わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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ジャングルの子

来月、息子が子供キャンプへ行くために必要な医者の証明書をもらいに、息子を医者へ連れて行きました。

受付を済ませ、待合室でしばらく待ち、名前を呼ばれたので診察室へ。診察はすぐに終わり、廊下へ出ました。ここまでは全部、無意識のうちに進んだのです。しかし、廊下へ出た瞬間に一瞬、フリーズ。

え~っと。これからどうすればいいんだっけ?

次に踏むステップがわからずに、立ち止まってオロオロ。もう一度待合室へ入るんだっけ?それとも受付へ?じゃなくて、もしかして、このまま帰っちゃっていいの?

久しぶりにドイツで医者へ行ったので、システムを忘れてました。受付で聞いてみたら、診察が終わった人はそのまま帰っていいんでした。診察費は保険で賄われるから。そう、そういえばそうだったわ~。

4年前に日本へ行って初めて医者にかかったときも、大失敗したんです。ドイツにいるときの感覚で、診察後、サッサと家に帰っちゃったんですよ。お金も払わないで。家に着くと留守番電話のランプが光ってて、「お金払いに戻って来てください!」と医院からのメッセージが入ってました。いやもう、冷や汗なんてもんじゃない。慌てて引き返して平謝り。勘違いしてましたなんて言ったって、信じてもらえるわけないし~。

誰でも知っていることがわからないのって、困ります。

でも、私なんかよりも、もっともっと大変だった人のお話を読みました。Dschungelkind日本語版はこちら

著者は五歳からの十数年を、両親、姉弟とともにイリアンジャヤ(インドネシア)のジャングルの中で過ごし、十七歳で文明社会に戻って来ます。両親の庇護のもと、幸せに過ごしたジャングルでの子供時代と、単身でヨーロッパに戻ってからの苦悩について書いています。前半のジャングルの部分は私にとって魅惑的でちょっと羨ましいお話。生きることの本質を感じる機会って、先進国で生活しているとあまりありませんからね。そして後半の、ヨーロッパへ戻ってからの激しいカルチャーショックとアイデンティティクライシスの部分は、私にもちょっとは経験があるだけに(程度は比較にならないけれど)、切なかったです。

異文化に接することは「視野が広がった」という快感をもたらすものであるけれど、同時に、今まで持っていたものの一部を永久に喪失することでもあるなあ、と思う。異文化に順応するとは、「別のシステムについていろいろ覚える」というだけではなく、「今まで絶対だと信じていたものが絶対ではないと知る」ことで、「ひとつの完結した世界の外に出て、外から中を覗くようになる」ことじゃないだろうか。

サビーネのHPのインタビューを見る限り、彼女の苦悩はまだ続いているのかなという印象を受けましたが、自らの物語を書き記し、公表することで、サビーネの内面はどう変化したのでしょうか。

近々、映画化の予定らしいです。



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  1. 2006/07/27(木) 02:16:46|
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いろんなお父さん

Kiasuさんの記事の「シンガポールでは父親は子供と体をはった遊びはしない」と言うのを読んで、とてもびっくりしてしまいました。

根拠はありませんが、なんとなーく、父親が子供とじゃれて遊ぶのって本能じゃないかと感じていました。でも、違うんですね。

私も子供の頃、よく父にお腹を思いっきりくすぐられて、笑い過ぎて「ひぃ~っ」となってるところを、フィニッシュに布団の上に放り投げられてました。ほとんど、毎日。その他にも、飛行機ブーンだとか、逆さに吊るされるだとか、いろいろありました。

シンガポールのお父さんはやらないんだ。そうか~。

人が思い浮かべる父親像って、その人自身の父親がベースになっているものなのだろうか。子供を持つようになり、夫が子供達と接しているのを見て、自分がイメージしていた父親像とはかなり違う夫に、「へえ~。こういうお父さんもいるんだね」と新鮮な感動を得たのをよく覚えています。

