わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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音楽と恋愛

普段あまり映画は見ないのですが、ドイツのテレビで深夜に日本映画を放映していることがあり、夫はよく録画して見ていました。夫の一番好きな日本映画は「ゴジラ」。シリーズのほとんどを見ています。あとは黒澤明ものとか、まあいろいろです。新しいものも結構やっていました。

なんとなく一緒に座ってぼーっと見ていることが多かったのですが、ふと気づいたことがありました。日本映画には「歌うシーン」がすごく多い!登場人物が一人で、あるいはみんなで声を合わせて。シチュエーションは様々ですが、重要な場面で歌わせることが珍しくないのです。台詞として雄弁に語らせることは少なく、歌で心情を表す手法が好まれるように思いました。カラオケを発明したくらいですから、日本人は歌が好きな民族の一つなのでしょう。日本人にとって、歌うとはどんな意味を持ち、どんな効果をもたらすものなのか。そんなことを考えていたんですね。そうしたら先日、

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  1. 2005/05/31(火) 10:59:57|
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幸せを呼ぶ四葉のクローバー

土曜日にドライブへ行った先に、クローバーがたくさん生えていました。息子が、「お母さん、これ珍しいね」と見せに来たのは四つ葉のクローバー。
私「あっ。これ四つ葉のクローバーっていってね、幸運を呼ぶんだよ。何か願い事するといいよ」
息子「えっ。そうなの?」嬉しそうになにやら唱えていました。人に聞かれたら効き目がなくなるかも知れないというので、教えてはくれませんでしたが、どうやら「お母さんがいつも上機嫌でいるように」という願い事だったらしい。
息子「あー、でも本当に効くもんかな。こんなもので。どうせ迷信だよな~」車の中でブツブツ言っている。

たまたまその日以来、何も悪さをしないので、息子は叱られずにいます。
息子「ああ、まだ四つ葉の威力が~。よかった~」毎日言っている。
私「何が?」(とトボける私)
息子「いいや、なんでもない。でもさ、効き目ってどのくらい持つんだろう?」
私「さあ?そろそろ切れるころかね?」(と茶化す)

今日の午後、彼は昨夜録画しておいたつもりの「地球大自然」が撮れていなかったことに気がつきました。ショックにうつむき、涙をこぼしてる。あーあー、それしきのことでなんで泣くかねえ、と思ったけど、口に出すと状況悪化が目に見えていたので、
「残念だったねーっ。せっかく楽しみにしてたのにねーっ。がっかりだねーっ」とオオゲサに言って、よしよしと頭を撫でてやりました。そうしたら・・・
「お母さん。やっぱり、あの四つ葉はすごいね。お母さんがこんなに優しいなんて。ぼく実は、お母さんが機嫌よくしてるようにってお願いしたんだよ」ポロッと口から出た。
「でも、不思議だよなあ。絶対迷信だと思ったのに。大体、科学的じゃないよな~」しきりに首をかしげています。
私「なぜ四つ葉に願い事したらお母さんの機嫌がいいのか。科学的に説明せよっ!!」
息子「えーっ!?」
私「願い事をする。きっと叶うと思う。嬉しくなる。機嫌がよくなる。お母さんの言うことを聞く。そしてお母さんも機嫌がよくなる」
息子「はあ、なーるほど。ん?でもなんか変だよ。もう一回言ってみて」
私「願い事をする、きっと叶うと思う、嬉しくなる、機嫌がよくなる、お母さんの言うことを・・・」
息子「ちょーっと待って!なんでそうなるの。そこんとこが怪しい」
私「君は機嫌が悪いとき、お母さんの言うことを聞くか?」
息子「うーん」
私「サッサと寝なさいと言われたら、チェッうるせーなと思わないか?」
息子「ウハハハ。思う、思う。あーっ、そういうことか。すごいなー、四つ葉って」

息子「でもさ、これってどんな願い事でもうまくいくわけじゃないんじゃない?」急に猜疑心が沸いてきたよう。「ゆりこ(妹)がぼくに嫌がらせをしないようにって頼んでも、きっと叶わないよ」
私「どうして?君は機嫌がよい。ゆりこが嫌なことをする。しかし君は・・・」
息子「気にしない!」
私「そーら」
息子「いいねえ。四つ葉って本当にいいねえ。ウヒャヒャヒャヒャ」
単純なやつだのう。

我が家では、当面の間、四つ葉のクローバーの効果が持続しそうです。
  1. 2005/05/31(火) 09:13:33|
  2. 日常
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娘、大爆発!

今日は何の用事もない平和な日曜日。お天気もよし。それなのに、正午を少しばかり過ぎた頃、ある事件が勃発しました。

うちの子供たちは早起きで、週末も4時半だの5時だのに起き、夫は寝坊で9時前には起きてきません。そのため朝ごはんの時間がバラバラで、昼食時間の設定に悩みます。12時過ぎに夫と息子は自家菜園へ野菜の水遣りに出かけ、なかなか戻って来ません。娘(6)はお腹が空いたとしきりに訴え、痺れを切らして、台所にあった蒸しパンを食べ始めました。
娘「あーおいしい。もう一個食べよう」
私「あんまり食べるとお昼ご飯が入らないから、やめておきなさい」
しかし、彼女は絶対に大丈夫!と言い張り、二つ目の蒸しパンを食べた。

男どもが帰宅して、ようやく昼食に。メニューは冷やし中華でした。しかし案の定、娘は箸が進まない。
娘「ママ、入れすぎだよ。こんなに食べられないよ」
私「少ししかよそってないよ。ほら~、さっき蒸しパン食べすぎたから~」
娘「そのせいじゃないよ。ゆりこはね、保育園ではご飯残したことないよ。自分で食べられる分だけよそうんだから。残すのはゆりこのせいじゃない。ママがよそったんだからママのせいでしょ」
私「(チェッなんだよ、と心の中で舌打ちしつつ)わかったよ。じゃあ、食べられるだけでいいから食べなさい」
娘は嫌々、麺を口に運んでいましたが、そのうちオエッと言って麺を吐いた。
息子&夫「うえ~っ。気持ち悪い~!!」
私もムッとして、「もういいよっ。食べなくて!」そして、娘のお皿を流しに片付けました。
そうしたら何故か娘は激怒し、大議論に発展したんです。要約しますと、

娘の主張:勝手にたくさんよそっておきながら、残すと非難するとは何事だ。それに、食べ物を吐いたことを怒っているようだが、別にママの料理にケチをつけるつもりはないんだから、傷つくには及ばない。たまたまあの食べ物が嫌いだっただけだ。私は嫌いなものを我慢して食べていたのだ。

私の主張:自分でよそいたいなら、今度からそうしてもよい。しかし、お昼を残さないという約束で蒸しパンを食べたのではないか。それに、ときどき嫌いなものを出されるのはしかたがない。ゆりこが好きなものはパパがダメ。パパが好きなものはゆりこがダメ。私は一体、何を作ればよいのだ。

ここで息子(9)が乱入。「そうだよそうだよ。ぼくみたいに、好き嫌いなく何でも食べれば問題ないんだよ」

娘の主張:好き嫌いがあるものはしょうがないではないか。嫌いなものが好きになる方法を知っているなら是非教えてもらいたい。蒸しパンを食べるときには昼ごはんを残さないと確かに言ったが、嘘をついたわけではない。そのときには食べるつもりだったのだから。つまり、自分は悪いことをした憶えはない。なのに何故、皆から非難されなければならないのか。

うーーー。娘の言いたいことはわかるけど、でもせっかく作ったものを目の前で吐き出された私が、なぜ彼女にこんなに叱られる?どうも腑に落ちない・・・それに、泣きながら機関銃のように吠えている娘を見ていたら、なんだかおかしくなってニヤリとしてしまいました。すると「なんで笑うんだよ!」とさらに噴火。小さな頭で一生懸命論理を展開させていると思うと可愛くて、どうしても笑わずにはいられないので、家事をするフリをして席を立ちましたが、追いかけて来ます。
「話が終わっていないのに、なぜ逃げる?」
「人が話しているのに、なぜ返事をしない?」
もう、勘弁してくれぃ~。

結局、部屋の隅に追いつめられて、決着がつくまで話し合いをさせられた。私は、娘が悪気があって一連の行動をしたわけではないことを受け入れ、感情的になったことを詫びました。娘は、意図したことではないにせよ、失礼な行動をとって人の感情を害したことを詫びました。

あ~疲れた・・・
  1. 2005/05/29(日) 09:15:16|
  2. 日常
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ファストフード店の制服

まったくどうでもいい話です。

普段ファストフード店には全然行かないのですが、先日、急いで食事をしなければならない状況になり、息子と二人で「モスバーガー」に入りました。

おおおっ。懐かしい。モスバーガーって20年ぶりかも!と思わず口走ったら、息子が、
「えっ?お母さん、モスバーガー30年ぶりなの?」と大声で。
「バ、バカッ。30年ぶりのわけないでしょ。赤ちゃんがモスバーガーになんてくるかい。20年ぶりって言ったの!」と慌てて誇張を加え、訂正。

懐かしの照り焼きバーガーetc.を注文したところ、主婦とおぼしき中年女性に、
「お席でお待ちください」と言われました。
テーブルについて、あたりをキョロキョロしながら待ちました。ふと見ると、従業員さんはどうやら全員主婦のアルバイトっぽい。平均年齢40歳くらい。モスバーガーの制服はシャツにバンダナにショートパンツ。ふーん。ずいぶん若い格好だね・・・

しばらくして、従業員の一人がトレーを持ってカウンター脇から出てきました。私達の隣のテーブルにはお化粧をした女子高生のグループ。そこに、ショートパンツに白ソックスのおばさんが、
「ご注文の品、こちらでよろしいでしょうか~」

なんだか、妙な気がしました。

そういえばファストフード店やファミリーレストランの制服って、可愛い系が多かったかも。ロイヤルホストもピンクのエプロンだった気がするし。古い記憶のためはっきりとは憶えていないが、「アンナミラーズ」なんて凄くなかったっけ・・・うーむ。明らかに「バイトの子は若い」という前提で制服が用意されているなあ。

ふと見ると、壁には「アルバイト大募集」の紙が。年齢は16~40歳位とあります。ファストフードのアルバイトの平均年齢って何歳なんだろう。そこのモスバーガーには高校生や大学生のバイトの子は見当たりませんでしたけど。たまたまかな?最近の若い子は、もっと手っ取り早くお金を稼ぐ手段をいくつも持っているみたいだしなー。まさか、全国のファストフード&ファミレスがピンクエプロンやホットパンツのおばさん店員で溢れているなんてことは・・・・?

「おばさんが若いカッコして何が悪い!偏見じみたこと言うな!」

ハイ、スミマセン。でも、もし私がアルバイトすることになって、ああいう制服を手渡されたらちょっと引くかも・・・と正直、思います。

アルバイトを大募集するほど人手不足なのでしたら、「おばさん用制服」の導入も検討してはいかがでしょうか。

  1. 2005/05/27(金) 21:13:26|
  2. 日常
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ドイツの兵役

うちの子供達は現在、日本とドイツの二重国籍を持っています。21歳になったら、どちらかを選択しなければなりません。今は日本に住んでいますが、来年にはたぶんドイツへ帰るつもりですので、子供達はドイツ国籍を選択する可能性が高いです。でも・・・ひょっとしたら、息子は日本人でいたいと言うかもしれない。なぜなら、ドイツには兵役があるから。

えーっ、兵役なんて可愛そう!と思いますか?日本には兵役がなくてよかったねぇ、是非とも日本国籍を選びなさいよ。そう言ってくれる人が多いのではないかと想像します。でも、兵役ってそんなに悲惨なんでしょうか。

内容による、でしょうね。徴兵制度のある国は少なくありません。その国によって徴兵の期間も内容も違いますから、一般論として語るのは難しい。最近、アンナさんのブログで厳しい韓国の兵役についてはじめて知りました。デンマーク日記のさちーさんによりますと、デンマークではくじ引きで行くか行かないかを決めるのだとか。フィンランドではネット中毒者は兵役免除となるらしい・・・そして、問題のドイツの兵役は?だんだん短縮されて現在は満9ヶ月。拒否することもできます。しかしその場合は同じ期間、なんらかの奉仕活動をしなければなりません。たとえば病院や介護施設でヘルパーとして働くとか。

私「よかった。じゃ、大介にはボランティアをやらせればいいね!」
しかし、夫は反対です。
夫「ダメだ。兵役はちゃんとやらせる」

夫が高校を卒業した頃は、兵役期間は1年半でした。でも夫は4年も軍隊にいた。職業軍人として空軍に勤務していたんです。将校として貰っていたお給料を少しづつ貯金して、軍を離れてからそのお金で大学へ行き、その後は民間に就職しました。今は普通のサラリーマンです。夫は軍にいたことを恥じるどころか、誇りに思っています。大学へ入ってからしばらくは「予備将校」の身分を維持し、二年に一度程度、数週間の訓練にも通っていました。そうすることで位もだんだん上がっていき、最後には大尉になったのですが、就職してからは訓練に参加できないため、とうとう除名されてしまいました。すごーく、悔しがっています。

夫は言っているんです。
「軍人だったころの経験が、いますごく役に立ってる!」

私と違って、とても事務能力がある人なんですが、その能力もマネジメント能力も、軍人としての現役時代に培ったのだと本人は主張しております。私から見ても、サバイバル力や危機管理能力があるというか、いざっていうときに使えるなコイツ、と思います。軍隊では本当に多岐に渡る訓練をするようですから。軍人必修の社交ダンスもマスターしていますし、溺れかかっている人を救助する技も持っているので、泳ぎの下手な私も夫と一緒なら安心。軍隊生活は規則正しく、体力もつきます。運動能力もきっとアップします。

