わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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「相対的私」よ、さらば

帰省でみんないなくなって人口密度の低くなった埼玉から、イギリス在住のヒロさんへTB致します!宛先エントリーは「愛に目覚めることのない、節操のない日本の男性たちへ」

私、ワタクシ、あたし、あたい、僕、ボク、俺、おら、わし、ウチ・・・
種類の豊富な日本語の一人称。一体どうして、こんなに一人称がたくさんあるんでしょう。
I, ich, je, io, yo.....なんでヨーロッパ言語には一人称は一つしかないの?

それはつまりこういうことよ。
欧州言語における一人称は「絶対的一人称」なのだ!

欧米人にとっての「私」は、いかなるときにも、いかなる場所でも、いかなる状況においても「私」。赤ん坊だった「私」がおじいさんになっても「私」、社長だった「私」が会社潰して浮浪者になっても「私」、男だった「私」が性転換して女になっても「私」。「私」とは不変のもの。世界がどう変わろうとも、自分が世界を去るその日まで「私」は「私」であり続ける。だから「私」に別の名称を与える必要はない。

でも日本語世界では違うんですね。「私」というのは絶対的存在ではない。他者との係わりの中で初めて「私」が存在しうる。他者がいなければ「私」を定義することはできない。他者との関係によって「私」の存在は変化するのだ。

な~んて、これは私のただの思いつき。「哲学」しちゃってるようですが、別にムズカシイこと考えてるわけじゃありません。ちょっとお尋ねしますが、あなたはどのタイプ?アタシ派?ワタクシ派?オレ派?ボク派?そのときによる、のではないでしょうか。「オレ」なんてぞんざいな言葉遣いは許しませんという家庭に育ち、「僕」を使用している人でも、友達と一緒にいるときには「オレ」を使いはしないでしょうか。普段は「アタシさ~」なんて言ってる人も、仕事のときには「わたくし」と言うでしょう。孫に向かって「小遣いなんぞ、わしゃ、やらん!」と言うおじいさんも、ゲートボールで出会った素敵なおばあさんを口説くときには「僕は鳥の生態を研究していましてねえ。バードウォッチングはお嫌いですか」とかさ・・・

自分の子供に向かって「これは私のカップ」という人もあまりいませんね。「これはお母さんのカップ」と言います。生徒には「先生の言うことを聞きなさい」と言ったり・・・

「私」は七変化するのです。他者との関係で、他者に「どう見られたいか」によって。真面目な人間に見られたいとき、おカタいヤツと煙たがられたくないとき、実直な人らしく振舞いたいとき、シニカルなインテリという印象を与えたいとき。そのときどきでピッタリな「私」であればいい。日本人が「私」というとき、それは「相対的一人称」なのである。

ってホントか?(単なる思いつきをもっともらしく語るなよ・・・)

近頃、「自分」っていう言い方をする人がいますよね。
「ジ・ブ・ン」。使ったことないですが、便利な言葉なのじゃないでしょうか。相手が誰かを気にせず使ってますね。ジブンは、ジブンが、ジブンの、ジブンに。

「相対的私」から脱却しようとする「自我」の目覚めなんでしょうか・・・
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  1. 2005/04/30(土) 10:32:11|
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夫の疑問 パスポート

あるとき、「あ~、パスポートの有効期限が切れるから新しいの作らなきゃ。またお金かかるな~」とボヤいたら、夫が「え?お金がかかるぅ!?」と驚きました。

そうなんです。夫の国、ドイツではパスポート発行にお金がかかりません。ま、厳密には成人26ユーロ、子供13ユーロかかるのですが、日本円にして数千円なので「ほとんどかからない」としていいでしょう。そこで夫は日本の事情に対し、
「なんでパスポートもらうのに何万円もかかるの。パスポートってのは身分証明書でしょう。国民に身分証明書を発行するのは国の義務じゃないか。そんなに金取るなんておかしい!」
さらに5年用と10年用では10年用の方が料金が割安という事実について、
「ゼ~ッタイ変!バスの回数券じゃあるまいし、まとめてご購入頂くとお徳です~なんてさ」
フム。そう言われてみりゃ、そうかね?

しかし、陸続きのヨーロッパと違い、島国の日本では「外国へ行く」というのはそう日常的なことではないので、パスポートを必要とする人は限られている。「どうしても出たい人」「どうしても出なくちゃならない用事がある人」にのみパスポートを発行するという考えだと思うからなあ・・・

ところが夫はさらにツッコム。
夫「じゃ、国内用の身分証明書は無料で発行してくれるんだよね?」
私「国内用の身分証明書なんてないよ」
夫「はぁっ?ウソだろ~~~~~~っ」(とぶっ飛んだ)
ドイツ人はパスポートを持たない人でも、国の発行する「身分証明書」をいつも携帯しています。発行手数料は8ユーロ。(千円ちょっと)
夫「じゃ、日本人は一体何で身分証明するわけ?」
そうですねー。運転免許証とか保険証とか?だけど、運転免許がなく、保険に非加入で、自営業のため社員証のようなものも持っていないっていう人もいるしなあ。そういう人はまさか住民票の写しを持ち歩くわけじゃないだろうし・・・

なぜ、日本人には「身分証明書」がないんだろう?

他の国の事情はどうなっているのでしょうか。知りたい~。
  1. 2005/04/28(木) 10:35:11|
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生活習慣とDNA

娘の保育園の園長によると、「子育てで最も重要なことの一つは、早寝早起きを基本とする生活習慣の獲得である」のだそうです。早寝早起きにより脳内ホルモンの分泌が活発になり、心身ともにバランスよく発達する。子供のときにこれに気を配ってやると、思春期に子供が問題行動を起こすことが少ない、というのです。

これに関して私は「なるほどね~」と思いつつも、どうにも気になってしようがない。私自身、朝型の人間なので早寝早起きは気持ちがよいと感じるし、昼夜逆転した不規則な生活よりも早寝早起きで規則正しい生活のほうがどう考えても健康的だと思える。そしてそれを裏付ける科学データも存在する。でも「早寝早起きをしている子供の方が遅寝遅起きの子供よりも問題を起こす確立が低い」と果たして本当に言えるのか・・・

子供の問題行動には要因がいろいろあって複雑で、一口で「これが原因」とは言えないのだろうし、巷には様々な理論があります。でもまあ、早寝早起きして害になるという研究報告もないのだし、よさそうなことは実践して損はないと思うので、なるべくうちは園長のアドバイスに従うよう心がけています。

しかしっ!!イタリアやスペインでは子供は夜10時過ぎまで外をウロウロしているというではないか。でもイタリアやスペインの子供が「キレやすい」とか「問題行動を起こす」とは聞いたことがない。アフリカ(のある地域)ではそもそも「子供を寝かしつける」という習慣がなく、子供は眠くなったらその辺で勝手に沈没する・・・という具合だそうですが、みんなちゃんと立派な大人になっているんですよね?

決して理論にイチャモンつけたいわけではないんだけど、私、この手のことが純粋に気になってしょうがないの。睡眠パターンが違うのは日本とイタリアで気候が違うせいだろうか。それとも・・・?昨日遊びに来た友達が、
「それ、DNAだよ」
農耕民族である日本人は、早寝早起きの生活パターンが遺伝子に組み込まれているのでは、というんです。だからそうしないと体調が悪くなる、と。うちの子供たちは睡眠時間が少なくて、いくら早く起きても夜はなかなか眠くならないのですが、彼女はそれをあっさりと、
「半分ドイツ人だからでしょ」
ドイツ人が日本人よりも絶対睡眠時間が短いというのは聞いたことないけど、人種によって「適切な生活習慣」が微妙に違うってことはありそうだよね~。

また、保育園では朝食のメニューに「米食」を薦めています。これは何も、「世界中の朝ごはんの中で日本のが最高!」って意味じゃなくて、「日本人の体質にはそれが合う」っていうことなんですけど、うちは朝はパンなんです。夫が「昼ご飯・晩ご飯は日本食でいいけど、朝はドイツ式がいい!」と言うのでそうしてます。しかし保育園には毎日の朝ごはんメニューを書き入れる生活票があって、そこにはみんな「ご飯と味噌汁と・・・」って書いているので、「パンと牛乳」って書くのはいかにも手抜きって風で少々気が引けますわ。ドイツではパンこそが「正しい朝ごはん」だし、うちの娘はDNA的に半分ドイツ人なんですけどぉ~。

というわけで、なにかと迷うことが多い「子育て」です。
  1. 2005/04/28(木) 10:34:06|
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NHKニュース その2 私の要望

「ああ、またか・・・」とウンザリ。NHKニュース。

何か事件が起こるたび、そしてテレビでそのニュースを見るたびに必ず思うんです。
「もう二度とNHKニュースなんか見るかっ。バカバカっ!」
でもまた見てしまう。というか、見ざるを得ない。だって気になりますもん、世の中で何が起きているか。

断っておきますが、私はNHKが嫌いなんじゃありません。ニュースはNHKしか見ませんし、そもそも私にとって「テレビを見る」とは「NHKを見る」と同義語かもしれません。民放にほとんど関心が持てないので・・・

だからよけいに嫌になっちゃう!

何をそんなに嫌がっているかというと、その「情緒的報道」が嫌なんです。こんなふうに感じるのは私だけかもしれないですけど、何か悲惨な事件(事故・災害・テロなど)があるたびに、ニュースに「特定の感情」を押し付けられている気がして大変不快になる。今回の脱線事故報道でもそうです。

「奥さんは朝出かけるときに、玄関先の花がきれいだよと言って出て行った。それが夫と交わした最後の言葉となった・・・」(正確な引用ではありませんが、確かこんな感じ)

いつもこの手法なんです。亡くなった子供が使っていたランドセルをクローズアップして映すとか、犠牲になったAさんの家にはまだ物心つかないお子さんが二人、しかも奥さんのお腹には赤ちゃんが・・・とか。
「この気の毒な人はもう二度と戻っては来ないのです。罪もない人の尊い命を奪う、こんな事件は許せない!決してあってはいけない!あなたもそう感じるでしょう。え?え?」というオーラが画面から漏れ出て来るように感じてしまうんです。

もちろん私だって、当事者の心中を思えば胸が痛みます。もし自分がその人の立場だったら・・・と思ったらゾ~ッとします。悲惨な出来事ができるだけ起こらないように、自分も含めて慎重にならなくてはと思うし、今後のための対策を講じるべきだとも思う。

だけど、もし地震だとかテロだとか脱線事故が起きなかったとしても、毎日病気や小さな事故でたくさんの人が亡くなっている。そして、その方達の遺族は同じように悲しみ、苦しんでいる。私達はその方達一人一人に同情し、共感することはとてもできません。共感することで事の重大さを認識できる、というのは確かにあるかもしれないけれど、ニュースというのは事実を報道する場であって、特定の感情を国民に植え付けるための道具ではないのでは?完全に客観的・中立な報道が無理だというのはわかっています。けれど、事実解明・状況把握の手間をかけずに「命の尊さがおまえにはわからないのか!」の一言ですべてを結論づけようとする風潮を増長するような報道はできるだけしないで欲しい。

雑誌やワイドショーは別に見なくても済むので、とやかく言いません。でもお願い、NHKさん!
NHKニュースだけは、なるべく「事実」に絞って報道してください。それについて「どう感じるか」は個人の問題としてそっとしておいてください。
  1. 2005/04/27(水) 10:36:11|
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ライフ・サイエンスのたどり着くところ

