わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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超常現象の心理学

「超常現象の心理学 人はなぜオカルトにひかれるのか」(菊池聡 著)という本を書店で見かけたので、なんとなく買ってみました。

何か面白いことが書かれているかな、と思ったけれど、目新しい情報は得られず、ちょっと失望。(内容が悪いというわけではありません)

ただ、なるほどそうかなと思った部分はここのところです。血液型性格判断についてなのですが、

 ここに血液型性格判断が構造的に持っている差別性を見ることができる。社会的に望ましい性格イメージはA型とO型に集中しているのに対し、ネガティヴなイメージは、おおよそAB型(とB型)に特徴的に現れている。これは、日本人の血液型分布と照らし合わせれば合点がいくだろう。日本人の場合、A型とO型が約七割を占め、AB型はわずか一割に過ぎない。企業社会の中の女性差別や少数民族差別などと全く同じで、「多数派が力を持って、少数派を差別する」構図がここにもはっきりと見て取れる。


それはなきにしもあらず、でしょうね。

AB型の人達って、なんだか気の毒です。AB型だから変わり者だ、とか言われたって困るでしょう。A型の遺伝子を持つお父さんとB型の遺伝子を持つお母さん(あるいは逆)が結婚した、ただそれだけなんだから。本人のせいではありませんもの。

私自身は血液型判断を含め、占いやそれに順ずるものを信じませんが、占いの社会的存在意義は必ずしも否定していません。いいことも色々あるんだろうな、と思う。でも、社会的弊害っていうのもあるだろうから、メリットとデメリットのどちらが多いのか・・・ちょっと、わからないです。

先日、コピーをしにコンビニへ行ったら、コピー機がふさがっていて、空くまでの間、雑誌のコーナーで待っていました。そこに、有名な某占い師の本があったので、どんなものなのか手にとって見てみました。星の計算票がついていたのでその場で計算したところ、私は水星人。

「水星人の性格」という欄を読んでみました。そうしたら、そこに書かれている性格的特徴のうち、約3割は私の性格にドンピシャと当てはまっていました。そして約3割は全然、当てはまっていません。残る4割は、そうだとも言えるし、そうでないとも言える。要するに、よくわかんない。

占い好きの人であれば、「当たっている3割」に着目し、「やっぱりね!」と思い、逆に占い嫌いの人だったら、当たっていない方の3割をクローズアップして、「そおら、当たってない!」と本を放り出すでしょうか。

しかし、よくできてるもんだな~、と思いました。全体的には「当たらずとも遠からず」という感じに書いてあるんですね。試しに他の星の性格も読んでみたところ、自分に当てはまる部分と、当てはまらない部分と、どっちつかずの部分との配分は、やはり3:3:4くらい。

つまり、実際に自分が何星人であっても(~星人というものがあると仮定して、ですが)、当たると信じれば当たるように、実にうまーくバランスよく性格特徴を12の星に散らし、さらに「ここの部分、全然当たってないじゃん!」とツッコミを入れられないように、巧みな表現で書いてある。

そういう印象を私は持ってしまいました。

結局、誰しも自分の信じたいものを信じる。それに尽きるのではないでしょうか。

星とか干支には基本的に少数派がいないので、上記の本に指摘されているような差別性はほとんど生まれないと考えていいのかしらね。

でも、例外があります。私、「ひのえうま」生まれです。(あ~、年がとうとうバレたよ~!)ひのえうまの年には出生率が激減します。女の子が生まれたら困るからって、赤ちゃんが人工中絶されてしまうことだってありました。

両親が「ひのえうま」の怖ろしい伝説を迷信として笑い飛ばしてくれていなかったら、私は今、ここに存在していません。

だからやっぱり、占いは「自分自身」のことに利用するのにとどめて欲しいな。他人のことを占いで判断するのは・・・








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  1. 2005/09/30(金) 12:06:55|
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博士の愛した数式

