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Kiasuさんのブログ、しゃべるマーライオンを拝読して知ったのですが、シンガポールでは客はファーストフード店で食べ終わった後にトレーを自分で片付けないのだそうです。この話題で、ちょっと前に読んだ「マクドナルドはグローバルか 東アジアのファーストフード」を思い出しました。
この本によると、マクドナルドは世界中の至るところにあるので、グローバル文化の象徴のように言われているけれど実はそうでもない。マクドナルドはその国々で、そこの文化や価値観に合うようにローカル化しているらしいです。 国によってファーストフード店の定義も違えば、利用法も違うということで、アジア各国のマクドナルドの利用状況が紹介されています。なかなか面白いので、かいつまんでご紹介しますね。 北京のマック 中国人は一般にマックの食べ物の味は嫌いだが、雰囲気がロマンチックで快適であると人気がある。最初の店がオープンした頃は、中国人はマクドナルドをレストランだと思っていたので食べ終わった後、トレーは放置していたが、そのうち外国人が自分でトレーを片付けているのを見て、だんだんそれが定着していった。自分でゴミを片付けることは「文化的レベルの高さ」の証明と見なされる風潮も。 中国人にとってマックは一種のレジャーセンターで、のんびりと食事をするのでファーストフードというよりもむしろスローなくつろぎの場所。中華料理店でパーティをするのは時代遅れ、マックでのほうが洗練されていると考える。 香港のマック 食べ物の豊富な香港でマクドナルドが成功した理由の一つは「トイレが清潔だから」。それまでは香港ではトイレの衛生は重要視されていなかったが、マックができて以来、清潔なトイレの快適さが認識されるようになり、香港全体のトイレ水準が上昇した。 台北のマック 公共の空間としての要素が濃い。マックの店舗は広場に面したところや学校に隣接したところにあることが多く、マックの周りには屋台が立ち並び、そこに人々がたむろして世間話や商談の場になっている。子ども達にとってはマックは宿題をする場所。 ソウルのマック アメリカ文化の流入に抵抗のある韓国では、マックは当初、現地企業との合弁会社としてオープンした。韓国のマック利用客の男女比は三対七。男がマックに行くなんてカッコ悪いと思われている。 客が長居をするので回転を早くするために「ホステス・サービス」が導入された。ホステスが客のトレーを片付けながら、「さっさと帰れ」と無言の圧力をかける。 日本のマック 「てりやきバーガー」など独自メニューが多い。日本のマックは社会の上層の人が利用する場所ではない。背広を着てマックに入るのは外国人くらい。日本人は食べ物を手で食べることに抵抗があるのでハンバーガーを紙で包んだまま食べる。 アジア全体に共通しているのは、マクドナルドが「食事をする場所」というより、「たむろする場所」「遊び場所」として認識されていることみたいですね。アメリカ人にとってマックは文字通り「ファーストフード」の店で、ドライブスルーの普及率も高く、長居をするためにある店ではないのでしょう。 私はあまりマックに行かないので、マックの各国比較をしたことがありませんし、この本に書いてあることがどの程度一般化できるものかわかりませんが、マック文化はその土地土地で違うということは大いにありそうです。
外国に留学を考えていらっしゃる方にとって、なにかの参考になればと思うんですが・・・
「コミュニケーション力」のエントリーで、私の聴く能力がドイツ人学生に比べて劣っていたため、ドイツの大学でノート取りに苦労したことを書きました。でも、もちろん、留学生活で苦労したのはノート取りだけではありません。正直に言いまして、何もかもが私には難しかったですね。 それでもどうにか単位は順調に取って行きましたが、4学期(つまり2年)を終えたところで、「中間試験」なるものを受けなければなりませんでした。ドイツの大学は、日本の学士と修士が一体化していて、この「中間試験」は言ってみれば学士試験のようなもので、これを突破しなければ先に進むことができません。 全く勝手がわからないので、非常に不安だったのですが、周囲の学生の話を聞いているうちに、ますます不安がつのりました。