だから夫は「息子にも軍隊生活を経験させるぞ!」って言っている。そりゃ本人が「絶対にオレはボランティアの方がいい」といえば無理強いはしないでしょうが・・・

軍隊=戦争=悪。

そう考える人が日本には多いかもしれない。でも、そう言いきれるでしょうか。もちろん、ドイツが戦争に巻き込まれることは多分ない、という前提があるから、夫ものん気なことが言えるのかもしれません。私だって、息子が戦争に狩り出されるなんて絶対に嫌です。

だけど、国に軍隊は必ずなくてはならないもの。もし兵役があったら、国民の平和に対する意識ももっとしっかりしたものになるかもしれない。国を守ることがどんなに大変で、軍人の勤めが国家にとってどんなに重要なことなのか、少しは認識できるのではないでしょうか。日本にも徴兵制度が導入されるべきだ、と言いたいわけではないのだけれど・・・

兵役にもいい面があるよ。

そう言いたいです。
  1. 2005/05/27(金) 00:00:00|
  2. ドイツ
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理想のお葬式

「死ぬときには日本へ帰って死にたい」在外日本人がよく言うセリフ。

自分はどうかな?何が何でも日本でっていうのはないけど、お葬式はあげてもらいたいな~。どういうお葬式?やっぱりお経唱えてくれたら嬉しいかも。って別に自分を仏教徒と認識しているわけでもないのですがね。なんとなく、それが一番自分にしっくりくるという程度です。だけど、もしドイツで死んだら、ドイツ式のお葬式になっちゃうんだろうなあ~。私はキリスト教徒ではないので、教会ではお葬式をしてもらえませんから、葬儀屋さんによるシンプルなものになるのでしょう。まあそれもよし。でも一つ気になることが・・・

それは、お葬式までの間、冷蔵庫に入れられちゃうこと!ドイツにはお通夜というのはなくて、亡くなったらすぐに葬儀屋さんが遺体を引き取りに来ます。それから葬儀までの間、遺族は遺体を見ることはありません。どうもそれが嫌。焼かれるまでは家族の側に置いておいて欲しい。

しかも、亡くなってから葬儀までの日数がけっこう長いんです。葬儀屋のスケジュールというのがあるし、遺族個人個人のスケジュールもあるから、みんなの都合がつくまで待っていたら1~2週間は平気で経過してしまう。その間、ずっと冷蔵庫ですよ。寂しすぎ~。

知人のお葬式のときは、亡くなってからなんと5週間も経過していました。そんなに長い間はとうてい保存できないので、あらかじめ火葬して、葬儀は骨壷を埋めるだけでした。どうしてそんなに葬儀を遅らせたのかというと・・・生前お世話になった牧師さんに式をお願いしたところ、「もうすでにバカンスの予定を入れちゃったので」ということで、牧師さんが4週間のバカンスから戻るまで葬儀をとり行うことができなかったんです。

ドイツのお葬式では遺影も飾らないし、私がお葬式に抱いているイメージとはだいぶ違います。だから、ちょっと不安。土葬にも抵抗があります。最近は火葬も増えていますが、お墓自体も家族の墓地ではなく、個人のお墓で、数十年経過したら掘り返して潰してしまいます。お墓参りをする孫がいなくなったらもういいよね、ということなのでしょうか。

びっくりのお葬式といえば、こんなこともありました。バリ島の火葬を見に行ったときのこと。ご存知かと思いますが、バリ島のお葬式は「お祭り」のようなもので観光客も参加OKの場合が多いです。お棺はお御輿に載せて運ぶのですが、準備にはお金も時間もかかることから、普通は誰かが亡くなるといったん土葬し、準備が整ったら掘り起こして火葬にするようです。経済的に余裕のない家では、自分達で火葬の準備をせずに、村の有力者が亡くなったときに火葬に便乗させてもらうそうです。

お棺に火をつけ、遺体が燃える間、村人達はその辺に腰掛けて談笑しながら待っていました。時間がかかりそうだったので、私も座ろうと周りの人が腰を下ろしている場所にふと目をやり、あまりのことに飛び上がりそうになりました。だって・・・みんなが座っている、地面の盛り上がっているところって、土饅頭!そうです。その下にはお亡くなりになられた方が眠っているんですよ・・・罰当たりな気がして、どうしてもお尻を乗せる気にはなれませんでした。


いろいろなかたちがあると思いますが、お葬式くらいは自分のイメージに合ったものがいいなあ。まあ、自ら体験できるわけではありませんが。

  1. 2005/05/25(水) 21:19:51|
  2. 各国情報
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「特殊な国、日本」という幻想




日本文化はユニークかでも書きましたが、「我が国は世にも珍しい国なのだ」という認識が、日本では相変わらず根強いようです。「我が国は世界でもっとも素晴らしい!」という中華思想は、世界の至るところで見られるけれど、「世界の中で、我が国だけが違う!」という自国異質思想がこれだけ浸透している国は、世界でも日本だけではなかろうか~!

おっとっと・・・やってしまいましたー。「世界でも日本だけ」だなんて。なんでそんなことがわかるの。あんた、全部の国を見てきたのかい?いえ、見てません。そうですよね。もしかしたら、日本だけではなく、世界のいろんな国民が「うちだけ違~う!」と盛り上がってるかもしれないですよね・・・

まあ、他の国民はどうかわかりませんが、とにかく日本人は「自分達は他と違う」と思うことが気に入っている。これは確実なのではないでしょうか。よく聞かれます。
「ドイツにもXXってあるんですか」
ここで、はいありますと答えると、大抵エッという反応。「あるか、ないか」が本当に知りたくてというより、「ない」ことを前提に聞いているようなんです。

私自身も「日本は」とか「日本人は」とか「日本語は」の話が大好きなので、その点、典型的日本人と言えるかもしれません。そもそも、何かの特徴を語るには比較対象がなければいけないので、日本人は外国のことをわりとよく知っている国民、あるいは外国に興味を持っている国民なのでしょう。私の場合はドイツをよく知っているので、ついついドイツと比較して「日本は~」とやりますが、同じ日本も、別の国と比較すれば全然違って見えるのでしょうね。どんな国にも「絶対的特徴」というのはありませんから。あるのは相対的特徴だけ。

ではどうして、日本人は「日本だけが違う」と思うようになってしまったのでしょう。

考えられるのは・・・
1.日本語という言語は他の言語との距離が極めて遠い、「孤立言語」であると考えられているので、そういう言語を話す民族はメンタリティが特殊に違いない。

 う~ん、多少はそうだと言えそうですね。でもメンタリティを形作るものは言語のみではない。

2.日本は島国なので、他国の影響を受けずらい。しかも鎖国をしていた。

 これもちょっとは関係してそう。もちろん島国なんて、世界には五万とあるけど。

だけどこれだけが理由じゃないよねー、きっと。こんなのはどう?

3.日本は幸か不幸か、アジアでは唯一の先進国である。

 最近は他のアジアの国もそれぞれ頑張っていますし、日本は落ち目ですが、ちょっと前までは国際経済の場でやっぱり目立っていた。バブルの頃には「日本だけが国際ルールを守っていない!」とバッシングされ、日本異質論が盛り上がっていましたね。でもそれって、単に先進国グループに毛色の違うのが一人だけまじっていたからではないの?仮にG7のメンバーが「日本、韓国、中国、ベトナム、シンガポール、タイ、アメリカ」だったとしたら、アメリカが「おまえだけルールを守ってない!」って異端児扱いされていたんじゃないかしら。

私はドイツの大学で文化人類学を専攻していたのですが、文化人類学というのはそもそも先進国の学問で、建前は「偏見を持たずに、対象を客観的に分析しよう」だけど、所詮、先進国(つまり欧米)の基準で見ているのです。アメリカ人・イギリス人・フランス人・ドイツ人が集まって、「ブッシュマンはああだこうだ」「バリ文化はああだこうだ」と分析したところで、それは彼らに共通の価値観を物差しとして語っているに過ぎないのです。セミナーに参加していると、「ううう~。そうじゃないっ。日本人の基準で見るとそうは見えないっ」とイライラすることが多かったけれど、それを彼らに説明するためには「日本文化」から説明しなければならず、その日本文化の説明のためには欧米の価値観を基準にしなければならない・・・とややこしいので、諦めて静かにしてました。もしも、欧米の文化人類学者が「ブッシュマン大学」のセミナーに招待され、ブッシュマン人類学者らの分析による「欧米人とは」の講義を聴いたらどうなるかな。想像すると楽しい~。

参考: ちょっと知りたいスリナムの管理人さんが、興味深いことを書かれています。

ちょっと話がそれてしまいました。

しかし、「日本だけが違う」と考えるのには、一体どんなメリットがあるのでしょう?思い当たるのはむしろデメリットのほう。自分達は違うのだと考えることは、「だから自分達はダメ」と欧米人に不必要なコンプレックスを抱くことになったり、あるいは逆に「日本の心はガイジンにはわかりっこない」と排他的になることに繋がるように思う。なにもそんな極端にならなくても・・・って思うんですけど。それとも「日本は特別」という思想は、日本人としてのアイデンティティの確立に必要なのかな?でも、日本はアイデンティティの崩壊に悩むほどの多民族国家ではない。じゃあ、どうして?戦争に敗れ、「日本はダメな国」と自虐的になってしまったから、「自分達は特殊なんだから、だから外国にはわかってもらえないんだぁー」と自分に言い聞かせることでバランスを取ろうとしているんだろうか?

わからない。わからないよ~!!

世界中のすべての国は、他の国とそれぞれ少しづつ似ている。

日本人は「お箸を使う」ところが中国人に似ていて、「食べ物にうるさい」ところがフランス人に似ていて、「クソ真面目」なところがドイツ人に似ていて、「遠慮深い」ところがデンマーク人に似ていて(これは新情報!)、身内自慢をしないところがイギリス人に似ていて、行事好きなところがバリ人に似ていて、麺の好きなところがイタリア人に似ていて、着物を着るところがブータン人に似ていて、痴漢行為をするところがエジプト人に似ていて、菜っ葉を好んで食べるところがマダガスカル人に似ていて、それからそれからそれから・・・・

つまり、み~んなに似ている!

っていうのじゃ、ダメ?


  1. 2005/05/24(火) 21:21:57|
  2. 日本
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ポイントカードって

2002年に帰国して、初めて買い物に行き、レジでこう言われました。
「ポイントカードはお持ちですか?」
ポイントカードという言葉を、私は知りませんでした。日本を出た1990年よりも以前には、ポイントカードという言葉は使われていなかった気がします。ポイントカードというものも普及していませんでした。スタンプカードとか、台紙にシールを貼っていくようなものはありましたが。

まあとにかく、ポイントカードなるものがあるらしく、ポイントがたまるとお得だと説明されたのですが、財布の中がカードだらけになったり、支払いの段になって正しいカードを取り出すのにまごつくのは嫌だし、頑張ってポイントを貯めてもそれほど大した特典はなさそうなので(というか絶対に店が得するようにできてる気がする)、行きつけの美容院のポイントカードくらいしか持っていなかったんです。

でも、今日買い物のときレジでボーっとしていたら、「ポイントカード申し込み用紙」が用意されていました。そうしょっちゅう行く店でもないので要らなかったんだけど、別に断ることもないかなと思ってボールペンを受け取りました。そして用紙を見てちょっとびっくり。だって、名前の他にこんなことを書き入れる欄があるんだもん。

住所・電話番号・生年月日・メールアドレス・職業

どうしてこんなこと書かなくちゃいけないの?一体何の権利があって、赤の他人が私の年齢や電話番号やメールアドレスを聞き出そうというんだろう、と思ってしまった。一瞬迷って、とりあえず名前と住所と誕生日(年は省略)だけ書いてレジ係りに渡すと、「電話番号は必ず書いてください」と言います。「書かなければいけませんか?」「あ~ちょっと登録に必要なんでー」
たぶん、電話番号の末尾をコンピューターに登録するとか、そういうことなんだろうな~とは思ったけど、「ちょっと必要なんでー」という説明でみんな簡単に電話番号を教えてしまうものなのだろうか。生年月日や職業は「客層把握」のためのデータで、住所やメールアドレスはダイレクトメールを出すため?あるいは聞くだけ聞いておいて別に何にも利用しないのかも知れないけど・・・

でも、今の日本、あっちでもこっちでもポイントカードだの顧客登録だのあって、そのたびに気安く個人情報を与えるのって、なんだか納得いかないのですが。

みなさんは真面目に記入していますか?
  1. 2005/05/21(土) 21:26:12|
  2. 日常
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痒くてもどかしい日本語

私の母国語は日本語で、ドイツ語や英語でもそれほど不自由は感じませんが、やっぱり日本語で読み・書き・聞きするのが一番楽です。

でも、日本語を話していてちょっと困ることもあります。まず第一に、日本語は私にとって「痒い言語」なのです。心にもないことやお世辞を言うのが非常に苦手な私。紋切り型の表現を使わなくてはならなかったり、相手にうわべだけの言葉をかけなければいけない状況が日本語では非常に多い。そういうときって何だかドキドキしてしまう。「白々しく聞こえないかな~」なんて心配になる。できれば自分の言葉で、と思うけれど、自分で選んだ言葉というものが果たして常識にうまく当てはまるのか自信がなかったりして・・・は~あ、フォーマルはホントに緊張します。

フォーマルな決まり文句を使うのも苦手だけれど、使われるのも苦手。ほとんど知らない相手からいきなり電話がかかってきて、「いつもお世話になっております」って言われると、「お世話なんて全然していないのに~」って、なんだか痒くなってしまいます。「いつも主人がお世話に・・・」って言われるとさらに痒い!だって変な感じがするんだもの。「主人が」と夫のことをいったん立てておきながら、「お世話になって」と息子扱い?その方のご主人が家で奥さんに膝枕で甘えている姿が目に浮かぶようで、とっても痒い!