小川洋子「博士の愛した数式」。

読みました。評判を聞いて気になっていたのに、やっと今頃手に取ったのは何故でしょう。

本当に美しく、感動しました。それしか表現を知らないのがなんとも情けないです。

幸せな気持ちになると同時に、かつて出会った一人の教師のことを思い出していました。私が今までに教わった中で、最も好きだった先生の一人。数学の先生です。

もともと、数学はあんまり好きじゃありませんでした。国語や英語や社会が好きだった私。数字をわけのわからない公式に当てはめて問題を解くのは面倒で、面白いと思った記憶はありません。ですから、数学は得意科目の中には入りませんでした。

ところが、高校2年生でアメリカの公立校へ留学したとき、数学は必須科目だったのですが、「高2なら大体このレベル」と勝手に決められたクラスはしかし、いくらなんでも程度が低すぎた。高2なんて冗談じゃない、日本だったら中1くらいのレベルです。

いくら数学の苦手な私でも、あまりに簡単すぎて、授業を聞く気にもなれません。週に1度くらい、テストがありましたが、10分で終了。退屈で、退屈で・・・アメリカってみんな、ああなのでしょうか。それとも、私のいた高校が特別?

そんな私に先生が聞くの。
「ビアンカ君は、どうしてそんなに数学ができるの?」
別に、できないのに。
「ビアンカ君は、数学の天才だね。君がこんなクラスにいたんじゃ勿体ない!是非、私の別のクラスに来なさい。一番上のクラスも受け持っているんだよ」
それで、クラスを変わることになったのですが・・・

移動したのは、「Math. Analysis」というクラスでした。どうせまたたいしたレベルじゃないんだろうな~と思って、教室に入って行くと、な、なんか雰囲気が普通じゃない。前のクラスは男女半々くらいだったのに、今度のクラスはほとんど男子のみ。しかも、分厚いメガネをかけた、いかにも「ダサ~っ」って風の男の子達です。

そのクラス、「微分・積分」を教わるクラスだったのですが、それはさすがに私には難しすぎ。日本ではまだ習っていなかったし、学期の途中でもあったしで、授業を聞いていても何のことやらさっぱり。まるっきり、パープリンです。先生はさも楽しそうに説明してるけど、私、ここで一体どうしたらいいのでしょうと落ち込んでしまいました。

でも先生は、チョークで黒板に図を描きながら、私の方を向き、ニコニコして、「ビアンカ君。ちょっと待っててね」って言うのです。
しばらくして、「じゃ、テストタイムにしましょう!」
テ、テストって・・・私はどうなるの?

用紙が配られる中、先生は、
「ビアンカ君。椅子を持ってこっちへおいで」
言われた通り、先生の机へ行くと、
「これからみんなはテストだからね。さあ、君の時間だ。微分はまだやったことないね?じゃ、始めよう」

そして、私と先生のマンツーマン授業が始まった。そのクラスでは毎日のように小テストがあり、他の生徒が問題に取り組んでいる間、私は先生と一緒に勉強し、他の生徒が説明を受けている間は、私が問題に取り組むという、二重授業。

先生の授業は、いまだかつて受けたことのないような素晴らしい授業でした。それまでは数学っていうと、ただ公式を与えられて、「これを使って解け」と言われるだけで、少しも楽しくなかった。でも、先生は「公式を考える」ところから教えてくれたんです。それも、一方的に説明するのではなく、紙に図を描いて、「まず、これがこうあるとするね。こっちにこう、移動させたらどうなるかな?」「そうだね。じゃその次は?」というふうに、少しづつ、ヒントを与えながら、私自身が答えに到達するのを導くやり方。私が自分で答えを発見すると、「その通り!発見したね。凄いね、ビアンカ君!」先生は心から嬉しそうでした。

数学って、こんなにもワクワクできるものなんだ。とても意外でした。毎日、わずかな時間ではあったけれど、先生と一緒に考え、閃きを得たときの爽快感。忘れられません。おかげで、微分・積分だけはすっかり得意になって日本へ帰国。エッヘッヘでした。何もやらなかった幾何のほうは、やはり全然ダメでしたが・・・

