんでしょうね。

そして「聞く」。これについては、私、ちょっと考えがあります。

あくまで、ドイツと比較してのことに過ぎませんが、日本の国語教育では「聴解力」があまり重視されていないのではないか。そう、感じるんです。

私がドイツ語を勉強したのは、ドイツの大学の外国人向けドイツ語講座でした。授業では頻繁にテストがあったのですが、その内容は「文法」「読解」「聴解」の三本立て。そのうちの聴解試験ですが、いわゆる日本式の「ヒアリング問題」とは随分趣向が違っていました。

日本式ヒアリングだと、まず短いお話を聞き、その後で内容についての質問文が読み上げられます。そして、答えの候補がいくつか読み上げられ、その中から正しいものを選ぶ。そうですよね?

これに対し、ドイツ式聴解試験には二つの種類がありました。それは「書き取り」と「要約」です。書き取りというのは文字通り、聞いたことをそっくりそのまま書き出す試験。内容は理解してもしなくても、とりあえず構いません。

なあ~んだ、随分簡単だね、と思うでしょう。でも私、これにかなり手こずってしまいました。日本式ヒアリングの場合、すべてを一語一句正確に聞き取っていなくても、要点の部分さえおさえれば大丈夫です。全体をまーるく理解すればOK。しかし、書き取りの場合、耳をそばだて、全神経を聴くことに集中させていなくてはならない。ちょっとでもボケーッとする瞬間があってはダメなんです。

いや~、大変大変。

そしてもう一つの「要約」。こっちは多少聞き漏らしても問題ありません。全体的な内容が把握できれば。でもやっぱり簡単ではありませんでした。なぜかというと、理解しただけではだめで、それを自分の言葉で論理的にまとめなくてはいけない。自分の言葉っていうと楽勝に聞こえますが、ドイツ語でです・・・まだ、自分の言葉になっていませんから~。

まったくえらいこっちゃでした。

そのとき、「あ~、私は今までこういう訓練、受けて来なかったんだな~」と、つくづく思いました。(自分の能力のなさを教育のせいにしてはいけないかもしれませんが・・・)

悪戦苦闘して、どうにかこうにか入試にパスして、やがて大学生活が始まったんですが、初めて講義を聞きに行ってふたたびボーゼン。だって、ほとんど板書してくれないんですよ、ドイツの教授って。90分間、ひたすら喋るだけ。辺りを見回すと、みんな黙々とノート取ってます。耳で聞いた情報をせっせと文字化してるんです。す、すごい・・・・

ドイツ人って耳がいいんだな~、なんて感心して見てましたけど。

考えてみれば、日本人ってあまり耳を使わないかも知れません。講演会や説明会では必ず資料が配られて、説明する人の顔も見ずに、みんな資料読んでるし。

漢字文化ですから、どうしても視覚情報に頼りがちで、耳から情報を得るのは不得手なのかもしれない。

コミュニケーションの重要な要素である「論理力」と「聴く力」、日本人は国際水準からするといまひとつってことなんでしょうか。

もちろん、国語学習というのはその国で生活する上で必要な能力を養うのが目的ですから、外国でああだから日本も・・・ということではないと思います。他の部分でよその国の国民より優れている可能性も充分ありますし。

だけど、お仕事などで欧米人とコミュニケーションを取る必要のある人にとっては、ちょっとは参考になるかな?と思って・・・

最後の「話す」については、まだ考えがまとまらないのでまた今度。
  1. 2005/09/23(金) 21:51:35|
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息子の成長記録

今日は、息子の10歳の誕生日でした。

生まれてもう10年も経つんだなあ。よく今まで元気に育ってくれたなあ。月並みではありますが、感慨深い記念の日です。

息子はローストチキンが好物です。鶏の丸焼きなんて手の込んだ料理、クリスマスでもないと作らないのですが、なんといっても10歳です。ちょっと特別な日なんだからと思って、作ってやることにしました。彼の希望通り、お腹にりんごと栗の詰め物をして。

しかし、この料理は時間がかかります。ケーキを焼くのにもオーブンを使うので、順番に焼かなければならず、ご馳走は晩御飯にすることにしました。お昼は簡単に、鮭のおにぎりを握って、昨日の晩御飯の残りを添えて・・・

「あ~、お腹空いた~」
そう言って、息子はおにぎりをパクついていましたが、突然顔色が変わりました。
「ウウーッ。ウッ、ウッ」
喉元を押さえて、目を白黒させてる。
「喉詰まったの?」
慌てて洗面所へ引っ張っていき、背中をドンドン叩いていると、そのうち口から何か出てきました。

海苔です。

おにぎりの海苔が喉にへばりついて、息ができなかった模様。

「ああ~っ。苦しかったあ。死ぬかと思った~」

は~あ。ここまで元気に育って来て、10歳の誕生日に海苔が喉に貼りついて窒息なんて、洒落にもならないですよ。まったく。

それに、今始まったことじゃないんです、こういうの。

私の実家には、「年末に変わったことをするとろくな目に遭わない」という変な言い伝えがあって、実際、大晦日に大怪我したり、大事なものを紛失したりという嫌な偶然が続いているんですね。ですから、縁起を担ぐわけじゃないけど、一年の終わりは穏やかに落ち着いて迎えようと、年末はあまり出歩かないことにしています。

しかし、過去数年の年末にも我が家は災難に見舞われています。そして、災難の種を蒔くのはいつも息子。


おととし。大晦日に実家へ帰るので、前日は家の大掃除をしていました。お昼ちょっと前でしたか、息子が「公園で遊んでくる」と言うので、外に出したんです。近所にある、その公園は、遊具は滑り台が一つ、ブランコが二つという小さなもの。毎日のように遊びに行っているところです。

息子が出て行って30分ほど後、お隣の子供が我が家のドアを叩きました。
「大介が転んで泣いてるから、すぐ来て!」
転んだくらいで何を泣いてるんだ・・・ブツブツ言いながら夫が様子を見に行きました。そして3分後・・・

「うわアーーーっ」という泣き声と、バタバタという夫の靴音。
「あんたは見るな!オレがすぐに病院へ連れて行く」

公園を走り回っていて、プラスチック製のベンチに激突。太股パックリ。8針縫合。

なんでこうなるかね。

歩けないので、実家行きは延期になりました。


去年の年末。

「公園には行っちゃダメ。今日はおとなしく家で過ごそうね」
「うん」
ほんとに、おとなしくしてたんです。
夕方、おやつが食べたいと言い出しましたが、おせち料理を作るのに忙しくて、おやつの用意はしてなかったんですね。仕方ないから、冷凍のたこ焼きを温めることにしました。レンジでチーン!ほい、アッツアツのたこ焼きだよ~。
「わぁーい。いっただきま~す」
何を焦ってるのか、息子は椅子に座りもせずに、たこ焼きを口に放り込んだ。
「ギャーッ!!!」