夫が大学を卒業したとき、就職が決まったとき、日本語の試験に受かったときなど、「ご主人がXXで、おめでとうございます!」と言われて、居心地悪かったです。だって手柄を立てたのはあくまでも夫で、私は別になにもしていないんだもの~。もちろんお祝いの言葉をかけてくれた人達も、私の手柄じゃないことなんか百も承知で、それでも「あなたの家族にいいことがあってよかったですね」という意味で言ってくれたのだとわかるけれど・・・でも、なんか痒~い!

しかし痒がってばかりもいられません。「いつもお世話に」攻撃をしかけられたら返す。いや、やられる前にこちらが先に、というのもおぼえました。だんだん免疫ができて来たのか、この頃は痒さも半減しています。

もう一つ日本語で困っていること。それは、日本語では「まくし立てる」ことができないこと。日本語というのは、「なんとな~く」「ほのぼの」「あいまい」で、ここぞと言うときにあまり威力を発揮してくれないのです。まあ基本的に、日本社会では相手に向かって何かをまくし立てるという状況にほとんどならないのですが、たとえば子供を叱るときなどに日本語ではどうもうまくない。うちの子供達は「しなさい」と言えば「ハーイ」とやり、「するな」と言えば「ハーイ」とやめる子達ではありません。何故しなければならないのか、何故してはいけないのか、説得力を持った説明がない限り言うことをきいてくれない。それでついつい私は大声になるのですが、日本語で説明しようとすると感情ばかりが先行して文構成のスピードがついて行かずに空回りしてしまう。「なんでダメなの?」と子どもに聞かれても、「だっ、だからっ、あの、その、つまりぃ、ダメと言ったらダメなんだ~~~~っ!!!」と絶唱する結末に。

その点、ドイツ語はよくできています。「これはこうで、ああで、そうしたらああなるからダメっ」と言うことが瞬時にしてできる。どうしてかと言うと、日本語の場合、普通の会話は文章構成が「論理モード」にはなっていなくて、デフォルトでは「情緒モード」にセットされている。だから、子どもを論理的に叱るときにはモードの切り替えをおこなわなくてはならないのです。そこに時間のズレが生じるのでもどかしいんですね。ところがドイツ語ではデフォルトの設定が「論理モード」なので、普通に喋るだけでロジカルな説明をすることができ、短時間で子どもの行動を抑制することが可能です。

日曜日には娘の保育園のバザーがあり、私もせっけんショップを出店したのですが、さて開店という段になって子供達が「お母さん、XX買うからお金頂戴」だのなんだのごちゃごちゃ言ってきて、「今お店を始めたところで忙しいからダメ」と言っているのに煩くまとわりつくので、私はパニックを起こしてしまいました。余裕がなかったので、日本語を組み立てているのがもどかしく、思わずドイツ語で「ベラベラ、ガーガー!!」とやってしまいました。人が見ていたのに。まったくもう、恥ずかしい・・・

もっと鍛えなきゃ、母国語力。

  1. 2005/05/21(土) 21:23:53|
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虐げられる女性の運命

あ~、今夜はなんか・・・眠い!だから変なこと書いても許してください。頭回りません。

我が家には月一度、ドイツの某ブッククラブから本のカタログが送られてきます。日本に面白い本がわんさとあるので最近あまり注文しないのですが、今ドイツではどんな本が売れているのか気になるので、とりあえず内容をチェックします。ベストセラーリストの上位はたいてい、翻訳物の推理小説やミステリー。ハウツーものなんかも多いですね。歴史小説もなかなか人気が高い。そして、必ず目に付くのは「女性の運命」なるジャンルの本!

どうしていつもいつも、ドイツの書店にはこの手の本が溢れているのだろう。「女性の運命本」とはすなわち、過酷な人生を生き抜いた女性の涙と感動の手記。そしてこれらの手記の書き手はなぜか決まって「外国の女性」なのです。今手元にあるカタログからタイトルをいくつかピックアップしてみましょうか。

「イェメンで連れ去られて」
親の決めた許婚との結婚から逃れ、イギリスで自ら幸せを勝ち取るまでの過酷な日々は・・・
「炎のごとき心」
私生児として生まれ、孤児院で育ち、少女ゲリラとして闘ったあの頃。私は今ドイツで・・・
「未知の花嫁」
花嫁として売られ、奴隷のごとく扱われるトルコ女性たち・・・
「黒い寡婦」
黒い寡婦と呼ばれるチェチェンの女性自爆テロリストたち。その地獄のような生活から逃げ、生き延びた私・・・

好きだなあ・・・つくづく思ってしまいます。虐げられた女の物語。でも、ただ虐げられるだけじゃだめなんですよ。果敢に運命に立ち向かわなければ。そして最後にはアメリカかヨーロッパに渡り、幸せな生活を手に入れる。めでたしめでたし。決まってこのパターン。

他の土地で、女性たちがどんな生活をしているのかには私も興味があります。知らないでいるより、知った方がよい。その意味で「女性の運命本」には存在意義があると思う。だけどね、この種の本がバカ売れするのには、単なる「勇気ある女性への共感」以上の何かがある、そんな気がしてならないのです。感動の裏に隠された心理はいかなるものか・・・

日本人女である私は、ドイツでよく聞かれました。
「日本の男ってマッチョなんでしょ。女性は結婚したら家に縛られて自由がないんでしょ」
「日本は男女同権じゃないのよね。女性は出世できないんだってね」
そんなときに、そうですね~日本はまだまだダメです~などと答えると、
「やっぱりね。あなたはドイツへ来られてよかったわね。もう帰りたくないでしょう」なんて言われる。
しかし逆に、そんなこともないですよ~最近は日本の男性も家事のできる人が多いし~むしろドイツ人男性のほうが~、なんて言おうものなら!なんだか、相手はがっかりしてるっぽいのです。
「そうなの。羨ましい~」とは絶対に言わない。

こんなふうに勘るのは嫌なのですが、どうもドイツ女性たちは、外国で女性が過酷な人生を強いられているのを確認したがっているような気がしてならない。しかしそれは「人の不幸を喜ぶ」といった性質のものでは決してなくて、むしろ「ああよかった。それなら私たちドイツ女性の方がマシだわ」っていう安心のように感じられる。ドイツの女性たちは自らの人生に満足していないのでしょうか・・・

NHKドラマに「おしん」というのがありましたが、アジア各国やイスラム圏でも放映されて大ヒットしたのでしたよね。健気なおしんの姿は国境を越えて感動を呼んだ。でもヨーロッパでは放映されていないみたいです。たぶん受けないんでしょうね、ああいうのは。
「え、どうして?虐げられる女性の話に感動するんじゃなかったの」って?
いいえ、違うのです。どんなに辛かろうとも、それを自分の運命と受け入れて健気に生きる。ドイツ女性はそういうのは嫌いなんだと思います。
Sagen Sie nein! Say no! ノーと言いましょう!闘いましょう!泣き寝入りはいけない!過去は辛ければ辛いほどよい。闘いは激しければ激しいほどよい。だって、その分だけ、手に入れた自由は素晴らしいんだもの。

そういう図式が透けて見えるんです・・・
  1. 2005/05/20(金) 21:27:28|
  2. ドイツ
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あなたは何占いを信じますか

日本に帰って来てから、子どもを持つ女性の集まりでうまく会話に加われないことがあります。

「本当はうちの娘、O子ってつけたかったんだけど、画数が悪いからO恵にしたの」
「うちは夫婦揃って体が弱いから、子どもには強い子に育って欲しくて、そういう画数の名前をつけたわ」
私、何もコメントできません。だって我が家のメンバーには画数がない。私も夫の姓に改姓したので、カタカナ書きです。夫と子ども達もドイツ名はカタカナ表記。それもドイツの名前を無理やり仮名書きしているだけで、正式な文字ではありません。私たちって、姓名判断の対象外だよね?

「うちの子はマイペース過ぎて困るわ。やっぱりB型ねー。ところでビアンカの息子さんは何型?」
「し・・・しらない」
私たち、子供の血液型知りません。だから血液型占いの対象外。

私の息子の誕生日は9月23日。ドイツではおとめ座の最後の日。ところが日本ではてんびん座の最初の日なんだって?一体どっちなの。ということで息子は星占いの対象外。

四柱推命とか言われてもダメですよ。私、自分の生まれた時刻を知りませんから。これまた対象外です。四柱推命って中国から来た占いですよね?でも、中国の人どうするんでしょう。戸籍の記載事項をしょっちゅう変更する人がいるって噂ですから。自分の正確な生年月日がわからなくなっているなんて、珍しくないらしいですよ。

最近判明したのですが、夫と私はお互いの「天中殺」の年に結婚したみたいなんです。ドイツには天中殺ってないので、思いつきもしませんでしたよー。もしかしたら式も「仏滅」に挙げていたかも知れません・・・

こんな調子で、ことごとく対象外なので、私は占いを信じることができません。「うちは関係ないわ~」という感じ。でも信じないからといって、存在を否定しているわけでもありません。決断力があってなんでも自分でテキパキ決められる人はいいけど、優柔不断な人も世の中にはいるので、決断のお助けツールとして便利だと思う。「今日あなたにはいいことがあります」と言われれば「そうかな~」とウキウキして前向きに過ごせるから、自己暗示ツールになるし、逆に「今日あなたに災いが降りかかります」と言われたら用心して行動するなど行動抑制ツールにもなる。また、占いの存在意義にも書きましたが、インドのような多民族社会では社会秩序を保つのに有効だという報告もあります。

それに、なんといっても文化ですから。占いは、その土地に住む人々の人生観を映し出す鏡といえないこともない。占いを信じないと言いながら、この私もお正月には神社に行っておみくじを引きます。大吉が出れば「わ~い!」と素直に喜ぶ。(でも「凶」が出ても、たぶんお祓いには行かないと思うけど・・・)人生に彩をつける楽しみの一種と考えれば、占いがあってもいいんじゃないかな~と思います。狂信的にならなければ、ですけど。

それにしても世の中には実にいろいろな占いがありますね~。手相・風水・吉方位・四柱推命・12星座・13星座・動物占い・水晶占い・タロット・コーヒー占い。こうしてパッと思いつくものだけではありません。アメリカ、アジア、アフリカ、オセアニア、ヨーロッパの各地にはありとあらゆる占いシステムが存在します。世界の至るところで、不安げな顔をした人達が「占い師」のテーブルの前に行列を作っている。そして、この無数の占いシステムにより導き出される貴方の今日の運勢は・・・
たぶん、全部違う!!

さて、数ある「貴方の人生」の中から、どれを「正しいもの」として選びますか?まさか世の中に存在するすべての占いの結果をかけ合わせて「総合結果」を出すわけにはいかないでしょう。では、どういう基準で「XX占い」は正しく、それ以外は全部「信じられない」と判断するんでしょう。うーん、わかんないな。「なんとな~く、手相が一番当たる気がする」とか、勘で判断する?では、信じる占いシステムが決まったとします。方角占いでもなんでもいいです。それでもし、外国に引っ越すことになったらどうしましょう。例えばケニアへ駐在とか。現地に着いて住居を整えるとき、鬼門だから北枕はマズイと思っているのに、現地人メイドさんが「ケニアの占いでは、枕は絶対北!じゃなきゃ悪魔に魂を乗っ取られる!」と言い張るかもしれません。さてどうする?郷に入っては郷に従えで、現地の占いに従って行動するべきでしょうか。

いえいえ。日本人はあくまで日本の占いを信じればよいのです。ケニアの占いはケニア人のもの。うーん、本当に事はそんなに単純かな?では、ケニアでメイドさん(またはボーイさん)とデキてしまって子供が生まれちゃったら?日本人とケニア人のハーフの赤ちゃんの枕はどっち向きにする!?

ねっ?考えてみると難しいでしょう。占いって普遍的なものではないのです。ある特定地域に定住し、特定集団に属していないと、占いは利用できなくなります。それに、幸運を呼ぶラッキーアイテムは移住先では入手不可能だったり、災いをもたらす鬼や悪魔や悪霊も移住先には住んでいない可能性があります。

今の国際化時代、占いの行く末はいかに?世界の人間すべてに適用しうる、「ユニバーサル占いシステム」を構築する必要があるかも知れません。

  1. 2005/05/19(木) 21:28:51|
  2. 各国情報
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リビングで異文化しよう わいるどわ~るどらいぶらりー

旅行したいけど、お金がない、暇がない。ありがちです。でもいつでも「異文化」したい私。だから自宅でトリップします。熱いカプチーノのカップを片手にソファーに座り、「異文化本」のページをめくるのって最高!

「わいるどわ~るど・らいぶらりー」から、お気に入りの本をいくつか紹介させてください。


<アジア世界へ>

中国  「大地」パール・バック
(え~、なんで今の時代にパール・バックなの?と言うなかれ。ビアンカの「異文化好奇症」発症の引き金となったのがこの作品。小学校高学年のとき、母が買ってくれました。なんとなく違うようでなんとなくわかるよその国、その不思議なメンタリティを全身で感じ取ることができます)

タイ  「私は娼婦じゃない タイのメールオーダーブライドの告白」パカマート・プリチャー
(結婚斡旋所を通して見知らぬドイツ人男性のもとへ嫁いだタイ女性の手記。国際愛情販売組織とは?そしてタイ人女性側から見た結婚とは?幸せとは?)