「遺伝」かな~、それとも「環境」かな~。

子育てしていると、常に考えることです。私は文系出身なので、もともとは「環境」の影響を重視する方でしたが、実際に子どもを見ていると「持って生まれたもの」の存在はどうしたって否定できないものがあります。

「女に生まれるのではない。女になるのだ」
確かに後天的に獲得する「女らしさ」(ジェンダー)というものはある。だけど、所詮人間も生物なのであって、そこには歴然たる「生物学的女性性」が存在する。おりしも、脳科学・遺伝子研究の発展はめざましく、巷にもそういった本が溢れているので、私もついつい好奇心で読んでしまうんですよね~。

そんなわけで、先日「政治的傾向は何で決まる?」のエントリーに「DNAも関係してるんじゃない?」と書いたところ、トリビアof科学のmarioさんから興味深いコメント頂きました。ここで部分的に引用させて頂きますと・・・

    『ただ、人の性質の要因をDNAに求める、というのは結構タブー視される風潮があるのではないかと思います。前世紀、遺伝学には「優生学」という分野があり、神経薄弱や能力不足を遺伝子のせいにして、そのような人たちは子孫を残すべきではない、といような極端な考えを発した人もいたようです。ナチスもこの優生学を利用したとか…今でも大いにその可能性はあると思います。生物学が大いに発展した今だからこそ、そうなりうるとも思われます。』

そうですよね~。私もかなり気になっているのです。DNA研究って非常に興味深く、また意義も大きいのでしょうが、人間を「単なる生物」として徹底的に分析すると、全く「ミもフタもない」結論に行き着くのではないかと心配してしまいます。要するに、「他の生物同様、人間は自分の遺伝子を残すために生きているのだ」ということがあんまり強調されると、「優秀な遺伝子を持っていないオマエは生きててもムダだ」ってことになっちゃう。まー私なんかは面と向かってそう言われても、なんだかんだと屁理屈こねて自己の存在を正当化し、シブトク生きていくでしょうけどね。でも中には、ガーンとショック受けて心身症になってしまう人もいるかもしれない。実際、もし数十年早く生まれていたら、夫と私はナチスの「異人種婚姻禁止法」により、結婚することができなかったのですから!

「男も女も能力に差はない」「民族や人種に優劣はない」「子供を産まなくても女として価値がないわけではない」etc...という、過去数十年にわたって闘い、勝ち取ってきた社会の概念が覆されかねないのでは。アメリカでは既に「脳内ホルモンのサプリメントで理想的な性格に変える」とか「夫は要らない。優秀な遺伝子を購入して、それで子供を作るから」という状況が現実となりつつあるようですし・・・

そんなわけで、現在非常にホットなライフサイエンス部門ですが、そのうち「環境論者」からの大々的な巻き返しが起こるのではないか、と想像します。
「いやいや、遺伝子なんて決定要因としては全然小さい。人間はやっぱり環境で作られる部分が大きいのだ」という研究報告が続々と発表されるのでは。

遺伝子ってすごく興味深いからもっと解明されて欲しいけど、でもすべてがDNAってことになってしまったら生きていてもツマラナイ。環境要因が大きいからこそ、私達は前向きに生きていける。そう私は思うのです。
  1. 2005/04/26(火) 10:37:26|
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私は私らしく!

日本人は日本人らしく。
女は女らしく。
子どもは子どもらしく。
学生は学生らしく。
老人は老人らしく。
病人は病人らしく。

「~らしく」って何でしょう?

「~らしく」ないと、違和感・反感・嫌悪感を持つことがあるのってなぜ?「~らしい」の中身はたぶん、その文化によって微妙に違うんだろうけど、どうして人間って「~らしさ」を定義づけたりしたがるんだろ。

しかし、
「あの人は金持ちらしくない」
「あの人は大学教授らしくない」
「あの人は社長らしくない」
「あの人は有名女優らしくない」

「~らしく」ないと、好感を持たれることもあります。

私達は社会の決めた定義にしたがって「~らしく」あることを望まれ、またあるときは「~らしくない」ことを期待されている。

でも、こうも言われる。
「あなたはあなたらしく生きればよいのです!」

一体どうすりゃいいの?
  1. 2005/04/25(月) 10:41:00|
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日本人がすぐに謝るわけ

< ahref="http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=0367&FN=20050417000000">Common Sense: すぐに謝る国、絶対謝らない国
こういう記事を見つけました。

簡単にまとめると、「日本人がすぐに謝るのは、日本人は常に他人に対して申し訳ないという気持ちを持っているからで、日本人にとっての罰とは人に迷惑をかけたという良心の呵責や、それからくる恐怖という心理的な罰である。しかし、欧米人にとっての罰は、神が決めたことを守らなかったことに対する神による裁きなので、そこには内心の呵責はない。よって欧米人は謝らない」。

うーーーーん。そんなことないと思うよー!

「日本人はすぐに謝る。外国人はなかなか謝らない」とよく言われています。外国人っていうのがどこの国の人をさすのかわからないけど、まあ確かに日本人は「すみません」とよく言う民族だとは私も感じます。
「欧米人は神との契約に基づいて生きている。だから他人の目をあまり気にしない。日本人は一神教じゃないから人様の目を恐れる」というのも、ある程度当たっているのかしら・・・とも思う。

でもでもっ。「欧米人は良心の呵責をおぼえない」だなんて・・・

「日本人は誠意を持って謝罪すれば受け入れられるという考え方を持っている」ともありますが、これはたぶんそうでしょう。しかし、日本人は「別にたいして悪いと思っていないけど、とりあえず謝っておけ」と思って謝ることだってあります。この場合は誠意はありません。私が思うに、「すぐに謝罪する」というのは日本人にとって人間関係のテクニックなのです。

関係ないことをいうようですが、ドイツ人はお酒を飲んでも酔っ払いません。お酒に強いということもあるけど、酔っ払って醜態をさらすことは「恥ずべきこと」「信用を落とすこと」だから。酔っ払うのはアル中のすることで、まともな人は酔っ払う前に自分でセーブすべきと考えられている。それに比べ、日本は酔っ払い天国。酔っ払っておかしなことを言ったりしたりしても「お酒の上でのことだから」と許されるのみならず、「あなたもたまにはパーッと飲んで羽目を外しましょうよ」なんて、酔うことを奨励されたりもする。日本人にとって酔うことは「信用を落とすこと」ではなくて、逆に「信用してもらうためのこと」なんじゃないかな~。

つまり、日本人は人間関係において「自分の弱みを見せることで相手に信用してもらう」というテクニックを使っているのではないでしょうか。何か自分が失敗をしたとき、「すみませ~ん。私っていつもこうなんです。こういうの苦手で~」と弱みを見せることで失敗も含めた自分を受け入れてもらおうとする。日本人が自分の長所をアピールするどころか、逆に「私なんてダメダメ」と謙遜するのも、「わたしは恐れるに足らない人物ですよ~。どうぞご安心ください」という人間関係構築のテクニックなのでは。結局は自分を守るため、という気がするんです。

こんなふうにお互いに弱みを見せ合うことで繋がりを強化する手段を持たない場合、人は「言い訳」をすることで自己防衛するしかありません。それが「謝らない民族」というイメージになるのでは?

日本人がすぐに謝るのだって、「この人は謝れば許してくれるだろう」という安心感があってこそで、そこには相手に対する一定の信頼感が存在します。相手が「簡単には許してくれそうもない人」「何を考えてるのか皆目わからない人」であれば、日本人だってそうそう謝罪はしない。

欧米人は赤の他人には簡単に謝らないかもしれません。でも、信頼している者同士の間ではよく謝りますし、他人に迷惑をかけたり傷つけたりすれば、きっと「申し訳なく」思います。内心の呵責がないなんてことは絶対にない。良心の呵責を感じるからこそ教会で「懺悔」するのでしょう。

だからねっ。「謝る」のは日本人の自己防衛手段であって、「謝らない」のはXX人(自由に具体的名称を入れてください)の自己防衛手段だっていうことに過ぎないと思うの。どっちが人間として上等かってことじゃない。(上記の記事にはそんなことまでは書いてありませんけど)

「日本人は誠意ある民族で、XX人は誠意のない民族」というイメージが定着しないといいです。
  1. 2005/04/25(月) 10:40:42|
  2. 日本
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追記 すぐに謝る日本人

前の記事「日本人がすぐ謝るわけ」を書いて数時間後のことです。

ダイニングテーブルの息子が座る椅子の背もたれに、私のエプロンがかけてありました。(というか、私が掛けた)食事のときに息子に言われました。

息子「お母さん。どうしていつもぼくの椅子にこれをかけるの?」
私「あーごめーん」
すると、
息子「あのさっ。お母さんってぼくが何か言うとすぐ謝るけど、ハッキリ言ってそれやめて欲しいよ!」
私「え?なんで?」
息子「謝ってもらいたいってことじゃなくて、今度からしないでくれればいいんだよ。ただ謝ったって意味ないんだよ」
ふーむ、なるほど。
息子「それに答えになってないよ!なんでこれをかけるのって聞いてるのに、あーごめんなんてさ」
んー、確かに。

私は日本人。「謝っておいたほうがいいかもしれない症候群」に罹っているのでしょうか・・・
  1. 2005/04/25(月) 10:38:26|
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オゾマシイ食べ物

夫は日本食が好きです。

彼にとって「絶対外せない日本の食べもの」ベスト10は・・・

一位  寿司
二位  刺身
三位  焼き鳥
四位  餃子
五位  焼きソバ
六位  漬物
七位  カレーライス
八位  炊き込みご飯
九位  ふろふき大根
十位  エビのチリソース(これは中華かな?)

嫌いなものも結構あります。肉の脂身。もずく。しらす。納豆。冷奴。あんこ等・・・
これらは我慢すれば食べられます。でも一つだけ、絶対に絶対に二度と食べたくない、オソロシイ食べ物が彼にはある。

ずーっとずーっと前ですが、夫はある日本人の家庭に食事に招かれました。いろいろな料理でもてなしてくれて、どれも美味しかった。ところが食事の最後に出されたものを一目見て、夫は「あ~あ」と思いました。それは素敵な器に入った自家製プリンだったのですが、夫はプリンが大嫌いなのです。でもせっかく出されたものに手をつけないのは悪いので仕方なく・・・・しかし一口食べて夫は、

「ギャオッ」(と心の中で叫んで飛び上がりそうになったらしい)

プリンはそれがプリンであるというだけで許しがたいのに、そのプリンのまずさは凄まじく、とてもこの世のものとは思えなかった。だってそのプリンは、

一。 生温かかった。
二。 しょっぱかった。

さらにそのプリンには、

三。 肉が入っていた。
四。 魚が入っていた。
五。 果物が入っていた。
六。 野菜が入っていた。
つまり全部が入っていたというのです。

「茶碗蒸し」という名のそのプリンを、夫はいまでも許していません。
  1. 2005/04/24(日) 10:42:30|
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共通語としての英語

先日の周波数の記事に、興味深いコメントやトラックバックを頂きました。(新着コメント欄が現在閲覧不可で、まったく不便です。も~う。ブツブツ・・・)まだまだ気になっていますので、このテーマはもうちょっと追求して、後日また記事をアップします。

ついでなので、もう一つ発音ネタを。

旅行中や仕事絡みで世界各国の人と英語でお話しする機会がありますが、「英語」といっても話者によってそれぞれ母国語の訛りがあります。あんまり相手の訛りが強いと、最初は何を言っているかサッパリわからなかったりするけど、人間の耳ってなかなかたいしたもので、しばらくすると慣れてしまいます。