しかし、その後私はやはり文系に進み、数学の能力がそれ以上伸びることはありませんでした。それどころか、今となっては微分・積分のなんたるかも、まったく覚えていない。

無駄だったといえば、無駄でした。

でも、先生と勉強した時間は、私にとってとても素敵な思い出です。「わかった!」と思った瞬間の喜びも、いつまでも忘れない気がします。

今でも数式と戯れているのかな、先生・・・


アメリカンハイスクールに関する過去記事:
自立していない日本の私
旅のびっくり話 その1 アメリカン・ハイスクール




  1. 2005/09/29(木) 10:19:13|
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お奨めガイドブック

旅行のとき、どんなガイドブックをみなさん愛用していらっしゃるのでしょう。

私は若い頃は貧乏旅行専門だったので、「地球の歩き方」シリーズには随分お世話になりました。でも、ドイツへ行ってからはドイツの旅行ガイドブックがすっかり気に入ってしまったんです。

ドイツは旅行ガイドブックがすごーく豊富です。日本人にとってはマイナーな地域のガイドブックもいろいろ揃っています。コンパクトなものから、辞書のように分厚いもの、大判カラー写真がふんだんに使われているものや、実用的な情報が詰まったもの、あるいはその土地の風土をエッセイ風にまとめたもの、いろいろあって好みで選べます。

私は「分厚いガイドブック派」。日本語のガイドブックは、見どころの紹介の他は、お店や宿泊施設の情報が中心で、その土地の言語や文化、気候、歴史、社会などについて詳しく解説しているものってほとんどないです。それがちょっと物足りない。あまりかさばるものや、字が多いのは日本人には敬遠されがちなのかもしれませんが、ドイツ人は「徹底的に知りたがる」人が多いようで、ドイツ語の旅行ガイドはほんとに読み応えがあります。

異国情緒を味わうだけでも、旅行は楽しいものですが、なんだかよくわからないものを見るより、少しでも背景がわかったほうがより楽しいと思うので、いつも入手できるパンフレットは隅々まで読むほうです。観光地なら、たいてい地域を紹介する小冊子や本が売っているので、そういうのも買って読んでいます。

そんな私が日本に帰ってきてから発見して、「ああ、事前にこれを読んでいたらなあ!」と悔やまれた本。

紅山雪夫氏による一味違った旅行ガイドシリーズ

お奨めです。

最近、「ドイツものしり紀行」を読みました。私もかつて訪れたことのある南ドイツの町々の解説を読んで、「そうだったのか!」ってことがたくさん載っていました。もう一度旅をやり直したい気分になりました。

紅山氏の著書は読みやすく、とても為になるので、旅行のときに持っていく方が増えたらいいなと思うんです。
  1. 2005/08/18(木) 21:53:24|
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日本語と韓国語

「日本語と韓国語」という本を見かけて、思わず買ってしまいました。

かなり前にソウルへ行った時、空港の手荷物検査のところで韓国人係員に「カバン、○○△△!」と言われて、「えっ、カバン?あっそうか。私が日本人だから日本語でカバンって言ってくれたのね~」なんて早合点して喜んだことがあります。後から知ったところによると、カバンは韓国語でもカバンなんだそうで・・・

ドイツへ留学した当初、知り合った韓国人の友人と話すとき、ドイツ語につまると、お互いに日本語または韓国語の単語をそのまま口にしてみました。もしかしたら通じるかも、と。実際、通じることも結構ありました。発音が微妙に違っても、推測可能であることが多いんですよね。

私「風邪ひいちゃってー」(とドイツ語で)
友達「じゃあ、ジンセン飲んだらいいよ」
私「ジンセン?」
一瞬、何のこと?と思うけど、よーく考えたら「人参」、つまり朝鮮人参のことかなって。

日本語と韓国語ってどのくらいオーバーラップしてるものなんでしょうね?

「うどん」「スリミ」「難民」「天然痘」などが同じ(あるいはソックリ)というのは知っていましたが、この本でさらにいろいろわかりましたっ。

「はなから信じない」の「はな」って、韓国語で「最初」って意味だったのですか~。
エッ。「奈良」の「なら」って、韓国語の「ナラ(国)」が語源なのっ?
「チャリンコ」って、韓国語の「チャジョンゴ(自転車)」から来てるの?