インドネシア 「人間の大地」プラムディヤ・アナンタ・トゥール
(インドネシア大文豪、プラムディヤの獄中作カルテットの第一部。ジャワの貴公子が民族運動に目覚めていく過程がドラマチックに描かれています。世界各国語に訳出されていますが、英語版は翻訳が雑でお勧めしません。アジアの物語は日本語で読むほうが絶対グー)

ベトナム 「バンコクの妻と娘」近藤紘一
(サンケイ新聞バンコク特派員だった故近藤記者が現地で得た妻子とのユーモラスな日常。このシリーズ大好きです)

ニューギニア 「ニューギニア高地人」本多勝一
(ニューギニアの高地ジャングルにあるウギンバ村に住む、ダニ族とモニ族。対照的な二つの部族の生活とメンタリティは・・・本多勝一の若き日のフィールドワークレポート)


<アラビア世界へ>

サウジアラビア "Princess: A True Story of Life Behind the Veil in Saudi Arabia"
by Jean Sasson, Jean P. Sasson
(サウジアラビア王女が王家の内部事情を暴露。友人であるアメリカ人ジャーナリストによる代筆です。どこまで本当か知らないけど、すごーく面白い。続編がいくつか出ています。残念ながら、日本語版はなし)

エジプト 「バイナル・カスライン」ナジーブ・マフフース
(ノーベル賞作家マフフースの小説。カイロに住む一家の生活からエジプト社会が見える)


<アフリカ世界へ>

ケニア "Green City in the Sun" by Barbara Wood
(19世紀初めに大いなる夢を抱いてケニアに入植したイギリス人一家。しかしキクユ族のヒーラーに「聖なる土地を汚した!」と呪いをかけられ・・・)

ケニア 「マサイの恋人」コリンヌ・ホフマン
(バカンスでマサイの戦士に一目惚れ。何もかも捨ててマサイの部落に押しかけ女房したスイス娘の奮闘記)

カメルーン "The Innocent Anthropolosigt. Notes From a Mud Hut" by Nigel Barley
(文化人類学者ナイジェル・バーリーの抱腹絶倒フィールドワークレポート。死ぬほど笑えます)



他の地域はまたの機会に・・・
  1. 2005/05/18(水) 21:30:13|
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手話という異文化世界

自分で本を選んでいると、どうしてもテーマが偏って、そのうち自分の選書のカラーに飽きてしまいます。そういうときには人様の読書録をこっそり盗み見に行く。面白そうなタイトルをサササとかすめメモして、それから図書館ないしアマゾンのサイトへジャンプ!

いつも利用させて頂いてるのは、「しなの月記」。ここへ行けば、面白そうな本が必ず見つかります。なんたって管理人さんは図書館司書。以下のタイトルもこちらで失敬して来ました。うふふ。

手話でいこう―ろう者の言い分聴者のホンネ

大学時代、同じ授業を取っている学生の一人に目の不自由な人がいました。私は彼女と共通の授業は一コマだけだったのですが、何コマも一緒の友達が何人かいたようで、よくグループでかたまって休み時間にお喋りしていました。私も何度か加わって一緒にお喋り。Mさんって楽しい人だな~と思いました。

あるとき、キャンパスで彼女が杖をつきながら歩いているのを見かけたので、「あっ、Mさんだ。Mさ~ん!おはよ~」と本能的に駆け寄ろうとしたのですが、ハッとして、足がその場から動かなくなってしまった。「はたしてMさんは私のことを知っているんだろうか?」と不安になったんです。Mさんは点字のタイプライターを授業中に使っていたので、目立っていました。だから私は自分とMさんが知り合いのような気分でいたのですが、彼女のほうは2~3度言葉を交わしただけの私のことを覚えていないかもしれない。もしそうなら、声をかけられたらMさんは困ってしまうんじゃないだろうか・・・

声をかけようかどうしようか迷っているうちに、Mさんは行ってしまいました。あ~バカバカ。いまだにその時の自分がなんだか嫌です。コミュニケーションツールが自分とは異なる人たちとも話したいなと思いながら、どうしたらいいかよくわからない私です。手話も勉強したことがありません。でも、この本を読んでほんのすこぉ~しだけですが、ろう者の世界を知ることができた(かな?)。手話というのは音声を使えない人たちのために人工的に作られた言語だと思いこんでいたのですが、違うんですね。手話はろう者同士のコミュニケーションによって自然発生した「自然言語」であり、手話により表現されるのは「ろう者の文化」。「手話が万国共通じゃないなんて合理的じゃないな~」と思っていたのは、とんでもない勘違いでした。文化の違う日本とアメリカの言語が全然違うように、日本のろう者とアメリカのろう者の文化も全然違う。そして当然、ろう者の世界観と聴者の世界観も違う。そこには異文化の壁がある。ただ思い切って話しかければ、すぐにお友達になれるなんて簡単なことじゃないのですね。知ろうと努力しなければ知ることはできないのです。

もう一つ考えさせられたこと。「あなたも手話通訳ボランティアになりませんか」こういう広告を見て、私は「そういうのもやりがいがあるんだろうな~」なんて気楽に考えていました。ボランティアをやる人は多ければ多いほどいいんでしょ。上手にできなくても、やろうという気持ちが大事なんでしょ。でも違うんですね。中途半端なボランティア精神は、場合によっては通訳される側にとって迷惑なんだと知りました。本格的に手話通訳が必要なとき、ろう者は「善意のボランティア」ではなく「きちんとした訓練を受けたプロの手話通訳」を求めている。考えてみれば当たり前。大事なビジネス交渉のときに、下手な通訳に来られたら会社は困ります。いくら「ボランティアですからお金は要りません」とニコニコされても、ちゃんと通訳してくれないと交渉になりませんもの。

ボランティアを大勢募ればそれでいいってものじゃないんですね~。手話通訳のボランティアをしようという意欲のある人が通訳の養成訓練を受け、職業として仕事ができるようにならなければ質の向上は望めないってことですね。手話に限らず、福祉全般に言えることなんでしょう。日本では一般に、ろう者はろう者同士で結婚するケースが多いそうですが、聴者とろう者が結婚する場合は、女性が聴者、男性がろう者という組み合わせが圧倒的なんだそうです。これは、「ボランティアとして福祉の仕事に関わるのは主に女性だから」らしい。ボランティアでは家族を養えません。うーん、そうか~。これは厳しい・・・

福祉といえば北欧。あちらでの事情はどうなっているんでしょう。関心沸いてきたぞ~。
  1. 2005/05/17(火) 09:35:34|
  2. へえ~のお話
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世界の学校

我が家にはこういう本があります。

小松義夫 地球人記

息子はこれを眺めるのが大好き。なかでも、「学ぶ・遊ぶ」の章がお気に入りです。カラー写真で世界の子ども達の生活を見ることができます。登下校の様子。授業風景、校舎、給食、放課後の遊び。ドイツと日本の小学校しか知らない彼には「ええっ!?」というものがたくさんあります。以下は、「XX国の学校ってそうなの~?」の例と、息子の価値観によるコメントおよび私の感想です。

1. アメリカの学校では、先生が机に腰掛けて授業をしてるよ!
   息子: 先生らしくないね~。
   私:  そうそう。私もアメリカではこれにびっくりした。

2. アメリカでは体育の授業にフリスビーもあるの?
   息子: ただの遊びじゃん。こんなんでいいの?
   私:  別にいいんじゃない?体を動かせば。

3. イギリスの学校にはお菓子を持っていっていいんだね!
   息子: ドイツもそうだったよね~。なんで日本はダメなんだろ。
   私:  母としては、お菓子持参禁止でよかったなー。

4. ブータンでは「着物」を着て学校に行くの?
   息子: 古臭いね~。
   私:  日本では着物を着て登校したら怒られるよね、たぶん。

5. タイではバイクに乗って登校していいの?しかも三人乗り!
   息子: 悪~い!
   私:  危な~い!

6. ミャンマーでは正座して授業を受けるの?
   息子: ミャンマー人って真面目なんだね。
   私:  日本人にO脚が多いのは正座のせいだと思ってたんだけど、ミャンマー人はどうなんだろう。要チェック!

7. ラオスでは校庭であぐらをかいて授業を受けるの?しかも自転車通学OK?
   息子: 厳しくないんだね~。いいな~。
   私:  雨降ったら大変だね。

8. インドでは手を上にあげて前習え?
   息子: 変だ! 
   私:  そういうのもありかー。

9. インドではノートは板、鉛筆代わりに泥?
   息子: いちいち買いに行かなくていいね。
   私:  保管が大変そう。

10.ラオスでは裸足でサッカーをするの?
   息子: 痛そう・・・
   私:  同感。

11.タイでは給食は屋台!?
   息子: 好きなのを選べていいなー。
   私:  おいしそー。

12.ブルキナファソでは給食用の食器を家から持っていくの?
   息子: めんどくさい。
   私:  日本では無理だね。O157とかあるから・・・

13.コロンビアでは給食用に薪をかついで持っていくの?
   息子: 薪を毎日探すなんて大変だ。
   私:  雨の日は薪が濡れちゃうね。

14.中国では登校中に屋台で買い食いしていいの?
   息子: ずるい~。
   私:  朝ごはんくらい、家で食べよう。

15.ミャンマーのお弁当箱って日本のにそっくり!
   息子: 毎日お弁当なんだね。
   私:  ミャンマーに住んでいなくてよかった。

16.モンゴルでは馬に乗って学校へ行くの?
   息子: すげえ。かっこいい!
   私:  すげえ。かっこいい!


いろいろあります。世界の学校。

  1. 2005/05/16(月) 09:42:41|
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お洒落心の消滅?

子ども達の成長が早くて、ほぼ毎シーズン服を新調しなければなりません。週末に買い物に行ってきました。ついでだから自分の洋服も見ようかと思って出かけたのですが、売り場に行ったら面倒になってやめてしまいました。この頃、いつもそう・・・

そういう自分が不思議です。若い頃は、かなりの着道楽でならしていましたから。ブランド物には興味がなかったけれど、流行には敏感だったし、配色や小物にも気を配っていました。制服のない高校へ通ったので、日常の関心事の半分は「明日何を着ていくか」。それが今じゃ・・・どうしてこうなってしまったんでしょう。

「何言ってるの。ビアンカなんてまだまだ若い、これからじゃな~い!」
なんて叱咤激励されたりする。昔は主婦と言えば糠みそ臭いと相場が決まっていたものだけど、近頃はお洒落ママやゴージャスマダムが巷を闊歩している。でもね、一生現役でバリバリなんて、考えただけで息苦しくなる今日この頃なのです。

どうしてお洒落にあまり気を使わなくなったか。最初はこんな言い訳をしてました。
「子どもにヨダレや鼻水をつけられるから、いいものが着れないの~」
子どもが少し大きくなってきてからは、
「若い頃のように何でも似合うってわけじゃないから、洋服選びが大変で億劫になって・・・」
でもそれが本当の理由なんだろうか、とふと思った。

年をとるにつれ、お洒落に関心が薄れていくのってまったく自然なことなのかも。つまり、繁殖期に異性にアピールするよう外見をせっせと整えるのは生物としての本能で、その期間が終了する頃になるとアピールしたいという願望が無意識に消えうせていくんじゃないだろうか。女性がいつまでもキラキラ、ギラギラしている方が変なのかもしれない。でもそう考えると、ゾッとしないこともありません。いや、私だってまだ頑張ればもう一人や二人産めるんですけどね・・・

年をとっても綺麗な人は確かに素敵に見えますよね。でも、「生きている限り、女を捨ててはいけない」っていう風潮が世の中にあって、みんな必死に走り続けているなら、それはどうなのかな~って気がします。人生の時期によって、関心の対象が変化するのは当然のこととして、お洒落よりも別のことに熱中してもいいんじゃないかしら。

というわけで、若作りはしないつもりの私です。
  1. 2005/05/16(月) 09:41:22|
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責任の種類

息子が週に一度、水泳教室に通っているのですが、4年生になって時間割の関係でどうしてもレッスンに間に合うように学校から帰ってこられません。曜日を変えてもらうよう教室に交渉したのですが、手続きをした翌々月にならないと変更できないという回答でした。困ったな~と考え込んでいると、夫が、
「水泳のある日だけ、自転車に乗って学校へ行けばいいじゃないか」と。
息子と私が、それはできないのだと説明したら、夫は驚きました。
夫「何故、自転車で学校へ行ってはいけないのか」

えーと、それは・・・自転車通学を許可すると、生徒が交通事故に遭う危険性が高まるからではないかな?
夫「それはそうだろうけど、事故に遭って困るのは生徒本人とその家族でしょ。親が自分の子供に自転車に乗るなというならわかるけど、学校は関係ないんじゃない?」

うーむ。通学中もしくは下校中に児童が交通事故に遭ったら、学校になんらかの法的責任が発生するのだろうか。もし発生しないとしたら、学校はどうして自転車通学を禁止するのだろう。
そういえば日本では18歳になって自動車運転免許を取得しても、高校へ自動車通学してはいけないよね?それも夫にとっては、「なんで、なんで?」なのです。「駐車スペースがないから?」それもあるだろうけど、主な理由ではないはず・・・

日本では児童が万引きをすると、「どこの学校の生徒か」ということが問題になる。制服や制帽があったり、ランドセルが学校指定であったり、児童に名札をつけさせたりするのは、「どこの学校の子か」がわかるようにするため。たとえ放課後であっても学校は児童の行動に対して社会的責任を負うと考えられているので、できるだけ問題が起きないようにいろいろと規制を設けているんです・・・よね?