一体何が起こったのか把握できず突っ立っていると、息子は床に倒れ、もがいています。
「アツッ、アツッ、ウギャーッ」
出来立てのたこ焼きを丸呑みして、食道を火傷したんだと。

時計を見ると、もう4時過ぎてる。
「大晦日だから、病院もう閉っちゃったよ~」
しょうがないから、冷たい水を大量に飲ませる。息子は部屋の隅にしゃがんで青い顔をしていましたが、そのうち、グワッと変な声を出したかと思うと、たこ焼きがポロッと出てきました。どうやら、火傷だけじゃなく、たこやきがつっかえてもいたんですね・・・

可哀想に、大晦日のご馳走も、おせち料理も息子は食べられず。

それもこれも、年末になると不吉な風が我が家に吹き込んでくるからかと思っていましたがね~。そこに今日の海苔貼りつき事件でしょ。どうやら悪いのは息子自身のようだ。

こんなに背丈も伸びてと喜んでいたのに。内面の成長はどうなっているんでしょうか・・・

先の思いやられる子です。




  1. 2005/09/23(金) 14:24:23|
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コミュニケーションに関する我が家の悩み

我が家では、日常的に日本語とドイツ語が飛び交っています。でも、両方の言葉を充分に話すのは、私と息子だけ。夫は日本語がダメで、娘はドイツ語がダメ。夫がドイツ語で言うことを娘は理解しますが、日本語で返事をするので、夫は理解しない。だから、私か息子が通訳しなければなりません。

ちょっとメンドウですが、それでも家庭生活は成り立っています。家庭内で通訳をしても、ギャラはもらえません。でも、夫に「オレは語学の才能がないからさ~。頼むよ、あんたたちには才能があるんだから」とかなんとか、おだてられて無償奉仕してます。

でも、ときどき、3ヶ月に一度くらいなんですが、
「なんだよー。ふざけんなー!!」
って、通訳を拒否したくなってしまいます。

「ドイツに住んでいたときは、誰も私に通訳なんてしてくれなかったよ」
「言われたことがわからなければ、自分で辞書を引いて調べたよ」「日本の衛星放送だって、高いからと見せてもらえなかったし、日本語の新聞だって取ってなかったよ」
「そして、そのことで私は文句を言わなかったよ」

と、口から出ちゃうときがある。

すると夫は、
「そんなこと言ったって、オレが語学苦手なの知ってるでしょ。あんたが苦労したのは認めるよ。でも、もうすでに習得したんだから、出し惜しみしなくてもいいじゃん。自分が大変だったからって、人にまで同じ苦労を強要するなんて了見が狭いよ」

うう・・・確かにその通りです。

でも、私だって、私だって・・・・

「ドイツ語話すの面倒くさあ~い!!」
ってときはあるんですよ。

ドイツに住んでいた頃は、子供と話すとき、日本人の知人と話すとき以外はずっとドイツ語でした。だから、私の脳はデフォルトでドイツ語に設定されていて、必要に応じて日本語に切り替えていました。ドイツ語に設定されているので、夫とドイツ語で話すことは苦痛ではありませんでした。

ところが、日本に来たら、夫以外のすべての人と日本語で話すので、脳はデフォルトで日本語になっています。疲れていて眠かったりすると、込み入った話をドイツ語でするのが面倒です。

夫に何か質問されて、私がいい加減に答えると、
「なんでちゃんと喋んないのっ」と怒られます。
「だって、ドイツ語喋りたくないんだもん」
「そういう意地悪やめてよ」
「意地悪じゃないよ」
「意地悪だよっ」

だからね、デフォルトが・・・と、夫に理解してもらいたくても、それをドイツ語で言わなくてはならない。それが面倒。

あなたが「日本語をおぼえたくない」というのを私は受け入れてるでしょ。だったら、私が「ときにはドイツ語を喋りたくない」というのも受け入れてください。

と、いうこともドイツ語で言わなければならない。

「なんで私ばっかりっ!」

正直、ちょっと嫌になります。

夫は、いまだかつて一度も辞書を引いたことがありません。わからない単語をメモしたこともありません。日本語の本も読んだことがありません。道路標識もローマ字でなければ見ません。

お喋りが大好きで、日本人も大好き。だから結構、人とは喋ります。でも、間違っても気にしないタイプなので、何年経っても同じ間違いを延々と繰り返しています。

日本語能力試験の前には机にかじりついていますが、勉強の仕方にすごく問題があります。漢字の読み問題は出るけど、書き問題は出ないというので、私に漢字を一つ一つカードに書かせ、それを眺めているだけ。

「あのさー、漢字は書いた方がおぼえるよ」
そうアドバイスしても、
「いいのっ!書きは出ないんだから、無駄な労力使いたくないよ」
試験には受かりたいが、無駄なエネルギーは1カロリーたりとも消費したくない。そう思っているらしい。

まあ、それでもいいでしょう。私がとやかく言うことじゃない。彼が日本語に興味がないのは仕方がないことで、興味がないことをやれなんて言いません。できるようになって欲しいとも、そんなには思わないです。

だって、私だって、いまだにビデオの録画の仕方を覚えてない・・・夫がいなければ、ブログに写真もアップできない・・・ヒーターのタイマー設定もできません。

でも、「才能がないから」で片付けられると、なんだかな~。もしかしたら、本当に才能がないのかもしれないけど。私の方がちょびっとは「才能がある」かも知れないけど。

もしも私が「語学の才能がない」と言って、辞書も引かず、子供の学校の先生とも話ができず、ゴミだしカレンダーも読めず、ニュースについて感想も語れず、あなたの両親から電話がかかってきても伝言ができないまま、ずっとドイツに暮らしていたら、あなた困ったでしょう?

