わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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ネットワークとスモールワールド

すまいるさんのIT'S A SMALL WORLDにTBします。(ちょうど同じようなこと考えてたとこでした)

たった今知り合ったばかりの人と自分との間に、共通の知人がいたときの驚き。世界の果てで、偶然にも同じ小学校出身者に出会ったとき。
「へえ~っ!世の中狭いねぇ~」って本当にびっくり。すまいるさんや私だけじゃなく、誰しも経験することではないでしょうか。

でも、実際に世界は狭いらしいですね。ネットワーク科学の「スモールワールド理論」(ダンカン・ワッツ&スティーヴン・ストロガッツ)によると、世界中の人間は皆、お互いに「知人6人分」しか隔たりがないのだそうですから。相手が有名女優であろうと、どっかの国の大統領であろうと、遊牧民の息子であろうと、まったく同じように六人の知人を辿るだけで到達できるんだとか。(もちろん、繋がりを正しく辿ればの話でしょうが)これはリアルな世界だけでなく、ブロガーも同じらしいです。

ブログ巡りをしていると、「あら、Aさんがこんなところにもいらしてるのね」ってことありますよね。「BさんとCさんって、繋がってたんだ~」とか。

ブロガーのネットワークって、どんな構造をしているのかな?なんだかチラッと見てみたい。どこで誰と誰がどんなふうに繋がっているのかを知ることができれば、世の中全体の構造も見えてはこないでしょうか。そこから、今後浮上してきそうな社会問題を読み取ったり、政策を立てるのやマーケティングに役立てるなんてこともできるんじゃないのかな。あ~、なんだかオモシロソウ。

社会学から生まれ、いまやあらゆる学問分野に取り入れられているネットワーク分析ですが、安田 雪 「ネットワーク分析 何が行為を決定するか」にはこんなふうに説明されています。

自分にとって興味のある現象に接した場合に、その場に存在していた個々の人々や、その人たちの資質や能力を問題とするよりも、むしろ、その状況とそれを取り囲む目に見えないネットワークの存在を考えてみようとするのです。



つまり、ある人が他者とどういう社会的つながりを持っているかが、その人の行為に大きな影響を及ぼすのだという考え。人類学者のボット(Bott, Elizabeth)も、いち早くこのネットワークの考えに注目し、
「夫婦が家事を分担してやるかどうかは、夫および妻の社会的ネットワークがどういうものであるかに係わっている」
と言ってましたっけ。

確かに、夫婦揃って同じ地域に生まれ育ち、そこで結婚して、おばあちゃんもおばちゃんも友達もみーんな近所という夫婦と、都会の核家族で友達・知り合いは日本中(あるいは世界中)に散らばってる夫婦とでは、周囲のサポートを期待できない後者のほうが必然的に互いに対して協力的になるでしょうなあ。

世界が本当に6人の隔たりだけで一つに繋がっているのだとしても、二次的三次的な間接の繋がりをも含めた自分のネットワークを把握している人は少ない。

テレビや雑誌の写真でふと目にする、遠い遠い国の未知の誰か。

私とその人はどんなふうに繋がっているのかしら。想像するとちょっと楽しい。
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  1. 2005/06/30(木) 16:54:12|
  2. へえ~のお話
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貴重な時間

やっと夫と息子が帰ってきたと思ったら、今度は娘が合宿に出かけて行きました。行き先は那須。今日はりんどう湖で乗馬、南ヶ丘牧場で魚釣りをし、明日は茶臼岳に登り、温泉に入って帰って来るんだそう。茶臼岳って標高1917M。本当に登れるの?って感じですが、本人は大張りきりで出かけて行ったんですよ。

子供が生まれたばかりの頃は、家の中に縛られる日々で、「いつまでこんな生活続くの~」って思っていましたが、こうやってだんだんそれぞれの生活をするようになるんですねー。(当たり前だけど)

ふと気がつくと、6月ももう終わり。来年の今頃は、ドイツへ帰る支度をしているかもしれません。ということは、今の生活もあと1年。それじゃあ、残り少ない日々を大切に過ごそう!なんて気持ちを新たにしたちょうどそのとき・・・

夫がメールを送ってきました。
「ドイツの友達から回覧メールが来たんだけど、なるほどって思ったよ。読んでみて」
ドイツ語なんですが、今、全訳する気力がないので、簡単に要約しますと、こんなかんじです。

『 ある友達が奥さんのタンスから、綺麗な小箱を取り出して僕に見せてくれた。
「これ、7~8年前にニューヨークへ行ったときに妻に買ってやったものなんだ」
友達はそう言った。小箱の中身は洒落た絹の下着だった。
「あいつ、勿体ないから特別なときのために取っておくわって言って、一度も身につけなかったんだよ。でもとうとう、その特別なときがやって来たんだな」
友達の奥さんは、その日の朝、亡くなったのだった。

 それ以来、僕は「いつか」とか「その日が来たら」という言葉を口にするのをやめた。特別なときのために何かを取っておくこともしなくなった。今生きているこの時間こそが「特別なとき」なのだと思うようになったから。だから、自分がそうしたいと感じたら、高価なカットグラスでワインを飲むし、お気に入りのスーツを着てスーパーへも行く。

 友達の奥さんが、翌朝には自分はもうこの世にいないのだと知っていたとしたら、彼女はどうしただろうか。親や親友に電話しただろうな。ケンカしてる相手と仲直りしたかもしれないし、大好きな中華料理を食べに行ったかもしれない。

人生って、一つ一つの経験の集まりなんだ。そして、すべての経験はどれも同じように大切なのだ』


うふふ・・・

夫がこのお話を気に入ったのがよくわかります。最近、彼はよく言っているんです。
「夢を持つのもいいことだけれど、将来のために今を犠牲にするのはやめよう。今あるものを大事にしよう」

典型的な未来志向だった彼がこう考えるようになったのは、どんな心境の変化によるものなのか、はっきりとはわかりません。

でも、私も「もっと今を大切にしよう」と思ったのでした。

  1. 2005/06/29(水) 17:28:23|
  2. 日常
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夫と息子が帰ってきた!

昨夜、夫と息子がドイツから帰ってきました。

約二週間の間、私は娘とネコ(まだいるんです。娘の拾ってきた捨て猫)の二人+一匹暮らしでした。楽といえば楽だけど、やっぱり寂しかったー。だから、男どもが戻ってきて嬉しいよ。

夫の両親の家は田舎にあるのですが、息子は赤ん坊の頃からよく遊びに行っていたので、近所に友達がたくさんいます。ドイツの小学校は午前中で終わりなので、毎日、学校が終わると子供達が「遊ぼ~ぜ~」と迎えに来る。すっかりドイツの子に戻って、野山を駆け回ってきたようです。

今朝はお土産の黒パンとハムを朝食に食べました。夫も息子も時差ぼけで朝3時に起きたそうなので、今頃は会議or授業の最中に居眠りしているんじゃないかと、ちょっと心配。

出がけに夫が「これ全部洗濯物だから」とスーパーの袋を置いていったので、ああハイハイ、と中身を洗濯機にドサッと入れてスイッチを押しました。すると、なんかゴロゴロ変な音がするんですよね。ドラム式なので、開けて中身を確認することができず、そのまま洗い続けたのですが、終了のブザーが鳴って中身を取り出しているとき、ある物を見て目が点に・・・・

なにかの瓶のフタが出てきたんです。えっ、何これ?と洗濯物を掻き分けると、洗濯機の奥にはジャムの瓶!中身は底にわずかに残っているだけ。

洗濯物をジャム一瓶と一緒に洗っちゃったみたいなんですっ

どうやら、おみやげのジャムの瓶が割れては大変と、洗濯物でくるんで持って帰って来たらしい。汚れ物で包むなよっ!出すときに一言、そう言えよっ!と心の中で罵ってみましたが、やっぱり確認しなかった私がイケマセン。それに、せっかくのジャム・・・もったいなあ~~~い!!