そう説明しましたが、夫にはうまく呑み込めないようです。学校を出た後の子どもの行動には、あくまで親が責任を持つべきではないのか?私はさらに言いました。「日本では、すべての人間はなんらかの組織に属するものだという前提があって、一個人が問題を起こしたときにはその個人の属する組織が責任を負う」
夫「ふーん。でもそれじゃ、個人の責任意識は芽生えないんじゃないの?なんでも組織のせいにするなら」
私「日本人にも責任意識はあるよ。ただ、日本人にとっての責任って、自分自身の行動に対して責任を持つというより、自分の属する組織に対する責任ということだと思うな~」

いやいや、それは違うよとお考えの方。是非、ご意見お聞かせくださいね。

そんなふうに話しているうちに、ふと思いました。
「そういえばさ。アメリカではマクドナルドのハンバーガーばっかり食べてたら太ったとか、コーラ飲みすぎて病気になったとかで訴訟を起こす人がいるんだよね?アメリカ人にとっての責任って何なんだろう?」

これも誰か教えて。
  1. 2005/05/15(日) 09:45:37|
  2. 各国情報
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男女は六歳にして席を同じゅうせず

(ここのところ「ドイツのサウナ」でググってこのサイトを訪れる方がすごく多いんですが、どうしたのでしょう?最近ドイツのサウナが話題にでもなったのかしら・・・誰か知っている方がいたら教えてください。)


さて、私の現在住んでいる埼玉では、しばらく前から某名門女子高の共学化をめぐって議論が続いているようです。「いまどき女子高なんて古い」という改革派と、「女子高の伝統を守るべき」という保守派。保守派によると男女別に教育を受けることには利点がいろいろあるのだそうですが、私はずっと共学で来たので今ひとつピンと来ません。

まあそれはともかく、日本には「男女は六歳にして席を同じゅうせず」の名残かな?と思われる現象がちらほら見受けられます。たとえば、親戚の集まりや知人同士のパーティで男女が集ったとき。気がつくと、たいてい男女がきれいに分かれて座っていませんか。最初はごちゃまぜに席についたりするのですが、いつのまにかドレッシングの酢と油のように分離します。この現象はアメリカやドイツではあまり経験したことがありません。イスラム圏のように必ず男女別でと決められているわけではないけれど、日本人はなんとなく「同性同士のほうが居心地がいい」のでしょうか。結婚しても新婚期が過ぎると、夫婦一緒に行動するよりも、夫は会社の同僚とゴルフ、妻は女友達とショッピングという傾向がありますね・・・

近頃、海外に留学する日本女性が増えていますが、アメリカやヨーロッパでは大きなアパートを学生数名で共同で借りることが多く、その場合男女が一つ屋根の下で生活することも珍しくありません。これ、問題になったりはしないのかしら?親が日本から娘に電話をしたら男が出て仰天!娘がいくら「あれはただのルームメート」と説明してもわかってもらえなくて・・・とか。ドイツの大学の学生寮も男子寮と女子寮に分かれてはいませんでした。ミッション系の寮についてはどうだったか覚えていませんが、基本的には男女に分けるという発想はないようです。

この「男女混合」の文化に慣れていないと、ちょっとびっくりすることがあります。ドイツの大学にいた頃、ある学生合宿に参加しました。宿泊先はかつての農家を改造した貸し別荘のようなもので、部屋は居間と台所の他にはすごく大きな多目的部屋が二つ。参加した男女数はほぼ同じだったので、男女それぞれが一部屋づつ寝室を使うんだろうと早合点したのですが、違いました!幹事が参加者を二つのグループに分けて部屋割りをした結果は、男女ごちゃまぜ。え~~~っ。ま、考えてみれば、日本の修学旅行でも夜中に男女が部屋を行き来して結局混じったりしてましたから、そう驚くことでもないのかな。だけど着替えるときに不便だよね。いちいちトイレに行って着替えるなんて・・・

まあいいや。とりあえず食事&飲み会のために居間に集合。盛り上がっていつのまにか夜も更けた。ぼちぼち二階に上がる人も出始める。では私もと、部屋に戻り、中の様子を見て唖然!男も女もその場でパッパと服を脱いで寝巻きに着替えていたから。全く人目を気にするふうもありません。ここで私一人がトイレへ行って着替えたりしたら逆に目立ってしまうかも・・・幸い、照明が薄暗かったので誰も見ていないうちにサッと着替えちゃえと思ったのですが・・・寝巻きにする衣類を鞄から出して、いざズボンを下ろそうとした瞬間、隣のベッド(正確には寝袋)の男の子が急に私の方を向いて話しかけてきた。わわっ。しかたがないので着替えは中断して、返事する。着替えはとりあえずこの話が終わってから・・・ところが、彼はいつまでも話をやめないのですっ!延々と会話を続けることになり、私は着替えのタイミングを失って困ったのですが、数時間後、意を決してズボンを脱ぎました。話のクライマックスで彼が私の顔に視線を注いでいるすきに。彼は何も気づいていない様子(ふり?)。ふう~、セーフ。

しかし翌朝あらためてビックリ仰天のことが・・・

鳥のさえずりで目をさまし、あ~よく寝た~とふと辺りを見回したら、向かい側の寝袋から女子学生が一人出てくるところでした。その彼女の格好は、Tシャツ一枚。「あーいい天気ぃ~」と言って彼女は窓の方へ歩いて行ったのですが・・・ちょ、ちょっと、パンツ見えてるよ~。男子もいるのにっと私はすごく焦ったのですが、本人はいたって平気。しかも窓辺で「う~ん」と伸びまでして。それなのに男子は彼女をジロジロ眺めるわけでもなく、「よく寝た~?」なんて平然と話しかけているんです。そのうち男子生徒もモゾモゾ起きてきて着替えだしたのですが、下着をはきかえる人もいて・・・

洗面所ではもっとオソロシイことになっていました。シャワーと洗面所が同じスペースにあり、男女分かれていません。しかも脱衣所もない。人が顔を洗ったり歯を磨いたりしているところで服を脱ぎ、シャワーブースに入り、終わったら裸で出てきて服を着るというシステムでした。げーーっと思わず後ずさり。
「ほら、次おまえの番だぞ」と言われても、
「い、いいっ。私、今日は浴びない」
「シャワー浴びないだとー?きったねえなー。日本人は毎日風呂に入るんじゃなかったのかよー」そうみんなに冷やかされてしまった。

男女席を同じゅうせずどころか・・・シャワーも一緒!?

ほんとに衝撃的でした。
  1. 2005/05/13(金) 09:48:13|
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ホメオパシー その謎

近頃、ドイツのメディアでかなり頻繁にホメオパシー療法に関する記事を目にします。ほんの数日前にも見つけました。
「ADHD治療にホメオパシーの効果」
何世紀にもわたり「どうやら効くらしい」と言われ続けながらも、科学的証明のなされて来なかったホメオパシー療法ですが、今回ベルリンで発表された結果は「なんらかの効果を認めざるを得ない」ものであったらしいのです。

18世紀前半にドイツ人医師、ハーネマンにより確立されたこの療法は、患っている症状と同様の作用を持つ毒物を希釈し、患者に投与することで、患者の自然治癒力により症状を内側から押し出すという考え方に基づいている。毒物といっても、極限まで希釈を繰り返しているため、そこにはその物質の「エネルギー」しか残っていず、そのため副作用の心配がない。

かなり重症のアレルギー体質である私は、代替医療には大いに関心があるのですが、本場ドイツに住んでいながらホメオパシー療法にはなぜか縁がありませんでした。ところがちょっとしたきっかけで、日本でホメオパシーと関わる機会を持ったんですね。ホメオパス(医者ではない)による健康相談を受けたところ、症状そのものよりも原因の追求が肝心であるという説明。そして、肉体面よりもむしろ精神面の分析が主でした。ここまでは、「病気を診るのではなく人を診る」という東洋医学に通じるものがあり、また、精神分析のようでもあり、特に違和感はなかったんです。しかし、ホメオパシーの考え方について詳しい説明を受けるうちに、私の頭の中には「?」の文字がたくさん浮かんできました。どうもよくわからない。そこで、日本で出版されている某ホメオパシー入門書を読んでみました。その本は読み物としては非常に面白く、独特な世界に魅了されて一気に読破してしまった。でも・・・・・

「これは、オカルトなのではないだろうか?」

ホメオパスによると、ホメオパシー療法は科学的な治療法であり、その論理性には少しもおかしなところはないそうなのですが、そういう前提で何度読み返してみても、私にはやっぱりオカルトとしか思えないのです。

ホメオパシーは宗教なのだろうか。でも変です。ドイツでは西洋医学の免許を持つ医師がホメオパシーレメディを扱っているし、どこの薬局にも置いてあります。それに、いまや患者の五人に一人がホメオパシー療法を受けているというデータもある。オカルトなんかであるはずがない。腑に落ちず、ネットで検索したりドイツから本を取り寄せてみたところ、ドイツではホメオパシーは「アロマセラピー」や「薬草」などの自然療法の類いという扱いのようで、やはり宗教色は感じられない。どうなっているのだろう・・・?

謎だったのですが、さらに調べた結果、日本に入ってきている「クラシカル・ホメオパシー」という流派は19世紀末にアメリカで確立された「ケント派」という解釈がイギリスで定着し、それが日本へ入ってきたらしく、ドイツはまた独自の発展を遂げた様子。ドイツのホメオパシーは実際的で現代人の生活習慣に合ったかたちに変わって来ているようです。

ホメオパシーには実際に効果があるのでしょうか。私個人の限られた経験から言えば、「効くとも言えるし、あまり効かないようだとも言える」。普通の西洋医学の薬のように「効いた」「効かない」と言えないのは、例えば同じ頭痛でもその原因により服用するレメディがいろいろ違うため、効果がなかった場合に「レメディが効かなかった」のか「間違えたレメディを服用してしまった」のか判断がつかないのです。手当たり次第いろいろ試してみても効かないこともある。しかし、「これは・・・!!」というほど劇的に症状が軽快した場合もある。単なるプラセボ効果なのか。

かりにプラセボ効果だとしても、症状が改善したのならそれでいい、という考え方があります。また、ホメオパシー療法の考え方が現時点でオカルトであるとしても、だから絶対にレメディに医学的効果がないとは決めつけられない。「前世から引きずっている抑圧」だとか、人間のタイプを毒物に当てはめて類型化するなどというのは、私個人にはどうしても受け入れがたいのですが、「ホメオパシー療法の持つ不思議な力」は気になります。

先月、新聞の科学欄に「水には一種の記憶力と呼べるような性質があり、水溶液をうんと希釈して溶解物質が限りなくゼロの状態になってもその物質の情報は残る、ということが判明した」という記事を見つけて、「やややっ。希釈されたレメディに物質のエネルギーが残っているという主張がこれで裏付けられるかもっ」と興奮してしまったのですが、よく読むと、水の記憶力はほんの数秒しか持続しないらしい・・・

まだまだわかりません。ホメオパシーの謎。
  1. 2005/05/13(金) 09:46:47|
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女子割礼について思うこと

きのうは少々口調が強くなりまして、どうもスミマセン!なるべく「日本を含めたいろいろな国の文化・伝統・価値観を尊重しよう!」と心がけている私です。でも痴漢はいただけません。うるさいことを言うのも、娘を守ろうとする母の愛とご理解くださいませ~。

でも電車の痴漢くらいならまだマシですよね。世の中にはもっともっと怖い風習がありますもの。主にアフリカ・アラブの国々で行われている「女性の割礼」について、みなさんはどう思われますか。
「きゃー怖い。そんな国に生まれなくてよかった~」でしょうか。それとも、
「さあ、そんな遠い国のこと言われたって・・・」でしょうか。それとも、
「女子割礼?何だっけ、それ」かしら。

具体的なことはここに書きたくありませんが、つまり、医学的必要性がないのに身体の一部を改変する行為の一つです。割礼という言葉からわかるように、生殖器の一部を切除します。「属する社会の一員として認められるための通過儀礼」としておこなわれている女子割礼にはいろいろな型があるようですが、最も改変度の高い「ファラオの割礼」と呼ばれる施術を受けた場合、女性の苦痛や後遺症はまったく大変なものです。しばしば不衛生な環境でおこなわれるため、命を落とす女性もいます。詳しくお知りになりたい方、資料はたくさんありますが、ソマリア出身のスーパーモデル、ワリス・ディリーが自身の体験をまとめた以下の本はいかがでしょう。(注:本書は著者のサクセスストーリー的要素も濃く、女子割礼に関する専門書ではありません)

ワリス・ディリー 「砂漠の女ディリー」

西欧諸国はこれを「許しがたい蛮行だ」とし、撲滅運動に乗り出す女性達もいるようです。また、この習慣を持つ民族はイスラム教徒に多く(と言っても、女子割礼はイスラムの習慣ではないのですが)、イスラム系移民の多い先進国では社会問題になっていますね。上記の本の著者、ディリーさんも国連特別大使として、このような女性の窮状を世界に訴えています。

ところが、こうした動きは実際に割礼の行われている当地では歓迎されていないようです。
「女子割礼は我々の伝統文化です。何もわからない人が口出ししないでください」
「女性達も割礼を受けたいと望んでいるのです。余計なお節介はやめてください」
割礼を経験した女性自らが抗議している文献をいくつか読みましたが、彼女らはこんなふうに語っています。
「割礼を受けたことを私たちは誇りに思っています。娘にももちろん受けさせます」

やはり、外野は干渉すべきではないのでしょうか。「女性解放のために頑張らなくては!」と躍起になっているのは、西洋女性の独りよがりに過ぎないのかな。

難しいなあ~。私は撲滅運動に参加していませんし、西洋の価値観を他の土地の人々に押し付けることには、どちらかというと懐疑的です。でも、この割礼に限っては他のこととは事情が違うかなあと感じる。いくら伝統だ文化だといっても、「故意に身体を傷つけ、医学的に深刻な事態をもたらす行為」はやっぱりよくないので。基本的人権を侵害する行為だと思うんです。それに、当の本人たちが「これでいいのだ」と言っているとしても、心からそう言っているとは限りませんし。本当は絶対に嫌だと思っていても、声高にそう言ってしまうと「女性のクズ」のレッテルを貼られて、社会からつまはじきにされてしまうのかもしれません。自分たちは反対意見を述べられないけれど、社会の外から「蛮行はやめろ」と圧力をかけて欲しい女性もいるでしょう、きっと。

文化や価値観は変容するもので、変容しても構わないのだと私は思っています。「身体変工」の習慣は世界中にあります。その中には葬り去られたものも多くある。中国の纏足、日本のお歯黒や抜歯、ヨーロッパのコルセットや頭蓋変形、そして頭蓋骨に穴を開けるという風習はかつて世界各地にありました。これらの風習を「禁止せずに続けたほうがよかった」とは誰も思わないでしょう。

「昔は割礼があって大変だったよねえ」
女性達がそんなふうに語れる日がいつか来るのでしょうか・・・
  1. 2005/05/12(木) 09:50:16|
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痴漢の文化人類学

藤田徳人ブログを読んできました。相変わらず興味深いです。読後はいつも、「納得~」とつぶやいて終わるのですが、しかし今回はちょっと引っかかりました。この記事です。女性専用車両:首都圏で一斉導入

「女性専用車両を逆差別だと怒る男性もいるだろうが、仕方がない。法律とはそもそも女性に優しくできているのだ。女性を守ることが子孫繁栄に繋がるのだから。このような車両が導入されたのは時代の流れとして当然。もはや男性だけでは経済を担っていけなくなったのだから」

なあるほどです。法律とは所詮そんなものだ、ということがわかりました。でも、私の一番知りたいことがここには書かれていません。すなわち、

ど・う・し・て・男・性・は・痴・漢・行・為・を・す・る・の・か

「そんなの当たり前じゃないか、男だも~ん!」って言うのだーれ?
「それが生物としての本能なのです」と藤田先生。(ですか?)