と問いかけたいけれど、これもドイツ語で言わなきゃ。

「そんなにグダグダとドイツ語で文句が言えるのなら、オレの最初の質問にドイツ語で答えるくらい、なんでもないじゃないか」

はい、その通りです。

ごめんなさい。ちょっと日本語で愚痴ってしまいました・・・






  1. 2005/09/22(木) 11:42:07|
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正しいお肌のお手入れ法

上記のタイトルを見ると、いかにもいいことが書いてありそうですね。Google検索でいらっしゃった方、ごめんなさい。

美容アドバイス記事ではございません。

というのも、私はスキンケアとはほとんど無縁の人生送ってきていますもので。

面倒くさがりなので、顔にいろいろなものを順番につけるのは苦手です。決して「外見なんてどうでもいい!」とは思っていませんが、お金と労力を惜しみます。ですから、普段は自家製石けんで顔を洗うだけ。髪の毛も同様です。リンスも整髪剤も使っていません。一時は手作りが面白くて、化粧水とかパックとかいろいろ作ってみたこともあるのですが、つけなくても平気なので、いつのまにかやめてしまいました。メークは一応しますが、最低限。

そういう私なので、美容の本を読んでいろいろ研究することは普段ないのですが、先日たまたま手に取った雑誌に佐伯チズさんという方のインタビューが載っていました。

「高い化粧品を使っても効果がないばかりか、逆に肌を痛めることもある」

そう書いてありました。私の大好きなフレーズ。自分の怠慢を正当化できますから。

思わず読んでしまいましたよ。
「佐伯チズの頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!」
佐伯流正しいスキンケアの方法が詳しく紹介されています。

しかし・・・これを読んでも、私はやっぱり実践しそうもありません。お金はかからないみたいだけど、手間はかかりそう。

でも、いくつか、「へぇ~、なるほどそうかも」ってことを発見しました。

1.「洗う門に福は来ない」

本来、肌は自浄作用というものを持っています。「おや、乾燥してきたな」と思えば、ナチュラルクリームを分泌して潤いを与えるし、「雑菌が入ってきたぞ」と察知したら、それと戦うための手段も備えています。
 その証拠に、病気で何日もお風呂に入れなかったあとに顔を洗うと、驚くほどスベスベしたり、(中略)つまり、必要以上に顔を洗うことにより、肌本来が持つ機能を削ぎ落としてしまう、とても危険な行為なのです。だから、余計な脂が出てきたり、抗菌作用がなくなってニキビが吹き出したり・・・・


これはありえるんじゃないでしょうか。ドイツでは「洗いすぎは肌によくない」と子供をあまりお風呂に入れませんが、だからといって、ドイツの子供が不潔っぽかったり、カサカサの肌をしているということはなかったです。でも日本の子供は冬場はガッサガサの手足をしてる子が多い。洗いすぎなのかな?

2.顔は剃らないほうがいい

 「産毛」というのはその名のとおり、産まれたときから生えているもの。クッションのような働きをしたり、保湿をするなど、肌を護ってくれている大切なものです。
 果物のモモにもうっすらと産毛が生えていますが、あれも外敵から身を護ったり、雨水をはじいたりするためのガードだといいます。


いわれてみれば、そうかも。

3.化粧水を吹き付けるな

(前略)飛行機に乗ると必ずといっていいほど目にするのが、バッグからおもむろに化粧水スプレーを取り出して、一時間おきに顔に吹きかけている女性。本人は肌をいたわっているつもりなのでしょうが、肌にとってはいい迷惑。
 実はこれ、ちっとも肌は潤っていないのです。
 それどころか、化粧水が「呼び水」となって皮膚の中の水分までをも蒸発させてしまう。つまり、厳密には化粧水を無駄にしているどころか、肌に悪影響を与えているのです。


そ、そうなんだ。私もあのスプレーって不思議でしたけど。だって吹き付けると思わずタオルで拭かずにはいられなくて、結局拭くのなら何のためにスプレーするのかわからなくて・・・やっぱり、やらなくてよかったんですね。

4.コンシーラーでシミは隠せない

野ウサギやカモシカなどの野生動物は、敵から身を守るために背景に溶け込む色を纏っています。これを「保護色」「隠ぺい色」といいます。
 コンシーラーは、いってみればシミや吹き出物を「隠ぺい」するために使う道具です。
 なのに、なぜそれと同化する色や質感ではなく、むしろ肌色よりも薄いマットなカラーなのでしょう。
 (中略)それと同様に、年を重ねるほどに顔の色はくすむのに、みなさん白っぽいファンデーションをつけようとする。
 (中略)でも、白いファンデーションは七難隠すどころか、かえって欠点を目立たせてしまいます。
 「隠すなら濃い色のファンデーション」これが正解です。


やっぱりそうだったのか・・・あのコンシーラーってやつ、目の下のクマを隠そうと思って塗ってみたことがあるけど、よけいそこだけ目立つので「なんだこれ?」と不思議に思っていました。それに、白いファンデーションも私は苦手。もともと色白の人ならいいけど、そうでない中年女が顔を白っぽく塗ると、ますます老けて見える気がしてました。でも何故か日本製のファンデーションってすごく白いんですよね。

この本を読んだことで私はますますキレイに・・・なりそうもありませんが、謎がとけてちょっと気分がイイです。



  1. 2005/09/18(日) 10:10:15|
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フィリピンバーに関する夫の疑問

夫の会社は外資系です。とは言っても、現地化が進んでいるので、工場に勤務する外国人は夫一人。周りはみんな日本人です。

そのせいでしょうか。勤務後の飲み会がすごーく多い。週に三回くらい、お付き合いがあります。夫は人と一緒にいるのが大好きな性格なので、喜んで飲み会に行きますが、ひとつ、どうにもわからないことがあるらしい。

それは二次会または三次会の会場としてよく利用される「フィリピン・バー」なる場所について。

夫の説明では、フィリピン・バーというのは、フィリピン女性がホステスを勤める飲み屋さんらしい。そして、夫の同僚達はフィリピン・バーがとても好きなんだそうです。

でも、夫にはわからない。フィリピン・バーのよさが。

「だってね、ホステスの女の子達、日本語がほとんどできないよ。英語はまあまあ喋るけど、そんなにいろんな話ができるわけじゃないから、つまらないよ。一体、ああいうバーの何が楽しいんだろう?」
そう言います。
「さあ・・・?女の子が可愛いからじゃないかな?」
「可愛い女の子なら、バーに行かなくてもいくらでもいるでしょ。それにね、バーの子たちはいつも感じがいいってわけでもないんだよ。英語や日本語では、○○さん、ステキ!なんて言うけど、時々女の子同士でタガログ語でヒソヒソ言っててさ、あれ、多分悪口だよ。いやね~、このスケベオヤジ!とか言ってるのミエミエ!」
「うーん、あるかもね、そういうの・・・」
「お金払って見え透いたお世辞言ってもらって、どうして喜ぶんだろう。みんな知的な男なのに・・・」
「え~、わかんないよ、私。男性の心理は」
「オレだって、女性に褒められるのは嬉しいよ。でも、同じ褒められるなら、言葉の通じる相手と普通に会話して、それで認めてもらえるほうがずっといい」

うーーーーーーーん。

そんなこと私に聞かれても、知りませんよ。

でも、ちょっと考えてみました。逆の立場だったらどうだろう?