なぜなら、「口答試験」があるというので! 多くの日本人がそうであるように、筆記試験には慣れていましたが、口頭試験なんて、日本ではほとんど受けたことがありません。しかも、人前で話すのが大嫌いと来ているし。も〜どーしよ、と胃が痛くなりそうでした。 言葉のハンデがあるので、知識量ではドイツ人学生たちの上を行っていなければならない。必死で準備しました。文献読みまくり。相当長時間、机に向かっていたと思います。そして、読んだことを「理解できた」という実感もあった。その甲斐あってか、筆記試験の結果は上々。ホッと胸を撫で下ろしたものの、まだ難関の「口頭」が待っています。 周りの学生に、「口頭が怖いよ〜」と言ったら、みんな「えー!口頭なんて楽勝だよ。筆記に通れば、落ちる人なんていないよ」と口々に。そんなものかな・・・でもやっぱり、コワイ!心臓バクバクで試験会場へ。 なにが楽勝なもんか・・・案の定、頭の中が真っ白になってしまいました。何を質問されても、緊張のあまり、ほとんど言葉になりません。自分でもわけがわからないうちに、試験終了。 もう、その時点ですでに立ち直れない気持ちでしたが、教授にこう言われたんです。 「うーむ。筆記ができてたから、一応合格にしてあげるけどねえ。だめですよ、こんなことじゃ。卒業試験はもっと厳しいんだから、口頭試験でもちゃんと答えられるように練習しなければ。わかりましたね?」 わかってますよ、もちろん。 部屋を出るとき、ため息とともに、思わずこんなつぶやきが口から漏れてしまった。 「あーあ。あんなに頑張って勉強したのになぁ」 それを教授は聞き逃しませんでした。 「あなたがどれだけ頑張ったかなんて、私には関心がない」 エッと思い、ふり返った。 教授は続けます。 「あなたが何日徹夜で勉強しようとも、文献を何十冊読もうとも、そんなことは重要ではないんです。大事なのは、あなたが理解したかどうかということだけだ。あなたは、理解しているつもりかもしれない。筆記を見る限り、実際そうなのだと思う。でもね、○○さん。わかっただけでは駄目なのですよ。わかったことを、人にもわかるかたちで提示できないと。それができないのは、理解していないも同然です」 がっがっがあぁ〜〜〜〜〜ん!! うえ〜ん ![]() 「結果はともあれ、精一杯やったのだから」 「真面目に頑張ったのだから」 そんな慰め言葉を自分にかけてやろうと思ったのに・・・ 頑張っただけじゃ、だめなの? 日本の大学が懐かしくなりました。試験の時、「ノート持ち込み可」っていう科目があったなあ。持ち込みはOKだけど、自分のノートでなくてはならない。人のノートのコピーは不可。なぜなら、「人が頑張って書いたもの」を使うなんてズルイから。自分で頑張ることが大事。たとえ理解してなくても、理解しようと頑張ったことこそが大事。 そういうのは通用しないんですね。 日本の大学では、授業の出席を何回にもわけて取ることがありました。出欠を取った後、ずらかる生徒が多かったので。生徒を教室になんとか縛り付けておこうと、教官たちは苦労してました。真面目に90分座っていた生徒にしか単位はやれない。頑張らない生徒は評価できない。 ドイツの大学には、居眠りしたり、やたらと私語を交わしている生徒というのはいません。授業を聞かないのなら、そこにいても意味がないから。その代わり、コーヒーを飲みながら、あるいは編み物をしながら授業を聞いている学生はたまにいました。授業に頑張って出ていることを教師に評価してもらうために出席するのではなく、自分が授業を理解するために出席しているということなんでしょう。 なんかだいぶ違うな〜と思って見ていました。 「頑張り」より「結果」か。 「結果」より「頑張り」か。 結果を重んじる社会はシビアです。情け容赦ないです。でも、頑張りを重んじる社会も苦しいです。 日本のサラリーマンの残業がいつまでも減らないのは、「頑張り」があまりにも重要視されるからかもしれません。
前エントリーに頂いたヒロシさんのコメントを読んで思い出しましたが、外国で生活していると、生活用品の使い勝手が日本のものと違って困ることがあります。