ざっと見たところ、衣類にジャムは付着していませんでしたし、ジャムの匂いもしませんでしたが、もう一度洗いなおしですよ。

あ~~~、バカバカ。

こんなドジなお母さんのところへ、よくぞ帰って来てくれました。ぐすん。
  1. 2005/06/28(火) 14:20:42|
  2. 日常
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子供の頃に信じていたこと

FC2ブログの「トラックバックテーマ」に「子供の頃に信じていたこと」という題がありましたので、私も参加します。

私が信じていたことは・・・

耳鳴りの音を「地球が回る音」だと思っていた

今思うと、何でしょうね・・・ちょっとイカレタ子っぽいですね。

ああ、恥ずかし。
  1. 2005/06/27(月) 17:53:36|
  2. 未分類
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私の守護聖人

ドイツに住むようになって何年も経ち、ドイツ語文法は一通り頭に入った、語彙もかなり増えた、発音もOKというレベルまでドイツ語力が上がっても、それだけではネイティブと同じように読書や映画鑑賞を堪能できるわけではない。高度なジョークもわからない。そう気づいたとき、があ~んと打ちのめされた気分でした。

「ネイティヴ」という言葉の意味がはじめて理解できました。○語のネイティヴであるって、正しい文法で訛りなく話すことじゃないんですね。話す言葉がその言語特有の文化背景に支えられているからこそネイティヴというんですね。

ドイツ社会で生活し日常文化に浸かることで、表面的な文化背景は知ることができる。でも、一つの国の文化ってもっともっと奥深い。ドイツ語で小説を読むようになって気づきました。

「キリスト教の知識がまるでないと、わからないことが多すぎる!!」

美しい教会を訪れても、キリスト教徒でない私は「ふ~ん、綺麗だねえ。凄いねえ」で終わってしまうし、美術館で宗教画を見ても「???」。映画も西欧のものには聖書からの引用があったり、聖書の言葉をもじった台詞になっていたりする。クイズ番組を見ていても、ドイツ人なら誰でもわかるようなことがわからない。

うーーーーん。これは、つまらないぞ。

そう感じるようになり、ではキリスト教の知識を仕入れましょうと思い立ったのですが、どうもよい方法がない。図書館や本屋へ行って関連書をあさってはみたけれど、「キリスト教義そのものの本」以外で見つかったのは分厚い「宗教史またはキリスト教美術の本」ばかり。膨大な情報量でどこから手をつけていいかわからないのと、ドイツ人なら誰でも知っている初歩的なことはわざわざ書いていないのとで、いろいろ入手したわりには使いこなせていませんでした。

でも、先日、日本の書店でこういうのを見つけたんです。

「キリスト教文化の常識」 石黒マリーローズ

手に取ってみると、なるほどこれはわかりやすそう。著者はレバノン出身で日本在住。キリスト教文化を特に日本人を対象にまとめてあります。早速購入して読みました。断片的にはすでに知っていることもありましたが、ある程度系統立てて知識を仕入れる方が効果的ですね。

私がこの本により初めて知ったことの一つ。それは守護聖人についてです。聖人って世界にすごくたくさんいるんですね~。毎日が一人ないし複数の聖人の記念日なんですって。この本には聖人カレンダーがついていて、自分の誕生日がどの聖人の記念日であるかを調べることができます。ちなみに私の誕生日は3月17日。この日がアイルランドの聖人、聖パトリックの日だということはアメリカに住んでいた頃から知っていました。アメリカでは祝日ですから。でも、聖人のそれぞれが何か特定のもの(人)を守る役目をしていることは知りませんでした。たとえば・・・

聖バレンタインは、恋人の守護聖人。(これは有名ですね)
聖ビンセンシオは、ぶどう園経営者の守護聖人。
聖ヨセフは、大工・家庭の守護聖人。
聖マルコは、捨てられた子供の守護聖人。
聖オノレは、パンと菓子の守護聖人。
聖ペトロは、錠前士・魚屋の守護聖人。
聖女クララは、洗濯の守護聖人。
聖ルカは、医者と画家の守護聖人。
聖女カタリナは、法学者の守護聖人。
聖マタイは、収税者と両替の守護聖人。

ほうほう。そして・・・

聖ヒエロニモは、翻訳者の守護聖人。

私、キリスト教徒ではないけれど、今後は「聖ヒエロニモ」と聞いたら嬉しくなってしまいそうです。


  1. 2005/06/26(日) 21:50:59|
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あまりにきれいなドイツの家

近所に住んでいるドイツ人のカチアが、時々お茶に誘ってくれます。「ケーキ焼いたから遊びにおいで」と。

カチアの住んでいるのは、我が家と同じ日本の一軒家。うちより少し古いかな。でも、門を通ってドアを開け玄関を上がると、そこは・・・「ドイツな空間」なんです。もう何度もお邪魔していてわかっているけど、カチアの家の居間に足を踏み入れるたびに、はっとします。だって、あまりにもきれいなんですもの。

単に掃除が行き届いているだけではありません。そこでは「生活臭」と呼べるものを感じることがない。テーブルにも、キャビネットやカップボードの上にも、システムキッチンの台の上にも、生活用品は一切出ていないのです。物が置けるスペースに置いてある物は、洒落たキャンドル立て、綺麗な貝殻を入れたガラスのボウル、和紙を貼りつけた茶箱。すべてデコレーションです。我が家のように、電話台に未整理の手紙や書類が重ねてあったり、玄関の靴箱の上に鞄類が無造作に置かれていたり、キッチン台にコーヒーやココアの入ったタッパーが乗っていたりはしません。カチアの家はまるでショールームのよう。でも、これってドイツではそう珍しくもない。ドイツ人は几帳面な人が多くて、挨拶の言葉からしてこうなんですよ。

Alles in Ordnung?
すべて秩序の中にありますか?

カチアの家に行くと、わぁ~と感嘆する一方、ちょっと落ち込んじゃう。あ~、うちももっと綺麗にしなきゃ~。それなのに、私が「相変わらずきれいにしてるね」と言うと、カチアは「えー、そんなことないよー。私なんか適当だよ。中には床を毎日水拭きする人もいるみたいだけど、そこまでしなくってもね~」という答えが返ってくる。
私「う・・・あのさ。カチアんちも、毎日床拭いてるようにしか見えないよ」
カチア「そーおー?」
私「うちなんか、いくら掃除してもこんなふうにはならないよ~」
カチア「子供がいるんだもん、しょうがないってー」
そう慰めてはくれますが・・・

ドイツでアパートを借りると、アパートごとにいろいろな規則があります。ゴミの出し方や騒音に関するものの他に、見苦しくない生活をしなければならないという決まりがある。厳しいアパートだと、「窓ガラスは○週間に一度拭きましょう」「ベランダに洗濯物を干してはいけません」「廊下に物を置いてはいけません」「夏場はベランダに花を植えて綺麗に飾りましょう」などなど。

私の周りにはドイツ人と結婚した日本人がたくさんいますが、きれい好きドイツ人姑と平均的日本人嫁の間では、ちょっとしたトラブルになることがあると聞いています。ある日本人嫁は、姑の家で浴室を使った後、バスタブの水滴をきちんと拭き取っていなかったと叱られたそうです。濡れたままだと黴の原因になったりするからかもしれませんが、嫁は「お義母さんが細かいから、すごく気を遣う~」とこぼしていました。

別の日本人嫁は、「義母に、シャワーを浴びた後、濡れた足でバスマットに上がるなと叱られた。信じられる?」とプンプン。「足を拭いちゃいけないなら、なんのためにバスマットがあるのよ!」

でも、これはたぶん誤解です。私も最初、すごく不思議だったのですが、ドイツのバスマットって毛足の長い、カーペットのような素材で作られているんです。日本のものはタオル地など、吸水性があって丸洗いできる生地ですよね。どうも変だなあと思っていたのですが、どうもあれは足を拭くためにあるわけではなさそう。お風呂上りに冷たいタイルの上に足を乗せて冷えないようにマットがあるんじゃないかと思うんです。だから、足はマットに上がる前にタオルで拭かなくてはならない。バスマットの定義が違うことから来る勘違いじゃないかな・・・

それはさておき、私も夫の母が来るときにはちょっと緊張します。ヤバっ、窓ガラス拭いてない~。きゃー、カーテン洗わなくちゃ~。あわわ、ベランダの床が汚れてる~。優しい人なので、「ちゃんとしなきゃダメよ」なんて言うことは決してありませんが、きっと心の中でため息つかれてるんだろうなあ。ほんと、すんませんです。だらしなくて・・・
  1. 2005/06/25(土) 20:28:34|
  2. ドイツ
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文学に語られるアイデンティティ

春休みに沖縄へ行ったとき、向こうで口にした味で印象深かったもの。それは「うっちん茶」。初めて飲んで衝撃を受け、すっかりはまってしまいました。この「うっちん茶」って、ウコン茶、つまりターメリックのお茶なんですね。だから、後味がカレーの味なんです。