自分が「ホストクラブ」に遊びに行くとしたら?

店内に入ると、若い美青年達がワッと私を取り囲む。私のためにおしぼりやら、飲み物を用意してくれる。そして・・・

「エエーッ。ビアンカさんって○○歳なんですかあ?イヤ、全然見えないッスね。25歳で通りますよ、マジ」
とか、
「オレ、同い年とか年下の女の子って興味持てないんですよね。やっぱ、ビアンカさんみたいな人生経験積んでるっていうかー、成熟した女性に憧れますよぉ」
とか、言われたとしたら、私は嬉しいだろうか。


やめてぇ~~~!って逃げ出したくなりそう。

そしてもし、男性が日本人ではなくフィリピン男性で、たどたどしい英語で、
「ユー、プリティウーマン!アイ・ウォント・トゥ・メアリー・ユー!」
と言い、その直後に隣の別の男性にタガログ語で「このブスのババアが・・・」なんてニヤニヤしたりして・・・


いやだよぉ~~~~っ


そう思うのは、私が女性だからでしょうか?
  1. 2005/09/17(土) 13:28:06|
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外国製道具の使い勝手

前エントリーに頂いたヒロシさんのコメントを読んで思い出しましたが、外国で生活していると、生活用品の使い勝手が日本のものと違って困ることがあります。

それについて、ちょっと書いてみたいと思います。

私がドイツにいて「使いにくい!」と思ったもの、逆に夫が日本にいて「使いにくい!」と思う物とは・・・

自転車
私「ドイツの自転車は前かがみになって乗るスポーツタイプばかりで、サドルも硬くて痛い!日本のママチャリなら、椅子に座るようにして乗るのでラクだし、傘をさしながらも乗れる。日本のチャリのほうがいいよ」
夫「バカ、傘なんかさして乗るな。それに日本の乗り方のほうが不自然で疲れるよ」

包丁
私「どうもドイツの包丁は使いづらい。刃が厚くて人参を切ると横にそれたり、刃の薄いものはペラペラしなって・・・」
夫「料理をしないからわかりませ~ん」

サランラップ
私「なーに?このダサいラップは?ドイツ製のは全然くっつかないね。日本製のはピタッとくっつくよ。さすが日本製!」
偉そうに豪語したけど、その後日本ではラップを燃やすときのダイオキシンが問題になり、ダイオキシンの出ないラップが販売されるようになった。試しに使ってみたら、なんのことはない。ドイツのラップと変わらないじゃないの。威張るんじゃなかった。

ベビーカー
私「ドイツ製のは頑丈で車輪も大きいんだけど、押すところの位置が高すぎて、私が押して歩くと肩が凝っちゃう。なんとかして」
夫は「日本のは低すぎて腰が痛くなる~。それに日本製のは軽すぎて、すぐに倒れて危ないよ。ガタガタ道にも対応できないし・・・」
しょうがないので、我が家ではドイツ製と日本製の中間くらいの「イタリア製ベビーカー」を愛用していました。

掃除機
私「ドイツのは重くて、音がうるさい!」
夫「日本のはゴミパックが小さくて、しょっちゅう交換しなきゃいけないから面倒!」

洗濯機
私「ドイツのは洗濯時間が異様に長いし、一度フタを閉めたらもう開けられないのが不便。脱水のときに洗濯機が歩き回るし」
夫「でも、日本製の洗濯機で洗ったものはシミが落ちてないよ。やっぱり洗濯物は煮沸しなきゃ。オレのシャツのシミ、なんとかしてよ」
洗い上がりに関しては、ドイツ製の勝ちだな~。

トイレットペーパー
私「ドイツ製のはカタイのが多くない?」
夫「日本のは引っ張るとすぐちぎれてヤダ!」

スプーン
夫「日本のティースプーンは小さくて持ちづらい!」
私「それはお気の毒に」

まな板
私「ドイツのまな板は小さくて使いづらい!」
夫「ふーん、そうなの?」

タオル
私「ドイツには使いやすい、手ぬぐいサイズのタオルがない」
夫「日本のタオルは薄っぺらくて、吸水性に乏しいぞ」

ダイニングテーブル&チェアー
夫「日本のは低すぎて、膝がつかえる!」
私「ドイツのは高すぎて、足がブラブラする~」

とまあ、いろいろあります。異人種間共同生活はなにかとメンドウです。




関係ありませんが、自宅の本棚スペースに余裕がなくなって本を増やせないので、記録のために「ブクログ」を始めました。ご覧になっても何も面白くないと思いますが、一応「わいるどわ~るど図書館」としてリンクしています。レビュー欄のコメントは書評ではなく、個人的な感想です。
  1. 2005/09/16(金) 14:34:09|
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異国でアルバイト 1

私がドイツへ渡ったのは、まだバブル時代のことでした。東京で英語の翻訳をして稼いだお金をせっせと貯金し、自分ではそれなりの蓄えを持ってドイツへ行ったつもりでした。

ところが、それまで円高マルク安だったのが、私が現地に着いた途端、東西ドイツの通貨統合があり、マルクが急騰したのです。お陰で持って行った留学資金の実質価値は激減。焦りました。

幸い、日本からの伝手で、ドイツでも翻訳の仕事が続けられることになり、ほっとしたのもつかの間、日本でバブルがはじけ、時をほぼ同じくしてドイツは東西統一の痛手で不況に突入。日本にいた頃は休む間もないほど次々と仕事が舞い込んできたのに、状況激変です。翻訳だけではとうていやっていけないような事態になってしまったのです。

もー大変!