それについて、ちょっと書いてみたいと思います。 私がドイツにいて「使いにくい!」と思ったもの、逆に夫が日本にいて「使いにくい!」と思う物とは・・・ 自転車 私「ドイツの自転車は前かがみになって乗るスポーツタイプばかりで、サドルも硬くて痛い!日本のママチャリなら、椅子に座るようにして乗るのでラクだし、傘をさしながらも乗れる。日本のチャリのほうがいいよ」 夫「バカ、傘なんかさして乗るな。それに日本の乗り方のほうが不自然で疲れるよ」 包丁 私「どうもドイツの包丁は使いづらい。刃が厚くて人参を切ると横にそれたり、刃の薄いものはペラペラしなって・・・」 夫「料理をしないからわかりませ〜ん」 サランラップ 私「なーに?このダサいラップは?ドイツ製のは全然くっつかないね。日本製のはピタッとくっつくよ。さすが日本製!」 偉そうに豪語したけど、その後日本ではラップを燃やすときのダイオキシンが問題になり、ダイオキシンの出ないラップが販売されるようになった。試しに使ってみたら、なんのことはない。ドイツのラップと変わらないじゃないの。威張るんじゃなかった。 ベビーカー 私「ドイツ製のは頑丈で車輪も大きいんだけど、押すところの位置が高すぎて、私が押して歩くと肩が凝っちゃう。なんとかして」 夫は「日本のは低すぎて腰が痛くなる〜。それに日本製のは軽すぎて、すぐに倒れて危ないよ。ガタガタ道にも対応できないし・・・」 しょうがないので、我が家ではドイツ製と日本製の中間くらいの「イタリア製ベビーカー」を愛用していました。 掃除機 私「ドイツのは重くて、音がうるさい!」 夫「日本のはゴミパックが小さくて、しょっちゅう交換しなきゃいけないから面倒!」 洗濯機 私「ドイツのは洗濯時間が異様に長いし、一度フタを閉めたらもう開けられないのが不便。脱水のときに洗濯機が歩き回るし」 夫「でも、日本製の洗濯機で洗ったものはシミが落ちてないよ。やっぱり洗濯物は煮沸しなきゃ。オレのシャツのシミ、なんとかしてよ」 洗い上がりに関しては、ドイツ製の勝ちだな〜。 トイレットペーパー 私「ドイツ製のはカタイのが多くない?」 夫「日本のは引っ張るとすぐちぎれてヤダ!」 スプーン 夫「日本のティースプーンは小さくて持ちづらい!」 私「それはお気の毒に」 まな板 私「ドイツのまな板は小さくて使いづらい!」 夫「ふーん、そうなの?」 タオル 私「ドイツには使いやすい、手ぬぐいサイズのタオルがない」 夫「日本のタオルは薄っぺらくて、吸水性に乏しいぞ」 ダイニングテーブル&チェアー 夫「日本のは低すぎて、膝がつかえる!」 私「ドイツのは高すぎて、足がブラブラする〜」 とまあ、いろいろあります。異人種間共同生活はなにかとメンドウです。 関係ありませんが、自宅の本棚スペースに余裕がなくなって本を増やせないので、記録のために「ブクログ」を始めました。ご覧になっても何も面白くないと思いますが、一応「わいるどわ〜るど図書館」としてリンクしています。レビュー欄のコメントは書評ではなく、個人的な感想です。
息子は、最初の一年だけドイツの公立小学校へ通いました。その後日本へ来て、公立小学校に編入したのですが、日本の学校に子供を通わせていて、つくづく思うことは・・・
ドイツの学校生活のほうがずっとシンプルだ ということです。 一年生しか経験していないので、あまり多くは語れませんが、ドイツでは母親の私がすることは非常に限られていました。 「二時間目と三時間目の間の長い休み時間に食べるお弁当を用意する」 ただ、これだけです。 お弁当といっても、校庭で遊びながら食べる(!)ので、ナプキンもフォークも何も必要なく、中身はサンドイッチ、クラッカー、りんご丸ごと、生のにんじん一本などを無造作にタッパーに入れるだけです。5分もあれば用意できるし、子供が自分で用意することもできます。 それ以外に私がしたこと・・・一年の間に二回か三回、保護者会があったように記憶していますが、あとは何かあったっけな?一年生だったので、宿題は数分で済ませられるもので、金曜日は宿題なし。夏休みもクリスマス休みも宿題はありません。 お便りも、行事も、ないに等しかった。連絡網もありません。教科書は国語と算数だけ、子供はリコーダーもピアニカも計算セットも通学帽も上履きも何も持っていないので、忘れ物をしないように気をつけてやる必要もありません。 ところが日本の小学校では、親はやることがいっぱい! 