出張で日本に来たイラク人エンジニアの通訳をしたとき。彼らの巻き舌発音がよくわからなくて焦りました。工場視察のためバスで町を移動中、彼らがこう聞いてくるのです。
「さっきからあちこちでベルドのマークを見かけるんですが、あれは政府の建物か何かですか」
「えっ。ベルド、ですか?」(ベルドって何だ?)
「そう。あっ、またありましたよ。ほらあそこに!」
指差す方を見ると、そこにはイトーヨーカドーの看板が。ベルドってbirdのことなのね・・・
そして私は彼らにこう呼ばれていました。
「ミス・インタラプリタラ(Miss Interpreter)」

タイのある家庭を訪問したとき。
家の主人「ケーッを召し上がりませんか?」
私「ケーッって何ですか」
主(怪訝そうに)「ケーッを知りません?」
私「いいえ、知りません。ケーッは」
主「そうですか。じゃちょっとケーッをお持ちしますから」
ケーッというのはタイの食べ物なんだろうと思ったら・・・持って来たのはケーキ!
あっ、そうか~。なるほど!タイ人は語尾の子音を呑みこんでしまうんですね。日本人は逆に、単語一つ一つの語尾に母音をべったりとくっつける。だから、cakeは日本語では「ケーキ」になり、タイ語では「ケーッ」になるんですね。

タイ人が話すのを聞いているうちに、私は「タイ人英語の三原則」に気がつきました。それは、

一。語尾の子音を呑みこむ。
二。子音が続いた場合、後の方の子音を呑みこむ。
三。アクセントは語尾に。

そうか、そうか。

さて、私はあるとき、ショッピングセンターへ行こうとタクシーを止めました。
私「いくらでCentral Plazaまで行きますか」(とタイ語で訊いた)
運転手「アー?」(通じてない)
私「Central Plaza」
運「アー?」(やっぱり通じてない)
そこで「タイ人英語の三原則」を活用してみました。
私「センタッパッサァーまで、いくら?」
運「センタッパッサァーね。50バーツ」
大成功っ!!

タイ旅行のさいに「英語が通じない」と感じられる方は、是非お試しください。たぶん、うまくいきます。

  1. 2005/04/23(土) 15:22:11|
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政治的傾向は何で決まる?

世の中には「リベラルな人」と「保守的な人」がいます。

多分たいていの人は事柄の内容によってリベラルになったり保守になったりするものでしょうけど、中には内容に係わらず、とにかくポリシーですべてに革新的な「断固リベラル派」や、ちょっとでも目新しいこと、メインストリームから外れたことには取りあえず難色を示す「断固保守派」もいる。

リベラルとか保守とか、そういう個人的政治的傾向ってどこから来るんでしょう。

単純に思いつくのは「教育」ですよね。
リベラルな親に育てられた。リベラルな学校教育を受けた。 → リベラルになりやすい。
保守的な親に育てられた。保守的な学校教育を受けた。 → 保守的になりやすい。

でも、これだけじゃない気がする。

「過去の個人的な経験」も関係ありそう。
過去にうんと抑圧されたり、辛いことがたくさんあり(イジメにあった。虐待された。差別された、など)、その怒り・不満・悲しみなどが行き場を失うと、それが「社会に対する憤り」になったり、「社会的弱者への同情」になったりして、その結果リベラルになりやすいのかも。
社会的にメインストリームに属し、物質的にも恵まれていると、それを守ろうとして、あるいは社会的に立場の異なる人に関心があまり沸かずに保守的になりやすいのかも。

そんなふうに考えたりしてました。だけど、今日ふと思ったんです。

もしかして政治的傾向ってDNAでもある程度決まるんじゃない?

私のテーゼはこうです。
生まれつき、つまりDNA的に「変化を好む人」はリベラルになりやすい。引越しが好き、席替えが好き、部屋の模様替えが好き、しょっちゅう髪型を変えたくなる、新しい店ができたら行ってみたい。こういう「環境の変化がだ~い好き」という人は、自分のいる社会にもどんどん変化して欲しい。今のままじゃいけない、変えなくては!そしてDNA的に「安定を好む人」は自然と政治的にも保守的になる。

移民が多い都市は「リベラル」な傾向が強く、田舎は保守的であるというのも、「移民が多いからいろんな価値観がごちゃ混ぜになった結果、リベラルな風潮が生まれた」というより、もしかして「移民してくるのはそもそも変化を好む人達なので、最初からリベラルである」なのかも。そして田舎は「新しい考えに触れる機会がないので保守的である」というより、「変化を好む人はとっくに出ていったから、リベラルになりようがない」とは言えないかな~。

あ、これ全部、大雑把な傾向ってことですよ。「一概には言えない」って。それは勿論わかってます。
  1. 2005/04/23(土) 10:43:18|
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イタリアン・ジェラートの謎

今日も晴れ。まだ夏までには間があるけど、こんな天気の日には、気の早いドイツ人ならアイスクリーム屋に並ぶでしょう。

知られてないかもしれないけど、ドイツの街にはアイスクリーム屋が多い。それも日本のような、食べ物屋がついでにアイスクリームやソフトクリームも売っている、っていうような中途半端なものではなく、あくまでアイスクリームがメイン。種類も豊富。じゃ、それは「バスキンロビンス」「ホブソンズ」みたいなチェーンのアイス専門店なの、っていうとこれもまたちょっと違う。

ドイツのアイス屋はたいてい、個人経営のイタリアン・ジェラート屋です。カフェを併設している店と、あくまでもアイスオンリーという店とあるけど、共通しているのは、街路に面した側がオープンになっていて、通行人はちょっと立ち止まって数十種類のアイスの中から好きな物を選んでその場でコーンまたはカップに入れてもらい、食べながら歩くという、まったく気軽な形式になっていることですね。安いし、美味しいしで、ドイツ人は大人も子供もジェラートが大好き。夏になると、街のあっちでもこっちでも、アイス片手に歩いている人を見かけます。「歩きながらモノを食べるなんて行儀が悪い」なんて言われないので・・・

このドイツのイタリアン・ジェラート屋、経営しているのはイタリア人です。まったくステレオタイプな「陽気なイタリアのおじさん」が、「チャーオ」とか「シニョリーナ」とか「グラーツィエ」とかのイタリア語をときには交えてアイスクリームをコーンに詰めてくれる。(部分的にイタリア語を使うのは、彼らのドイツ語力に問題があるためではなく、おそらくサービスです。そうするとドイツ人は喜ぶので・・・)

しかし、短い夏の間とても繁盛するこれらイタリアン・ジェラート屋ですが、秋になり寒くなると、店を閉めてしまうところが結構多いんですよ。そして翌年、再び春が訪れるまで、店はずっと閉ざされている・・・
「何これ?冬眠でもしてるの?」
するとドイツ人は言います。
「冬の間はイタリアに帰ってるんだよ。夏の間ドイツで稼いで、冬は故郷での~んびりしてるんじゃないの」
「えっ、まさか!」
「アイスって原価がほとんどかからないからね。ボロ儲けだよ。い~な~、イタリア人は気楽で~」
そ、それが本当なら、私もアイス屋がやりたい!!

しかし、半年アイスを売ったくらいで、冬の間遊んで暮らせるなんて私にはとうてい信じられません。真相はいかに!?

「マフィアが関係してるんじゃないの?」なんて怖いことを言う人もいるけど・・・
  1. 2005/04/22(金) 15:23:04|
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音楽と言語の周波数

う~~~ん。わっから~~~ん!!

何がって、周波数ですよ。もうずっと前から気になってるんです。だってこう言いますでしょ、「日本人が外国語を聞き取れないのは、日本語と外国語の周波数の幅があまりに違うからだ」って。英語の周波数は2000~12000ヘルツ。日本語の周波数は125~1500ヘルツ。ほぉ~ら、こんなに違う!これだもん、リスニングができなくて当然!発音が悪くて当然!と、すぐさま納得したくなりますよね。

でも私にはどうも腑に落ちない。この理論で単純に考えるとこうなります。
「耳のよい人は外国語の発音が得意」つまり、周波数分解能力が高い。そして、こうも言われます。
「耳のよい人は音楽が得意」。音感がよいこいうことは周波数分解能力が高い。ということは、
「音感がある=外国語の発音がよい」となりますよねー。

しかし、私の場合は、「外国語の聞き取りや発音が得意。しかし、音痴」なのです。一体、私は耳がいいんかい、悪いんかい。正しい音程で歌えないだけではない。「メゾ」の私は発声できる音域が非常に狭く、高い音も低い音も出ない。不思議と他人の音痴はわかるけど・・・

これはどういうことなの?って前々からチョロチョロと調べてみてるんですけど、わかりません。
ちなみにドイツ語の周波数は125~3000ヘルツ。英語よりもグッと日本語に近くなっています。英語だと日本人の発音では「ハァ~ン?」なんて聞きかえされることが多いと思うけど、ドイツ語の発音に苦労した日本人の話というのはまず聞かない。だから、一応納得できるとは言えます。

しかししかし!ドイツ語よりももっと日本人が聞き取りやすく、発音し易そうなイタリア語はどうかというと、2000~4000ヘルツで、理論的にはドイツ語よりもずっと難しくなければならない。そしてっ!私にとって「まったくチンプンカンプン、真似もできない」フランス語は1000~2000ヘルツですよ。よくわからないなー。

それにね、「日本人は外国語が・・・周波数が云々・・・」ってあっちにもこっちにも書いてあるけれど、例として出されている外国語はほとんど全部欧米言語です。日本人がよく学習するのが欧米言語だからと言われればそれまでなんだけど、中国語・韓国語・モンゴル語・マレー語あたりの周波数はどうなの?アフリカ諸言語は?って疑問が・・・世界中にこれだけ言語があれば日本語と周波数の幅が似ている言語もありそうですが、その辺のデータは巷には出回っていませんね。

自分のことに戻りますが、音痴な私が「外国語の聞き取りや発音がけっこう得意」なのは本当にどうしてだろう?聞き取りや発音って単に「周波数」の問題じゃないってことでしょうか。子音+母音+子音+母音・・・というふうに成り立っている日本語を話す日本人にとって、同じように子音と母音が口語に現れるイタリア語やスペイン語が聞き取りやすいことから察せられるように、私は周波数よりもむしろ、「音のパターン」や「リズム」に敏感なのでしょうか。

しかし、それだと私は「音痴だけどリズム感はいい」ってことになるねえ。でも実際は・・・あんまりパッとしないんですよね。こっちの方も。

いや~、わかんないっ。
  1. 2005/04/21(木) 15:24:27|
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息子の大事な日

今日は息子の小学校の授業参観でした。おとといから風邪をひいて体調が悪く、しかも今日は娘の誕生日なのでその準備もあって忙しく、「あ~こんな日に授業参観か・・・」という気分で出かけました。

授業は音楽で、「音楽に合わせてリズムをとろう」というテーマ。4人づつの班に分かれて拍子を取る練習をし、その後前に出て四つの異なる楽器を使って発表するという趣向。その練習の様子を教室の後ろから観察していました。

と、息子が隣の男の子になにやら強い調子で苦情を言っています。相手の子の様子は後ろからではよくわかりません。息子は怖い顔でずっと相手の子の方を向いて「いいかげんにしろよ」などと言っていたのですが、そのうち腕を掴んでギューっとやったりして、とうとうその子は泣いてしまいました。見ていた私は「ひゃー、なんてことを!」。すぐにでも前に出て行きたいのを我慢していましたが、内心怒り心頭!