へえええ~っ。

逆に、日本語が語源となってる韓国の言葉もいろいろあるんでしょうけどね。

擬態語・擬声語も面白い。
韓国語で「お腹が空いた」は「ペコプタ」だって?「お腹ペコペコ」の「ペコ」ですか。
韓国語で「食べる」は「モクタ」。「モグモグ」食べるからね。
韓国語で「泣く」は「ウルダ」。目が「うるうる」しちゃいますもんね。

あー楽し。

でも、なんでもかんでも一緒だと思うと大恥かきますよ。同じ漢字圏でも、日本と中国と韓国で使い方が違うものがいろいろあるから。

「手紙」といえば中国語ではトイレットペーペーのことだそうですが、韓国語で「手紙」は「便紙」と書くんだそう。そっちのほうがトイレットペーパーっぽいけどな~。
「湯」は中国語・韓国語で「スープ」のことだから、「女湯」なんて書かれているのを見ると、ぎょっとしてしまうらしい。
「夫」のことを中国語では「丈夫」と言い、韓国語では「男便」と言う!?中国人の夫は働き者で、韓国人夫は便利な存在なのかしらって妬んでしまいそう。
「家族」は韓国語で「食口」!いや、そうハッキリ言われると・・・
「勉強」のことは韓国語では「工夫」、中国語では「学習」ですかー。日本語からは、結果はともあれ一生懸命頑張っている様子が伝わって来ますが、韓国語ではいかにも頭使っている感じですね。中国語のほうは、勉強したことがちゃんと身についてる風。

もひとつ、ビックリなのがこれ。

「肉談」。韓国語で「猥談」のことだそう。私、肉屋の談合かと思いました。

よそ様の国の言葉を勝手に面白がっていますが、韓国や中国の方達からすれば、日本語も、相当「笑える」言語なんでしょうねー。




  1. 2005/07/14(木) 22:04:25|
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私の守護聖人

ドイツに住むようになって何年も経ち、ドイツ語文法は一通り頭に入った、語彙もかなり増えた、発音もOKというレベルまでドイツ語力が上がっても、それだけではネイティブと同じように読書や映画鑑賞を堪能できるわけではない。高度なジョークもわからない。そう気づいたとき、があ~んと打ちのめされた気分でした。

「ネイティヴ」という言葉の意味がはじめて理解できました。○語のネイティヴであるって、正しい文法で訛りなく話すことじゃないんですね。話す言葉がその言語特有の文化背景に支えられているからこそネイティヴというんですね。

ドイツ社会で生活し日常文化に浸かることで、表面的な文化背景は知ることができる。でも、一つの国の文化ってもっともっと奥深い。ドイツ語で小説を読むようになって気づきました。

「キリスト教の知識がまるでないと、わからないことが多すぎる!!」

美しい教会を訪れても、キリスト教徒でない私は「ふ~ん、綺麗だねえ。凄いねえ」で終わってしまうし、美術館で宗教画を見ても「???」。映画も西欧のものには聖書からの引用があったり、聖書の言葉をもじった台詞になっていたりする。クイズ番組を見ていても、ドイツ人なら誰でもわかるようなことがわからない。

うーーーーん。これは、つまらないぞ。

そう感じるようになり、ではキリスト教の知識を仕入れましょうと思い立ったのですが、どうもよい方法がない。図書館や本屋へ行って関連書をあさってはみたけれど、「キリスト教義そのものの本」以外で見つかったのは分厚い「宗教史またはキリスト教美術の本」ばかり。膨大な情報量でどこから手をつけていいかわからないのと、ドイツ人なら誰でも知っている初歩的なことはわざわざ書いていないのとで、いろいろ入手したわりには使いこなせていませんでした。

でも、先日、日本の書店でこういうのを見つけたんです。

「キリスト教文化の常識」 石黒マリーローズ

手に取ってみると、なるほどこれはわかりやすそう。著者はレバノン出身で日本在住。キリスト教文化を特に日本人を対象にまとめてあります。早速購入して読みました。断片的にはすでに知っていることもありましたが、ある程度系統立てて知識を仕入れる方が効果的ですね。