各種持ち物を揃え、それに名前をつけ、時間割りに応じてランドセルの詰め替えを行わせ、名札をつけさせ、帽子を被らせ、週一度上履きを洗い、週何度か体操着を洗い、連絡帳にハンコを押し、音読カードにハンコを押し、毎日たくさんのお便りに目を通し、尿検査やギョウチュウ検査を提出させ、授業参観や行事に出席し、プールのある日には熱を測ってカードに書き入れ、短縮授業や時間割変更を把握し、家庭訪問のため家を掃除し、図工の材料を準備し、集金袋にお金を入れ、運動会の小道具作りをし・・・エトセトラ、エトセトラ。 やることが多いのは、もちろん親だけではありません。日本の小学校の先生は、クラス全員の宿題をチェックし、テストの採点をし、全員の連絡帳にハンコを押し、お便りを作成して配り、学校全体あるいはクラスの「今月のめあて」「今週のめあて」を達成させるよう努力し、今日の日直は誰、給食当番は誰、掃除当番は・・・ということを気にし、体操着や上履きを持ち帰るよう指導し、席替えを実施し、プールカード・持久走練習用健康カードその他の管理をし、集金をし、そろばんや習字道具の購入を取りまとめ、家庭訪問に行き、それからそれから・・・・ ということを、授業の準備・授業・職員会議と並行してやらなければならないのですから(子供のケンカの仲裁とかもあるのに・・・)、 日本の学校の先生ってなんて大変なの〜! って、驚嘆し、それをこなしている彼らに敬服します。 子ども自身だって、大変。ただ勉強していればいいんじゃなくて、常にいろんなことに注意を分散させていなければならない。 ここで、私、ハタと思い当たりました。 そういえば日本人って、器用な人が多いです。ドイツ人と比べて、だけど。ドイツ人はあまり同時にたくさんのことをしない気がします。たとえば、郵便局の窓口に行って「切手をください」と言っても、窓口の人は黙々と郵便物の処理をしていて顔も上げてくれないことがあります。聞こえなかったのかな、と思ってもう一度「すみません」。やはり無視。やっと手が開いたら、そのとき初めてこちらに気づいたかのように(というわけでもないだろうけど)、「こんにちは」と言ってやっと用件を聞いてくれます。 こういうのが私には最初、不思議でした。どうして一つの作業が終わるまで、他のことを一切しないのだろう? 日本の窓口とか受付って、こうではありません。顎で受話器を挟んで電話応対をしつつ、目はキーボードの文字を追い、手は書類の糊付け作業に忙しく動いていたりします。それどころか、複数の作業を同時進行でやっていても、「振込用紙はどちらですか」などと話しかけられれば、「あっち」と目くばせで教えてくれたりもする。 よく考えたら、結構すごいことかもしれません。 そうあるべきだ、っていう話じゃないんですけど。ただ、違うなあって。 もしかしたら、煩雑な学校生活の中で日本の子供は鍛えられるのかもしれないな〜、という気がしてきました。勉強だけじゃなくて、複数の細々したことに注意を分散させ、同時進行でたくさんをこなす訓練。 私の小学校時代は「忘れ物検査」「ちり紙・ハンカチ検査」「爪検査」などがあり、忘れるとバッテンをつけられたものですが、私はバッテンがすごく多い生徒でした。そして今も「うっかり忘れた」が非常に多くて・・・人様によく迷惑かけてます。(汗) 子供にお弁当を持たせるのを忘れたり、授業参観をあやうくすっぽかしそうになったりしてる、ダメ母なんです。 私、日本の学校で何を学んだんでしょうねえ。(ふぅ〜)
ふらんすさんの最新ブログ記事、甘やかしかどうか、考え方の違いに日本とフランスにおける病人に対する考え方の違いが書かれています。そこに、
という記述があって、なるほどと思いました。 また、ふらんすさんは、こうした考え方の違いは日仏の子育ての違いに通じるところがあるのではないか、と書いていらっしゃいますが、私も日本とドイツの子育ての違いに関して同じようなことを感じます。 我が家の場合、息子とその三歳下の娘は、それぞれドイツと日本で幼少期を過ごしています。私と夫の子育てのし方はしっかりドイツ風というわけでも、かといって純日本風というわけでもない中途半端なものだと思うのですが、不慣れなことをやるときには周囲の様子を伺いながら見よう見まねでやるので、必然的に息子はドイツ流育児の影響をより多く受け、娘の方はどちらかというと日本的な育てられ方をしているかもしれません。 