私の夫はひょろひょろとした外見に似合わず、結構サバイバル派。散歩とかハイキングなどに行くと、オフィシャルな遊歩道よりも、草むらをかきわけて進んだり、獣道を通ったりしたがります。「危険スレスレ」なことが好きで、登れそうなところにはとりあえず登ってみる、狭いところへも無理矢理入ってみる。そして、子供にお供させるんですよ。

臆病な私は、「そんなこと危ないからやめてぇ~」と最初は怖くてしかたがなかったけど、本人は「無理なことは絶対にしないから、大丈夫」と言うので、元兵隊として一通りの体験をしてきたことでもあるし、まあ、大丈夫だろうと信用することにしています。

父親との冒険から戻って来る時、子供達は「すっごい楽しかった~」と興奮気味に報告するんです。それで最近は、「私も連れてって~」になりました。夫が一緒ならとりあえず安心して、「ちょっと怖いこと」ができます。

それから夫は「修理屋父さん」。家の中の壊れたものを直すのが趣味です。土日は必ず何かしら直したり、改良したりしていて、子供達はそれを手伝わされてます。そうやって子供達は、私なんかは触ったこともないような、いろいろな工具の扱い方を覚えていってますね。

母親である私も、もちろん子供と一緒に遊んだり何かをすることはあるけど、危険が伴うかもしれない豪快な遊び方はできず、どうしても活動範囲が狭くなってしまいます。だから、夫が時間に余裕があるときに子供達と一緒に活動しているのを見るのが好きです。

外でバリバリとお仕事しているお父さんもかっこいいものだろうけど、個人的には「子供と多くの時間を共有するお父さん」がいいなあと思う。できればだけどね、できれば。

そういえば、いままでにたくさんの「かっこいいお父さん達」に遭遇して来ましたよ。

手先が器用で家中の家具は全部手作り、子供のために「ねぶた」まで作ってしまうお父さん。折り紙名人お父さん。子供の通う小学校に料理を作りに行くお父さん。ボランティアとして大勢の子供達を山登りに引率する山男お父さん。他にもたくさん.....

世の中にはいろんなお父さんがいるんだな~と、ちょっと感激したりして。

私のお父さん?

私の父は教師でした。勉強でわからないことがあると、父のところへ直行。参考書不要。子供の頃の私にとって、「お父さん」とは「何でも知っている人」のことでした。
  1. 2006/07/25(火) 04:18:11|
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お酒の飲み方

昨夜、「太鼓仲間と飲んでくる」と電話があってから約五時間後に帰宅した夫。

ふらぁ~と蝶のように居間へ入ってきたので「さては?」と思ったら、やっぱり酔っ払っていました。「寝るぅ~」とそのまま二階へ上がって寝てしまいました。

今朝、「オレ、どうやって帰ってきたんだっけ?覚えてない・・・」
これ、かなり珍しいことです。彼はお酒に強いので、滅多なことでは酔っ払いません。昨夜はよっぽど楽しかったんだろうな~。まあ、それはいいのですが。

知り合ってから今までに、夫が酔っ払ったのって全部で7、8回くらいしかないんですよね。そしてそれは全部、日本人と飲んだとき。ここが面白い。ドイツ人と飲んでいて酔うことはないんですよ。うちに来るドイツのお客さんにも、酔う人はいないですね。顔がほんのり赤くなる人すらいない。

ドイツ人が酔わないのは体質のせいでもあるし、酔うことを嫌うせいでもあると思うんですが、ドイツ人の夫も、日本人と飲むと酔っちゃう。不思議です。何が違うのかな。

ドイツ人同士だとそれぞれマイペースで飲みますが、日本では「お酌」をし合うから、ついつい飲む速度が速くなるからでしょうか。それとも、ドイツ人は同じお酒をずっと飲んでいることが多いけど、日本ではビール飲んでチューハイ飲んでポン酒も飲んで最後はウィスキーとか、ちゃんぽんにするから酔うんでしょうか。