数分して様子に気づいた先生が二人のところへ行き、事情を訊いているようです。息子は何かを訴えている。相手の子はシクシク泣いている。保護者の目が一斉にそちらへ集中しました。

息子は生真面目で、人がルールを守らなかったり、人に笑われたりすることが大嫌いで、そんなときすごくキーキーと怒ります。家でもよく、妹の非を咎めて怒っています。だから、「ああ、またいつもの調子で・・・」と思ったら、ウンザリした。他のお母さん達の前で「まあ、なんて子!」と思われることをしでかしてくれて・・・と思ったら、さらにウンザリした。そして、「風邪ひいて忙しいのを無理して来たのに」と思ったら、とことんウンザリした。まったくうちの息子は!

授業の後、ニコニコして私の方へ歩いてきた息子にガツンと説教。
「A君に謝りなさいっ!」
A君のお母さんにも、
「うちの息子がすみませんっ」

家に帰って、息子と話しました。
私「なんであんなことしたの」
息子「だって、Aくんが真面目に練習しないでふざけてばかりいたんだよ」
私「だからって、あんなに怒って腕を掴んだり、泣くまで言うことない」
息子「最初は優しく言ったんだよ。でも何度言ってもきかないから・・・」
私「人がふざけたぐらいで、どうしてそんなに怒るの」
息子「だって、だって、今日は大事な発表なんだよ。普通の授業じゃないんだ。お母さん達が見に来る日だったんだよ。それなのに、ちゃんとやってくれないから、せっかくの発表がダメになっちゃうと思って」
私「発表が上手にできなくたって、お母さん、がっかりしたりしないよ」
息子「上手とか下手じゃないんだよ。僕はたとえ上手にはできなくても、班みんなで楽しく発表したかった。それをお母さんに見てもらいたかったんだよ」
私「・・・・・」
息子「お母さんが学校に来て僕のやってることを見てくれるなんて、一年に何回もないんだよ。だから僕にとっては本当に大事な発表だったんだよ」

私は息子の学校の行事にあまり行ってやりません。授業参観と懇談会は行くけれど、その他の昼間の活動にはほとんど参加しないし、保護者がボランティアでするお手伝いにも顔を出したことがない。学校・保育園・学童保育室と3つの組織全部の活動に参加すると仕事ができなくなるので、自分の参加したいものから優先順位をつけていくと「私にとって学童や保育園より退屈な」学校行事は後回しになる・・・

息子が文句を言ったことはないのです。それどころか、「授業参観、来ても来なくてもいいよ」なんて。ああ、小学校中学年ともなれば、親なんか鬱陶しくなるんだね。そんなふうに思って息子の言葉を真に受けていました。でも、本当は来てもらいたかったんだなあ。自分が頑張っている姿、もっともっと親に見てもらい、褒めてもらいたかったんだなあ。

きっと私はことあるたびに、子供の前で口に出していたんでしょう。
「ああ忙しい、忙しい」
「あっちもこっちも大変だ」
「またXXをしなくちゃならない」

いつも必ず見に行ってやることはできない。それはしようがないんだけど。
でも、「寂しい気持ち」に気づいてやればよかったなあ・・・

娘の誕生日のご馳走を作りながら、息子のことでちょっとしんみりな今日でした。


  1. 2005/04/19(火) 15:25:18|
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オトナ語の謎 ニホン語の謎

ほぼ日刊イトイ新聞編「オトナ語の謎」(監修 糸井重里)を読んで、笑い転げてしまいました。

P.214 「なんなんですが」
「さっそくでなんなんですが」
「こんなもんでなんなんですが」
「お願いしてばかりでなんなんですが」
そう言うあなたはなんなんですか?
 
P.224 「せっかく」
『2種類の使いかたを覚えよう。断るときは「せっかくですが・・・・・」。いただくときは「せっかくですから・・・・・」』

P.222 「聞こえてくる」
 オトナは個人的主張をたくみに周囲からの意見にすり替える。つまり、「最終的に余ってしまうと思います」ではなく、「最終的に余ってしまうのではないかという声が聞こえてくるもんですからね」。お告げでも幻聴でもない。世論を代表する意見のような気がするから不思議。加えろ、「みんなそう言っているぜ」ニュアンス!

以上、「オトナ語の謎」から抜粋。
あっはっはっは。ニホン語ってなんて面白い。

ドイツで1年だけ、ドイツ人に日本語を教えていたことがあります。初級講座1を終了した段階での生徒達の感想は・・・
「日本語って思ったより簡単だ」
「そうそう。発音も易しいし、文法だって案外単純だよね」
「漢字さえなければどうってことなさそう」
そう言う人が多かった。しかし、彼らが勉強したのはあくまでも「日本語」。
 富士山は高いです。
 これはあなたの鉛筆ですか。
 わたしはお茶を飲みたくありません。
でも、こういう「教科書に出ている文法的に正しい文」は日本ではほとんど出番がないんですよね。

日本に住んで2年目のカチアが最近こぼしていました。
「~テハイケマセン、なんて誰も使わないよね。みんな、
~ハチョット・・・って言うでしょう。じゃ、どうして日本語の授業ではそう教えないんだろう?」

発音のきれいな日本語を話すドイツ人男性のお家に電話して、奥さんに代わってもらおうとしたことがあります。
「もしもし。ビアンカですが、奥様はいらっしゃいますか」
すると、
「はい、います。あなたは私の妻と話したいですか?」
話したいかって、確かにその通りなんだけど、いや、文法的にもまったく間違っていませんよ。でもねえ・・・
文法的に正しく話すことと、「ニホン語」を正しく話すことは違う。そこがムズカシイ。

あるとき夫に訊かれました。
「当たり前、ってどういう意味?」
「selbstverstaendlich(当然、勿論、など)っていうことだよ」
「ふうん」
そして、夫は使ってしまった。
上司「Hさん。これをやっておいてくれませんか」
夫「当たり前でしょう」

夫の日頃の失礼な言葉遣いにご立腹の方が多くいらっしゃると思います。しかしなにぶん、そこはガイジンですから、恐縮ではありますが、その辺りをご理解頂き、敬語等を省略したかたちで話させていただく形式をとらせていただいております。おかげさまで先日「日本語能力試験三級」に合格させて頂きましたが、「ニホン語」のほうはまだまだ不勉強でございます。今後も「正しいニホン語の習得」に最大限努力を続けて参ります。何卒、よろしくお願い致します。

  1. 2005/04/18(月) 15:26:26|
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自立していない日本の私 (続)

アメリカでいろいろ苦労したはずなのに、性懲りもなく再び留学した私。今度はドイツ。

留学生用の入学試験に通って、晴れて大学生。さあ~頑張るぞっ!と気持ちも新たに大学生活をスタート。だけど、れれれ?入学式がない。新入生ガイダンスがない。何にもない。

これが日本だったら、あらかじめ入学案内の書類の束が送られてくる。入学式を済ませると、各種説明会がある。ガイダンス週の一日目にはこれとこれがあります。何と何を用意してください。何日に科目登録をしてください。ナニナニ費をいついつまでに払ってください。あーしてください、こーしてください。紙に説明された通りにすれば、手続きは滞りなく完了します。よほどヌケていない限り、何かをうっかりし忘れることはありません。

入学手続きが終わっても懇切丁寧な説明は続きます。「大学生活の手引き」のような冊子には、必要なことはすべて書いてある。一年生の時には何単位取らなければなりません。何回欠席すると単位あげません。何単位以上落とすと留年です。生協は何号館にあります。学食の利用法はこうです。

そればかりじゃない。大学側が発行しているわけではないが、「楽勝科目ガイド」なるものまであって、「この科目は出席を取らない」「この科目は後期レポートのみ」など、ご親切にも「サボり方」まで細かく教えてくれます。要するに、こうしなさいと言われたことを素直に実行していれば、とくべつ苦労することもなくほぼ自動的に卒業できる仕組みなんですね。

しかしドイツの大学では、かろうじて学科ごとの説明会が一回あっただけで、あとはまるっきり何の説明もありません。一体、初学期には何単位取ればいいのか。何と何が必修なのか。どこに聞きに行けばいいのか。周りの学生に「何科目取ればいいの?」と訊いても「自分の好きなようでいいんじゃない」なんて言われたりして、何が何だかサッパリわからない。わからないからボサーッっと何もしないでいると、「エッ?まだXXやってないの?」と言われて慌てふためくはめに。

七年という長いドイツの学生生活を通して、嫌というほど思い知りました。
「情報とは自分で収集するものである」

日本に帰ってきたら、情報の方からこちらへやって来るので、今さらながらびっくり。息子が学校から持ち帰るおびただしい数のお便り。毎週回ってくる回覧板。お便りを読み忘れた人もいるかもしれないというので、確認のため回って来る連絡網の電話。

電車に乗れば、「この列車は快速列車で次の駅には停車しない」と教えてくれ、「到着が二分ほど遅れる」ことをお詫びとともに知らせてくれ、「雨が降っているので傘を忘れないよう」思い出させてくれる。親切ですなあ、日本のシステムは。

「自己責任」って言葉が今の日本では流行だけど、日本にいる限り、あんまり必要のない言葉だという気がするな・・・
  1. 2005/04/17(日) 15:27:25|
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忘れ難いフランスの味

言葉がわからないってツライもんです。

「人間言葉じゃない。言葉がなくても心は通いあえる」
なんて言ったって、やっぱり言葉なしではわからないことが多い。
「XX国へ行くなら、XX語ぐらい勉強しておけ!」
それはそうなんだけど、世界中の言葉を覚えるなんてとうてい無理だし・・・
フランス語能力が限りなく皆無に近い私達夫婦なのに、あるとき「フランスへドライブ」を思い立ってしまった。

思い立つったって隣の国なんだから、そう力むことでもないんだけど。でも、「フランス語わからない」っていうのはフランスでは結構難儀ですよ。あまり英語も通じないし。夫は運転担当、私は地図読み担当。でも、フランス語って読まない字があったりして、困るんですよね。
夫「おいっ。フォンタネブロイってのを探せ!」
私「フォ、フォンタネブロイ?ないよ、そんなの」
夫「ないじゃないよ。早くしろって」
私「も、もしかして、これかな・・・えーと。フォンテーヌ・・・ブル?ブリュ?」
夫「え?」
私「あのさ、行こうとしてるのはツールってとこだよ」
夫「じゃ違うじゃん。オレはトゥアーズに向かってるんだから」
私「トゥアーズって?」
同じ地名をそれぞれ日本語発音・ドイツ語読みしてるもんで、話が通じてない。
それでもなんとかかんとか目的地には行けたんだけど・・・

ドイツへの帰り、ガソリンがなくなった。最寄のガソリンスタンドに止めて燃料補給。ヨーロッパのスタンドはたいていセルフサービスです。
夫「よっし、行くか」
しかし、車がブルッブオッとか変な音を出し、全然前に進まない。
私「どうしたの?故障?」
夫は一瞬考えていましたが、私の方に顔を向けると・・・
夫「オレ、間違ってディーゼル入れちゃったみたい」
私「エーッ!!」
夫は慌てて車を降り、スタンドの従業員のところに駆け寄ると、身振り手振りで一生懸命事態を説明していました。従業員は驚いた顔をして、店の中に何かを取りに入った。持って出てきたのはホースとバケツ。
私「何すんの、それで」
夫「何すんのじゃないだろ。ディーゼル出さないと」
わわわっ。夫はホースをタンクに差し込むと地べたに膝をついて、タンクの中のディーゼルを口で吸い出し始めました。ズーッと吸い出して、口に溜まったディーゼルをバケツにペッ。
夫「オエ~ッ」
しかし、やめるわけにはいかない。ズー、ペッ、オエ~、ズー、ペッ、オエ~。見ているだけで気持ち悪くなるけど、「代わろうか」とも言えずにその場に固まってしまった私。おお、なんと可哀想な私の夫よ。