渡独の目的は「留学」だったので、主たる活動は「学業」なのですが、アルバイトしないことには明日食べるものにも困る~。

そんなわけで、学業の合間を縫って、あっちこっちとバイトに駆けずり回る学生生活となりました。ドイツ語ができなくて大学の授業についていくだけでも精一杯なのに、異国で労働までしなければならないとは。とほほ・・・

でも、お陰で、随分いろんな経験ができましたよ~。今となっては楽しい思い出ばかりです。

お金になることなら何でもやって(体は売ってないです)、生活を繋ぎましたが、ドイツで一番最初に得た翻訳以外の仕事。それは「厨房での手伝い」でした。

大学の夏休みは長いので、学生は休みの間にアルバイトに精を出して一年分の生活費を稼ぐことが多いのですが、留学生も、夏休みに限り、フルタイムで就労することが許可されるため、私も目一杯働こうと思いました。

人材派遣会社に登録し、仕事を斡旋してもらうつもりで出かけて行ったのですが・・・そこでいきなりショックな体験をすることに。というのは、私、事務職希望だったんです。日本ではほとんどデスクワークのアルバイトしかやったことがなかったし、タイピングも日本人にしては得意な方でした。ところが・・・

「事務職希望ね。タイプできますか?」
「はい、できます」
「そう。じゃ、テストするから、このテキストを打ってみて」
渡されたのはドイツ語のテキスト。英語であればスラスラ読めて、ブラインドタッチできたのですが、慣れないドイツ語なので読むのに時間がかかり、しかもキーボードはドイツ語仕様でキー配置が違うんですっ。オロオロ、モタモタ。

とーぜん、失格っ!!

「全然ダメじゃない。あなた事務職は無理よ」
「はい・・・」
「肉体労働ならあるけど、それでいいわね」
「はい・・・」

ある保険会社の社員食堂厨房で働くことになりました。内容は、調理師補助。野菜を切ったり、鍋の中をかき回したりすればいいという。まーいっか。ドイツ語がまだ不十分なんだもん、仕方ないよね、「誰にでもできる仕事」しかもらえなくてもね。傲慢にもそう思って、翌週からその会社にしぶしぶ働きに行ったんです。

仕事着を渡され、作業場に案内されてびっくり!よく知った顔に会ったものですから。大学で一緒にドイツ語講座を受講したモンゴル人留学生がそこにいました。

「あんた、こんなところで何してるの?」彼女は、私を見るなり、そう言った。
「何って・・・バイトだけど、あなたは?」
「私も。でもさ、あんた日本人でしょ」
「それが?」
「なんで日本人がバイトなんかするの」
「はあっ?」

どうやら彼女は、日本人留学生というのは甘やかされた坊ちゃん、嬢ちゃんたちで、日本からたんまり仕送りしてもらって、のうのうと生活しているイヤーな奴らだと思ってたらしいのです。彼女が学校で嫌にツンケンした態度を取るので、不思議に思っていたけど、そういうことだったのか。

えーと、私達日本人留学生は、そうではありません。もちろん人にもよるけど、大抵は苦学生ですよ。日本では親に学費を出してもらう人が多いですが、日本では学費がすごくかかるので、親に大きな経済的負担をかけてしまうんです。だから、その上留学したいと思ったら、自分でなんとか費用を工面するのが普通ですよ。

そう説明したら、「え~、そうなの?知らなかった~」と驚いていました。そして、誤解が解けたら、急に親しくしてくれるようになりました。

とりあえず知っている人が職場にいてよかった。さあ働くぞ!どうせ、「誰にでもできる仕事」じゃん!(と、まだ傲慢バリバリで・・)

と思ったけど、そんなに甘くなかった!

簡単な仕事だとタカをくくっていたら、エライ目に遭いました。いえ、作業そのものは極めて単純なんです。特別な技術は必要としない。調理そのものは調理師がやるので、私はほんのお手伝い。しかし・・・

「ほれ、ちょっとここでスープかき混ぜてて!」と呼ばれ、鍋のところに行き、中のおたまを手に取って、「うげっ!」
大人数分の煮炊きをするため、当然、お鍋のサイズは特大なのですが、おたまもオッソロシク大きく、重い。非力な私には到底片手で動かせるような代物ではないのです。両手で握って、えっちらこ、どっこいしょ。私って一寸法師だったのね・・・って気分。

そうかと思えば、「ほれ、モップと塵取り持ってきて、ここ掃除して!」と大声で怒鳴られるのですが、「モップ」とか「塵取り」とかドイツ語で言われても、なんのことやらわからんのです。大学では「環境汚染」とか「基本的人権」のような語彙を学びましたが、ゼミでモップや塵取りの話はしません。家では掃除もしますが、周囲の人と掃除道具について語り合うわけでもないので、そういう単語、知らなかったんです。

「なにっ。あんた、モップもわからないの?そんなことも知らないで、よく仕事になんか来れるもんだ。ブツブツ・・・」
叱られてしまいました。

おまけに、職場の人達は私のことを、「おいっ。チョン・リー!」「ヘイ、チン・チャン!」とか、そのたびに適当な名前で呼ぶんです。
「私には正式な名前があるので、それで呼んで下さいっ!」と抗議しても、
「いいじゃん。日本人の名前ってどうせ似たようなのばっかりだろ」

そこにいる人達、決して差別的とかそういうんじゃなくて、彼らなりに親しみを篭めて私にニックネームを与えてくれていたようなのですが、どうもなあ~。

その上驚いたことに、朝7時から午後3時までの勤務時間中の半分以上は、調理以外の仕事をしなければなりませんでした。それは・・・掃除です。ドイツ人のきれい好きにはウスウス気づいていましたが、調理場の衛生管理がこれほどまでとは思いもしませんでした。汚れたところをきれいにするなんて、生半可なものではないのです。毎日、毎日、厨房中を隅から隅までピッカピカに磨き上げなければなりません。これもまた、大きくてずっしり重いモップを使って。(ひぃ~っ)

調理しているより、掃除している時間のほうが長いんですよ、本当に。調理台もクレンザーで磨きたて、拭いた後の筋がたった一本残っていることすら許されません。ほんの指紋一つだっていけません。

外で来ていた服は更衣室で脱ぎ、下着の上に白衣を着用。一度来た白衣、一度使った布巾は必ず洗濯に出し、翌日は煮沸滅菌されたリネンを洗濯室から受け取り、使用します。

日本のあるお惣菜屋の厨房では、一日の終わりに布巾をゆすいで干して、翌日それをまた使ったり、オーブンの後ろがゴキブリの巣になっていたり、調理場で着る制服のまま家に帰ってしまう人がいたことを思い出してしまいました。えらい違いです・・・

そんなこんなで、仕事を終えて疲れきって家に帰ると、ソファーに身を投げ出すなり、瞬時に眠りにおちてしまう毎日。楽な仕事だなんて、とんでもなかったです。

「あなたには事務は無理。せいぜい肉体労働ね」どころか、「肉体労働だってろくにできない」ということを身に沁みて感じ、「そんな簡単な仕事」と決めつけていた自分が恥ずかしかったよ。

厨房で働くこと、7週間。腕は筋肉でモリモリになりましたよ。

思い起こせば懐かしいです。
  1. 2005/09/12(月) 23:39:23|
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子供のための語学レッスン