お酒が飲めない私にはよくわかりませ~ん。

飲めないって、別に酔うわけではないんですが(実は私も酒に強い)、アルコールの味と匂いが苦手で飲めないのです。ドイツに住んでいたのにビールがダメ。日本人なのに日本酒もダメ。飲めるのはワイン少々のみ。美味しい・不味いもわかりません。って、若い頃には人並みに飲んでたんですが、何回か飲みすぎて二日酔いになって以来、すっかりダメになっちゃいました。

私の父は酔わない人だったので、酔った男の人の扱いにも慣れていません~。大体、身長194cmの夫に潰れられても私じゃ運べないし。なんとか自分で寝床まで行ってもらうしかありませんね。

まあ、いまのところそこまでグデングデンというのはないですけど。今週来週は、ほぼ連夜送別会だそうです。毎晩どんな様子で帰ってくることでしょうか。



  1. 2006/03/13(月) 23:18:45|
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ステレオタイプと国際結婚

どうして国際結婚をしようと思ったんですか
外国人男性と結婚してどうですか

よく聞かれることながら、これについて書くことをいままで避けてきました。でも、kiasuさんにしおさんが書いていらっしゃるので、私も思いきって書いてみようかな。

少し前になりますが、国際結婚を斡旋する会社の社長の書いた本を読みました。「書いてあることすべてに賛成というわけではないが、興味深い」と言って薦めてくださった方がいましたので。

内容を簡単に言ってしまうと「活発で自立した日本女性は日本で結婚相手を選ぶよりも、西洋人男性を狙った方がいい。日本女性は西洋人男性に人気が高く、ベストマッチ!

興味深く読んだことは確かなのですが、読後の感想を述べる勇気がありませんでした。自分も西洋人男性と結婚している身なので、コメントすると墓穴を掘りそうで怖くて・・・・

上記の主張ですが・・・う~ん。まあ、傾向としてはないとは言えないのかな。しかし、西洋人男性みんなが日本人女性と結婚したがっているかと言うと、決してそんなことはなくて、大概の人はやっぱり同じ国の女性を選ぶと思いますよ。



一番上の「どうして国際結婚をしたか」に戻りますと、どうしてしたか、もう覚えていないんです。日本人男性が嫌だから外国人と結婚したわけではなく、外国人男性をも視野に入れた結果、たまたまそうなったんだと思いますけど。そして、夫が外国人であるという部分に惹かれたというより、人物全体として気に入ったと思うんです。外国人男性は他にも身近にたくさんいましたが、結婚しようなんて思わなかったもの。

でも、最近若い金髪の男性とすれ違ったときなんかに、夫の若かった頃をフッと思い出す瞬間があり、「あれ?私ってやっぱりブロンドの男性が好きなのかな?」なんて思ったりします。いやらしいおばさんのような発言で恐縮ですが、私は金髪男性に外見的魅力を感じるのかもしれないです。でもこれは、同じ日本人男性を見るときにも、「背が高い人が好き」とか「恰幅のいい人がタイプ」とか誰でも好みってあるでしょう。単にそういうレベルのことであって、別に金髪フェチとかそんなんじゃないですよ。

外国人男性と結婚してどうか」。どうということもないです、正直に。確かに言葉や文化背景が違うとすんなり通じなくて苦労することは多いです。でも、異文化間結婚だから逆に相手に多くを期待しない、自分と違っていても「相手はガイジンだからそうなのね」で済んでしまうこともあり、苦労と気楽さはプラスマイナスゼロくらいの感じです。二人の間では、案外どうとでもなってしまうんじゃないでしょうか。お互い、いいと思って結婚したんだから。

うまく行かないケースもそりゃあるでしょうが、それは同国人間の結婚も同じ。二人の間のことよりも、周囲との関係で悩む場合の方が多い気がしますが、どうでしょうか。

それで、前述の本の「活発で自立した日本女性は日本男性よりも西洋人男性をパートナーにしたほうが幸せになれる」という主張なんですが、これってもしかして褒められているのかしらと思うけれど、裏を返すと悪口だったりもするんですよね。