その様子を、道路を隔てた家の窓からじっと見ているフランス人マダムがいました。どうにかこうにか作業終了。げんなりぐんにゃりして放心状態の夫のところに、マダムはやって来た。
マダム「ナントカカントカノドーノコーノ」
どうやら夫にマダムの家について来い、ということらしい。なんだか訳がわからないけど、夫はマダムの後について行きました。そして10分後・・・
出てきた夫は、心成しかさっきより顔色がだいぶマシになっています。
夫「マダムが沸かした牛乳を用意してくれていたんだよ」
おお!なんと優しいお方。メルシーボクーでございます。

そんなわけで、夫にとっての「忘れられないフランスの味」はディーゼルと温かいミルクの混ざった味なのです。
  1. 2005/04/16(土) 15:30:54|
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自立していない日本の私

言葉がわからないのもツライけど、もっとツライのは「情報」が得られないってこと。

16歳でアメリカに留学した私。過去ログ「旅のびっくり話 その1 アメリカン・ハイスクール」で書きましたが、何が何だかわからぬうちに履修科目を勝手に決められてスタートした私の学校生活。どういう展開になったかというと・・・

「何が何だかわからないうちに終わってしまった!」としか言いようがありません。

朝、家の側でスクールバスに乗って学校へ行き、一時間目の授業の教室で授業を受け、休み時間にはロッカールームへ行って次の科目の教科書を出し、科目ごとに教室を移動し、昼にはカフェテリアで昼ごはんを食べ、六時間目が終わったらただちにスクールバスに乗って家に帰る。ここまではすぐにわかった。しかし、それ以上のことはサッパリわからないのです。

私が通っていた日本の高校にもアメリカ人留学生がいましたが、その留学生にはいつも英語教師がついてお世話をしていました。「メアリー。今日は視力検査があるからね。一時間目が終わったらこの用紙を持って体育館へ行くんだよ」などと英語で説明し、「山崎さん。メアリーを体育館まで連れて行ってあげなさい」というふうに他の生徒にもメアリーの世話をするよう指導する。

ところがアメリカでは留学生の私に誰も何も説明してくれない。あるとき、どういうわけか授業時間がいつもより短いな・・・と変に思っていると、突然先生が「では今日はこれまで」と授業を終了し、生徒達が一斉に立ち上がって教室を出て行きます。ドヤドヤドヤ~とみんなが校門とは反対の方向に歩いていくので、わけがわからずオロオロしてしまう。しかたがないのでその辺の生徒をつかまえて「一体何なの?」と訊くと、「今日はペップがあるから体育館に集合だよ」という説明。ペップって何?ついて行ってやっと理解したのですが、週末にフットボールの試合があるので金曜日のその日は選手壮行会のため短縮授業になっていたのです。ぜ~んぜん知らんかった。

それくらいならいいけど、誰も何も教えてくれないから、あやうく大変な目に遭うところでした。というのはこうです。私の5時間目の科目は数学、6時間目はタイピング。二つの教室はキャンパスの端と端にあって、その距離は早足でも5分以上かかったんですね。移動のときにはロッカールームに寄らなければならないが、このロッカーの鍵が怖ろしく開けづらくて(誰も開け方を教えてくれないから、むやみにガチャガチャやっておかしくなった)、普通にしていてもタイピングのクラスには遅れそうになる。そしてさらに運の悪いことに、私は数学の先生にすっかり気に入られてしまった。
先生「いや~ビアンカくん。君はまったく数学の天才だ」
全然たいしたことないのに毎日褒められます。そりゃそうです。私が受けさせられていた数学の授業は中学1年生レベルのものでしたから。授業の後、先生が私を引きとめられて長々と話すので、タイピングには毎日遅刻。遅れて教室に入って行くと、おばあさん先生がジロと横目で私を睨むけど、叱られたことはなかったので安心していたんです。ところが学期の最終日に、私はおばあさん先生に変なピンクの紙切れを手渡されました。
先生「これをお父さんお母さんに見せるように」
ピンクの紙にはこう書いてあります。
「ビアンカは今学期、合計XX回も遅刻をしました。本学校の決まりにより、遅刻一回につき30分の居残りをしなければならないが、大胆不敵にもビアンカはこの規則を無視した。よってビアンカは停学処分になると思われる」

な・な・なんだってえ~~~
どんなに感嘆符を並べたとしても、あのときの私の驚愕はとうてい表せません。

家に帰ってホストマザーに紙を見せると「あんた一体なんてことしたのっ!」と叱られた。だって、だって、知らなかったよ~そんな規則!それに数学の先生が悪いんだよ。ロッカーが開かないから悪いんだよ。とにかく、私はむ・無実なのだ!

エライこっちゃ。翌朝私はホストマザーに車で送ってもらい、授業前に校長室へ飛び込みました。そして涙ながらに「無知ゆえの過ち」であることを訴え、ようやく「停学処分」を逃れたのでした。ホッ。

教訓: アメリカでは、ぼや~っとするな!誰もお前の世話は焼いてくれない。
  1. 2005/04/16(土) 15:29:43|
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中国トイレ旅行記

「ヒロさん日記」の最新記事、「中国のトイレ文化から学ぶもの」にTBします。(リンク不可能問題、早急になんとかします。お許しを)

ホント、気になってます。「中国のトイレ文化は日本のトイレ文化とぜ~んぜん違う」という噂が、あっちからもこっちからも流れてきて・・・
私自身、中国女性が二人、お喋りしながらトイレにやってきて、それぞれ個室に入って用を足しながらずーっと話をし続けているのを見たり、知り合いの中国人男性が、「僕の妻は日本に留学して、すっかり日本女性のようになりましたよ。中国じゃ、女性がズボンのチャックを上げながらトイレから出てきたりするんですよ」なんて言っているのを聞いたり、公衆トイレにはドアがない、下手すると仕切りすらないとかいう話を聞いて、「音姫」なんていう音ごまかし装置が女性トイレに設置してあったりする日本のトイレ文化とは、相当に異なる世界なのではないか・・・と想像してしまうのです。

そこで私は読みました。「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」(鈴木了司 集英社文庫)
この本は、面白半分に中国のトイレ情報を集めた本ではありません。家族計画国際協力財団の派遣専門家として寄生虫予防の観点から中国のトイレに関する事情を調査している寄生虫学者の真面目な調査レポート。中国全土のトイレの形式・実態から中国人のトイレに関する考え方や生活習慣を知る。そして公衆衛生の徹底による人口問題の解決を試みる 、という立場で書かれています。

この本を読むと、ひとくちに「中国のトイレ」といっても、その形態は様々なのだなあということがわかりました。確かに、現代日本人の大部分にとって、「自分の排泄姿が丸見え」というトイレはちょっと・・・どころか、絶対にイヤ!というかんじでしょう。私もダメダメ。ドアがないくらいならともかく、一本の溝を一列に並んでまたいで、前の人のお尻が見えるし、自分も後ろの人に見られるっていうのは耐え難い。もし、お腹を壊していたりすれば悲惨だ。

しかし、そんな「ギョエ~」な中国のトイレと日本のトイレがまったくの無縁ではないこともわかりました。中国で場所によっては紙の代わりに使われるという「ちゅう木」という木のヘラは、日本でも明治ごろまで全国的に使われていたんだそうですよ。紙は貴重品で、お尻を拭くなんてとんでもない!だったそうです。江戸の長屋のトイレのドアは「半戸」、しゃがんでいても顔が見える高さ。ドアもなければ仕切りもないっていうトイレも、京都五山の一つ、臨済宗の名刹、東福寺の僧侶用トイレがそうなのだとか。

私、過去ログの「トイレ事情」という記事(カテゴリー:言語・各国事情)に、「トルコのトイレではトイレットペーパーを屑篭に捨てる」って書きましたけど、これ、日本でもありました。西表島の素敵なカフェのトイレがそうでした。どこの国でも別に好き好んでやってるわけじゃないんでしょう。水圧が低いとか、詰まりやすい事情でやむなくそうしてるんでしょうね。

ま、結局どうでもいい話なんですが、あの「音姫」はどうでしょうね。個人的には、「今排泄中で~す。音をゴマカシちゃってま~す!」って宣言してるみたいで余計恥ずかしい気もするんだけど・・・
  1. 2005/04/15(金) 09:05:28|
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パパの肌の色は・・・

前に住んでいたドイツの町には外国人がとても多く、息子の通っていた幼稚園のクラス内の国籍数は10国籍でした。バイリンガルはまったく普通という環境だったので、私達には暮らしやすい環境でした。

「子供達には早くからなるべくいろんなものを見せて、多様な文化・多様な価値観があるのだと教えたい」なんて思っている私は、あるとき当時5歳くらいだった息子にこんな話をしてみました。

私「世の中にはいろ~んな肌の人がいるんだよ。ホラ、あのおじさんを見てごらん。おじさんは黒いねぇ」
息子「ほんとだ」
私「あっちのおばさんは白いよ」
息子「うん」
私「じゃーさ、おかあさんの肌の色は何色?」
息子「ちゃいろー!」
ちゃ、茶色かあ・・・でもま、本当のことですな。
私「じゃ、パパはどう?」
彼は数秒、考えていました。そして・・・
息子「しろにあかいてんてん」
へッ!?
息子「ほんとだよ。パパのお顔にはあかいてんてんがあるよ」
うぐぐ・・・そっそれは・・・・

ニキビじゃあ~っ(模様ではありませぬ)

夫に話すと、ショック受けてました。
夜食のポテトチップスはやめるぞ!と宣言も。

現在、「寿司が主食」の食生活をしている夫の顔から赤い点々は消滅しつつあります。
  1. 2005/04/13(水) 09:07:24|
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マンガの翻訳

いつもくだらないことばかり書いてるので、もしかして「ビアンカってあっちこっちふらふらして、い~っつも遊んでる人!」って印象を与えているのではと、ふと一抹の不安が。(いや、実際そうなんですが)そこで、一応ちゃんとした生活もしてますよ~っていうアリバイ作りのため、たまには「オシゴト」の話です。

言語がドイツ語なので仕事をえり好みしていると商売が成り立たず、いろいろやってきましたが、子供が生まれてからは主に「日本のマンガのドイツ語訳」を細々とやってきました。これなら子供を追いかけながらでも、なんとかできるかな・・・と思って。

難しい専門用語もほとんどでてきませんし、文章も「口語」ですから、日常の子育てモードのまま仕事ができるという点が気に入りました。「原文の意味がわからんっ」なんてこともまずありません。辞書もほとんど引かずに訳せます。

でも、それなりに難しいところはあります。何よりも困ったのは、「内容に忠実に訳すと、フキダシに入りきらない」ってことです。ドイツ語の単語ってすご~く長いんです。しかも日本語のように主語を略したりしませんし、冠詞というものもついてるから、日本語からドイツ語に翻訳すると文章が数倍の長さになってしまう。参考までに同一小説の日・英・独語版それぞれのページ数は、大体3:5:8くらいですよ。表意文字である漢字を使用する日本語の一文字の情報量はアルファベット何文字に当たるか、って考えれば想像していただけると思います。

ですから、原文の全情報を訳出し、かつそれをフキダシに収めることは、「どんなに有能であっても不可能」なのであります。マンガの翻訳って、訳出作業よりも枝切り作業。バッサバッサと落としていかなくちゃいけない。もったいないな~、こんなに面白いのに、とため息つきながら。