語学習得に関する過去二回のエントリーにご意見をお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。

まだまだ試行錯誤の真っ只中にいる私の、素人意見に過ぎない記事でしたが、他の外国語学習者や複数言語で子育てをしている方達のお話はとても参考になります。

しつこいようだけれど、もう少しだけ、言語習得について。

外国語学習を始めるのは早ければ早いほどいいのか

どうなんでしょうか・・・今まで見、聞き、体験したことから判断すると、そんなに早いうちから始める必要はない気がしていますが。

我が家の場合、バイリンガルで育てるよりどうしようもないのでそうしています。夫は日本語では充分なコミュニケーションが取れないし、私は一応、ドイツ語だけでもなんとかなりますが、それは大人が相手の場合であって、「いないないばあ」とか「いたいのいたいのとんでけ~」のような赤ん坊への話しかけ言葉をドイツ語で知りませんでしたから、子供には日本語で話しかけるよりなかったんです。

また、子供が小さいうちは、こちらが少々難アリのドイツ語(夫の場合は日本語)で話しかけていても問題はありませんが、子供達が成長するに従い、子供に言語力で追い抜かれてしまい、バカにされるのでは・・・という危惧もありました。

それから私の場合は、「外国に住んでいるのだから、せめて自分の子供とくらい母国語で話したい!!」というエゴもあったんです。

ですから、「言葉を覚えたら子供の将来に役立つから」と意図して二ヶ国語で育てることを選択したというよりは、そうせざるを得ない状況だった。

日本でもドイツでも、「なるべく早いうちから外国語を!」と考えて、幼児期から子供に英会話のレッスンを与える親が増えています。でも、うちの場合は、日本語とドイツ語だけですでにあっぷあっぷの状態なので、これ以上は無理!と、英語はまだ全然やらせていません。日本で娘の幼稚園(保育園)探しをしたときにも、「英会話の時間がないこと」を条件にしたほどです。

時期が来たら、息子にも娘にも英語を是非覚えて欲しいとは思っていますが・・・

「英会話はできるだけ小さいときから始めたほうがいいか」

これについては、私には中学生くらいから始めたので充分な気がします。というのは、言語というのはいくら教え込もうとしても、その時点での脳の発達レベルを超えたことは決してできないはずだから。

小さな子に外国語で繰り返し話しかけていると、言われたことを理解するようにはなるでしょうが、所詮一歳児は一歳児のレベルのことしか理解できないし、話すこともできません。つまり、零歳児からレッスンを受けさせても、進歩は極めてゆっくりで、その子が例えば15歳になったとき、13歳から英会話を始めた子にあっさり追いつかれてしまう可能性があるんじゃないかな、と思うんです。

完全なるバイリンガルを目指すのではなく、基本はあくまで日本語で、プラス英語も通じるレベルをということなら、もっと大きくなってからでも大丈夫じゃないでしょうか。赤ちゃんにフラッシュカードを見せて覚えさせる必要はないんじゃないかなあ。

じゃ、小さい頃からやっても無駄ってこと?

矛盾するようですが、無駄ではないと思います。幼児に外国語レッスンを受けさせても、高度な語学力が身につくことはないでしょうが、外国語の音に慣れ親しむことで、聴く能力はきっと発達するし、外国語への不安や抵抗がなくなれば、それだけでもプラスでしょう。少しでも外国語の音を拾った経験があれば、もっと大きくなって本格的に学習するときに随分違うのでは、とも思います。

まとめますと、こうなります。

「小さい頃から外国語学習を始めるのは無駄にはならないけど、そんなに焦る必要もない。できる環境があるのなら、子どもの負担にならない程度に楽しくやれば、それが理想的」

とは言ってみたものの・・・確信はないです。

  1. 2005/09/11(日) 21:33:03|
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外国にいれば自然に外国語ができるようになる?

昨日の続きです。

今度は、「外国に行けば、何もしなくてもその国の言葉がペラペラになるかどうか」について。

結論から言うと、「ならない」と思います。

「マリコさんはアメリカに半年住んだら、英語がペラペラになって帰って来た」

そんな話をよく聞きますね。だから、「外国に住んでいた=外国語がペラペラ」と一般的に思われがちですが、実際にはそういうわけでもなさそうです。

マリコさんが英語を喋られるようになったのは、何もしなくてもそうなったのではなくて、何かをしたからそうなった。何もしなければ、喋れるようにはならない。いろんな例から、私はそう考えています。

一例ですが、ドイツに住んでいたある日本人家庭の息子さんの場合。両親ともにドイツ語は話さず、家では日本語のみのご家庭です。その子は三歳まではドイツ語にほとんど触れることはなく、おうちで両親と日本語で会話し、近所の日本人のお友達と日本語で遊ぶ毎日でした。

三歳になり、地元の幼稚園に通い出したのですが、卒園する頃になっても、彼は相変わらずドイツ語を理解しませんでした。というのは、幸か不幸か、同じクラスにもう一人日本人の子がいたので、いつもその子と二人で日本語で遊んでいたようなのです。ドイツ人の先生に「さあ、これから皆でお絵描きをしましょう」とか「ここに並びましょう」とか声をかけられることは勿論あったはずですが、そういう日常的なフレーズすら、彼は理解しません。言葉を聞いて行動するのではなく、周りの子が絵の道具を取り出したり、並んでいるのを見て、「そうするのか」と判断し、行動していたらしい。

とうとう卒園が近づき、小学校入学のための検診を受けることになったのですが、あまりにドイツ語がわからないので、「この子は小学校に入ってもやっていけません。入学を一年遅らせて、まずはドイツ語を練習させたらどうですか」と医者に言われてしまった。さあ、大変!両親は慌てて家庭教師をつけ、必至で息子にドイツ語を覚えさせようとしました。

もう無理やりというかんじで、入学させたのですが、あ~ら不思議。学校へ上がった途端、急にドイツ語を覚えだし、あれよあれよという間にドイツ人の子に追いついてしまった。

これは、一体何を意味しているのでしょうか。

幼稚園時代、彼はドイツ語を覚える必要性をまったく感じていず、ドイツ語が聞こえていても「自分には関係のない言葉」としてシャットアウトしていたのかもしれません。しかし、学校に入ったことで、ドイツ語を「関係のある言葉」と認識し、インプット作業を始めたということかな?