私がこの本により初めて知ったことの一つ。それは守護聖人についてです。聖人って世界にすごくたくさんいるんですね~。毎日が一人ないし複数の聖人の記念日なんですって。この本には聖人カレンダーがついていて、自分の誕生日がどの聖人の記念日であるかを調べることができます。ちなみに私の誕生日は3月17日。この日がアイルランドの聖人、聖パトリックの日だということはアメリカに住んでいた頃から知っていました。アメリカでは祝日ですから。でも、聖人のそれぞれが何か特定のもの(人)を守る役目をしていることは知りませんでした。たとえば・・・

聖バレンタインは、恋人の守護聖人。(これは有名ですね)
聖ビンセンシオは、ぶどう園経営者の守護聖人。
聖ヨセフは、大工・家庭の守護聖人。
聖マルコは、捨てられた子供の守護聖人。
聖オノレは、パンと菓子の守護聖人。
聖ペトロは、錠前士・魚屋の守護聖人。
聖女クララは、洗濯の守護聖人。
聖ルカは、医者と画家の守護聖人。
聖女カタリナは、法学者の守護聖人。
聖マタイは、収税者と両替の守護聖人。

ほうほう。そして・・・

聖ヒエロニモは、翻訳者の守護聖人。

私、キリスト教徒ではないけれど、今後は「聖ヒエロニモ」と聞いたら嬉しくなってしまいそうです。


  1. 2005/06/26(日) 21:50:59|
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文学に語られるアイデンティティ

春休みに沖縄へ行ったとき、向こうで口にした味で印象深かったもの。それは「うっちん茶」。初めて飲んで衝撃を受け、すっかりはまってしまいました。この「うっちん茶」って、ウコン茶、つまりターメリックのお茶なんですね。だから、後味がカレーの味なんです。

気に入ったのは、すごく美味しかったからではありません。正直なところ、美味しいんだか美味しくないんだかよくわからない味でした。でも、どことなくエキゾチックな飲み物を国内で発見したことがちょっと楽しかったのです。

うっちん茶だけでなく、私の知らない日本が沖縄にはたくさんありました。たとえば竹富島で見たお墓。中国式の造りでした。沖縄の色彩感覚も台湾のイメージと重なり、私にとっては異国情緒満点だったのだけれど、逆に沖縄の人が私の故郷である北海道へ行けば、雪景色やアイヌの伝統芸能に「日本らしからぬもの」を見出すんでしょうね。それほどまでに自然環境も文化も違うのに、私と民宿のおばあちゃんは「同じ日本人」なのでした。日本語を話すから日本人?でも日本語なら外国人だって話します。「XX人である」って一体何なのか。他民族・他言語のインドやインドネシアのような国の人々にとって「インド人である」「インドネシア人である」って何を意味するんでしょう。「~人であること」って、実はこれといった実体をともなわない「概念」に過ぎないのかな。

ずっと同じ国にい続ける限り、自分が何人であるかを特別意識することはないかもしれません。異文化に身を置いて初めて「私ってそういえば日本人なんだ」と思うようになり、しかしその紛れもない日本人であるはずの自分が再び日本に帰ってきたら、異文化の中でいつのまにか変化してしまった自分に気がつく。外国暮らしをした人なら、多かれ少なかれ経験することではないでしょうか。ドイツにはトルコ人がたくさんいますが、彼らはドイツにいる間は「トルコ人」以外の何者でもない。でも、長年のドイツ生活を終えてトルコへ帰ったときには、「ドイツかぶれ」「半ドイツ人」とみなされてしまうんだそうです。彼らにとっての故郷はどこなのでしょう。

もしかしたら実体などないかもしれない「~人であること」が、人の心を揺さぶり、悩ますのはどうしてなのか。私自身もいろいろな場所で生活し、そのたびに変化していく自分に「あれ?あれれ?私って何者?」とわからなくなってしまった時期があります。最近は「アメーバみたいにかたちを変えるのがビアンカのアイデンティティでしょ」と開き直ってますが・・・

移民のアイデンティティについて書かれた文学作品は数多くありますが、私のお気に入りはこの三つ。

石川好 「ストロベリーロード」
農民としてカリフォルニアへ渡った日系一世たちの物語

エイミ・タン 「キッチン・ゴッズ・ワイフ」 
中国系移民の母とアメリカ人である二世の娘との間の文化ギャップとは

ジュンパ・ラヒリ 「停電の夜に」
インド系アメリカ人を描いた短編集

日系、中国系、インド系。彼らの体験するアメリカは、それぞれ別のアメリカなんでしょうか。
  1. 2005/06/23(木) 21:32:44|
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木を見る西洋人 森を見る東洋人

三枚の絵カードがあるとします。それぞれのカードに描かれている絵は、「鶏」「牛」「草」。この三つを二つのグループに分けるとしたら、どう分けますか?