次に困るのは、日本での連載が完全に終わってから翻訳するのではなく、連載が始まったらドンドン訳していかなくちゃいけないこと。つまり、翻訳者は結末を知らないんです。なものですから、枝を落とす作業の際、「これはいらんだろう」と思って細かい、話の筋にどうでもよさそうな部分を切り落としちゃったのが、連載の後々になって実は結構重要だったとわかったとき、「ひぇ~、これでは話が繋がらないじゃないか・・・」と焦る羽目に。ほんと冷や汗かきます。必死で辻褄を合わせないとならない。

まだあります。困ること。一つのコマに複数の登場人物の台詞がごちゃごちゃと入っているとき。日本語だと何の問題もないんですよね。どれが誰の発言なのかを区別するのは。
「あたしXXだわ」とあれば女の子。
「オイ、ちょっと来いよ」とあれば男の子もしくは男の人。
「いい朝じゃのう」とあればおじいさん。
性別・年齢だけでなく、口調でその人物のキャラクターがほぼわかります。お嬢様・ざーますママ・お笑い系・ガリ勉etc....
でもドイツ語にしちゃうと、「ほとんどみな同じ」になっちゃうんです。その結果、誰が何を言っているのかわかりづらく、よっぽど気をつけないと「状況把握不可能」になってしまいます。

もう一つ、悩みの種なのが「擬態語・擬声語」。ドイツ語にもありますが、バラエティの点では日本語の擬声語・擬態語の足元にも及ばない。

遊びながらやれるようで、うんうん唸ることが多いのです。
  1. 2005/04/13(水) 09:06:41|
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シリーズ育児 その4 ドイツの幼稚園

息子がドイツで通った幼稚園の思い出です。

ドイツでは幼稚園・保育園の数がとても不足していて、私立幼稚園もすごく少ないので、希望の園に子供を入園させるのは大変です。人気のところは「ウェイティングリスト」があって、欠員が出るのを待っていたら小学校入学の時期が来てしまったなんて笑えない話もときどき耳にします。
息子も本当は自宅から歩いて2分のプロテスタント系幼稚園に入れたかったのですが、「洗礼を受けてる子優先」ということで断られ、市立幼稚園に入ることになりました。でもこれは、結果的にとても幸運なことでした。この幼稚園で息子は本当に楽しい3年間を送ることができたので。

公立であるこの園は、ドイツの幼稚園としては平均的で、別にこれといった特色があるわけではなかったけれど、日本の私立幼稚園出身の私の感覚からすれば、いろいろ驚くことがありました。それは・・・

1.クラスは縦割りである
  同じ年齢の子供ばかり集めた集団は不自然であり、競争心ばかり芽ばえて子供が攻撃的になりがち。年齢の異なる子供達の集団では、大きい子が小さい子の面倒を見たり、小さい子が大きい子の真似をしたりと、家族的な環境にいられるという考え。
2.時間割がない
  何時から何時まではお絵かき、次は体操、などどいうスケージュールは基本的になく、子供達はめいめい自分の好きなことをして過ごす。
3.子供は何も強要されない
  先生が「ボール遊びしたい人よっといで~」などど声をかけることはあるが、やりたくない子はやらなくてもよい。
4.自分のクラスにいなくてもよい
  教室のドアは常に開けっ放しで、他のクラスの方が面白そうだと思えば、そっちへ行っても構わない。
5.お揃いのグッズがない
  日本では園服や帽子などあったり、手作りの小物を同じような規格で揃えたりしますが、そういうのはありませんでした。
6.家から自分のおもちゃを持っていってもよい
  余計な物は持って来ないように、とは言われませんでした。
7.「一人スペース」がある
  教室の隅にはソファーが置かれカーテンで仕切られたスペースがあり、友達との活動に疲れてちょっと一人で静かにしていたいという子はそこで休むことができた。


息子は「星組」でしたが、彼は「太陽組」が大好きで、迎えに行くと必ず太陽組にいました。「星組」が嫌いというわけでは全くなかったのですが、各クラスの部屋のレイアウトやおもちゃの種類が違うので、彼には「太陽組」が居心地よかったようです。また、自分のやりたいことをやっていいという方針なので、息子はほとんどの時間を園庭で過ごしていました。寒い冬にもぬかるんだグランドで遊ぶので、オーバーオール(防寒着)や防寒靴は毎日ドッロドロ。「うえ~ん、またこんなに汚して・・・」と泣きそうになりながら洗濯をしたのが、私にとっての幼稚園の一番の思い出。

親の私にとってよかったのは、「親も何にも強制されない」ことでした。親が参加できる行事はいくつかありましたが、準備のお手伝いなどはできる人・やりたい人でやることになっていて、「全員でやってください」とは言われなかった。とても楽チンでしたよ。

そんな幸せなドイツの幼稚園ライフを母子で楽しんだのです。あ、でも、ドイツの幼稚園がみんなこうだってことではありません。たまたまよい園にめぐり会えただけかも知れませんけれど・・・
  1. 2005/04/12(火) 09:11:57|
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中国の反日デモ

胸の痛くなる映像が連日テレビで流されています。

中国に行ったことはありませんが、これまでお付き合いしてきた中国人はたくさんいますし、従姉妹が広州市に住んでいます。ブログで知り合った方の中にも中国在住の方がいます。
さきほど、「ぐーすか・ぶーすか中国大冒険」の最新記事をチェックして、
「やっぱりそうだよね。あ~、よかったぁ~」と心から思いました。是非みなさん、上記のぐーすか・ぶーすかさんの記事をお読みください。(なぜかリンクはれないのです。ごめんなさい)

私も一度このブログで書いたことがありますが、日本人・中国人・韓国人の三民族は歴史絡みでいろいろ難しい感情があるにはありますが、でもみんながみんなお互いに悪感情を持っているわけでは決してない。むしろ、海外では「アジア人のよしみ」で意気投合することも多いんです。でも、普段まわりに相手国の人がいない環境にあるとつい、ニュースの映像のインパクトが大きすぎて「XX人ってそうなんだ~」って思いこんでしまいますね。


私がドイツにいた頃も、一時日本のテレビで「ドイツではネオナチが外国人に危害を加えている」という報道があって、心配した知人・友人が「ドイツ人ってやっぱり人種差別する民族なんじゃない?そんなところにいて大丈夫なの?」と電話がかかって来たりしました。でも、実際には私は普通の暮らしをしていたんです。もちろん、報道されたことは嘘ではありません。確かに事実ではありました。しかし、事実は「報道される事実」だけではありません。「報道されない事実」もたくさんあるのです。

私もいろいろ勝手なことを書いていますが、このブログを読んでくださるみなさんで私の書いたことを「事実そのもの」だなんて受け止める方はいないと思います。「そういう事実もあるのだろう」「そういう考え方もあるのだろう」ぐらいに考えて頂いていますよね。無名の個人ブログなので影響力が小さいからそうなのですが、これが大規模な映像情報となると、どうしても視聴者は引きずられがち。

「報道されることがすべてではない」という認識が社会に浸透するように、と願ってやみません。
  1. 2005/04/12(火) 09:09:28|
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国歌・国旗にまつわるお話

「学校における国歌斉唱・国旗掲揚を義務付けるべきか否か」という議論が日本にはあります。

と書くと、のっけから政治臭漂うかんじですが、ここではその是非を云々したいわけではありません。ところ変われば、という話をいくつかご紹介。

まず、私の生まれた北海道旭川市の学校では「国歌斉唱・国旗掲揚」がありませんでした。日常生活で「日の丸」を実際に目にする機会もほとんど皆無でした。日の丸が日本の旗であることは知っていましたが、「君が代」については、子供の頃は「プロレスの曲」だと思っておりました。(父が見ていたテレビのプロレス試合で流れるので)だから、大学に通うため上京して、祝日になると一般の民家に日の丸がはためいているのを見たときには「おお!映画みたい」と感嘆したのでした。

高校生のときに留学したアメリカの高校では、毎週月曜日の朝に「国旗に忠誠を誓う」時間が設けられていました。(あるいは義務付けられていた?)教室の隅に掲げられている星条旗に向かい起立して、校内放送のスピーカーから流れる「誓いの言葉」に合わせて誓います。アメリカ人ではない私が一緒になって誓うのは変ですが、一人だけ座ったままというのも不自然なので、一応起立して口パクしてました。

タイでは、あるとき大学のキャンパスを歩いていると、突然スピーカーから音楽が流れたかと思うと、歩いている人がみなパッとと立ち止まった。何事かと驚いたのですが、タイにはこうした「国歌の流れる時間」があり、それが始まるとみな作業を停止して静かに聴くことになっているんだそうです。また、タイの映画館でも映画が始まる前のコマーシャルが一通り終わると、王族の映像が映し出され、聴衆が一斉に起立します。どこの家庭にも、どこの店にも、どこの公共の建物内にも必ず「ブミポン国王」その他王族の肖像が飾られています。

インドネシアでは、小学校の授業を見せてもらったことがあるのですが、校長室にはスカルノ氏とスハルト氏(当時はまだスハルト氏の時代でした)の肖像が飾られ、その間にはパンチャシラ(インドネシア建国の五原則)が貼ってありました。
「さあ、どうぞ。授業が始まります」と案内されたのは一年生のクラス。国語の授業。
先生「さあ、みなさん。教科書を開いて、イブ・カルティニのお歌を歌いましょう」
生徒達「はーい!」そして起立。
 
 ibu kita Kartini, putri sejati
 putri Indonesia, harum namanya

 ibu kita Kartini, pendekar bangsa
 pendekar kaumnya untuk merdeka

 wahai ibu kita Kartini
 putri yang mulia
 sungguh besar cita-citanya
 bagi Indonesia

カルティ二女史というのは、インドネシアの民族運動および女性運動の先駆者です。教科書には写真も載っていました。インドネシア国民が誇る歴史上の人物なのですね。国歌・国旗以外の「国民のアイデンティティ」の一種なのかもしれません。

そして、ドイツでは・・・・
スイマセン。12年も暮らしてたのに、ドイツの国歌を知らないんです。聞いたことがあるかも知れないけど、全く記憶に残っていません。「一応存在する」って程度のものみたいなので。
国旗ですか?そりゃー勿論知ってますよ。黒・赤・金の三色のやつでしょう。アレ?赤・黒・金?それとも金・黒・赤だっけ?見ればすぐわかるんだけど、思い出そうとすると色の順番が・・・とにかく、黒は黒パンの黒、赤はフランクフルトソーセージの赤、金はビールの金ってことは覚えてるんですけど。じゃなくてッ、三色の色は、19世紀ドイツ統一運動の時に学生義勇軍が着ていた黒いマント、赤い肩章、金ボタンに由来しているんだそう。日本ではビアホールとかデパ地下の「本場風ソーセージ」のコーナーなどでドイツの国旗を見かけますが、ドイツにいると案外見ないものなんですよ・・・


まあ、その国によっていろいろだ、ってことが言いたかっただけなんです。
  1. 2005/04/12(火) 09:08:30|
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シリーズ育児 その3 新生児の世話

無事出産を終えて赤ん坊と一緒に退院したとき、私はとっても怖かった。
「あたし、今日から赤ん坊の世話をちゃんとできるんだろうか・・・間違って殺しちゃったらどうしよう~」とビクビク。妊娠中、育児本は随分読んでたんですけどね。日本語のとドイツ語のとでは書いてあることが違うので大混乱。どうすればいいのー。