気に入ったのは、すごく美味しかったからではありません。正直なところ、美味しいんだか美味しくないんだかよくわからない味でした。でも、どことなくエキゾチックな飲み物を国内で発見したことがちょっと楽しかったのです。

うっちん茶だけでなく、私の知らない日本が沖縄にはたくさんありました。たとえば竹富島で見たお墓。中国式の造りでした。沖縄の色彩感覚も台湾のイメージと重なり、私にとっては異国情緒満点だったのだけれど、逆に沖縄の人が私の故郷である北海道へ行けば、雪景色やアイヌの伝統芸能に「日本らしからぬもの」を見出すんでしょうね。それほどまでに自然環境も文化も違うのに、私と民宿のおばあちゃんは「同じ日本人」なのでした。日本語を話すから日本人?でも日本語なら外国人だって話します。「XX人である」って一体何なのか。他民族・他言語のインドやインドネシアのような国の人々にとって「インド人である」「インドネシア人である」って何を意味するんでしょう。「~人であること」って、実はこれといった実体をともなわない「概念」に過ぎないのかな。

ずっと同じ国にい続ける限り、自分が何人であるかを特別意識することはないかもしれません。異文化に身を置いて初めて「私ってそういえば日本人なんだ」と思うようになり、しかしその紛れもない日本人であるはずの自分が再び日本に帰ってきたら、異文化の中でいつのまにか変化してしまった自分に気がつく。外国暮らしをした人なら、多かれ少なかれ経験することではないでしょうか。ドイツにはトルコ人がたくさんいますが、彼らはドイツにいる間は「トルコ人」以外の何者でもない。でも、長年のドイツ生活を終えてトルコへ帰ったときには、「ドイツかぶれ」「半ドイツ人」とみなされてしまうんだそうです。彼らにとっての故郷はどこなのでしょう。

もしかしたら実体などないかもしれない「~人であること」が、人の心を揺さぶり、悩ますのはどうしてなのか。私自身もいろいろな場所で生活し、そのたびに変化していく自分に「あれ?あれれ?私って何者?」とわからなくなってしまった時期があります。最近は「アメーバみたいにかたちを変えるのがビアンカのアイデンティティでしょ」と開き直ってますが・・・

移民のアイデンティティについて書かれた文学作品は数多くありますが、私のお気に入りはこの三つ。

石川好 「ストロベリーロード」
農民としてカリフォルニアへ渡った日系一世たちの物語

エイミ・タン 「キッチン・ゴッズ・ワイフ」 
中国系移民の母とアメリカ人である二世の娘との間の文化ギャップとは

ジュンパ・ラヒリ 「停電の夜に」
インド系アメリカ人を描いた短編集

日系、中国系、インド系。彼らの体験するアメリカは、それぞれ別のアメリカなんでしょうか。
  1. 2005/06/23(木) 21:32:44|
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ある日系アメリカ人の目が突然・・・

昨日の記事に頂いたコメントにお返事を書いていて、ふと思い出したのですが、私には日系三世アメリカ人女性である友人がいます。

シェリルは純血の日系人ですが、日本語はまったくできず、日本へ来たこともありません。しぐさも態度も、どう見ても日本人でないように思えるのですが、ドイツでは「日本人のシェリル」と呼ばれていました。本人もそれを否定しません。私から見て、彼女が少しでも「日本人的」であるとすれば、それはご飯、醤油、海苔、ふりかけを常食としていたところだけ。

そんなシェリルがあるとき、こんなことを言い出したんです。
「私、25歳位のときに突然目がおかしくなっちゃって、それ以来治らないの」
「目が?どういうふうに?」
「あのね、昔は私の目ってこうだったの」と言って、彼女は指で瞼をびろーんと伸ばしてみせる。
「それが、ある日朝起きたらこうなっちゃってて・・・」と言って指を離す。
「びっくりして目医者に行ったんだけど、いくら説明しても医者は理解してくれなくて、結局そのままなの」
はあっ?それって・・・

ちょっと待ってて、と言ってシェリルは若い頃の写真を出してきて見せてくれました。見ると・・・やっぱり!!

彼女はかつて、一重瞼だったようです。

何かの拍子に突然一重瞼が二重瞼になることってありますよね。アメリカ人の彼女は「一重瞼」「二重瞼」という概念を知らなかったので、何事かと驚いて医者に相談に行った。しかし、やはりアメリカ人である医師にもそういう概念はなかったようです。いくら写真を見せて説明しても、白人である医者には一重瞼と二重瞼の区別がいっこうにつかない。
「何も変わらないじゃないですか。異常ないですよ」
その一言で終わってしまったそうです。

日本では、どちらかというと一重瞼よりも二重瞼のほうがよい、という考えがありますが、欧米人から見ると、一重でも二重でも日本人の目はどれも一様に細長くて、違いがあるようには見えないのかもしれません。

「日本人の瞼には蒙古襞というのがあって、そのため瞼の皮膚がぴーんと張るため、本来持っている瞼の二重の襞が伸びきっている場合がある。それを一重瞼と言う。でも、痩せて瞼の脂肪が落ちたり、年をとって皮膚の張力が下がると、伸びていた襞が表れて二重瞼になることがある」(これでいいんですよね?)と、シェリルに説明したら、
「ふ~ん、そうなのー。知らんかった・・・」と驚いていました。 続きを読む
  1. 2005/06/22(水) 20:43:22|
  2. 各国情報
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語学の楽しみ

私の夫は現在、駐在員です。日本へ来るとき、「東京オフィスがいいですか。それとも埼玉の工場がいいですか」と聞かれ、迷わず「埼玉の工場にします!」と答えた彼。満員電車が嫌だったのが主な理由みたいですが、埼玉を選んだおかげで私達一家は、普通の日本の家に住み、子供は日本の学校に通い、日本式の食事をし、普通の日本の店で買い物をし、おつきあいはほとんど日本人ばかりという、およそ駐在員家庭らしからぬ普通の暮らしをしています。

でもここでの楽しい暮らしもあと一年で終わり。来年の夏になったら駐在契約満了です。その後どこへ配属になるか、まだわかりません。ヨーロッパの企業なので、「来月からXXの国へ行ってください」と人事部から言い渡されることはなく、ポストに空きの出そうな部署から「どうですか」と打診があって返事をすることになっています。私達はてっきり、前に住んでいたフランクフルト近郊へ戻れるのかと思っていたら、どうもそうではないようで、今のところこんな三つの案が出ています。

1.パリ本社転勤
2.東京オフィスに転勤
3.ベルリンオフィスに転勤

夫は「1と2はちょっと・・・」と言って3に傾いているようなのですが、「ちょっと・・・」の理由は、「これ以上語学をやりたくないから」。語学が大嫌いな彼は、仕事の中で英語を必死に覚え、今度は日本へ来て日本語にすごく苦労しているのに、これ以上フランス語なんて!って言うんです。東京オフィス勤務をしぶっているのも、「日本語能力試験2級を受けなさい」と言われるのが嫌だからのよう。

そんな夫とは逆に、私は語学が好き。だから、パリでもいいかもって思ったのですがね~。フランス語は難しそうだけど、できるようになればきっと楽しいでしょう。世界中の人間が集まる語学学校も大好きですし。

「一つ目の外国語を学習するのは大変だが、二つ三つとやっていくとどんどん楽になる」

こんな話を聞いたことありませんか。まあ、実際にはそれほど楽にはならないと思います。新しい言語を勉強するということは、語彙を新たにワンセット覚えなければならないのだから、それなりに労力が要るし、使いこなせるようになるには、やはり何年もかかるでしょう。(そうじゃない語学の達人もいらっしゃるかもしれませんが・・・)

真剣に物にしようと思えば、簡単なことではないはずなのですが、それでも私にとって外国語学習は楽しい。どういうところが楽しいかというと、いくつもの言語をかじっているうちに、まったく見知らぬ言語に接したときにも、いくらか推測がつくようになってくることです。英語とドイツ語ができる私は、オランダ語やスェーデン語などを目にしたときに、それらの言語をまったく知らなくても「たぶん、こういうことだな」とわかることがあります。日本に「アンデルセン」という名前のパン屋さんがありますが、先日そこで「トレコンブロイツェン」なるパンを見かけました。何種類かの穀物の種が入っている小さいパンだったのですが、「あっこれはドライコーンブレーッチェン(三つの穀物の丸パン)のことだ」とわかってニコニコしてしまいました。「アンデルセン」が店名だから、デンマーク語なんでしょうか。

あるときは、バリ島でお世話になった家族に「これ、前に泊まった客が置いていったんだけど、まだ中身がたくさん入っているんだよ。こういうの使わない?」と言ってローションのようなもののボトルを手渡されました。何か北欧の言葉で書かれていたので全然読めなかったのですが、なにやらintimとかhygieneとかに似た単語があったので、「これはいわゆる、女性のデリケートゾーンの洗浄ローションだ!」と推測がついて、思わずゲラゲラ。

沖縄の料理に「チャンプルー」というのがありますが、あれはインドネシア語の「チャンプル(混ぜる)」と何か関係あるのかな?