ドイツの子育ては、「幼少時には厳しく躾け、大きくなるに従って少しづつ自由を与える」というのが基本で、子供は生まれたときから個室に寝かせられ、一日も早く自立するようにと早くから身の回りのことを自分させられます。最近ではドイツでも「権威的な育児はよくない」という考えが広まってきているようですが、それでも大人と子供のけじめをしっかりつける点にはこだわりを持っているように感じられました。 そんなドイツ人にとって、添い寝をしたり、公共の場にぐずる子供を連れ出したりという日本式の子育ては「子供を甘やかしている」ように映るようで、テレビや本などでも「日本では就学前の子供は何をやっても許されるが、大きくなると逆にやかましく躾けられて自由を与えられない」なんて、批判的に紹介されたりしていました。そんなわけで私も「厳しく躾けないと我儘になってしまうかな・・・」という不安で、ドイツ人ほどにはできなかったけれど、それなりに厳しくを心がけていたんです。 ところが日本に来て、「子供は小さいうちはありのままを受け入れてやり、思い切り甘えさせ、安心させてやることが大事だ」という考え方を知り、「う〜ん、それも一理あるかな」と思うように。だんだんそちらに傾いてきました。 実際のところはどうなのか、その子供にもよるのでしょうし、結論は出せません。同じ「厳しい育児」にもいろいろ種類があるでしょうし、また、「可愛がる」のと「甘やかす」のは違うという考えもあります。どっちが正しいという問題ではないんでしょうね、きっと。 ただ、ふと考えてしまったことがあるんです。「甘やかす」って何なのかな、と。ドイツから日本へ移動する旅の途中でのことです。ドイツから送った荷物が届くのに時間がかかるので、時間稼ぎのためにインドネシアのバリ島に寄り、そこで半月のバカンスを過ごしてから日本入りしたのですが、そのバリで私達夫婦は、現地の人の注目を集めるような変なことをしでかしてしまったのでした。 というのは・・・公共の場で子供を叱りつけてしまったんです。内容は忘れましたが、息子か娘のどちらかが親の言うことを聞かず、周囲に迷惑をかけるような行為をしたのだったと思います。 「ちゃんとしなさい!」だったか、 「何てことをするんだ!」だったか覚えていませんが、夫が怖い声で叱ったので、子供は泣きました。 そうしたら周りにいたバリ人達が目を丸くして一斉にこちらを見る。ものすごく驚いている様子。えっ、私達何か間違ったことしたかしら?なんだかきまりが悪くなって、そそくさとその場から逃げてきました。 その後、偶然にバリ人と結婚して現地に住んでいる日本女性と知り合う機会があったので、それとなく聞いてみたらやっぱり! 「バリでは、子供を泣かせることはよくないことで、泣いていれば人の子でもサッと駆け寄り、あやして泣き止ませるんですよ」 彼女はそう教えてくれました。 へえ〜っ、そうなのか〜〜〜。 転んで泣いても自分で起き上がらせよ、というドイツ式とは対照的です。バリ人のやり方をドイツ人が知ったら、「じゃあ、バリの子供はみんなすごい我儘なんでしょうね」と言うかしら。 でも、その時、ふとこんな考えが浮かびました。 「バリの人って、いつもおだやかな顔でニコニコ笑っていて、声を張り上げたり、ケンカしているのは見かけない。それに比べ、ドイツ人は不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、何かしらブツブツ不平を言っている人が多い。もしやそれって・・・・?」 それまでドイツ人の文句たれは、寒くて暗い気候のせいだと思っていたのですが、ひょっとしてひょっとすると、育てられ方にも原因があるのでは?チラッとそんな気がしてしまったんです。 子供の頃に、 「あれをしてはいけません」 「我慢しなさい」 「ちゃんとやりなさい」 「泣くんじゃない」 などといつも言われていると、心から満たされることが少なく、慢性的な欲求不満になり、文句たれの性格になってしまう!? そういう可能性ってあるでしょうか? 育児の専門的なことは何も知りませんし、自分の二人の子供のことしかわからないので、まったくの素朴な疑問に過ぎないのですが。