とりあえず退院のときには、夫の母が迎えに来てくれたのですが、さて赤ん坊を病院のベビー服から持参の服に着替えさせて帰ろうと思ったところで、義母がパニックに。
「あら、一体何なの?このベビー服は・・・」
深く考えずに、日本式のベビー服を持ってきてしまっていたんです。
「随分変わってるわよ。これ本当にベビー服?どうやって着せるの?」
あ、大丈夫です。これ、日本では普通の新生児用の服なんです、と平気な顔で着せようと思ったけど、私も初めてなので焦っちゃってなかなかうまく着せられない。息子の手足を引っ張ったり、持ち上げたりしているうちに息子は、
「うぎゃーっ!!」
義母は「ほら、泣いてるわよ。どうにかしなくちゃ。でも私も着せ方わからないわ~」
ああどうしよう、どうしようと思いながら悪戦苦闘してようやく着せ終わったら、
義母「この服、足が出ちゃってる~!!」
ドイツのベビー服はつま先まですっぽりのズボンタイプ。日本式のは赤ちゃんの足が露出しているし、襟ぐりや袖口もゆったりと出来ていて、ドイツ人が見ると「なんて寒そう!風邪ひくわっ」という風なのでした。

家に帰ってからもパニックの連続でした。オムツ替えをしなくちゃと思ったら、
義母「あら、オムツ替え台は用意していないの?」ドイツ人は「オムツ替え台」という立派な家具の上で赤ちゃんのオムツ交換をするのです。でも、そういうの買うのはお金が勿体無いし、オムツくらいどこでも替えられるしと思っていたんだけど・・・
義母「エーッ!床の上でオムツ替えを!?」と絶句。さらに、オムツ替えに取りかかると、
義母「ストーップ!ダメよ。水でお尻なんか拭いちゃ。お尻はオイルで拭くの。拭きおわったら、クリームを塗らなくちゃかぶれちゃう」
私「こ、こうですか・・・?」
義母「そうじゃなくて、もっとた~っぷりと!地肌が見えなくなるくらい」
私「エーッ!!」
なんだか、本に書いてあったことと違うなあ。でもお義母さんは、もと保母さんだし・・・

おっぱいをあげた後、私が息子を抱っこしたまま寝顔に見とれていると、
義母「用がすんだら、さっさと寝かさなきゃ。子供部屋はどの部屋にしたの?」
私「え、ありませんけど・・・」
義母「子供部屋がないぃ~っ!?」
私「まだ小さいから要らないと思って」
義母「あらまあ。でもとにかく、寝かせなきゃ。寝室でいいのね」
そう言って息子を抱いて、寝室へ行き、「部屋は暗くしなくちゃだめよ」とカーテンを引き、「さあ、行きましょう」とドアを閉めてしまった。暗い部屋に赤ん坊を一人ぼっちで寝かせるのって、ちょっと可哀想な気がしたのだけれど、
義母「赤ちゃんは暗くて狭いところじゃないと安眠できないの。だからいきなりベビーベッドはダメ。最初の数ヶ月は天幕のついた籠で寝かせなきゃ」

しばらくしたら赤ん坊が泣き出した。慌てて寝室へ飛んでいって、抱っこして居間に戻る。
義母「お腹はまだ空いていないはずよね。オムツも大丈夫だし。だったら寝かせて置いたほうが・・・」
私「でも、泣いてるから抱っこしていないと」
義母「ダメダメ。用もないのに抱っこしてると背骨が曲がっちゃう。平らなところに寝かせて置かないと」
私「せっ背骨がぁ~!?」

と、延々この調子。私もビックリしたけど、お義母さんも嫁の無知にビックリ!こんなんで大丈夫なのかしら~って先が思いやられるような・・・

そこへ「ピンポ~ン!」この状況から私たちを救ってくれる人が現れました。
「助産婦家庭訪問サービスでーす」
そうそう、退院後1週間の出張指導を申し込んであったんだった。この助産婦さん、私たちがオロオロしてるのをすぐに察知し、「お母さん、子育ても昔と今じゃ随分違うんですよ。お母さんの時代は授乳の前後に赤ちゃんの体重を計ったりしていましたよねぇ。最近はもっと自然で楽な方法が主流なんです」と義母に説明を始めました。そして私たち二人の目の前で赤ん坊の世話を実演。
「オムツ替えのときはこれでいいですからね」と、赤ん坊を流し台に連れて行き、蛇口から出るお湯でおしりをジャ~ッ。タオルでポンポン。はいおしまい。オイルもシッカロールもクリームもな~んにも要りません。
「おっぱいは赤ちゃんが飲みたがったときにあげればいいですから。時計なんて見なくていいです」
「添い寝?あなたの赤ちゃんでしょう。あなたが楽ならそれでいいですよ」
「抱っこはいくらでもどうぞ。これ便利ですよ」とストリングという抱っこ紐を鞄から取り出した。
なんだかとても楽チンそう。義母は「まあぁ。そうなんですか~。時代は変わったのね」

ドイツの育児と言えば、少し前までは「スポック博士の育児書」通りに厳密に・・・という風だったようで、赤ん坊を紐で体にくくったり、添い寝するなんてとうてい考えられないことだったようなのですが、最近はナチュラルブームで「原始的な子育てがグー」というふうにアマゾンの奥に住む民族の抱っこの仕方を真似たりとか、変化しつつあるようです。私のお願いした助産婦さんは、たまたま特にナチュラル志向の人だったようで、「赤ちゃん用スキンケアグッズは化学物質いっぱいだから使わないでね。どうしてもというなら自然派のを」とか、「最初の6ヶ月は母乳だけで大丈夫。果汁も湯冷ましも要らないですよ」と教えてくれました。

こんなふうに私の異国での子育ては始まったのでした。
  1. 2005/04/11(月) 09:13:03|
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シリーズ育児 その2 シングルマザー

初めてベルリンに住む夫の従兄弟に会ったとき、彼はパートナーの女性と一緒に住んでいました。結婚はしていなかったのですが、彼女が私に嬉しそうにダイヤの指輪を見せてくれました。
「見て見て。婚約指輪なの~」
だから近々結婚するんだろうな~と思っていたのですが、いつまでたっても結婚式のお知らせというのは送られてこない。どうなってるんだろう?

しかしそのうち、彼らに子供ができたというニュースが。あらら~、できちゃった結婚なのね~と思いきや、「当分、結婚はしない」と言うのです。え、どういうこと?

彼らの説明ではこうでした。パートナーの女性は現在、フルタイムで仕事をしている。今は不景気なので、いつ仕事を解雇されるかわからないし、解雇されたら再就職もままならない。だから、結婚しないでいたほうが得だ。
私「???」
なぜ得かというと、結婚せずに子供を産めばシングルマザーということになるので、会社は彼女をクビにできない。籍を入れてしまうと、「旦那の稼ぎがあるからいいじゃない」ということで解雇されるかも・・・だから、「事実婚」のほうがお得よ~っていうことなのです。

そ、そうなんだ・・・今じゃ日本でもシングルマザーはそう珍しくないけど、シングルマザーであることに「お得感」はないですな。だいぶ以前の話ではあるけど、銀行勤めの女性が「同棲が会社にバレてクビになった」と聞いたことがあります。同棲程度でもそうなら、シングルマザーだったらもっと風当たりが強いことは想像に難くありません。ましてや、「仕方なくそうなった」のではなく、便宜上そうするなんて聞いたことがない。

このカップル、その後どうなったかと言いますと、下の子も生まれて家族四人で仲良く幸せに暮らしています。母は書類上、「シングルマザー」として。そして「正社員」として。
  1. 2005/04/10(日) 09:14:01|
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シリーズ育児 その1 「妊娠・出産の本」

慶長寿彰さんのWASHINGTON通信 2.1に「妊婦本の日米差」という記事がありました。それによると、日本の妊娠・出産に関する本は「赤ちゃん中心」で書かれているのに対し(つまり、丈夫な赤ちゃんを産むには妊婦はどうするべきか)、アメリカの場合は「妊婦中心」で書かれている(妊婦が快適に妊娠・出産を終えるための方法)なのだそうです。

私は子供達を二人ともドイツで産み、娘が3歳のときに日本に帰国して育児を続けているのですが、日本とドイツでは随分違うな~と思うことがたくさんです。慶長さんの記事で思い出しましたが、妊娠期間から考え方には大きな相違がありました。そこで、これから「育児」についてシリーズでいろいろ書こうかと思います。

ドイツと日本の「妊娠・出産本」の一番の違いは、日本のものがイラスト豊富で文章も箇条書きが多かったりで、とても「見やすい」こと。それに比べて、ドイツのもの表紙をめくると「これは小説かしら?」と思うくらい文章でぎっしりです。妊婦本に限らず、日本は実用書などにイラストが多く使われていて、ビジュアル効果が高い。さすが「マンガ大国」ですね~。ドイツでは、イラスト入りは子供っぽいと見られがちで、大人の本にはあまり使われません。妊婦本にしても、文章がカタくて、普段難しい本を読みつけていない人には敬遠されるんじゃないのかな~と思うくらい。「たまごクラブ」のような、付録つきの「妊婦雑誌」なんてのも見かけたことありませんでした。

では妊婦本の内容の違いは?日本の妊婦本はちょっとマニュアル風なところがありますね。
「妊娠初期の服装はこんなふうに」
「検診のときには、触診もあるのでズボンでなく、長めのスカートにしましょう」
「妊娠中はこんな髪型がベスト」
「靴は踵の低いものを」
ドイツの本では、あまりこういうことには触れられていません。むしろ、妊娠中の肉体的・精神的変化を詳しく説明して、妊婦の不安を取り除くような内容が中心。

そういえば、私にはドイツのマタニティが大きすぎてどうにもならないので、母に頼んで送ってもらったり、日本人妊婦さんのお下がりを借りたりしたのですが、ドイツのマタニティと雰囲気があまり違うので着ていてちょっと違和感がありました。というのは、日本のはワンピースやジャンバースカートが主流で、デザイン的にもリボンやひらひらフリルがついていたりが多くて。現在は日本もいろんなデザインの妊婦服が出ているようですが、ちょっと前までは日本の妊婦のイメージは「ふんわり」した可愛い感じだったのじゃないでしょうか。その頃は、普段はスポーティやマニッシュな服装をしていた女性でも、妊婦になった途端にフリフリに変身してたんだろうか?ドイツのマタニティはスポーティなズボンが多くて、平均的ドイツ女性の普段の格好そのまんまという感じでした。妊婦のイメージっていうのは、特になかった気がします。
  1. 2005/04/09(土) 08:58:16|
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集める人たち ~コレクションの謎~

先日訪れた竹富島では、あいにくあまりお天気に恵まれなかったのですが、水に入るにはちょっと寒すぎるコンドイ・ビーチで子供達が熱中したのは、「ヤドカリ集め」でした。最初にヤドカリの存在に気づいたのは私。生き物好きの息子が「わあっ」と歓声をあげて辺りを見回すと、いるいる。いろんな色や大きさのが。そこで私や夫まで一緒になり、みんなでワーワーキャーキャーとヤドカリ集めを始めました。でも集めるたって生きているので、一箇所に集めておいてもすぐに散らばってしまう。そこで息子は、わざわざ集落まで戻り、食堂のおじさんに「要らないダンボール箱もらえませんか」と言って入れ物を貰ってきて、集めたヤドカリ達をその中に入れました。「わ~い、こんなに捕まえた~」とニッコニコ。「じゃ、そろそろ帰るよ~」と声をかけると、しばし満足げに箱の中のヤドカリを眺めた後、「うん、帰ろう」。そう言って、息子は百匹ほどのヤドカリを砂浜に放してやったのです。