西洋人と結婚する女はじゃじゃ馬ばかり。日本では嫁の貰い手がないから、仕方なくガイジンに貰ってもらったのさ。ガイジンの男は美人とブスの区別もつかないからな~

日本人男性側からのそういうコメント、よく耳にしましたよ。面と向かって言われたことはありませんが。いままで西洋人男性と結婚した日本女性にたくさん出会って来ましたが、その方達が売れ残りのブスであるという印象を私は持ったことないです。でもこれも、言うと自己弁護みたいですね・・・・やっぱりコメントしない方が身のためかな。

まあ、なんと思われてもいいけれど。

それに、日本女性は世界中で人気、と言うけれど、外国人女性からも高く評価されているというわけではなさそう。あるとき夫が高校の同級生だった女性に道でバッタリ会ってこう言われたそうです。

聞いたわよ。アジア女と結婚したんだってね。あなたって意外とマッチョだったのね。がっかりしたわ

ち、違うってー!と心の中で叫んだそうです。

また、同性からもしょっちゅう言われるそうです。
お前、うまいことやったよな~。日本人の奥さんなんて、いい身分じゃん。羨ましいぜ

ち、違うー!ぜんっぜん違うっ!うちの奥さん、いつも夫にかしずくなんてしませんからー!って言うらしいですよ。

私も言われます。日本人女性から、こんなふうに。
いいわよねえ。ガイジンさんって家庭的で、家事だって手伝ってくれるんでしょう。それにひきかえうちのダンナは何もしないのよ

違います。そういう西洋人男性も確かにいますが、うちは違います。

残業ばっかり、出張ばっかり、飲み会ばっかり。口を開けば仕事の話。家事なんて一切しません。

いろいろいます、日本人女性にも、西洋人男性にも。そして何故か世界中で「あまり人気がない」らしい日本人男性にも。私には弟が二人いますが、私は彼らが人間としてとても好きです。弟ですから異性としては見ませんが、きっと素敵な男性なのだろうと思っています。

「○○人女性(男性)とは・・・・」というステレオタイプには、言い得ている部分もありそうですが、これからパートナーをお探しの方には、あまりイメージに縛られずにお付合いなさることをお薦めしますわ。






  1. 2006/03/01(水) 22:23:30|
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幼児教育の違い

今日、図書館へ行ったら推薦図書のコーナーにデンマークについて書かれた本が置いてありました。

パラパラと立ち読みしただけなので、タイトルは忘れてしまいましたが、幸福度世界一(なんだそうです)の国の社会制度を紹介するという内容でした。幸福度云々のことはよく知りませんが、教育について書かれた部分があったので、そこだけざっと斜め読み。

幼稚園には入園式もなければ卒園式もない。子どもは自由きままに遊ぶだけ。義務も強制もほとんどなし」というようなことが書かれていたので、ふと息子が通ったドイツの幼稚園のことを思い出しました。息子の園もそうでした。

娘の保育園卒園を目前にして、日本とドイツの習慣の違いをつくづく感じます。日本では卒園式というのはビッグイベントではないでしょうか。卒園児も在園児も式に向けて練習するし、保護者も謝恩会の準備や園に残す記念品作りなど忙しい。当日は親子でスーツなど着込んで、晴れがましい気持ちで会場へ向かう。

ドイツの幼稚園の最後の日がどうだったか、あまり記憶に残っていません。普通にお迎えに行って、保母さんに「今日が最後ね~。学校が楽しいといいね」と言われて子どもは握手あるいは抱っこしてもらいバイバイ。そんな感じだったでしょうか。「今までお世話になりました」と挨拶したのは覚えています。お礼のプレゼントを渡したような気もします。でも、あまり覚えていない。

在園中もこれと言って特筆すべきイベントはありませんでした。行事といえばクリスマス会とバザーがあったくらいです。保護者も出かけていって子ども達の出し物を見たり、バザーではケーキを寄付したり、当日の販売のお手伝いをしたりしますが、義務ではありません。