ted toyamaさんのブログ記事で少し前に紹介されていた本、「世界を見る目が変わる 50の事実」(ジェシカ・ウィリアムズ)を読み始めたところなんですが、すでに第二章目で「あ〜、そういえば・・・」と思い出したことが。
「肥満の人の三人に一人は発展途上国に住んでいる」と題されたその文章によると、肥満は先進国のみならず、発展途上国でも増えているそうです。全体的に世界で一番太っているのは太平洋諸島各国の住民で、かつての伝統的な食事が先進国では見向きもされなくなった安くて脂肪分の多い輸入食品に取って代わられたため、多くの人が危険なまでに太ることになってしまった!というんですよ。確かに太っていますね〜、あの辺りの人たち。 途上国ではありませんが、ドイツも肥満人口が多いです。子供の肥満もどんどん増えていて、糖尿病の危険もあるし、事態はかなり深刻になりつつあります。これだけ巷にジャンクフードが溢れていれば当然だよね〜と口にしたら、あるドイツ人にこうツッコミ入れられちゃいました。 「もとはと言えば日本がねえ・・・」 え?日本?日本が何関係あるってさ。日本は世界に名だたるヘルシーフードの国。 「いや、別に日本がってわけじゃないんだけど、ホラ、なんと言ったっけ。あの日本人の・・・グルタミン酸を発見した人」 えーと、池田博士でしたっけね。でもそれが何か? 「あんなものが発見されちゃったもんだから、エライことになったんよ。食品産業が飛びついて、いまやありとあらゆる食品に添加されちゃってるよね。も〜現代人は、誰も彼もグルタミン酸に依存してるでしょ。やめられない、とまらない状態だもんね。ジャンクフードやめましょうったって、そう簡単にはできないよな〜」 むむむ・・・ ま、グルタミン酸添加だけが肥満増加の原因じゃあないと思いますけどね。でも、やっぱりちょっとはあるのかなあ。 まさに世界規模の問題。それぞれの国でなんとかしましょっていうのじゃ、どうにもならないのかも〜。
昨日の記事に頂いたコメントにお返事を書いていて、ふと思い出したのですが、私には日系三世アメリカ人女性である友人がいます。
シェリルは純血の日系人ですが、日本語はまったくできず、日本へ来たこともありません。しぐさも態度も、どう見ても日本人でないように思えるのですが、ドイツでは「日本人のシェリル」と呼ばれていました。本人もそれを否定しません。私から見て、彼女が少しでも「日本人的」であるとすれば、それはご飯、醤油、海苔、ふりかけを常食としていたところだけ。 そんなシェリルがあるとき、こんなことを言い出したんです。 「私、25歳位のときに突然目がおかしくなっちゃって、それ以来治らないの」 「目が?どういうふうに?」 「あのね、昔は私の目ってこうだったの」と言って、彼女は指で瞼をびろーんと伸ばしてみせる。 「それが、ある日朝起きたらこうなっちゃってて・・・」と言って指を離す。 「びっくりして目医者に行ったんだけど、いくら説明しても医者は理解してくれなくて、結局そのままなの」 はあっ?それって・・・ ちょっと待ってて、と言ってシェリルは若い頃の写真を出してきて見せてくれました。見ると・・・やっぱり!! 彼女はかつて、一重瞼だったようです。 何かの拍子に突然一重瞼が二重瞼になることってありますよね。アメリカ人の彼女は「一重瞼」「二重瞼」という概念を知らなかったので、何事かと驚いて医者に相談に行った。しかし、やはりアメリカ人である医師にもそういう概念はなかったようです。いくら写真を見せて説明しても、白人である医者には一重瞼と二重瞼の区別がいっこうにつかない。 「何も変わらないじゃないですか。異常ないですよ」 その一言で終わってしまったそうです。 日本では、どちらかというと一重瞼よりも二重瞼のほうがよい、という考えがありますが、欧米人から見ると、一重でも二重でも日本人の目はどれも一様に細長くて、違いがあるようには見えないのかもしれません。 「日本人の瞼には蒙古襞というのがあって、そのため瞼の皮膚がぴーんと張るため、本来持っている瞼の二重の襞が伸びきっている場合がある。それを一重瞼と言う。でも、痩せて瞼の脂肪が落ちたり、年をとって皮膚の張力が下がると、伸びていた襞が表れて二重瞼になることがある」(これでいいんですよね?)と、シェリルに説明したら、 「ふ〜ん、そうなのー。知らんかった・・・」と驚いていました。