娘にもせっせと集めているものがあります。それは石。赤ん坊の頃から、丸くて小さいものが好きで、そういう物を集めては口に入れる、という危険な趣味を持つ娘。外に出ると、何でも拾ってきて口に入れたがるので困ります。本人は「きれいな石拾った」と言っているんだけど、たいていはその辺の河原の石。いや、石ならいいですけど、タイルや茶碗の欠片だったりもする。汚いし、危ないし、邪魔だし、「やめてくれぇ~」と思うけれど、彼女が大事そうにしてるから捨てられない。

ところがこの「石集め」、いつの間にか私にも伝染してしまったんですね。家中石ころだらけになって、まったく厄介だわと拾って歩いているうちに、たかが石ころといえども奥深いというか、眺めていると結構面白いなんて思うようになった。そこに「貝殻集め」も加わって、今回の八重山では母娘で貝殻採集に熱中。家に帰って居間のテーブルのガラス板を外し、拾った石やら貝殻を並べて大満足なのです。宝石を集めるっていうならともかく(ま、うちにはそんなお金はありませんが)、そんなもので幸せ~になれるなんて、私ってなんて安上がりなんでしょ。

しかし、「集める」って一体何なのでしょうね。「私はコレクションには興味がありません」という人でも、集める楽しみを全く感じないという人はいないんじゃないでしょうか。切手集め・アニメティグッズ集め・ブランド物集め。そういう「いざとなると金銭その他に換えられる」ものばかりじゃない。他人にとっては全くの無価値でしかないものを集めてみたり、集めても何の役にも立たないものを集めたりする人も多い。「お金を貯める」という行為だって、お金を貯めてそれでどうするっていうんじゃなくて、ただ単に預金通帳の数字が増えていくのを見てるのが楽しいってこともあるし。モノばかりじゃありません。パスポートにいろんな国のスタンプを集める、情報を集める、ブログのアクセス数を集める・・・

集めるってどうして楽しいんだろ?

それは、「集める」のが動物の本能だからでしょー、と言ってしまったら、このテーマはそれで終わってしまうのですが、「集める」という行為はなんだかもっと複雑で奥深い気がします。集めるっていうのはただやみくもに、その辺にあるものをかき集めればいいってものじゃなくて・・・

1 ある特定のカテゴリーに属するものでなくてはならない。
  (消しゴムなら消しゴム、とあらかじめ設定する。消しゴムのカテゴリーに入るか入らないかの微妙なものっていうのがあって、悩んだ末、「番外編」として集めたりします)
2 特定のカテゴリーの中で多様性が大きいほうがよい。
  (まったく同じ消しゴムばかり集めてもダメ。色・形・大きさなどいろいろでなければ)
3 特定カテゴリーにおけるヒエラルキーの設定が有意義である。
  (集めた消しゴムの中では、これが一番ね。次はこっち・・・とか。美しさ・珍しさ・香りなどで無意識に順位をつけたりする)

何故こんなことをするのか。考えてみれば不思議じゃありませんか?え、全然不思議じゃない?なんでもないことをイチイチ不思議がるビアンカの方が不思議だって?

確かに自分でもそれが不思議です・・・
  1. 2005/04/08(金) 09:00:42|
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魚と泳ぐ ~私が泳げるようになったわけ

休暇先の八重山諸島から帰ってきました。大人も子供も大満足の休暇でしたが、私が特に満喫したのがスノーケリング。ペンションの目の前の浅瀬で色とりどりの熱帯魚達と一緒に泳ぐのって、私にとっては信じられない、夢のような体験なのでした。ダイビングでもないのに、スノーケルごときでどうして大騒ぎするかって?それはですね・・・

実は私、24歳までカナヅチだったのです。

運動オンチ甚だしい私は、人並み程度にできるスポーツはスキー(道産子です)と床体操(体が柔らかい)くらいで、あとはまるっきりダメ。社会人になって一番嬉しかったことが、「もう二度と体育の授業を受けなくてもよい。もう一生、運動会に出なくてもいい」だったんだから。小学校高学年くらいまでは、夏になると体育の先生も「今年こそは泳げるようになろうな」なんて指導する気満々だったけど、そのうち匙を投げられました。顔を水につけたままなら数メートル泳げるけど、息継ぎができないので、足の届かないところには行かれなかったんです。

泳げもしないのに、年頃の時期には毎年水着を買い替えてプールや海通い。インストラクター役を買って出る人は何人もいました。だけどやっぱりダメ。どーしても泳げない。あああ、私きっと一生泳げないんだわ・・・とすっかり諦めモード。いーよいーよ別に。泳げなくたってさー。

そんな私がついに泳げるようになったきっかけは、夫がくれたある小さな物でした。
「人間はみな、泳げるようにできている。泳げないはずなんてないよ」
そんなこと言ったって、泳げないんだもん。
「ちょっと泳いでみて。見てるから」
顔を水につけて平泳ぎの真似事。
「ふーん、フォームはそう悪くもないね。じゃ、顔上げて泳いでみて」
顔上げるとやっぱりダメ。3回水をかいたら沈没。
「技能的な欠陥っていうよりね、心理的な問題だね」
そう言うと彼はスポーツ店へ行き、「いいもの」を買ってきた。何って?

それは、「シンクロナイズドスイミング用鼻クリップ」
夫いわく、「鼻に水が入るのを恐れてるんだよ。これつけて泳いでごらん。大丈夫だから」
言われたとおりに鼻クリップをつけてトライしてみると・・・・・・な~んと、泳げるではないか!!びっくり仰天。嬉しくて嬉しくて、周囲にジロジロ見られてるのも気にせず、クリップをつけて泳ぎ回りました。その二日後にはクリップなしでもOKに。とうとう私は「泳げる人」になったのでした。

その後は次々とあらゆる泳法をマスターして、いまや地元の競技会にも出場するほどに・・・
な~んてなっていたら、サクセスストーリーなんですがね。やはりそうは問屋が卸しませんでした。クリップを外したその日から、私は「永遠の平泳ぎ泳者」になってしまったのです。平泳ぎができたんだからクロールだって・・・と思ったのに、できない。何で?平泳ぎだとかなりの距離を泳いでいられるのに、クロールに切り替えた途端、沈没なのです。不思議~。

この謎は今回の休暇でようやく解けました。スノーケリングしているときって、平泳ぎは不便なので、自然とバタ足状態になりますね(私の場合、フィンはつけませんが)。普段はバタ足も苦手なのですが、魚を見ながらだと無意識にバタバタ、ス~イスイとやっていて、「あれっ?」と思いました。そこで試しに腕をつけてクロールのフォームにしてみると・・・ちゃんとできるんです。ん?なんで?ああっ、そうかっ!水中マスクをつけていれば大丈夫ってことだったんですね。つまり、息継ぎのときに鼻や口に水が入るのを恐れていたのです。しかしスノーケルがあれば息継ぎ不要。どうしてそんなに水の浸入を心配するかというと、子供の頃、銭湯で間違って深い浴槽に落ちたことがあって、鼻に水が入り苦しんだ記憶があるのです。それで無意識に怖がってしまうようです。それが判明した今、なすべきことは一つ。マスク装着状態でクロールの練習をし、マスターできたらマスクを外せばいいのです。

こんなわけですから、自分がいつの日にかお魚と泳ぐようになるなんて、まったく想像もできなかった。それが可能になって狂喜してしまうのです。考えてみれば、普通の人がわずかの時間でマスターできることに、人生の半分近くを費やしたことになります。それでも、自分にとって苦手なことを克服したというのはとても気持ちよく、未知の世界が開けたというか、人生の新たな一ページというか、あまりに大袈裟なようだけど、とにかく楽し~い。

バンザーイ!!
  1. 2005/04/07(木) 09:02:56|
  2. 日常
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ホリエモンの人生観

一連のライブドア報道に、これまでたいした関心を持っていませんでした。もともと、株とかビジネスという言葉に反応しにくい性質なので、「ふ~ん」という感じで聞いていました。けれど、先日たまたま見たTV番組での堀江氏の発言を聞いていて、なんとなく彼に興味が沸いてきた。そこで氏の著書を一冊読んでみました。タイトルは「稼ぐが勝ち」。

感想はといえば、「部分的に共感」という感じでしょうか。反発は覚えませんでした。内容を要約すると、「一流大学に入って一流企業に就職すれば人生の成功は約束されたも同然、という幻想は捨て、若いうちから大きな夢に向かってチャレンジしたほうがいい。旧世代から引き継いだ社会システムを引きずるのではなく、自分でチャンスを見つけろ」というもの。

私にとっての人生の成功は「お金を増やすこと」ではないし、勝っただの負けただのというようなこともどうでもいい。ビジネス界で成功している堀江氏のことを別段羨ましく思いもしません。そんな私でも、なるほどそうだな~と思ったのはこんなくだり。

「当然のことですが、永遠に安定している世の中なんて存在するわけがありません。(中略)(作詞家の秋元康は)うつり変わる時代というのを、ごく冷静に、辛い時代だなどと思わず、逆に面白がって楽しんでいるのです」
また、こんな一行も。
「自分の限界はこの程度なのだと悟ったときに、未来への道は絶たれます」

世の中には問題がいっぱい。問題について語るとき、「昔はこうではなかった」とよく言われます。確かに過去と比較することで現在の問題がよく見える。しかし、そこには「昔はよかった」というニュアンスが確実にありますね。昔には昔の問題があったのというのに。現在あるAとBという問題を解決すれば、安定したよい社会が実現できるというのは幻想でしかありません。AとBがうまく解決したように思えても、それによってCやDという新たな問題が生まれてきてしまう。そうしたら今度はCやDの解決に取り組まなければいけない。社会というのは所詮そういうものであって、またそれでいいのではないでしょうか。どんどん変化する社会に直面して、あーでもないこーでもないと考え、試行錯誤して、自分達の生きる社会をさらに変化させていく。生きていくというのはズバリそういうことなのでは、という気がします。大体、生まれたときから死ぬまでずっと同じ安定した社会が続いたりしたら退屈極まりないでしょう。

価値観が多様化しつつある現在、「自分探し」が盛んです。20代の頃、私も「自分探し」に一生懸命でした。思春期の一部をアメリカで過ごし、多分にアメリカの影響を受けた自分の日本社会での位置づけに困って、また外へ出、そこでまた別の価値観を吸収してますますわけがわからなくなった。私って一体誰?

でも、草むらに隠したイースターエッグのように、探せば「自分」は出てくるのでしょうか?「確固たる自分」なんて本当にあるのでしょうか。少しづつ年をとって、いろいろな体験を重ねるうちにそんな疑問が沸いてきました。社会が常に変容するように、その社会をかたちづくる私たちも常に変容を続けるのではないか。「遺伝的傾向」というのは確かにあると思います。そういう意味では「自分を変え」たってたかが知れているとも言える。けれど、骨格はまず変わらなくともその上についている肉は増えたり、減ったり、結構変化する。

あるのかないのかはっきりしない「自分」を探すよりも、どこにどう肉をつけようかと「自分作り」をするほうが楽しいんじゃないかな。そう考えたら、自分が変化していくことに抵抗を感じなくなりました。「私ってXXな人間」と自己分析するのはいいけど、その結果で自分を縛っても仕方がない。

堀江氏には二つの夢があるんだそうです。
「宇宙旅行の会社を作りたい」そして、
「人類とは何かを知るために生命科学を発展させたい」
ワクワクするような話です。

成功とか勝ち負けとかいうのは別にしても、ワクワクする何かを持って生きている人に心惹かれます。
  1. 2005/04/07(木) 09:01:45|
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