ま~そりゃそうかもしれませんけど~。痴漢が発生するのは当たり前のこと、だから女性を隔離しましょって言うならそれは違うと思うの。痴漢の発生をどうしても抑えることができなくて苦肉の策ってことならわかりますけど。まさか男女混合車両の方では痴漢行為やり放題になんてならないでしょうね?

女性専用車両と聞いてすぐに思い出したのはエジプトです。カイロ市にも女性専用車両があります。理由は日本と同じ。痴漢がすごく多いんですって。そういえば欧米では電車の痴漢って聞きませんね。どうしてかな。東京やカイロの電車ほど混まないから、痴漢行為をしづらい、あるいは痴漢に間違えられづらい?それはあるでしょうね。でも電車以外の痴漢もあまり聞きません。欧米には痴漢はいないのでしょうか?

夫に聞いてみる。
「ドイツにも痴漢っているかな?」
「えー、いないよ」
まあこれはあまり当てにならない。夫も男性ですから。ドイツで痴漢に遭った経験のある方はご一報ください。しかし、ドイツにおける「痴漢発生総数」が日本より少ないことは間違いありません。ドイツでも性犯罪は決して少なくないですし、職場でのセクハラというのも聞いたことがあります。でも、痴漢や露出狂、覗き男などはあまりいなそう。ではドイツの性犯罪は凶悪なものが多く、日本は軽犯罪が多い?う~ん、そうとも言い切れないですよ。だってこの手の統計ほど信憑性が疑わしいものってありませんもの。どれだけの女性が届け出るものか・・・世界の他の国では痴漢状況ってどうなっているんでしょうか。知っている方がいたら教えてくださいね。

でも、私がここで問題にしたいのは痴漢発生数の国際比較よりも、痴漢行為に対する意識というか、「痴漢文化」についてですっ!みなさんは痴漢というものをどう考えているのでしょう。日本へやってきて家探しをしたとき、児童公園にある立て札を指差して夫は「何とかいてあるのか」と聞きました。「痴漢に注意!」と書いてあると説明したら、夫は真っ青になって「何だって!そんな町で娘を育てられるか!!」。でもどこの町でも同じ。痴漢のいない町なんてあるんでしょうか。

日本で生まれ育ち、子供の頃から痴漢被害にも遭ってきた私は、夫ほどは驚きませんでしたが、この手の立て札には首を傾げてしまいます。
「この公園には痴漢が出ます」これってまるで・・・・
「このアパートにはゴキブリが出ます」
「この倉庫にはネズミが出ます」
申し訳ありませんねえ。出るんですよ。ご勘弁くださいねえ。そんな感じじゃない?
「痴漢を許すな!」にはならないんですか?
「混合車両のほう、痴漢が大発生しておりますので、女性の方は専用車両のほうへどうぞ」
そういうことなのかい?

しょうがないな~っていう受身社会が痴漢を許しているんじゃないんでしょうか。痴漢が出るのは当たり前って諦めていません?いーのかなー、そんなことで。

この「女性専用車両導入」のニュース、海外メディアでも紹介されてるんですよ!恥ずかしくないんですか!!日本は痴漢大国として世界に名を馳せてしまうんですよ!どうやって言い訳するつもりなの。

女性は痴漢にあったら容赦なく叫びましょう。そして、僕は痴漢なんてしませんよ、っていう男性のみなさん。どうか痴漢撲滅運動に乗り出してくださいよ。痴漢行為を見かけたら、大声でこう言ってください。
「君ぃ、やめたまえ!」

その清い一言を待っています。変な連帯感を持つのはやめましょう。



(追記:Kakoさんもこのテーマで記事を書いていらっしゃいます。)
  1. 2005/05/11(水) 09:52:50|
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戸田奈津子氏の誤訳騒動 翻訳者の弁明

エーン、エーン。今日は医薬品に関する文献を翻訳してたのですが、テーマが「バイアグラ」。わからないことがあったからネットで検索したかったんだけど、「バイアグラ」なんて打っちゃうとどんなサイトが出てくるかわからない。スパイウェアに侵入されて、スパムメール嵐に巻き込まれるかも、と怖くてできなかったよ~。キーワードを工夫したり、怪しげなものは絶対に開けないとかすればいいのでしょうが、アダルト系サイト名がずらっと出てくることを想像しただけで気が滅入ったので、続きは明日に・・・

と、調べ物を怠る翻訳者に一撃!ってな記事を見つけてしまいました。

「字幕翻訳家の戸田奈津子さんの翻訳に激しいブーイングが出てる」んですって?「ロード・オブ・ザ・リング」に続き「オペラ座の怪人」でも戸田氏の仕事には間違いが多く、原作が台無しじゃ~ってファンが怒ってるんだって。あ~怖ろしや。翻訳界の第一人者の彼女でさえ吊るし上げられるんなら、私なんて公に出れば何度火あぶりになってることか・・・

指摘されている誤訳箇所というのをちょっと見てきました。ま~確かに、日本語の語法に変なところはあるようで、その点については私を含めた下っ端翻訳者から戸田さんのような大物まで、しっかりと肝に銘じなければいけません。その他については・・・う~ん、そうですね~。意訳の範囲内って言えばそう言えないこともないし、そういうニュアンスじゃないかもって言えばそうとも言えるし。スミマセン。原作を全然知らないんで、わかりませんっ!

私はあんまり映画を見ないので戸田氏の作品を意識したことがなくて、氏がどういうタイプの人物なのかも知らないのですが、「字数制限などの制約があるから」と言い訳してるらしいことに対しては、同じ「字数制限地獄に苦しむ者」として「わかるぅ~」とちょっとは言いたい。よろしければマンガの翻訳、読んでやってください。

さらにですね、翻訳している側のグチを続けると(別に戸田氏を庇うわけではないが)、
「翻訳することで原作の雰囲気が損なわれてしまう」ことは、しかたのないことなんですよ。
「そんなことはない!プロであればできるはずだ!!」ヒヤーッ。矢が飛んできそうですね。
でも考えて見てください。同じ作品でも、訳者によって雰囲気違いませんか?「ライ麦畑でつかまえて」は私の愛読書ですが、村上春樹訳は読んでいません。雰囲気壊されると嫌ですから。翻訳者は誰だって原作の雰囲気を翻訳に反映させようと思っています。でも、同じ原文を読んでも読み手によって受ける印象はずいぶん違うものです。私も最初に英語やドイツ語で読んだ作品を後で日本語訳で読むと、「あれ?なんか違うな~」と思います。私のイメージと、翻訳者のイメージが食い違うからなんですね。「この登場人物の喋り方はきっとこう」とイメージしていたのと違う日本語で語らせていると嫌なんですよ。考えてみれば当然です。ドラえもんやジャイアンの声が変わっただけでも「え~っ」って思うんですから。

翻訳の障害となるのは訳者の持つイメージだけではありません。私には一冊だけ、ドイツ語の著書があるのですが、自分自身の本を日本語に翻訳したとしても、まったく同じものにする自信がありません。著者と訳者が同一人物でも、ですよ。だって言語が違うんだもん、文化が違うんだもん。100%そのものなんてありえない。翻訳者は不可能に敢えてチャレンジしているのだと、少しは大目に見てもらえないでしょうか・・・そしてたまたまドンピシャ当てたとき、「名訳」と褒めてくれよ~。

とは言え、大名作を大物訳者が手がけたとなると、「期待はずれ感」は大きく、その分怒りを買ってしまうのでしょうね。




  1. 2005/05/10(火) 09:58:15|
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嫌われたくない症候群

このブログでいろいろな本の感想を書こうと思ってたのに、異文化ネタを書くのに忙しく、「本」のカテゴリーのエントリーが増えません。ですからこの辺でちょっと一冊。

中島義道 「ひとを“嫌う”ということ」

人を嫌うって何だろう?どうして「嫌い」になるんだろう?

著者、中島義道氏が家族にひどく嫌われ、それに悩んだ経験から「嫌い」という感情を徹底的に分析し書いたのが本書です。人を好きになることについての本は巷に溢れているのに、嫌いになることについて書かれた本はほとんどない。人を好きになることは良いこと。人を嫌いになることは悪いこと。普通はみんなそう考えます。でも本当にそうなのか。

中島氏の著作は、もう一冊読んだ「うるさい日本の私」もそうなのですが、やたらとねちっこくて私は読んでいて少々疲れを覚えます。しかし、書かれている内容は(全面的には共感できないものの)興味深いものでした。「誰それが好き」と言うとき、人は「なぜ好きなのか」とあまり考えません。「なぜってわからないけど、なんとなく好き!」それでいいですよね。でも、嫌いなときはどうでしょう。「わからないけど、なんとなく嫌い!」これはダメ。意地悪されたわけでも、迷惑をかけられたわけでもないのに人を嫌うなんて・・・
だけど、これといった理由がなくても嫌ってしまうのって、理由がなくても好きになるのと同じくらい自然なことで、それを無理やり抑圧しなくてもいいんじゃないだろうか、というのが氏の主張。人間だから、嫌いになったり嫌われることはあるさ、って割り切って気にしないほうがいいんじゃないか。

自分は何も悪いことをした覚えはないのに、どうもあの人は私を嫌っているみたい。そう感じたとき、普通の人はどうするのかな。
「私のどこがいけないの~」ってクヨクヨする?
「何もしていないのに私を嫌うなんて、許せない!」って嫌い返す?
それとも好かれるように、必死で相手に合わせる?

人を嫌うということはそれなりにエネルギーを消費することで、しかもよい結果を生み出さないのだから、嫌わないですむならそれにこしたことがないと私は思っています。だけど、「嫌われること」にあまり過敏になると身動きできなくなってしまうかも。

Aさんは友達が多い = 人に好かれている = 善い人
Bさんは友達が少ない = 人にあまり好かれていない = 人格に問題のある人

この図式にとらわれると苦しくないでしょうか。誰とでも仲良くできる人間でいたいと思うことは「誰にでも共感する」ことを自分に強いることで、また「誰もが自分に共感してくれる」と期待することであるかも知れない。世の中の大半の人は自分に対して関心を持たないし、共感しないし、もしかしたら嫌悪感すら抱くかもしれないということを受け入れなければ、自分を追いつめてしまう結果になりかねない。

もし嫌われてしまっても、それは必ずしも「自分がダメな人間だから」ではない。単に「顔が嫌い。声が嫌い。喋り方が嫌い」なのかもしれないし、もしそうなら自分にはどうしようもないこと。相手が自分に共感してくれないことを気にするよりも、共感してくれた人との関係を大事にするほうがいいのかな~。

「嫌われる」って全然特別なことじゃない。そう思ったほうが楽になれるのじゃないでしょうか。
  1. 2005/05/09(月) 10:10:00|
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日本人は議論が嫌い?