イタリアでホテルに部屋を取ろうとして、
「マトリモニアーレ?」
とイタリア語で聞かれ、一瞬、イタリア語なんてわからないよーと思ったけど、英語の
matrimonialが「婚姻の」という意味だからダブルの部屋のことかなとわかったり。それにもちろん、日本語ができると漢字圏では結構、理解できますよね。

そんなふうにいろいろな言語をつなぎ合わせていくのがとても楽しいのです。

ところで、この間、路傍の花のわくわくふわくさんが、面白そうな本の案内を我が家の郵便受けに入れて行ってくださいました。白水社の「~語のしくみ」というシリーズなのですが、それぞれの言語の大まかな文法上の特徴を「しくみ」としてまとめてあるもののようで、なかなか画期的かもしれません。たとえばドイツ語はこれ

新しい言語を始めるとき、分厚い文法書の最初からチマチマやっていくのって、気が遠くなりますよね。ドイツ語のように初期文法が複雑な言語だと、しょっぱなから格変化につまづいて挫折する人も多そう。でもこのシリーズなら、寝っ転がっておせんべいでも齧りながら、その言語が「どういう言語なのか」ざっと読んで概要を掴むことができるようです。

おもしろそうだから、どれか読んでみようかな。何語がいいかな~?
  1. 2005/06/21(火) 21:48:25|
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知りたい世界の離乳食事情

ドイツで子供を育てていて一番とまどったのは、離乳食の与え方についてです。息子が5ヶ月くらいになって、さあ離乳を始めましょうと思っても、一体何を与えたらいいのかわからないのです。日本だったらまずおかゆ?おかずはお豆腐や白身の魚などでしょうか。でもドイツでは、お魚やお豆腐はそう簡単には買えません。ではドイツ式にやりましょうとドイツ語の育児書を読んでみると、第一日目からお肉を与えると書いてあります。大人のお昼ご飯のような肉料理とじゃがいもと野菜の付け合せを全部一緒にミキサーにかけて、ドロドロにした風なものを与えるのだそう。エッ、お肉?とちょっとびっくり。スジがあったりして食べづらくはないのかしら・・・

本にはこうも書いてありました。
「赤ちゃんが一歳になるまでは、お魚は与えないようにしましょう」
これにはもっと仰天。
ドイツは瓶詰めのベビーフードの種類が豊富で、スーパーの棚一列分あったりするのですが、基本的には「肉入り料理」「果物のピューレ」「ミルク粥」がほとんどで、確かに魚入りは見当たりません。お魚って離乳食にはふさわしくないの?と首をかしげていましたが、フランスやイタリアへ旅行に行ったときにスーパーを覗いたら、なんのことはない。お魚入りベビーフード、ちゃんとありました。単にお国柄ということでしょうか。

晩御飯のミルク粥にバニラ味とかチョコレート味がついているのも、なんとなくピンと来ません。甘い物はおやつ、という固定観念があるもので。

ドイツの離乳食事情はこんな感じですが、前から気になってしかたがないことがあります。唐辛子をたっぷり入れた激辛料理を常食とする国では、赤ちゃんは何を食べるのでしょうか。たとえばタイとかスリランカとか。最初はバナナや白いご飯を与えればいいでしょうが、おかずは別に赤ちゃん用に辛くないものを作るんでしょうか。

韓国人のある人に、
「お子さん達、辛いお料理大丈夫ですか?」
と聞いてみたら、ええ、平気ですという返事が返ってきましたけど、いまだに半信半疑。韓国の子供って何歳ごろにキムチデビューするのかな。

日本の子供は一般に辛いものはダメですが、甘口のカレーくらいなら平気ですよね。でもドイツの赤ちゃんにあげたら食べませんでした。その子のお母さんにも、「赤ん坊に辛いものなんて」って嫌な顔をされました。

前に何かで読んだのですが、赤ちゃんは母親のお腹の中にいるときに羊水を飲んでいますが、羊水の中に母親が食べたものの味が溶け出しているので、常食する食べ物の味に生まれる前から慣れるんだとか。だからメキシコの赤ちゃんは唐辛子OKって書いてありました。本当なんでしょうか。
  1. 2005/06/20(月) 19:59:49|
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ゴミリサイクル施設見学

ドイツから日本へ引っ越してきたとき、「日本はゴミの分別とか、あまりうるさくないんだろうな」と漠然と考えていました。ドイツへ移り住む前に住んでいた東京都世田谷区では当時、何もかも一緒くたにゴミを出していたので、そのときのイメージが強かったんです。ドイツは環境大国の名の通り、リサイクルが盛んですが、日本はたぶんまだまだ・・・のハズ。

ところがどっこい。今生活している町へやってきて、市の発行するゴミだしマニュアルを見てびっくりしてしまいました。いつの間にか日本もゴミの分別がすごく厳しくなっていたのね、って。この町が日本では特にリサイクルに力を入れているほうなのか、それとも平均的なのかはよくわかりませんが、ゴミの分別はドイツに勝るとも劣らず、出し方の決まりはもっとすごいかも。

私たちがドイツで住んでいたフランクフルト近郊の町は比較的規定が緩やかなほうだったと思います。商品の包装や容器でリサイクルマークのついているものは、全部同じ黄色いビニール袋に歩ポイポイ捨てていました。ヨーグルトのカップも食器洗い洗剤の空容器もポテトチップスの袋もみんな一緒。袋がいっぱいになったら家の外に備えているリサイクル用のゴミ箱に捨てにいくだけ。紙ゴミは紙専用のゴミ箱に入れるだけ。ペットボトルとかアルミのボトルというのはそもそもほとんどないので、分ける必要もありませんでした。まあ、これでも結構、面倒は面倒でしたけど。

今住んでいるところでは、ゴミは「可燃ゴミ」「不燃ゴミ」「有害ゴミ」の他、「びん・缶」「紙・布」「ペットボトル」「白色トレイ」「その他プラスチック」に分けてそれぞれ別の日に出すのですが、捨て方にも細かい決まりがあって、私がマニュアル見ても難しくてよくわからないのに、日本語の読めない夫にそれを説明するのは至難の業。ドイツの分け方・出し方ともずいぶん違うので混乱し、言い合いになることもありました。

まず、リサイクルするものはすべて洗って出すというのが夫には不思議。そんなことをしたら水が勿体無いし、河川も汚れるんじゃないの?って言うんです。確かにいちいち洗ってたら水道代がオソロシイ。でも、汚いまま出したらリサイクル施設の人が困るし、悪臭のもとにもなるし。だから、決められたとおりにやらないと~。牛乳パックは、切って開いて、洗って、乾かしてから、紙製の紐で括って出すことになっています。だけど、それをやると台所は乾かし中の牛乳パックだらけになるんですよね。

紙は新聞、雑誌、ダンボールなどに分けてそれぞれ別に紙製の紐でしばるんですが、夫はダンボールに紙類をつっこんで、ガムテープでとめて出そうとする。
私「あ~、それじゃ持っていってくれないよ」
夫「どうして?箱も中身も紙なのに?」

植木を切った枝は太さ10cm以内、長さ30cm以内にまとめてしばる、カーテンなどは30cm以内に切る。シャンプー容器のポンプははずして燃えるゴミ、お酢が入っていた瓶の口についているプラスチックは外してプラスチックゴミ。まぐろ水煮の缶は缶として出し、まぐろオイル漬けの缶は不燃ゴミへ。納豆パックは白色トレーではなく、燃えるゴミ。化粧品の瓶は瓶ではなくて不燃ゴミ。プラスチックのおもちゃは可燃ゴミで、100円傘は不燃ゴミ。