では、次の三つの言葉をふたたび二つのグループに分けてください。
「パンダ」「サル」「バナナ」。

どんなグループができたでしょうか。

上記のような質問をすると、欧米人の多くは「鶏・牛」と「草」、「パンダ・サル」と「バナナ」に分けるのだそうです。それとは対照的に東洋人(日本人・中国人・韓国人)は、「鶏」と「牛・草」、「パンダ」と「サル・バナナ」に分ける人が多いそう。

西洋人は世界を属性で分け、東洋人は関連性で分ける?

こちらの本で見つけた理論です。
The Geography of Thought: How Asians and Westerners Think Differently...and Why  邦題:木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか

同じ事件をドイツのメディアと日本のメディアが扱う場合、私はドイツメディアの方がより分析的だという印象を受けます。日本人はどちらかというと、物事をその側面ごとに切り離して検討することは少なく、むしろ全体像を捉えようとする気がする。この違いはどこから来るのか。その答えを探していて行き当たったのが上記の本なのです。日本語版のタイトル「木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか」から想像できるように、著者は西洋人と東洋人の思考をこんなふうに見ています。

西洋人は、世界は個々の独立した要素の集合体で、それぞれの要素は不変のものであると考える。
東洋人は、世界は連続した要素が複雑に絡み合ってできていて、それぞれの要素は互いとの関わりの中で変化すると考える。

からだの一部分の不具合を調整することで病気を治療しようとする西洋医学と、からだ全体の調和を取り戻すことで病気を治療しようとする東洋医学に通じる考え方ですね。

ある人間が殺人を犯したとします。この人物Aはどうして人を殺したのか。
西洋人は「Aはカッとなりやすく、嫉妬深い性格だ。だから殺したのだ」と、Aの属性に原因を求めようとするけれど、東洋人は「Aの置かれた状況が悪かったからだ」と考えがちだというんです。
では、もし状況が違っていたとしたら、Aは殺人を犯したか?
この問いに西洋人は「たぶんやっていただろう」と考え、東洋人は「たぶんやっていなかっただろう」と考える場合が多いらしい。

本書の著者は社会心理学研究者で、数多くの心理テストの結果から論理を導き出しています。とても興味深いのですが、内容があまりに濃すぎてとてもご紹介しきれません。簡単にまとめてしまうと、西洋人は論理的で矛盾を嫌い、はっきりとした結論を出すのが好き。東洋人は「そうだともいえるし、そうでないともいえる」と中間的なものの捉え方をし、状況の変化に敏感である。

もちろん、西洋人と言ってもアメリカ人とフランス人ではだいぶ違いがあるでしょうし、日本人と中国人も似ているようで違う部分が多いのでしょうから、あくまでも大雑把な傾向かもしれませんが、私にはかなり納得のいく説明でした。

西洋人の子供は言葉を覚えるときに、動詞よりも名詞をどんどん覚えていくそうです。ところが、東洋人の子供は名詞と動詞をほぼ同じ速さで習得するとか。同じおもちゃを使って子供と遊ばせる実験をしたところ、アメリカ人の母親は「ほら、これは車だよ。かっこいいタイヤがついているね」のように対象物の特徴を説明するのに対し、日本人の母親は「ブルンブルン。はい、どうぞ。お母さんにもちょうだい。ありがとう」と関係を強調するような語りかけをすることが観察された。

面白いことに、アメリカ人、アジア系アメリカ人、アジア人の三つのグループを対象に思考テストをおこなった結果、ほとんどの場合にアジア系アメリカ人はアメリカ人とアジア人の中間の結果だった。アジア人がある年齢に達してから西洋文化に触れたとき(またはその逆)、新しい思考回路を獲得するかもしれないことは容易に想像がつきますが、では生まれたときからずっと西洋と東洋の文化の両方に触れて育つ子どもの頭の中は一体どうなっているのでしょう?