大分前になりますが、「ケータイを持ったサル」という本の著者が北海道新聞のインタビューで、「本が売れたのはいいが、評価はベタ褒めかクソミソかの両極端でがっかり。これでは発展がない。まったく日本人は議論ができないね」という内容のことを述べていました。

先日、義妹のキョウコちゃんにも「日本人は、お互いの違いを認めた上で会話を楽しむのは苦手ではないだろうか」と言われた。確かに日本人はあまり議論を好まないように感じますね。ドイツ人は、あーでもないこーでもないと議論するのが好きな人が多いかな。まあ、全員がそうではありませんが、相手が自分に同調してくれなくても日本人ほどは気にしないようです。

日本人があまり議論をしない理由について、こんなふうに言われています。

* 日本人はもともと自己主張が弱い。
* 日本人は対立を好まない。
* 日本人は論理力を鍛えるような訓練を受けていない。

まあそうなのかな、と思いますが、どうもこれだけでは弱い気がする。うーむ。

いまひとつ決定的でないな~と考えていたところ、こんな本を発見。

三輪正 「一人称二人称と対話」

先日、「相対的私」よ、さらばというエントリーに、日本語の一人称にバリエーションが多いのは自己を相手との関係において定義するからではないかと書いたのですが、私がインスピレーションを得た元記事のあるヒロさん日記でその後議論が展開し、興味深くそのやり取りを読みました。私なりに、もうちょっと掘り下げてみたくて上記の本を読んでみたわけです。

「ははぁ~ん。そうか~」ってことが書いてありましたよ。日本語は一人称だけでなく二人称のバリエーションも多い。あなた、あなたさま、あんた、おまえ、おまえさま、おたく、おたくさま、そちらetc....相手によって使い分けなければなりません。このように「常に相手との上下関係を意識しなくてはならない」言語で議論するのはやっぱり難しいものがあるかもね。目上の人を立てなければいけないという状況で「あなたの意見に共感しません」なんて言いづらい。生意気だ!って怒られるでしょう。異論を唱えるにしてもせいぜい、「仰ることはもっともでございますが、しかしXXXの可能性もあるかと・・・」なんて消極的反論にならざるを得ない。日本人のジョークに自虐ギャクが多いのも、自分を貶めてる分には「失礼にあたらない」からでしょう。日本で革命が起こらないのは、年の離れた相手や先輩に「同志」という言葉で呼びかけるのがメンタリティーに馴染まないからかも。

そう考えると、ヒロさんの「一人称を私という言葉に統一しよう」という提案は一つの可能性として面白いと思います。他者との関係を意識しすぎると自分の考えもロクに述べられないですもの。もちろん「私」以外の一人称を日本語から一掃するというのには相当無理があるし、そうなったらもはや日本語ではないとも言えますが・・・

あるいはこんなのどうでしょう。「会議・演説などでは英語を使う」ナニ言ってんだ~って怒られそうですね。英語を「外国人とのコミュニケーションのためのもの」だと考えれば、英語学習が必要な人はそれほどいませんね。海外旅行にも興味がないし、うちの田舎には外人さんがいないんで・・・っていう場合、英語を学習する必要は全然ないと言える。でも「論理力を身につけるために英語を学習する」っていうのならどうかしら。日本語では「失礼にあたるから」言えないことでも、英語だったら言えるかも!?言論のツールとして、英語は便利なんじゃないかと思いますよ。

「日本語でさえ正しい使い方をおぼえるのは難しいのに、英語なんて強要してこれ以上負担を増やすのはいかん!」って?確かに現実的ではなさそうですね。

やっぱり面倒くさい議論なんてしなくていいのかしら・・・?
  1. 2005/05/09(月) 10:01:17|
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ママ友達って何でしょう?

美容院へ行ってきました。天然茶髪の私も近頃白髪が増えて・・・気分転換に混合へナで黒っぽくしてみました。黒髪の自分に慣れない・・・

仕上がるまでの間、目の前にあった雑誌をペラペラめくっていたのですが、「エッセ」という主婦向け雑誌のある記事に目が留まりました。タイトルは「ママ友達と上手につきあうための8箇条」とかいうもの。(正式タイトルはちょっと違うかも)何かと微妙な「子供を通じてのお付き合いはどうしたらいいか」という内容でした。そこで基本として挙げられた八つのポイントの一つに、「お金や物の貸し借りはしない」「夫の仕事を話題にしない」「子供の成績を話題にしない」「メールはすぐに返信する」などと並んで「子供は預けない・預からない」というものがありました。

「人の子供をうっかり預かってトラブルにでもなると厄介。だから預けない・預からない」

うーん、と考え込んでしまいました。

私はドイツでも日本でも、子供を預けたり預かったりしてきました。友達が急な仕事のときだけでなく、美容院へ行くとき、旦那さんとディナーへ行くとき、コンサートへ行くときなどに子供を預かります。友達も私の子供を預かってくれます。お互いに都合が悪いときは断りますが、預かるときには人の子供がいるからと特別なことはしませんし、預かったり預かって貰ったからといって「貸し借りができた」というふうにも思いません。特別な理由がないのに一方的にしょっちゅう預かってくれと言われたら負担に感じるかもしれないけれど、そういう自分勝手な人は私の友達にはいません。

「人に子供を預けると気を遣うから、それならお金を出してベビーシッターを雇う方がいい」という感覚はわかります。だけど、助け合わないなら何のための「ママ友達」なんだろう。というより、それって「友達」って呼べるんだろうか?

この記事を読んでいて「世の中の母親って、人間関係にものすごく気を遣っているのかなあ~」と感じました。確かに子供を通じてのお付き合いは面倒な部分が多いかもしれません。自分で選んだのではない相手に合わせるのは大変です。私も近所のお母さん達の中にはそれほど話の合わない人もいて、そういう人たちとは親密なお付き合いをしていません。悪感情を持っているわけでは全くないので、会えば挨拶しますし、立ち話をすることもあります。でも家庭の事情のような立ち入ったことは聞かないし、お金の貸し借りもしないし、子供を預けたり預かってもらったりもしない。まさに「エッセ」の記事にある8箇条にのっとってお付き合いをしていると言えます。でも、そういう人たちのことを私は「ママ友達」だと思ったことはありません。彼女らは私にとって「近所のお母さん」「顔見知りのお母さん」。

人とどんな付き合い方をするかは本人が決めればいいことで、「母親同士、深く係わるべきだ」とは別に思いません。煩わしいから他のお母さん達とは付き合いたくない、と思う人もいるでしょう。でも、その記事の「ママ友達」という言葉になんとなく引っかかってしまったんです。

「ママ友達とは当たり障りのない話題に徹し、プライベートなことは一切聞かず、貸し借りを作るようなことは絶対にしない。それが正しいお付き合いのしかたです」

そんな風に読み取れた。これを守らないのはマナー違反?でも「友達」って「与えたり受け取ったり支えあったりする人」のことじゃないの?マニュアル通りの付き合い方をしなければならない相手は私にとって「友達」ではない。トラブルを避けるためにマニュアル通りの付き合い方に徹しているお母さん達は、他の場所(子供と関係のないところ)で「友達」を持っているものなのでしょうか。

「知人」と「友達」の区別がなくなっているような気がする・・・
  1. 2005/05/07(土) 10:13:09|
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トルコの「歩くインフォメーションセンター」

あまり有名ではないかも知れませんが、トルコの「ブルサ」という町はとても素敵なところです。

オスマン帝国最初の首都であったというこの都市は、美しいモスクを始めとする見所がたくさんあり、緑豊かで、とびきり美味しいオリーブの産地で、温泉があり、冬にはスキーができます。

そんな美しいブルサの忘れられない思い出。長距離バスで到着した夫と私は大きな荷物を抱えて、「さてこれからどうしたものか」と考えました。取りあえず宿を探さなければならない。しかし、私たち、トルコでの宿探しにはホトホトうんざりしていたのです。大きな都市には国際水準に見合うような立派なホテルが幾つもあったのでしょうが、私たちの懐具合ではとても泊まれない。しかし、格安な宿になると、殺風景で不潔なわりには高いことが多くて、料金に見合った手ごろな宿を探すのはなかなか大変だった。

取りあえず、町の中心にあるツーリスト・インフォメーションへ行き、そこで適当なホテルを紹介してもらうことにしました。わかりづらい地図を見ながら、重い荷物を引きずってようやく着いたと思ったら、なんと「Closed」。日曜日にはインフォメーションはお休みだったんです。

「ど、どうする~?」
するとその時、背後で可愛い声がする。
「May we help you?」
見ると、白いTシャツ、白いズボンに白い野球帽を被った中学生くらいの男女がニコニコして立っています。胸元には「Mobile Information Center」と書かれたバッジ。
「お困りですか?僕たちがお手伝いしますよ!」

何かと思ったら、中学校の英語教育の一環で、外国人旅行者のお手伝いをしながら英会話の練習をしようという試みだそう。
「手ごろな宿を探しているんだけど・・・」
そう言ったら、二人の中学生は顔を見合わせました。
「え、えーと。ちょっと待っててくださいね」
そして小走りに向かった木の陰には中年の男性。彼らはその男性に相談している様子。やがて紙切れに何か書いてもらって、二人は戻ってきました。
「こちらのホテルがいいですよ。安くて清潔。快適です」
「ありがとう。よく知ってたね」
「実は今先生に聞いてきたんです。エヘ」
木陰の男性は英語教師だったのね。

教えてもらったホテル、本当に安くて快適でした。

「日本人が英語が喋られないのは学校の授業が悪いからだ。もっと、会話を中心に!」
そんな声がよく上がりますね。外国人の教師を雇っての会話レッスンもいいですが、こんなふうな実践を通した会話の練習はいかがでしょう?日本全国に可愛い「歩くインフォメーション・センター」が見かけられるようになれば、よい国際交流にもなりますし、もっと多くの旅行者が日本を訪れるようになるかもしれません。

とってもいい方法だと思うんだけどな~。
  1. 2005/05/07(土) 10:12:08|
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日本は本当にサービス天国?

私はドイツが好きだけど、あえて一つだけ文句を言うとすれば、この一言に尽きます。

「店員の態度がなってないぞ~!!」

これでよくサービス業が務まるなあというくらい、怠惰で感じの悪い店員さんが多いんです。
しかし、いろいろ話を聞いてみると、これは何もドイツに限ったことではなくて、イギリスでもフランスでもオランダでもイタリアでも客は「神様」扱いはされないらしいですね。アメリカはわりとフレンドリーな対応だったように記憶してますが、アジア諸国でも、感じ悪いまではいかないまでも日本ほど客にペコペコする店員にはお目にかかったことがありません。こうなってくると、外国の店員さんが悪いというより、日本の店員さんが特別素晴らしいのだという気がしてきます。そして、かの「サービス大国、日本」という神話ができあがるんですね。

「日本ではサービスが行き届いていて、どこへ行っても対応はスピーディ、不快な思いをすることは決してありません!!」

なんて絶賛したくなるけど、でもよーく考えてみると、実はそうでもないかも・・・日本の店員は確かに態度はフレンドリーで、まめまめしくて、いかにも「働いています」という風なんだけど、ちょっとマニュアルにないことを客に要求されるとすぐにパニックを起こして、巣をつつかれたアリのように右往左往してしまう。そんな経験をよくします。

例えば何かを買いにいって、棚の商品には考えているイメージとピッタリのものがないとします。そういう場合、私だったら「ないなー」と思って店を出て行きます。ところが夫の場合、「棚にはなくても別のところにあるかも」と思うんですね。そこで夫が店員さんをつかまえて、「XXXなOOはありませんか」と聞くと、「エッ?」と息を呑んで店員さんが固まる。そして「XXXなOO、でございますか・・・え~と・・・」と焦って棚の商品を片っ端からひっくり返したりする。「そこはもう見たんですが・・・」と夫が言うと、「しょ、少々お待ちください」とバタバタ走って先輩店員に聞きに行きます。「すみません、あちらのお客さんがXXXなOOをお探しで・・・」「ヘッ?何っ?」先輩店員もビックリしてこちらへ飛んでくるのはいいが、「XXXなOOでございますね」と、また棚の商品をひっくり返し始める。だから、そこはもう見たんだってば・・・
結局見つからず、再び「少々お待ちください」。そして複数の店員があたふたと店内をあっちへ行ったりこっちへ行ったりし、さんざん待たされた挙句、「申し訳ございません。当店では取り扱っておりません」なんて結末に。だから聞くだけ時間の無駄なのだと、夫にはいつも言い聞かせているんですけどね。

また、最近は「マイバッグ持参運動」などがあるのでそうでもないですが、10年くらい前まではスーパーでレジ袋を断っただけで固まってしまう店員さんもいましたな~。とにかく、想定外の状況に弱いのです。それに商品知識がうんとあるわけでもなさそうです。

こないだなどは、お茶碗を買ったらレジ係りの人に「こちら割れ物が入っていますので、気をつけてお持ちください」と言われました。割れ物を買ったのは私だし、割れ物以外には何も買わなかったので、「ワレモノガハイッテイル」ことは誰よりも私が一番よ~くわかっていたのですが、レジの人は客との受け答えを丸暗記して機械的に言っていたのでしょうね。吹き出しそうになりました。

日本の店員さんは確かに腰が低くて言葉遣いも丁寧ですが、応用が効かないのではないでしょうか。本当の意味で「サービスの質が高い」というのとは、ちょっと違うのでは?
  1. 2005/05/06(金) 10:15:21|
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0歳児保育と白血病

今日、Die Welt紙に書いてあった話です。

「0歳から保育園に預けられた子供には白血病が少ない!」

こういう研究結果が発表されたそうです。これまで、小児白血病は環境汚染が原因だとか、送電線の近くにいると危ないとかいろいろ言われてきましたが、白血病はどうやら「感染症」らしいと言うのです。感染を引き起こす病原体の正体は突き止められていませんが、この病原体と接触すると免疫系が異常反応して「白血病」を発症する。そして、白血病に罹患する可能性があるかどうかは、母親のお腹の中にいるうちからすでに決まっている、つまり遺伝子的にその気があるらしいです。

生まれて数ヶ月の間に集団生活をし、いろいろな細菌やウィルスに暴露されると免疫系の機能が高まり、「遺伝的に白血病になりやすい」子供でも発病しにくくなる、とその記事には書いてありました。

東西ドイツ統一時の調査では、旧西ドイツでは旧東ドイツに比べなんと30%も子供が白血病に罹る確立が高かったのだそうです。旧東ドイツでは生後3ヶ月から子供を保育園に預けるシステムになっていたことと関係しているのではないか、と考えられているそう。
  1. 2005/05/06(金) 10:14:03|
  2. へえ~のお話
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旅のげっそり話 その3 にぎやかなバリ島ライフ

今日は子供の日。子供たちに「きょうは自分たちの好きなことをして過ごさせてくれ」と言われたので、遊園地とかディズニーランドに連れて行けと要求されるのではとビクビクしましたが、なんと「近所の森でカナヘビを捕まえたい」と出て行きました。安上がりなこと。さあ、いまのうちにサッサと記事をアップしましょ。久しぶりの旅行ネタです。