その子に限らず、大人でも子供でも、長年外国に住んでいてもその国の言葉を話さない人は結構います。その言語を話す必要に迫られていなかったり、話したいとも別に思っていなければ、いくら音として聞こえていても単なるBGMとして流れているだけで、情報としてインプットされないのじゃないでしょうか。

ですから、「外国に住んで、その言語の音をシャワーのように浴びれば自然にペラペラになる」わけではなく、吸収しようという意思がなければ、喋られるようにはならない。

これも、個人的見解ですけど・・・

  1. 2005/09/09(金) 13:19:10|
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子供の言語習得

子供達を日本語とドイツ語のバイリンガルで育てているので、外国語学習について、いろいろ質問されることがあります。

「外国語学習は小さいうちから始めたほうがいいんだろうか?」
「子供はなんの苦労もなく外国語を習得するというのは本当?」
「文法よりも会話中心に勉強したほうがいいの?」
「シャワーのように外国語の音を浴びているだけで自然に話せるようになるの?」

私、言語学の知識もそれほどないし、語学教師でもないのですが、これから何回かに分けて、自分自身と家族の限られた言語体験から感じることを書いてみることにします。

まず、「子供は外国語に触れる環境にいれば、何の苦労もなく、自然に言葉をおぼえるかどうか」

「子供は自然におぼえる」、というのは大体その通りだと思います。机に向かって文法書を開いたり、単語の書き取りをしなくても、その言語環境に置かれれば、母国語を習得するのと同じようなプロセスを経て外国語を習得していくようです。

だけど、「何の苦労もなく」かどうかは・・・

うちの息子の場合。ドイツで生まれ、最初から夫は息子にドイツ語で、私は日本語で話しかけました。二ヶ国語で話しかけられたせいなのか、息子は言葉が遅く、満二歳になるまでマトモなことは何も言いませんでした。二歳児検診の時にも、「この子は言葉が遅い」と言われ、母子手帳にもそう書かれてしまった。

ようやく喋りだしたのは主に日本語。夫の言うことも理解はできるようでしたが、母親の私といる時間のほうが長いので、出てくるのは圧倒的に日本語でした。ところが幼稚園に通いだしたら、突然ドイツ語が伸び、日本語はダメになったんです。発音は全く普通のネイティブの日本語ですが、文法というか言い回しが、ドイツ語をそのまま訳したようで変です。おかしな言い方をしたときは、私が自然な日本語に訂正するように気をつけていましたが、私自身も普段、日本語をあまり使わないので、息子の変な日本語につられて何だかヘンチクリンな日本語になってしまったり・・・

そのうち、不自由な日本語で話すことに嫌気がさしたらしく、息子は日本語を一切使わなくなってしまいました。私がいくら日本語で話しかけても、帰ってくるのはドイツ語ばかり。あ~、このままもう日本語は話してくれないのかなあ~と暗澹たる気持ちで過ごす日々が続いたのです。

せっせと日本語のビデオを見せたり、日本人の子供のいるところへ連れて行ったり、悪戦苦闘すること約一年。再び、日本語が出てくるようになりましたが、ドイツ語との差は歴然としていました。振り返って考えてみると、日本語を拒否していた時期は、ドイツ語が飛躍的に発展した時期でもありました。ドイツ語のほうがひと段落したところで、ようやく日本語を習得する余裕が出てきたのかもしれません。

幼稚園を卒園、小学校へ一年通ったところで日本へ。息子の当時の日本語は、かなり怪しいものでした。先生の言っていることがちゃんと理解できるか、授業についていけるか、最初はかなり心配でしたが、約半年で周囲に追いつき、四年生の現在は、平均的な日本人の子供よりも達者なくらいです。

で、ドイツ語のほうはといいますと・・・喋るのは全くOK。読むのもまあ、なんとか。でも、書くのは、ちょっとこのままではヤバイってレベルです。

結果を言いますと、読み書きはともかく、喋ることに関しては、現在は完全なバイリンガルの状態に達しています。でも「何の苦労もなく」ではなかったですね。本人、随分苦労していました。私もうんと苦労しました~。

次に、娘のケース。生まれたのはドイツですが、三歳で日本へ来たので、ドイツ語は赤ちゃん期レベルで止まってしまっています。日本語はベラベラのべラ。夫はドイツ語で話しかけていて、娘も理解はできているようなのですが、喋るのは難しいみたい。日本語とドイツ語のチャンポンで話すか、おっそろしい文法でドイツ語を話します。疲れているときにドイツ語を強要すると、キレる。この人も相当苦労してますよ~。

だから、「子供は苦労なく」っていうのはどうなのかな?中にはそういうお子さんもいるかも知れませんが・・・

根気よく続けていれば、バイリンガルに育てることは多分できると思います。でも、バイリンガルへ到達するまでの道のりは険しい。

というのが私の個人的な見解。
  1. 2005/09/08(木) 23:55:07|
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異文化巡りして来ました

大阪・名古屋の旅から戻りました。

出かける直前は台風接近と聞いて一瞬やめようかと思ったけれど、大阪は小雨、名古屋は晴天で、まったく支障なし!でも、帰宅したら、家の前に小枝や葉っぱが大量に落ちていてびっくりしました。埼玉は暴風雨に見舞われたのですってね。長野へ合宿へ行っていた娘も、「雨はちょっとしか降らなかった。山登りして楽しかった」のだと言っておりましたが。

さて、大阪の「みんぱく」ですが、相当なコレクション。丁寧に見ていたら、いくら時間があっても足りません。特設展示場ではアフリカのストリート・アート展をやっていて、ブラックアフリカを知らない私にはとても興味深かったです。売店にも世界のいろんな民具がお土産として並べてあったり、図書コーナーも面白そうな本で充実していたので、あれこれ物色してきました。

今まで見た文化人類学博物館の中では、かなり良かったですが、気に入らなかったのは、場所が悪いのと、展示の説明が少なすぎたこと。もうちょっと詳しい説明があったらよかったんですがね・・・

そして翌日。行ってきました。EXPO2005。企業パビリオンはには目もくれず、外国館だけに的を絞って回りました。それでも全部は見切れなかったんですよ~。平日だというのに、かなりの人出。一番人気だというドイツ館なんて、180分待ち!
「冗談じゃない。バカバカしい!」と、普段ならあっさり背を向けるところですが、気楽な単独行動、急いでいるわけじゃないし、夫の国の展示なんだから見てやるべ、と根性で並びました。並んでいる間は、他のパビリオンからもらってきたパンフレットなど読みふけっていたので、案外早く過ぎたんですけど。

ようやく順番が回ってきて、待ちに待った噂のハイテクカーに乗ってドイツの誇る素晴らしい(らしい)展示場を一巡したんですが・・・

「ほう。これは・・・スッゴ~イ!!!・・んだよねぇ?」

で終わっちゃった。技術的素養がないもので、よくわからなかったんです~(泣)素養がないということは、人生の損。三時間待った挙句に得たものは、「私って、なんて馬鹿」と気づいたことだけだったなんて。嘆かわしい。