とても気になります。
  1. 2005/06/09(木) 10:46:45|
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メランコ人間とシゾフレ人間

昨日のエントリーでご紹介した本を読んで、少し心理学にも興味が沸いてきました。いままでもフロイトやユングに挑戦したことはあったのですが、「よくわから~ん!!」と投げ出してしまっていました。心理学って私には難しすぎるワと諦めムードだったんですが、この本はわかりやすいっ!

和田秀樹 痛快!心理学―ハンディ版

フロイトからコフートに至るまでの流れを簡潔かつ面白くまとめてあり、私でもスラスラ読めました。それだけではない。

「メガヒット現象を精神分析する」

なんていうオモシロ理論に、わおっとふっ飛んでいきそうになってしまったのです。

著者、和田秀樹先生によると、人間は「メランコ人間」(つまり躁鬱病タイプ)と「シゾフレ人間」(統合失調症タイプ)に分けられるそう。もちろん、あくまでも「タイプ」の話です。鬱病というのは、自分は病気になるのではないか。自分はきっと貧乏になる。すべては自分が悪いのだetc.と自分自身を視点に考える。躁状態のときにも「自分はすごい」。周囲のことはたいしてどうでもよい。こうした躁鬱の特徴である「自分」を中心と考える傾向がやや強いのが「メランコ人間」。それに対して統合失調症では他人が気になる。誰かが俺を殺そうとしている。CIAが私をスパイしている。自分がどうかというより、周囲が心の主役。この傾向がやや強いのが「シゾフレ人間」。

「日本社会はかつてのメランコ社会からシゾフレ社会へとシフトした」というのが和田先生の理論。それが歌謡界のメガヒットに見て取れるというんです。日本では60年代の10年間に100万枚以上のセールスを記録した大ヒット曲はたった8曲しか生まれなかった。70年代には25曲。80年代は12曲。ところが、90年代に入ると毎年20曲前後のミリオンセラーが量産されるようになった。劇的に変化したのは単に量だけではない。かつてのメガヒットというのは「およげたいやきくん」や「黒猫のタンゴ」のように、老若男女を問わない国民ソングであったのに対し、近年のヒット曲は主に若者だけのものであることも指摘しています。

メランコ人間は「自分は自分でいたい」という頑固者なので、他人がよいと言っても自分自身が気に入らなければ聴かない。ポリシーがあるので、山口百恵は聴くけど桜田淳子には見向きもしない。かぐや姫のファンなら井上陽水は決して聴かない。しかし、最近の「シゾフレ人間」たちは節操がない。他人や流行にすぐに流される。柔軟性はあるが、現在のことしか考えない。

今の40代から上の世代はメランコ傾向が強いため、一つの組織にこだわる会社人間でありながら、人とは違う人間でいたいので出世欲が強い。だからリストラされるとショックで鬱になってしまう。それにひきかえ10代20代の若い世代は、シゾフレ傾向が強く、定職を持たないことに危機感を持たない。濃い人間関係を好まないので赤提灯的な飲み会は苦手だけど、パーティは好き。しかし、広く浅くの関係作りがうまくいかないと引きこもってしまう。

どうでしょうね?この分析。

メランコとシゾフレなんて思いもつきませんでしたが、ちょっと思い当たるところがないでもありません。私、去年一年間、息子がお世話になっていた学童保育室の役員だったのですが、組織の運営をしていて感じたことは、20代の保護者と40代の保護者では組織に対する感覚はずいぶん違うものだなあ~ということでした。30代の私はどっちつかず。(というのは単なる主観かな?)人間関係があまり濃いのも疲れるけど、あまりドライなのも寂しいという感じ。メランコとシゾフレの両方の性質を併せ持つ?それってもしかして一番厄介な状態かも・・・!?
  1. 2005/06/01(水) 10:40:51|
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音楽と恋愛

普段あまり映画は見ないのですが、ドイツのテレビで深夜に日本映画を放映していることがあり、夫はよく録画して見ていました。夫の一番好きな日本映画は「ゴジラ」。シリーズのほとんどを見ています。あとは黒澤明ものとか、まあいろいろです。新しいものも結構やっていました。