ドイツで子供を育てていて一番とまどったのは、離乳食の与え方についてです。息子が5ヶ月くらいになって、さあ離乳を始めましょうと思っても、一体何を与えたらいいのかわからないのです。日本だったらまずおかゆ?おかずはお豆腐や白身の魚などでしょうか。でもドイツでは、お魚やお豆腐はそう簡単には買えません。ではドイツ式にやりましょうとドイツ語の育児書を読んでみると、第一日目からお肉を与えると書いてあります。大人のお昼ご飯のような肉料理とじゃがいもと野菜の付け合せを全部一緒にミキサーにかけて、ドロドロにした風なものを与えるのだそう。エッ、お肉?とちょっとびっくり。スジがあったりして食べづらくはないのかしら・・・
本にはこうも書いてありました。 「赤ちゃんが一歳になるまでは、お魚は与えないようにしましょう」 これにはもっと仰天。 ドイツは瓶詰めのベビーフードの種類が豊富で、スーパーの棚一列分あったりするのですが、基本的には「肉入り料理」「果物のピューレ」「ミルク粥」がほとんどで、確かに魚入りは見当たりません。お魚って離乳食にはふさわしくないの?と首をかしげていましたが、フランスやイタリアへ旅行に行ったときにスーパーを覗いたら、なんのことはない。お魚入りベビーフード、ちゃんとありました。単にお国柄ということでしょうか。 晩御飯のミルク粥にバニラ味とかチョコレート味がついているのも、なんとなくピンと来ません。甘い物はおやつ、という固定観念があるもので。 ドイツの離乳食事情はこんな感じですが、前から気になってしかたがないことがあります。唐辛子をたっぷり入れた激辛料理を常食とする国では、赤ちゃんは何を食べるのでしょうか。たとえばタイとかスリランカとか。最初はバナナや白いご飯を与えればいいでしょうが、おかずは別に赤ちゃん用に辛くないものを作るんでしょうか。 韓国人のある人に、 「お子さん達、辛いお料理大丈夫ですか?」 と聞いてみたら、ええ、平気ですという返事が返ってきましたけど、いまだに半信半疑。韓国の子供って何歳ごろにキムチデビューするのかな。 日本の子供は一般に辛いものはダメですが、甘口のカレーくらいなら平気ですよね。でもドイツの赤ちゃんにあげたら食べませんでした。その子のお母さんにも、「赤ん坊に辛いものなんて」って嫌な顔をされました。 前に何かで読んだのですが、赤ちゃんは母親のお腹の中にいるときに羊水を飲んでいますが、羊水の中に母親が食べたものの味が溶け出しているので、常食する食べ物の味に生まれる前から慣れるんだとか。だからメキシコの赤ちゃんは唐辛子OKって書いてありました。本当なんでしょうか。 ドイツでは、赤ん坊が生まれると子供部屋に一人で寝かされるのが一般的です。我が家の場合は親の寝室にベビーベッドを置いたのですが、ドイツ人に話すとよく驚かれました。友人のウヴェは、「たとえ我が子といえども、個人的なスペースに入り込まれるのには抵抗がある」と言います。随分と冷たく聞こえるかもしれませんが、彼は冷たい性格の持ち主ではありません。人懐こくて子供好きな人です。 ウヴェの家では、下の子が生まれたら、その子のためにもう一部屋を用意しました。わざわざそのために広いアパートに引越しまでしたんです。 「お兄ちゃんと同じ部屋に寝かせればいいのに」 私はそう思ったのですが、赤ん坊であっても一人一人個別の空間が必要なのだと、ウヴェと奥さんのイリスは言うんです。 なんだかピンと来ませんでしたが、人の家のことなので「ふーん」で終わってしまいました。 さて、明日はうちの息子の学校の家庭訪問で、担任の先生がいらっしゃいます。片付けなくちゃ、ということで今日は大掃除。もしかしたら子供部屋も覗かれるかもと思い、二階に上がると、子供部屋はいつものごとく散らかり放題。まったくもう! 「いいかげん片付けなさ〜い!」 数日ごとに一応叱るのですが、 「僕が使ったんじゃないよ」 「散らかってるのは私のものじゃない」 責任のなすりあい。なんで僕ばっかり?なんで私が?キーキーギャーギャー。兄妹間でバトルが始まります。 あーあ、とため息つきたくなりますが、ドイツではこういう問題ってないのかな。一人一部屋ですから、それぞれが自分の部屋を片付ける。おしまい。散らかしたのはアイツなのに、自分が片付けさせられた!