とまあ、なかなかややこしい。

最初の頃はマニュアルと睨めっこで真面目に分けていたんですが、だんだん疲れてしまって、そのうち適当になってしまいました。が、先日、生協のメンバーに誘われて、市のリサイクル施設へ見学に行って来たんです。そこで職員さんのお話を聞いたり、実際に作業をしている人たちが大変そうなのを見て、ちょっと反省・・・

でも、つくづく思いました。どんどん新素材が開発されたり便利商品が発売されて、暮らしは豊かに快適になっていくけれど、それに比例してゴミ出しの手間は増える一方だなあ~。せっせとゴミを洗ったり、チョキチョキ30cm以内に切ることを考えたら、余計な物は買わずにシンプルに生活するほうが精神的にずっと楽かも!?
  1. 2005/06/19(日) 22:16:51|
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ドイツの朝食

おとといの早朝に、息子をドイツへ送り出しました。久しぶりに生まれ故郷へ里帰り、ドイツの田舎に住む夫の両親の家に10日ほどお世話になります。昨夜、電話がかかってきました。

「おかあさん、おかあさん。ぼくね、飛行場からOpa(おじいさん)の家に来る車の中で寝ちゃってね。気がついたら夜中の三時で、Opaの家のベッドで寝ていたんだよ」
時差ぼけで目が冴えてしまい、やることががないので、勉強道具を出して漢字の練習をしたんだそう。

そして興奮した口調でこんなことも。
「おかあさん、日本の朝ごはんってさ、食パンにちょっとハムをのっけるぐらいじゃない?でもね、ドイツはパンの種類がたくさんあって、ハムもチーズもいろいろあるね。豪華だね」
う・・・確かに、我が家の普段の朝食はしょぼい。
「そうだね~。ドイツは美味しいハムがあるね。たくさん食べておいで」

夫が日本に来て回転寿司へ行き、
「わおおっ!こんなにいろんなネタがっ
となったのと、逆の現象が起こっているみたいです。

ドイツでも朝食はパンにジャムだけとかシリアルとか、その家によって内容は違うのでしょうが、私は焼きたての丸パンとハムとチーズの朝食が懐かしい。ほんとに種類が多くて、美味しくて、しかも安いのです。

あ~、食べたいよ~


  1. 2005/06/18(土) 15:31:43|
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移転してきました!

他サービスからこちらのFC2へブログを移転しました。ログのインポートの仕方がまだわからないため、とりあえず最新の過去ログだけコピペで移しました。ひゃ~。大変な作業だ。コメント&TBまでは気力がなくてダメです。ログ移行&テンプレートの編集、時間がかかりそうです。しばらくは見苦しい状態が続くと思います。スミマセン。

元ブログはこちらです。

どうぞよろしくお願いいたします。
  1. 2005/06/18(土) 11:13:01|
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サイトポリシー

当ブログはリンクフリーです。リンクしてくださった方はお知らせ頂ければ、こちらからも遊びにうかがえますので、そうしてくださると嬉しいです。

コメント・TBもご自由にどうぞ。(荒らしの場合は削除します)

このブログでは主に異文化について、私の個人的経験を交えて考察していますが、「世の中いろいろな価値観がある」ということを前提に書いています。日本人から見たらビックリするようなこと、ちょっと抵抗があるようなこと、どうかしらと思うようなことも含めいろいろありますが、その良し悪しを云々するのが目的ではなく、面白がったり、不思議がったり、今までの自分の考え方をひっくり返してみようと試みたり、ということを意図しています。特定の国や民族、その文化を否定するという意図はまったくありません。

これは日本についても同じです。異文化に触れると、今まで当たり前だと思っていたものが違って見えてきますので、いろんなことが疑問に思われたりします。このサイトでそんな疑問を綴ることもありますが、「だから日本はダメだ」と結論づけるのではなく、「どうして日本ではそうなのか」を考ることを楽しみたいと思います。

こうした主旨をご理解頂ければ幸いです。

私個人の見解に対するご意見・ご批判などはいつでも有難く頂戴いたしますが、万一、特定の民族を誹謗中傷していると感じられる記事をトラックバック頂いた場合には、主旨に合いませんので削除させていただきます。
  1. 2005/06/17(金) 22:21:41|
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蛍ツアーのおみやげ

昨日の夜、隣町の外れに蛍がたくさん出ているというので、娘の保育園で蛍観賞ツアーを企画してくれました。私はちょっと用があったので、娘だけをお願いし、彼女は張り切って出かけていきました。

もうすぐ9時を回るという頃、「そろそろ戻ったかな」と園舎まで迎えに行くと、丁度バスが到着したところだったのですが、一緒に乗っていた園児や保護者が私の顔を見るなり、
「ゆりこ、ネコ持ってるよ」と言うんです。

は?ネコ?

何のことかしらと思い、娘を探すと、彼女の腕には赤ちゃんネコが一匹。

蛍が飛び交う原っぱに、お母さんネコとはぐれた子猫が鳴いていた。可哀想だから連れてきちゃったって言うんです。
「ね、ママ。お願い。お願い。いいでしょ?家に連れて帰っても」
えええーーーーっ!

うちは借家だし、ネコなんて飼ったことないし、私アレルギー性鼻炎だし、来月旅行に行くし、来年ドイツ帰るし・・・・・・・・・・・・・・・・・
とてもじゃないけど、飼えるわけがありません。

だけど、10kmほども離れたところへ、そんな夜遅く、私の運転で戻しにいくことはできない。かといって、その辺に捨てるわけにもいかない。ということは、連れて帰るよりしかたがないではないですか。

というわけで、昨夜、ネコさまには我が家にお泊りいただきました。なるべく早く、対策を考えなくてはなりません。でも子ども達はすっかり飼う気で、さっそく名前をつけて大喜びです。どーしよー。

娘は今朝、「ネコが気になるから保育園行かない」と言っていたのですが、無理やりバスに乗せました。ゆうべはネコも不安だったのか娘のベッドですぐに寝てしまったので、おとなしい子だとちょっと安心していたのですが、一晩明けた今は仕事をしている私のそばに来て、パソコンのコードは引っ張るわ、座っている椅子の背もたれには飛びつくわの大騒ぎです。

困ったよ~。

  1. 2005/06/14(火) 09:08:25|
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木を見る西洋人 森を見る東洋人

三枚の絵カードがあるとします。それぞれのカードに描かれている絵は、「鶏」「牛」「草」。この三つを二つのグループに分けるとしたら、どう分けますか?

では、次の三つの言葉をふたたび二つのグループに分けてください。
「パンダ」「サル」「バナナ」。

どんなグループができたでしょうか。

上記のような質問をすると、欧米人の多くは「鶏・牛」と「草」、「パンダ・サル」と「バナナ」に分けるのだそうです。それとは対照的に東洋人(日本人・中国人・韓国人)は、「鶏」と「牛・草」、「パンダ」と「サル・バナナ」に分ける人が多いそう。

西洋人は世界を属性で分け、東洋人は関連性で分ける?

こちらの本で見つけた理論です。
The Geography of Thought: How Asians and Westerners Think Differently...and Why  邦題:木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか

同じ事件をドイツのメディアと日本のメディアが扱う場合、私はドイツメディアの方がより分析的だという印象を受けます。日本人はどちらかというと、物事をその側面ごとに切り離して検討することは少なく、むしろ全体像を捉えようとする気がする。この違いはどこから来るのか。その答えを探していて行き当たったのが上記の本なのです。日本語版のタイトル「木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか」から想像できるように、著者は西洋人と東洋人の思考をこんなふうに見ています。

西洋人は、世界は個々の独立した要素の集合体で、それぞれの要素は不変のものであると考える。
東洋人は、世界は連続した要素が複雑に絡み合ってできていて、それぞれの要素は互いとの関わりの中で変化すると考える。

からだの一部分の不具合を調整することで病気を治療しようとする西洋医学と、からだ全体の調和を取り戻すことで病気を治療しようとする東洋医学に通じる考え方ですね。

ある人間が殺人を犯したとします。この人物Aはどうして人を殺したのか。
西洋人は「Aはカッとなりやすく、嫉妬深い性格だ。だから殺したのだ」と、Aの属性に原因を求めようとするけれど、東洋人は「Aの置かれた状況が悪かったからだ」と考えがちだというんです。
では、もし状況が違っていたとしたら、Aは殺人を犯したか?
この問いに西洋人は「たぶんやっていただろう」と考え、東洋人は「たぶんやっていなかっただろう」と考える場合が多いらしい。