バリ島の宗教や宇宙観に興味があって、現地で情報を集める目的で一ヶ月ほどバリのある家庭にお世話になったことがあります。観光地バリにはゴージャスなヴィラやホテルとは別に民宿がたくさんあり、私が滞在したのも、一般家庭の敷地の空いている場所に立てた旅行者用離れ部屋。バリの家の造りはちょっと変わっていて、一つの建物の中に複数の部屋があるのではなく、部屋一つ一つが独立した小屋になっています。それぞれの小屋は特定の目的に使われ、日本の居間や和室のように多目的に使われることはありません。

私に与えられた小屋の中にはベッドの二つ入る6畳ほどのスペースと、その奥にトイレとシャワールーム。窓を小さく作ってあるので、部屋の中は昼間でも薄暗く、夜も豆電球一つだけ。シャワーは熱帯の途上国の多くでそうであるように、お湯は出ません。入り口のドアを出るとそこはテラスのようになっていて、テーブルと椅子が置かれてありました。この涼しく快適なテラスで私は昼間の時間の大部分を過ごしたのです。

テラスに座って本を読んだり、手紙を書いたり、調べ物をしていたりすると、入れかわり立ちかわり誰かがやってきます。家族はお父さん、お母さんに成人した子供が7人と孫数名。
「ビアンカ~。何やっとるんじゃー」
「手紙書いてるの」
「ふ~んどれどれ」と言って、彼らは人の郵便物を手にとってジロジロ見る。これは誰から、それは誰宛と根掘り葉掘り聞く。あまりプライバシーという感覚はないようで、雑貨屋で買い物してきた袋がその辺に置いてあると、「何買って来た?」と袋を開けて中身を取り出したりもする。
あるとき息子さんの一人に化粧ポーチを勝手に開けられたこともあって、「ヒェ~ッ。普通、男がレディのポーチを開けるかっ」とさすがに少々ゲンナリしたけど、それがバリ島流ならしかたないわね・・・

24歳の末息子がしばしばやって来て、
「大学出ても職がなくてさ。教師になりたいんだけど、ここじゃ無理。政府はカリマンタン移住を奨励していて職も斡旋してくれるらしいけど、あんな僻地に行ってもねぇ・・」なんてぼやいて行く。使用人のニョマン君も私にお茶を持ってきてくれたついでにテラスに上がりこみ、
「ここの家族は人使い荒くてやんなるよ。給料もロクにくれないし。次男のマデなんてさ、オレには偉そうなことばかり言うけど、とんでもないヤツだよ。あいつ不倫してるんだ。こないだ向こうの田んぼで人妻と逢引してるの目撃したんだから・・・」とコソコソ告げ口する。なかなか興味深い人間模様が観察できるのです。

ここの家には私のほかにもう一人、長期居候がおりました。ラジオ局に勤めるアメリカ人男性で、担当する音楽番組用に民族音楽を録音するため、アジア各地を回っているのでした。特にバリのガムランに興味があるというのでしばらく滞在しているそう。私とは別棟の小屋なのですが、彼もよくテラスで涼んでいるのでそのうち顔見知りになり、お茶をご馳走になったり、いろいろお喋りする仲になりました。あるとき、私たちはこんな会話を。
ジョン「シャワー浴びるときさ、シャワーヘッドをよく見たことある?」
私「え、ないよ。薄暗いからよく見えないし、私小さいから背伸びしないと見えないから。でもなんで?」
ジ「ああそう。ならいいんだ・・・」
私「なあに~?言いかけてやめるなんてズルイよ。シャワーヘッドがどうしたの」
ジ「う・・・実はね。シャワーヘッドの穴をよく見ると、黒い細い虫がたくさん出てきてるんだよ」
私「ギエッ!!ほんとぉ~!?」
真水シャワーは、虫入りだったのです・・・鳥肌っ。やっぱり聞かなきゃよかったよ。

バリ島住民はヒンズー教徒で、一日5回(だったかな)いろいろな物にお供えをする習慣があり、家のお母さんも毎日せっせとお供えものをこしらえていました。お煎餅だったり、餅菓子だったりなのですが、お母さんはそれをお皿に盛って私やジョンのところへ持ってきてくれます。美味しいお菓子なのですが、毎日毎日たくさんくれるので食べきれず、テラスのテーブルに置きっぱなしにするのも悪いし、捨てるわけにもいかないしでちょっと困っちゃった。しかたがないのである夜、寝室にお菓子を皿ごと持ち込んでベッド脇の台に乗せて寝たんです。そうしたら、ウトウトした頃にベッドの下でガタガタと音がする。
「なっなに、今の?」ビックリして起き上がりベッドの下を覗き込むが何もいない。
ゴキブリにしては音が大きすぎるし。幽霊のわけないし。とふと、ベッド脇に目をやると・・・

巨大なドブネズミがお菓子に飛びつく瞬間!!

ギャーーーーッ!!助けてえ~~~~~~~~っ!!

すごい勢いでドアを開け、外に飛び出した。数分後、ジョンとお兄さんが懐中電灯を手に慌ててやってきました。
私「ネッ、ネズミが・・・・」
二人は逃げたネズミを探そうと懐中電灯で小屋の中を照らしました。光を天井に向けたとき、私はひぃっと驚愕のあまり凍りついた。普段は暗くて全然見えない高い天井には、体長1メートルくらいの毒々しいトカゲのような生き物が三匹もへばりついているではないか!!そういえば箒で床を掃いても掃いても、黒いケシツブのようなものがいつも落ちているのを不思議に思っていました。それは、その生き物たちのフンだったのです・・・

お兄さん「ネズミ、どっか行っちゃったみたいだね~。多分もう出てこないから寝なよ」
そして彼らは行ってしまった。もう、どうしよう~と思ったけど、その日は体が極限まで疲れていたせいで、ベッドの蚊帳の下で震えているうちに眠りに落ちたらしい。しかし翌朝、事態を思い出して改めてゲッソリ。昼間は出かけたり、テラスで過ごしたりしたけど、いざ夜が来るとどうしても小屋に入る勇気がない。あ~困った困った。だが夜も更け、とうとう勇気を出して小屋の中に足を踏み入れると・・・

ガタガタッ

ま、まだいる~~~。ダメダメ。絶対この中では寝られないよ~。どうしたものかとしばらく思案しておりました。お兄さんに言っても多分、「たかがネズミじゃない」と笑うだけで、退治してくれそうにもない。そ、そういえばジョンの小屋にはベッドが二つあったっけ。でもでも・・・
かなり迷っていましたが、他に方法も思いつかない。ジョンのテラスへ歩いて行きました。
私「お願い~。泊めて。どうしても怖くて」
ジ「いいけど・・・」
ジョンはまだテラスでもう少し本を読んでいたいと言うので、先に寝かせてもらいました。すぐに寝入ったみたいで、朝方目をさますと部屋の反対側の壁側にあるベッドからジョンの寝息が聞こえた。はぁ~朝か。。。

取りあえずよかったけど、ここからが問題である。バリ島の朝は早い。今何時かわからないけど、午前5時には家族は完璧に起きている。私がジョンの部屋から朝帰りするところを目撃されたら、絶対に絶対に誤解されてしまう。だから皆が起きて来る前に、そぉーっとここを抜け出して自分のテラスに戻らなくては。
キィィ~と恐る恐るドアを開け、辺りの様子を伺いながら抜き足差し足忍び足。よしっ、誰もいない。小走りにサササッ。ふ~う、よかった・・・

でも小屋に入る気にはなれず、早朝の薄明かりの中、テラスの長いすに横になっていました。
兄「おはよう。なにしてんの。こんなところで」
私「あっ。お兄さん。おはようございます」
兄「なんでこんなところで寝てるんだ」
私「あっあのっ。それは・・・ちょっとネズミが怖くて・・・」
兄「もしかしてここで一晩明かしたんじゃないだろうね」
私「いえ、そうじゃあないんですけどぉ~」


この経験で、かなり強くなった私。子供たちの連れ帰るカナヘビなんぞ、なんのそのです。
  1. 2005/05/05(木) 10:16:43|
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罰ゲームって・・・

「たまにはドイツ語のブログも覗こう!」なんて思いついて、昨夜「blog, leben in japan(日本の生活)」でググってみました。

いくつか出てきたのですが、多くは「今日富士山に登った」のような観光レポート。う~ん、もっと「日本人」を論じてるものないかな~。「日本人なんてさー」って文句言ったり、「変だよね~、日本人!」って不思議がっているのないかしら。

するとありました。「日本人の好きな、罰ゲームってやつ、わかんね~」っていうもの。
罰ゲーム大好き Wir wollen bestraft werden!!

うん、そうだよね。日本人は罰ゲームが好き。というか「醜態をさらす」ことをギャグにしてしまう。これ、ドイツ人から見ると「マゾっぽくて理解できない」らしいんです。なぜ罰を受ける人は嬉しそうにそれに甘んじるのか。なぜ、周囲はその姿を見て楽しそうに笑うのか。ものすご~く変!らしい。

ドイツ人がそう感じるというのは、私にはなんとなく理解できる。しかし、私も日本人。罰ゲームを面白がる気持ちもないわけではない。だけど、どうして日本人は罰ゲームを喜ぶの?

うーーーーーん。

考えること10分余り。これはやっぱり「弱みをさらすことに抵抗がない」ことから来るんじゃないだろうか。こないだも 日本人がすぐ謝るわけ で書きましたけど。

そこでこのドイツ人ブロガー記事のコメント覧に「ビアンカ流日本人論」をぶってみた。
「日本人は自分が完璧ではない、無害な人間だということをアピールすることで円満な人間関係を構築するように思う。だから、罰ゲームは屈辱ではなく、楽しいものなのです」と。

すると別の読者の方(ドイツ人)がレスをつけてくれました。
「ふ~ん。なるほどねぇ。でも、それってなんか情けなくないかい?互いに弱みを見せ合わないとやっていけないなんて、自信が欠如してるってことでしょ」

いや、「弱みを見せる」のは単なるテクニックなんだってば~、と反論したくなったけどやめときました。そんなテクニックは理解できん、と言われそうで。(夫はまだ寝てます。あとで議論ふっかけてみよう)

でも・・・日本人ってもしかして本当に「自分に自信のない人間」が多いのかなあ~?
今後の考察課題。
  1. 2005/05/04(水) 10:18:11|
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あなたの性格は?

今日は夫が在宅。ですから必然的に私もオシゴトはお休みとなり、ネットで遊んでいます。しかしネットって、暇なときよりも忙しいときにやるほうがずっと楽しい気がするのって何故?

さて、この間からDNAと性格がどうのってことを書いてきましたが(しつこくてゴメン)、ちょっとこんな本を読んで見ました。

藤田徳人 「思い通りに性格を変える「脳」科学―勝ち組ビジネスマンの自己啓発」


私は勝ち組ビジネスマンになりたいわけではないんですが、「脳内ホルモンの感度で性格が決まる」っていう論旨に惹かれたもので。しかしこの本は「脳内ホルモン感度が低い人は成功できない。だからホルモン分泌を高めるためにトレーニングしましょう」とか「ホルモンサプリを服用しましょう」っていう内容ではありません。(ホッ)著者が述べているのは「基本的性格によって成功の秘訣が異なる。自分の性格を正しく把握して、効果的に努力しよう」ということで、アドバイス本だと思ってよろしい。本書には著者の考案した「性格テスト」が収められていて、いくつかの設問に答えるとあなたの脳内ホルモン感度およびそれに基づく性格がわかります。信憑性は定かではありませんが、面白そうだからやってみました。

その結果、私の性格は・・・「享楽主義型」と判明!

これには一瞬、エッと思いました。だって、私って結構真面目だと思っていたも~ん。わりとコツコツやるしさ、何でも深~く考えるしさ。(って、くだらんことばっかりだけど・・・)しかし、本書の説明を読むと、「ウ~ム。なかなか当たっているかも」と思えるフシがあります。
「好奇心旺盛なので、何でもそれなりに楽しめるが、義務や強制が大嫌い。気に入らない状況におかれると、闘って状況を変えようとするよりも、そこからずらかって楽な方へ行く」なんて、まさにそのものかも~

いかんなー、と思っていたところ、ばぁちゃんのブログでこんなものを発見。
あなたはナニジン?国籍占い

質問に答えてあなたの「潜在的国籍」を知ろう!もちろんやってみた。(こっちは遊びよ)そしたらこんな結果が出ましたよ。

「あなたはカリ~なインド人!」

ビックリしてパソコンの前で飛び上がっちゃった。私のどこがインド人なんでしょう・・・(あー言えばこう言う、とこかな?)

インド的享楽主義者・・・・・う~、いくらなんでもねぇ。己に対して抱いていたイメージがガラガラと崩れ去った感じです。はぁ~。

まっ、インド人云々はともかく、今の私の生活状況では、ある程度「享楽主義的」でないとやってられない部分があります。夫の転勤であっちへ行ったりこっちへ行ったりしますから、特定のライフスタイルにこだわっていたら大変。「住めば都」と、与えられた状況を有効利用する方が理にかなってる気が・・・

でも上記の藤田先生の本、ご本人の意図は大変建設的なのですが、危険も孕んでいますよ。この本がベストセラーになると、
「面倒なことはやりたくな~い。だってアタシ、享楽主義者だもん。脳内ホルモンがそうなんだもん、しょうがないじゃん。好きなことだけやるように生まれついているんだから」って、自己の怠慢をDNA的に正当化して義務から逃れようとする輩が続出するかもしれませんっ。(例えば私とか・・・)

「前向き・建設的・上昇志向」でない方はこの本を読んではいけません!!

でも、自分が本当に「前向き・建設的・上昇志向」かどうかってどうしたらわかるの?それにはやはり、この本に収録の「性格テスト」をやって頂かないと・・・

何が言いたいんだか、自分でもよくわかりませぬ。
  1. 2005/05/02(月) 10:22:26|
  2. へえ~のお話
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