なんてカッカくることもないのでしょうか。しかし、日本の住宅事情では子供部屋があるだけ恵まれているんですから、衝突を避けるため部屋を分けるなんて無理。当人同士の間で折り合いをつけてもらうしかないなあ。 そういえばドイツの会社や店などでは、何か問題が起こると、それぞれのメンバーが「自分のせいではない」ことをアピールする傾向があります。レストランで注文したものと違うものが運ばれてきたからと、たまたま近くにいるウェイトレスに苦情を言うと、「あなたの座っているテーブルは私の担当ではありません」と言われてしまったりする。だってあなたもここの従業員でしょ、というのは通じないことが多い。連帯責任という考え方はドイツ人には希薄なように感じられます。「自分の責任の範囲はここからここまで」彼らのそんな意識の芽生えは、すでに子供部屋で始まっているのかもしれない・・・
「死ぬときには日本へ帰って死にたい」在外日本人がよく言うセリフ。
自分はどうかな?何が何でも日本でっていうのはないけど、お葬式はあげてもらいたいな〜。どういうお葬式?やっぱりお経唱えてくれたら嬉しいかも。って別に自分を仏教徒と認識しているわけでもないのですがね。なんとなく、それが一番自分にしっくりくるという程度です。だけど、もしドイツで死んだら、ドイツ式のお葬式になっちゃうんだろうなあ〜。私はキリスト教徒ではないので、教会ではお葬式をしてもらえませんから、葬儀屋さんによるシンプルなものになるのでしょう。まあそれもよし。でも一つ気になることが・・・ それは、お葬式までの間、冷蔵庫に入れられちゃうこと!ドイツにはお通夜というのはなくて、亡くなったらすぐに葬儀屋さんが遺体を引き取りに来ます。それから葬儀までの間、遺族は遺体を見ることはありません。どうもそれが嫌。焼かれるまでは家族の側に置いておいて欲しい。 しかも、亡くなってから葬儀までの日数がけっこう長いんです。葬儀屋のスケジュールというのがあるし、遺族個人個人のスケジュールもあるから、みんなの都合がつくまで待っていたら1〜2週間は平気で経過してしまう。その間、ずっと冷蔵庫ですよ。寂しすぎ〜。 知人のお葬式のときは、亡くなってからなんと5週間も経過していました。そんなに長い間はとうてい保存できないので、あらかじめ火葬して、葬儀は骨壷を埋めるだけでした。どうしてそんなに葬儀を遅らせたのかというと・・・生前お世話になった牧師さんに式をお願いしたところ、「もうすでにバカンスの予定を入れちゃったので」ということで、牧師さんが4週間のバカンスから戻るまで葬儀をとり行うことができなかったんです。 ドイツのお葬式では遺影も飾らないし、私がお葬式に抱いているイメージとはだいぶ違います。だから、ちょっと不安。土葬にも抵抗があります。最近は火葬も増えていますが、お墓自体も家族の墓地ではなく、個人のお墓で、数十年経過したら掘り返して潰してしまいます。お墓参りをする孫がいなくなったらもういいよね、ということなのでしょうか。 びっくりのお葬式といえば、こんなこともありました。バリ島の火葬を見に行ったときのこと。ご存知かと思いますが、バリ島のお葬式は「お祭り」のようなもので観光客も参加OKの場合が多いです。お棺はお御輿に載せて運ぶのですが、準備にはお金も時間もかかることから、普通は誰かが亡くなるといったん土葬し、準備が整ったら掘り起こして火葬にするようです。経済的に余裕のない家では、自分達で火葬の準備をせずに、村の有力者が亡くなったときに火葬に便乗させてもらうそうです。 お棺に火をつけ、遺体が燃える間、村人達はその辺に腰掛けて談笑しながら待っていました。時間がかかりそうだったので、私も座ろうと周りの人が腰を下ろしている場所にふと目をやり、あまりのことに飛び上がりそうになりました。だって・・・みんなが座っている、地面の盛り上がっているところって、土饅頭!そうです。その下にはお亡くなりになられた方が眠っているんですよ・・・罰当たりな気がして、どうしてもお尻を乗せる気にはなれませんでした。 いろいろなかたちがあると思いますが、お葬式くらいは自分のイメージに合ったものがいいなあ。まあ、自ら体験できるわけではありませんが。 |
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