本書の著者は社会心理学研究者で、数多くの心理テストの結果から論理を導き出しています。とても興味深いのですが、内容があまりに濃すぎてとてもご紹介しきれません。簡単にまとめてしまうと、西洋人は論理的で矛盾を嫌い、はっきりとした結論を出すのが好き。東洋人は「そうだともいえるし、そうでないともいえる」と中間的なものの捉え方をし、状況の変化に敏感である。

もちろん、西洋人と言ってもアメリカ人とフランス人ではだいぶ違いがあるでしょうし、日本人と中国人も似ているようで違う部分が多いのでしょうから、あくまでも大雑把な傾向かもしれませんが、私にはかなり納得のいく説明でした。

西洋人の子供は言葉を覚えるときに、動詞よりも名詞をどんどん覚えていくそうです。ところが、東洋人の子供は名詞と動詞をほぼ同じ速さで習得するとか。同じおもちゃを使って子供と遊ばせる実験をしたところ、アメリカ人の母親は「ほら、これは車だよ。かっこいいタイヤがついているね」のように対象物の特徴を説明するのに対し、日本人の母親は「ブルンブルン。はい、どうぞ。お母さんにもちょうだい。ありがとう」と関係を強調するような語りかけをすることが観察された。

面白いことに、アメリカ人、アジア系アメリカ人、アジア人の三つのグループを対象に思考テストをおこなった結果、ほとんどの場合にアジア系アメリカ人はアメリカ人とアジア人の中間の結果だった。アジア人がある年齢に達してから西洋文化に触れたとき(またはその逆)、新しい思考回路を獲得するかもしれないことは容易に想像がつきますが、では生まれたときからずっと西洋と東洋の文化の両方に触れて育つ子どもの頭の中は一体どうなっているのでしょう?

とても気になります。
  1. 2005/06/09(木) 10:46:45|
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何よりも大切なのはパートナーとの関係

去年の夏、ドイツに一時帰国したときに久しぶりにドイツのテレビを見て、気づいたことがあります。それは、ドイツのテレビには「官能的なコマーシャルが多い」こと。

香水や化粧品、シャワーソープなどの宣伝がセクシーなのは理解できますが、ドイツのテレビではチョコレート、ヨーグルト、冷凍のパン生地のような食品のCMでも色っぽいのが多いんです。若くて魅力的な男女が仲睦まじく商品を食べさせあっていたり、朝日の差し込む部屋のベッドで眠る美女が恋人が運んでくるコーヒーとクロワッサンの香りで目を覚ます・・・というようなかんじです。

ドイツにはトイレ専用のウェットティッシュがあって、日本にもある赤ちゃんのお尻拭きのようなものなのですが、カモミールエキスが染込ませてあったり、香りがついていたり、いろいろな種類があります。この「お尻拭き」のCMにはちょっとびっくりさせられました。なんと!格好いい男性のズボンを女性が後ろから「ずるっ」と下げ、むき出しになった裸のお尻に女性がキスをする・・・げげげっ。

夫の実家で一日中テレビを見ていると、次から次へとセクシーなシーンが登場するので、そういうのに慣れていないうちの子供たちは目を丸くしていました。ドイツでも子供が年々早熟化しているようです。年がら年中こういうのを目にしていれば当然という気がしないでもありませんが。

本屋へ行ったら、「パートナーシップ」というコーナーがありました。そこの棚には、「良いパートナーを見つける方法」「パートナーと上手くやっていく方法」「パートナーとの問題を克服する方法」のような本がずら~り。日本には一つのコーナーを設けるほど多くの「パートナー本」があったかしら、と考えてしまいました。ドイツは日本よりも離婚率が高いですし、カップル単位で行動することが多いので、ドイツ人にとってパートナーとの関係はかなり重要な関心事なのかもしれません。毎年クリスマス前になると、祝日を一緒に過ごすパートナーがいないのを苦にして自殺する人が結構いるそうですし。

そんなことを考えていたら、先日、ドイツの本のカタログに、あるものを見つけて笑ってしまいました。外国語学習教材や辞書を専門にしているランゲンシャイトという出版社があるのですが、最近、この出版社の辞書シリーズに「独女・女独辞典」というのが加わったようです。これはね、「女の言ってることってよくわから~ん」と悩む男性のための、ドイツ語ー女性語 女性語ードイツ語の辞書らしいんです。対抗して別の出版社が「独男・男独辞典」を出しているみたい。なんだかおもしろそ~。来週、夫がドイツ出張なので、お土産に買ってきてもらうつもりです。
  1. 2005/06/08(水) 10:52:43|
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子供部屋で育まれるメンタリティ




ドイツでは、赤ん坊が生まれると子供部屋に一人で寝かされるのが一般的です。我が家の場合は親の寝室にベビーベッドを置いたのですが、ドイツ人に話すとよく驚かれました。友人のウヴェは、「たとえ我が子といえども、個人的なスペースに入り込まれるのには抵抗がある」と言います。随分と冷たく聞こえるかもしれませんが、彼は冷たい性格の持ち主ではありません。人懐こくて子供好きな人です。

ウヴェの家では、下の子が生まれたら、その子のためにもう一部屋を用意しました。わざわざそのために広いアパートに引越しまでしたんです。
「お兄ちゃんと同じ部屋に寝かせればいいのに」
私はそう思ったのですが、赤ん坊であっても一人一人個別の空間が必要なのだと、ウヴェと奥さんのイリスは言うんです。
なんだかピンと来ませんでしたが、人の家のことなので「ふーん」で終わってしまいました。

さて、明日はうちの息子の学校の家庭訪問で、担任の先生がいらっしゃいます。片付けなくちゃ、ということで今日は大掃除。もしかしたら子供部屋も覗かれるかもと思い、二階に上がると、子供部屋はいつものごとく散らかり放題。まったくもう!
「いいかげん片付けなさ~い!」
数日ごとに一応叱るのですが、
「僕が使ったんじゃないよ」
「散らかってるのは私のものじゃない」
責任のなすりあい。なんで僕ばっかり?なんで私が?キーキーギャーギャー。兄妹間でバトルが始まります。

あーあ、とため息つきたくなりますが、ドイツではこういう問題ってないのかな。一人一部屋ですから、それぞれが自分の部屋を片付ける。おしまい。散らかしたのはアイツなのに、自分が片付けさせられた!なんてカッカくることもないのでしょうか。しかし、日本の住宅事情では子供部屋があるだけ恵まれているんですから、衝突を避けるため部屋を分けるなんて無理。当人同士の間で折り合いをつけてもらうしかないなあ。

そういえばドイツの会社や店などでは、何か問題が起こると、それぞれのメンバーが「自分のせいではない」ことをアピールする傾向があります。レストランで注文したものと違うものが運ばれてきたからと、たまたま近くにいるウェイトレスに苦情を言うと、「あなたの座っているテーブルは私の担当ではありません」と言われてしまったりする。だってあなたもここの従業員でしょ、というのは通じないことが多い。連帯責任という考え方はドイツ人には希薄なように感じられます。「自分の責任の範囲はここからここまで」彼らのそんな意識の芽生えは、すでに子供部屋で始まっているのかもしれない・・・
  1. 2005/06/08(水) 10:51:00|
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オキシトシンの秘密の力

最近、なんだかいやにホルモンにこだわっている私です。

少し前になりますが、カソウケンの研究員Aさんが三回シリーズで母乳の分泌に関わるホルモンの一つ、オキシトシンについてレポートされていました。その三回目の産後だって母子一体-母乳・母性・ホルモン-(3)で、赤ちゃんに触れる、世話をするなどの母性行動がオキシトシンの分泌を促し、そしてそれがまた母性行動にスイッチを入れるという話を読んで、なるほどそうなのか~と感心していたのですが、最近、Die Welt紙の科学欄に興味深い関連記事を見つけました。それによると、このオキシトシンというホルモンは「母性」のみではなく、どうやら生物の別の個体に対する「信頼感」にも関わっているらしい。

プレーリ・ハタネズミとヤマハタネズミというのはDNA的にはほとんど同じだけれど、プレーリ・ハタネズミの方がヤマハタネズミよりも脳内のオキシトシン受容体密度ははるかに高いんだそうです。受容体密度の高いプレーリ・ハタネズミが番で行動するのに対し、ヤマハタネズミは特定のパートナーを持たない。つまり、特定の個体に「信頼感」を持つ傾向にオキシトシンが関わっている可能性がある。