EXPOテーマは「自然の叡智」だったらしいですが、ああやって一つのテーマでいろんな国が展示をするって、まさに「世界文化祭」。見ていて楽しかったです。それぞれアピールしたいものが違って、価値観の違いが表れていて面白い。

私が特に興味を惹かれたものをいくつかご紹介しますと・・・

おっとびっくりメキシコ館  メキシコへは、アメリカ南部からグレイハウンドの長距離バスでちょこっと訪れたことがあるだけですが、なんとなく素朴な国というイメージを持っていました。ところが中に入ると、「え、メキシコってそうなんですか?」と驚くほどの洗練されたアートな空間。自然の神秘と民俗文化の色彩が織りなす幻想的世界。かなり気合が入ってました。

不思議の世界トルコ館  幾何学模様がテーマの展示で、館内はいろいろな形のオブジェで飾られ、楽しかったです。息子に見せたかった~。

ハイセンスなグッズ、オンパレードのタイ館 展示はそれほどでもなかったのですが、商品コーナーに並べられた小物があまりに美的なのでウットリしてしまいました。タイ人はもともとセンスがいいのでしょうが、タイの民芸品って以前はもうちょっと野暮ったさがあった気がします。いつの間にこんなにお洒落に・・・!?

発想はいいけど・・・シンガポール館 熱帯国シンガポールでの生活を知るという発想で、スコール体験をさせてくれます。ビニール傘をさして館内に入ると、スコールの映像とともに天井からジャーッと水が降ってきて笑えるのですが、しょっちゅう台風に直撃されている日本人にはそんなに面白くもない気が・・・

見応えあったよ韓国館 展示も素敵でしたし、3Dビデオも楽しめました。韓国って凄いっ!でも、個人的には「ヨン様パネル」はなくてもよかったかな~。

他にも、アクセサリー屋に徹していたイェメン館や、野郎ばかりでなんとか華やかさを出そうと頑張っているカタール館、キラキラ綺麗なモロッコ館など、どれもそれぞれ楽しく拝観しました。

だけど、一番私の心に残った展示は、この国のものです。

ブータン王国

お金がかかっているわけでも、趣向が凝っているわけでもない、素朴で質素なパビリオンでしたが、足を踏み入れた途端、そこに漂う優しい空気に心が和み、しばらく立ち止まって静かに展示を眺めていました。

「GNP(国民総生産)よりもGNH = Gross National Happiness(国民総幸福)を目指す」というブータン王国。少し前に、慶長さんのブログ「ワシントン通信2.1」でこの国について読ませて頂き、興味を持っていたのですが、自分達人間を自然の中の一要素として位置づけているブータンの人達の展示を見ていると、「本質」という言葉が頭に浮かびました。いつか、訪れてみたい国です。

丸二日間歩き回って、クタクタ。あっちこっちと遊び歩きながら、「人間って奥深いよな~」「世の中にはまだまだ面白いことありそうだな~」って感じた、小さな異文化旅行でした。
  1. 2005/09/07(水) 23:21:56|
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一人旅、決行します!

前々から是非、行ってみたかったところがあります。

それは、大阪にある「国立民族学博物館」。

私は博物館フリークで、「博物館」と聞いただけで血が騒ぐのですが、なかでも「民族学系」の博物館は特に大好きです。旅先では必ず目ぼしい博物館をチェックしますし、ドイツで学生だった頃には、民族学博物館で研修をしていたこともあります。

そんな私にとって、大阪の「みんぱく」を訪れることは長年の夢。でも、子供達と一緒では、「騒いじゃダメ!」「走っちゃダメ!」「触っちゃダメ!」と息子を怒鳴り、同時に「疲れた~」「喉乾いた~」「早く帰ろう~」という娘をなだめすかしつつの見学になるのが目に見えています。ゆっくり見られないんじゃなあ~、ってことで、今まで実現せずにいたのですが・・・

とうとうチャンスがやってきました!明日から三日間、娘が保育園の合宿で家に帰って来ません。合宿は初めてではありませんが、前回のときに私が、「あ~、ゆりこがいないと送り迎えがないし、夜も出かけられるし、なんか自由だなあ~」とつぶやいたら、夫にこう言われたんです。
「せっかくの機会なんだから、好きなことしなよ。そうだ、大阪に行きたいって言ってたじゃないか」
そうか、この隙に行って来ればいいんだ!

とは思ったものの、やっぱり現実を考えると即決はできません。
「でも、ゆりこがいなくても、大介はいるからね~」
しかし、息子は、
「大丈夫だよ。ぼく平気だから、お母さん、行って来なよ!」
「う~ん・・・でも、ちゃんと遅れずに学校へ行けるのかい。お便りはどうするの。パパは読めないよ」
「だーいじょぶ、だいじょぶ。なんとかなるってー!!」
夫と息子が口を揃えて言うので・・・(なんか企んでいるんでしょうか)
よしっ、じゃ行ってくるか

明日の朝、娘を送って行ったら出発します。大阪でみんぱくを見学後、帰りには名古屋に寄って「愛・地球博」の外国館巡りもしてしまおうという欲張りスケジュール。万博へは家族で行きたかったのですが、相当混んでいるという噂だし、どこから見ていいかわからずウロウロして疲れるだけに終わりそうで二の足を踏んでいました。ですから今回、一人でじっくり下見をして、目ぼしいところをマークし、連休にでも家族で再度訪れて効率よく回ろうという魂胆です。

というわけなので、ものすごーーーーーーく久しぶりに、
女一人世界周遊の旅
(擬似ではありますが・・・)へ行って参りま~す!!






  1. 2005/09/04(日) 11:42:13|
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折り紙鉄道

昨日で小学校の夏休みも終わり。新学期です。

第一日目の今日、息子は夏休みの作品を抱えて嬉しそうに出かけていきました。こないだ作ったクレヨンもそうですが、ほかに折り紙で汽車も作りました。先生や友達に見せるのが楽しみで大張りきり。

「写真取って~」と言われたので、取りました。

折り紙


なかなか頑張ったでしょ?

川崎敏和さんという方の「折り紙 夢ワールド」という素敵な折り紙の本にあった、「銀河鉄道の夜」を参考にして、十日ほどかけて仕上げました。

少し雑なところもありますが、本人は大満足。

やっと私も仕事に戻れます。やれやれ。
  1. 2005/09/01(木) 21:56:59|
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