なんとなく一緒に座ってぼーっと見ていることが多かったのですが、ふと気づいたことがありました。日本映画には「歌うシーン」がすごく多い!登場人物が一人で、あるいはみんなで声を合わせて。シチュエーションは様々ですが、重要な場面で歌わせることが珍しくないのです。台詞として雄弁に語らせることは少なく、歌で心情を表す手法が好まれるように思いました。カラオケを発明したくらいですから、日本人は歌が好きな民族の一つなのでしょう。日本人にとって、歌うとはどんな意味を持ち、どんな効果をもたらすものなのか。そんなことを考えていたんですね。そうしたら先日、

  1. 2005/05/31(火) 10:59:57|
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リビングで異文化しよう わいるどわ~るどらいぶらりー

旅行したいけど、お金がない、暇がない。ありがちです。でもいつでも「異文化」したい私。だから自宅でトリップします。熱いカプチーノのカップを片手にソファーに座り、「異文化本」のページをめくるのって最高!

「わいるどわ~るど・らいぶらりー」から、お気に入りの本をいくつか紹介させてください。


<アジア世界へ>

中国  「大地」パール・バック
(え~、なんで今の時代にパール・バックなの?と言うなかれ。ビアンカの「異文化好奇症」発症の引き金となったのがこの作品。小学校高学年のとき、母が買ってくれました。なんとなく違うようでなんとなくわかるよその国、その不思議なメンタリティを全身で感じ取ることができます)

タイ  「私は娼婦じゃない タイのメールオーダーブライドの告白」パカマート・プリチャー
(結婚斡旋所を通して見知らぬドイツ人男性のもとへ嫁いだタイ女性の手記。国際愛情販売組織とは?そしてタイ人女性側から見た結婚とは?幸せとは?)

インドネシア 「人間の大地」プラムディヤ・アナンタ・トゥール
(インドネシア大文豪、プラムディヤの獄中作カルテットの第一部。ジャワの貴公子が民族運動に目覚めていく過程がドラマチックに描かれています。世界各国語に訳出されていますが、英語版は翻訳が雑でお勧めしません。アジアの物語は日本語で読むほうが絶対グー)

ベトナム 「バンコクの妻と娘」近藤紘一
(サンケイ新聞バンコク特派員だった故近藤記者が現地で得た妻子とのユーモラスな日常。このシリーズ大好きです)

ニューギニア 「ニューギニア高地人」本多勝一
(ニューギニアの高地ジャングルにあるウギンバ村に住む、ダニ族とモニ族。対照的な二つの部族の生活とメンタリティは・・・本多勝一の若き日のフィールドワークレポート)


<アラビア世界へ>

サウジアラビア "Princess: A True Story of Life Behind the Veil in Saudi Arabia"
by Jean Sasson, Jean P. Sasson
(サウジアラビア王女が王家の内部事情を暴露。友人であるアメリカ人ジャーナリストによる代筆です。どこまで本当か知らないけど、すごーく面白い。続編がいくつか出ています。残念ながら、日本語版はなし)

エジプト 「バイナル・カスライン」ナジーブ・マフフース
(ノーベル賞作家マフフースの小説。カイロに住む一家の生活からエジプト社会が見える)


<アフリカ世界へ>

ケニア "Green City in the Sun" by Barbara Wood
(19世紀初めに大いなる夢を抱いてケニアに入植したイギリス人一家。しかしキクユ族のヒーラーに「聖なる土地を汚した!」と呪いをかけられ・・・)

ケニア 「マサイの恋人」コリンヌ・ホフマン
(バカンスでマサイの戦士に一目惚れ。何もかも捨ててマサイの部落に押しかけ女房したスイス娘の奮闘記)

カメルーン "The Innocent Anthropolosigt. Notes From a Mud Hut" by Nigel Barley
(文化人類学者ナイジェル・バーリーの抱腹絶倒フィールドワークレポート。死ぬほど笑えます)



他の地域はまたの機会に・・・
  1. 2005/05/18(水) 21:30:13|
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