「ネイチャー」にこの論文を発表した研究チームは、ヒトにも同じ傾向が見いだせるかどうか、さらに実験を行っています。194名の男性被験者を「投資者」と「受託者」の二つのグループに分け、現金を使った投資ゲームをさせたのですが、実験前にそれぞれのグループの半数には「オキシトシン入り鼻腔スプレー」、もう半数には「オキシトシンなし鼻腔スプレー」を使用させたところ、オキシトシンを吸引した「投資者」グループの方が高額投資をする傾向が明らかに高かったのだそうです。オキシトシンの作用により、「投資者」の「受託者」に対する「信頼感」がアップしたと考えられる。しかし、「受託者」が受け取る金額には両グループの間に差は認められなかった。つまり、オキシトシンを吸引してもその人が「信頼できそう」に見えるってことはないみたいです。

というわけで、オキシトシンはヒトの社会行動に影響を与える可能性があり、もしかしたら自閉症や対人恐怖症などの治療に利用できるかもしれないと、記事には書いてありました。

へええ~っ。

これってさらにどんな可能性を秘めているんだろう?ホルモンサプリメントとして売り出されたら、それを使って意中の人の心を自分のほうに向かせるとか、国際ビジネス交渉が円滑に行くように服用するとか、あるいは詐欺行為に利用・・・なわけないかな。あれこれ想像すると、ちょっと楽しかったりします。

ネイチャーの記事はこちらです Trust in oxytocin
  1. 2005/06/05(日) 10:54:46|
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ドイツの病院は他民族世界

あるとき、風邪をこじらせ重症の喘息発作を起こした上に、娘の吐き下しインフルエンザを移されてしまいました。あまりの苦しさにパニックに陥り、過呼吸を起こしてとうとう気絶。病院に運ばれ、そのまま入院になりました。

私が入ったのは三人部屋。すでにトルコ人女性とモロッコ人女性が入院していました。空いたばかりの真ん中のベッドを与えられ、しばらくぐったりとしていたら、看護婦が入って来ましたが、私の顔を見るなり「あら、あなたも外国人なの」と嫌な顔をするんです。でもそう言う看護婦自身もフィリピン人のよう。ドイツの病院はアジア系や東欧系の看護婦さんが多いです。自分だって外国人なのに変なことを言うなあと不思議に思ったのですが、じきにその意味がわかりました。トルコ女性とモロッコ女性はドイツ語が全くできなかったのです。

昼間はそれぞれの家族がお見舞いに来ていて、ドイツ語のできる人がいたのでよかったのですが、夜が来たら大変なことになりました。消灯が過ぎた後、トルコ女性の具合が急に悪くなり、苦しみ始めたのです。どうしたんですか、と声をかけてもドイツ語がわからないので返事をしない。そのうち激しく咳き込んで、三回連続で吐いてしまった。私は慌ててナースコールし、看護婦さんが飛んで来ましたが、本人は状況を説明することができません。それで私が「5分くらい前から急に苦しそうにして、咳き込んだ後、三回吐いた」と説明。看護婦はシーツを交換して戻って行きました。しかし、しばらくして再び嘔吐。ナースコール。状況説明。そんなことを数回繰り返し、「やっと落ち着いたか、やれやれ~」と思ったら、今度はモロッコ女性の様子が急変。結局、私はオールナイトでボタン押し・説明係り。(私も病人なのにぃ~)

夜が明けて、二人とも気分がよくなったみたい。でも今度は、トルコ女性がしくしく泣き出したんです。バッグから写真を取り出し、それを見つめながら「ベイビー、ベイビー」とつぶやいて泣いている。気になるけど状況がわからないし、トルコ語もできないから慰めようがなくて、黙って見ているしかありません。

回診の時間になりました。トルコ女性のところへは内科のドイツ人医師につきそってトルコ人医師もやってきた。このトルコ人医師は専門は全然違うのですが、トルコ語を話すので通訳を頼まれた様子です。聞き耳を立てるわけではないけれど、聞こえてきたやり取りによるとこんな状況。このトルコ女性は普段はトルコに住んでいる。以前から心臓を患っており、一度手術を受けているが再び悪くなったので再手術が必要だ。一度目の手術費用はモスクでカンパしてくれたのでなんとかなったが、今回はどうしてもお金が集まりそうにもない。悩んでいたら、ドイツに出稼ぎに行っている兄が「俺のところに遊びに来ている間に急に具合が悪くなったことにしてドイツで入院しろ。ドイツ人は優しいので、命の危険がある患者を無理やり追い返したりはしないだろう」と提案した。それで赤ん坊をトルコに残し、観光ビザでドイツへ来た。とはいえ、健康保険に加入していないため、病院側としてはそう簡単に手術はできません。トルコ人医師は同胞と同僚の間で板挟みになり、困惑している様子でした。

一方、モロッコ女性のほうは、悪性貧血および重度の胃潰瘍。彼女はゾロ~っとしたくるぶしまである民族衣装を着、頭はスカーフで覆い、金のネックレスやブレスレットをじゃらじゃらつけた状態でベッドに横たわっています。手や足の甲は刺青で真っ黒。そういう格好では顔色もよくわからないし、医学処置のさいにも邪魔になるので、医師は困っていたようですが、彼女の文化の価値観からすると、スカーフやアクセサリーを外したりパジャマ姿になるのは受け入れがたいものがあるらしい。

なんか二人ともすごく大変そうだよ~。

夕方になると病室には彼女たちの家族が差し入れるケバブの匂いが充満していました。大家族がドヤドヤとやってくるので、部屋は満員。まるでケバブパーティのよう。

なんやかやと異文化に圧倒されていたら、それが効いたのか、私の病気はすっかりよくなっちゃった。結局、一週間弱の入院で私はお先に失礼したので、彼女たちがその後どうなったのかはわからずじまいです。

その病院のあったフランクフルト近郊はとくに外国人が多い地域ではありますが(人口の20%強!)、こういうマルチカルチャーな場面はドイツの病院ではさほど珍しくないのかもしれません。

  1. 2005/06/03(金) 10:58:36|
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メランコ人間とシゾフレ人間

昨日のエントリーでご紹介した本を読んで、少し心理学にも興味が沸いてきました。いままでもフロイトやユングに挑戦したことはあったのですが、「よくわから~ん!!」と投げ出してしまっていました。心理学って私には難しすぎるワと諦めムードだったんですが、この本はわかりやすいっ!

和田秀樹 痛快!心理学―ハンディ版

フロイトからコフートに至るまでの流れを簡潔かつ面白くまとめてあり、私でもスラスラ読めました。それだけではない。

「メガヒット現象を精神分析する」

なんていうオモシロ理論に、わおっとふっ飛んでいきそうになってしまったのです。

著者、和田秀樹先生によると、人間は「メランコ人間」(つまり躁鬱病タイプ)と「シゾフレ人間」(統合失調症タイプ)に分けられるそう。もちろん、あくまでも「タイプ」の話です。鬱病というのは、自分は病気になるのではないか。自分はきっと貧乏になる。すべては自分が悪いのだetc.と自分自身を視点に考える。躁状態のときにも「自分はすごい」。周囲のことはたいしてどうでもよい。こうした躁鬱の特徴である「自分」を中心と考える傾向がやや強いのが「メランコ人間」。それに対して統合失調症では他人が気になる。誰かが俺を殺そうとしている。CIAが私をスパイしている。自分がどうかというより、周囲が心の主役。この傾向がやや強いのが「シゾフレ人間」。

「日本社会はかつてのメランコ社会からシゾフレ社会へとシフトした」というのが和田先生の理論。それが歌謡界のメガヒットに見て取れるというんです。日本では60年代の10年間に100万枚以上のセールスを記録した大ヒット曲はたった8曲しか生まれなかった。70年代には25曲。80年代は12曲。ところが、90年代に入ると毎年20曲前後のミリオンセラーが量産されるようになった。劇的に変化したのは単に量だけではない。かつてのメガヒットというのは「およげたいやきくん」や「黒猫のタンゴ」のように、老若男女を問わない国民ソングであったのに対し、近年のヒット曲は主に若者だけのものであることも指摘しています。

メランコ人間は「自分は自分でいたい」という頑固者なので、他人がよいと言っても自分自身が気に入らなければ聴かない。ポリシーがあるので、山口百恵は聴くけど桜田淳子には見向きもしない。かぐや姫のファンなら井上陽水は決して聴かない。しかし、最近の「シゾフレ人間」たちは節操がない。他人や流行にすぐに流される。柔軟性はあるが、現在のことしか考えない。

今の40代から上の世代はメランコ傾向が強いため、一つの組織にこだわる会社人間でありながら、人とは違う人間でいたいので出世欲が強い。だからリストラされるとショックで鬱になってしまう。それにひきかえ10代20代の若い世代は、シゾフレ傾向が強く、定職を持たないことに危機感を持たない。濃い人間関係を好まないので赤提灯的な飲み会は苦手だけど、パーティは好き。しかし、広く浅くの関係作りがうまくいかないと引きこもってしまう。

どうでしょうね?この分析。

メランコとシゾフレなんて思いもつきませんでしたが、ちょっと思い当たるところがないでもありません。私、去年一年間、息子がお世話になっていた学童保育室の役員だったのですが、組織の運営をしていて感じたことは、20代の保護者と40代の保護者では組織に対する感覚はずいぶん違うものだなあ~ということでした。30代の私はどっちつかず。(というのは単なる主観かな?)人間関係があまり濃いのも疲れるけど、あまりドライなのも寂しいという感じ。メランコとシゾフレの両方の性質を併せ持つ?それってもしかして一番厄介な状態かも・・・!?
  1. 2005/06/01(水) 10:40:51|
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いろいろなお肉の味

もし、これを目にする皆さんの中に、ベジタリアンの方がいらっしゃったらごめんなさい。

他の方のブログで、犬料理について書かれているのを読んできたところです。私は犬は食べたことがありません。動物の中で犬が一番好きなので、「是非、犬料理を食べてみたい」とは思わないのですが、「犬を食べるなんて!」とも思いません。インド人に「牛を食べるなんて!」と言われても困ってしまいますから。

いままでにどんなお肉を食してきただろう、とちょっと考えてみました。動物たちには申し訳ないですが、結構いろいろ食べてしまいました。以下は食べたことのあるお肉と食べた場所、その感想です。

牛・豚・鶏 (日本その他)鶏が一番好き
子牛 (ドイツその他)牛より柔らかくて好き
羊 (北海道その他)ジンギスカンは好きですが、他の料理はちょっと臭いが・・・
馬 (日本)お刺身はちょっと生臭かった
鯨 (日本)竜田揚げは大好きな給食のおかず
猪 (日本・ドイツ)ちょっとクセのある豚というかんじ
鴨 (日本・ドイツ・タイ)独特の味が大好き
ガチョウ(ドイツ)美味~
七面鶏(アメリカ・ドイツ)パサパサして味があまりない
キジ(ドイツ)ソースがかかっていてよくわからなかった
ハト(エジプト)食べられるところが少なくて味がわかりませんでした
野ウサギ(ドイツ)苦手な臭いと味
飼いウサギ(イタリア)淡白で美味しい
鹿 (ドイツ)ちょっとクセが
蛙 (フランス)鶏に似ていてとても美味
トナカイ(フィンランド)薄切り肉の煮込みがものすごく美味でした
ヘビ(インドネシア)微塵切りで料理に入っていたので、よくわかりませんでした
ワニ(オーストラリア)淡白で美味しかった
カンガルー(オーストラリア)まあまあ美味しい
エミュー(オーストラリア)かたくて臭いが独特
バッファロー(オーストラリア)クセのある牛肉?

こう書くと、すごい肉食のようですが、実はお肉はそれほど好きではありません。本当は肉よりも魚よりも野菜命!なのですが、珍しい食べ物があると好奇心でつい挑戦してしまいます。

他にはどんなお肉があるのかな・・・
  1. 2005/06/01(水) 10:38:54|
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夫の獄中体験記

「ワイルドスワン」のJung Changが、また本を書いたんですね~。

共産国かぁ。ま、遠い別世界のことだよね。関係ないよね・・・・
というわけでもないんです!我が家の場合。なんせ親戚の半分近くが、つい最近まで共産国に住んでいましたから。夫の両親は二人とも東ドイツのハレ出身。ベルリンの壁ができる寸前に二人で西へ亡命しました。ですから、親戚は全員、東西ドイツが統一されるまで東ドイツにいました。(それよりずっと昔、アメリカへ移住した人たちもたくさんいるのですが)

分断時代、西から東へ遊びにいくことは可能だったのですが、亡命した罰として、夫の両親は10年間、東に入国することができませんでした。無一文で命からがら逃げてきたので、西へ来てからは相当苦労したようです。10年経って、やっと東にいる親兄弟に会いに行くことが許され、一年に一度、大量のお土産を持参で遊びに行くようになりました。夫の父の実家はかつて牧場経営者で、東ドイツが共産化される以前はちょっとした資産家でした。かろうじて没収を逃れた屋敷の一部の物置には、古い写真や家具など、家族の思い出の品々が眠っていました。東へ帰省を許可されるようになってから、義父はそんな数々の物品を少しづつ、車のトランクに載せて西へ運び出していたのです。

しかし、あるとき大変なことが起こった。私の夫が15歳のときです。夏休みに彼は父親と二人で東の親戚のところに遊びに行きました。久しぶりに従兄弟達と遊んで楽しい休暇を過ごし、さて母の待つ家に帰ろうかというときに、国境で所持品にいちゃもんをつけられてしまったんです。トランクに積んであった物品が「持ち出し不可の骨董品」であると言いがかりをつけられ、義父は警察に連行された。そして、びっくりして立ちすくんでいた夫もアイゼナハという町にある少年院にブチ込まれてしまった。結局、保釈金目当てだったようで、二人とも無事釈放されたのですが、可哀相な夫はまったくわけのわからぬまま、三週間も少年院で過ごす羽目に陥りました。

その少年院には10~15歳までの子どもが全部で30人くらい収容されていましたが(正確には覚えていないそうです)、西ドイツの子どもは夫一人だけ。残りの子ども達の半数は、いわゆる「親が思想犯の子ども達」だったそう。西からやってきた仲間(?)にみんな興味津々で、夫はすっかり人気者に。でも調子に乗って喋っていると、怖~い監守に「余計なこと喋ったらただじゃすまんぞ」って睨まれたんだって。心証が悪くなっては困るので、日課の手作業には精を出しましたが、もし逃げられるものなら逃げたい。散歩の時間にチラチラと塀をチェックしたら、脱走はそう難しくなさそうだということがわかった。しかし、それに気づいた仲間の一人が言うには「逃げてもムダだぞ」。「ここから脱走してもな、小さい監獄から大きい監獄に出るだけさ。東ドイツなんて、そんなものだぜ」その言葉に夫は大きなショックを受けた。

三週間後、ようやく母の元に戻れてほっと安心。西側の基準では夫は勿論「まったくの無罪」です。でも東側のSTASI(国家秘密警察)の記録には残っちゃった。だから、後に軍隊で幹部候補生試験を受けたとき、面接でちょっと騒ぎになったそうです。

東西ドイツが統一してから、東出身作家の文芸作品が広く読まれるようになりました。トーマス・ブルスィヒの「太陽通り - ゾンネンアレー」は日本語訳も出ているので、日本でも知っている人がいるかと思います。この作品は東ベルリンが舞台の青春ドラマで、ユーモアたっぷりに書かれているので(といってもドイツ人のユーモアなので、面白くない!って思う人もいるかも)、「ふ~ん、共産国であっても、若者は若者。青春してるもんだねえ」なんて、微笑ましく感じるかもしれません。でも、実際にはそんな生やさしい状況ではなかったようです。人間って、本当に辛いことは意識の奥へ追いやってしまうもの。この「面白おかしい」物語、登場人物がそれぞれ実在の政治家に相当する、いわゆる「政治風刺作品」なんだそうです。残念ながら私にはそこまで読み取れなかったのですが。ジョージ・オーウェルの「動物農場」のドイツ版とも言えるのでしょうか。

東側に住んでいる夫の親戚。統一後の現在はしょっちゅう行き来があります。会えばとりとめもないお喋りに花が咲く。美味しいケーキの話。バカンスの話。彼らが「共産主義」について西側の人間である私達に語ることはありません。東の者同士では語り合うこともあるのでしょう。でも私達にはなかなか聞き出せない。いつかじっくりと話を聞ける日が来るのかもしれませんが、今はまだ、彼らの心の傷は癒えていないようです。
  1. 2005/06/01(水) 10:33:08|
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