お手伝いのできる人は名前を書いてください
という貼り紙がしてあっただけ。いつの間にか、表は名前で埋まっていました。

そういえば日本の幼稚園や保育園って、「明るく思いやりのある子を育てる」とか「自立心を養う」とか、スローガンのようなものを掲げていたりしますが、ドイツでは聞いたことがありません。現在娘が通っている園は、日本ではどちらかというと異色の保育園で読み書きや英語などのお勉強はいっさいせず、子どもの意思や意欲を尊重するという点で、ドイツの幼稚園(保育園)と似た部分が多いのです。それでも、一般的な幼稚園とはまた違った意味での「気合い」をひしひしと感じます。お勉強はしないけれど課題はたくさんあり、目標の達成のために頑張ろう、エイエイオー!という雰囲気があります。

息子の園では、そういう「気合い」のようなものはありませんでした。三年間の園生活で「○○ができるようになった」ということも特別なかった気がします。いいえ、もちろんたくさんあったはずですが、意識しませんでした。息子はただ楽しく毎日幼稚園へ通っただけ。

学校に入ってからは「PTA」もありましたが、息子の学校ではいつも決まった人がやっているようで、持ち回りで役員をやる制度はなく、保護者会に全然参加しない保護者もいましたが、「あの人はちっとも来ない」などと批判されてはいなかったよう。その人の勝手。

と言うより、「保護者はこうあるべき」という考え方が希薄だった気がします。

日本では、
「親は子どもに愛情のこもったお弁当を持たせることが望ましい」
「持ち物は手作りであることが望ましい」
「忙しくても、子どものために積極的に活動することが望ましい」
とか、いろいろありますね。実践していない人も多いと思うけれど、暗黙のプレッシャーは存在する。プレッシャーを与えているのが園や学校なのか、親同士が互いにプレッシャーをかけ合っているのかは不明ですが。

フランクフルトの日本人幼稚園で、お弁当に何を入れたらよいか困って日本人お惣菜宅配業者の運んでくるおかずをそのまま入れる母親が増えたら、「業者のおかずを入れないように。おかずは手作りのものを」と学校が保護者にお便りを出した、なんて聞いたことあります。

ドイツにも特定の理念に基づいた教育を実践している教育機関はあり、そういうところでは似たようなプレッシャーもあるのかもしれません。

でも、一般的には日本ほどは気合が入っていないように思う。

随分と違うものです。







  1. 2006/02/28(火) 22:30:24|
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いつまで添い寝?

Ryoさんの「いつから独り寝?」にトラックバックします。

子どもはいつから一人寝をするものなのか。あるいは、そうさせるべきなのか。

私、さっぱりわかりません。うちの娘、すでに6歳ですが、いまだに「川の字寝」です。いつまでこれが続くんだろうなあ~と思いながら、一人で寝かせるように仕向けていないのです。

息子が生まれたときには、最初からベビーベッドに寝かせました。周りのドイツ人が皆そうしていたので、そういうものかと思って。でも、ベビーベッドは自分達の寝室内に置きました。もし夜中に赤ん坊が病気にでもなって、それに気づかなかったらと思うと怖ろしく、別室にはできませんでした。

幸い、夜泣きは一切しない子でした。夜、パジャマを着せてベッドに寝かせ、「オヤスミ」と言えば一人で寝ました。そういう点ではとても楽な子だったんです。

だから、子ども連れで泊まりに来た日本人のお客さんに「うちの子はまだ一人で寝られないんです」なんて言われると(ほとんどの家族がそう)、「え~、どうして?」ってちょっとびっくり。甘やかしているんじゃないのかな~、なんて心の中でつぶやいていました。「子どもなんて最初から一人寝させればそれで大丈夫なのに」ってね。

えらそうなことを考えていたくせに、娘が生まれたら我が家の状況も一転。生まれた瞬間から一人寝を拒否されました。産院に入院中、娘は一度も新生児室で寝てくれず(抱くまで泣き止まないので)、ずっと添い寝だったのです。

退院してからもベビーベッドをきっぱりと拒否。とにかく頑として一人寝を受け入れません。そしてそのまま現在に至ってます・・・

これ、ドイツ的にはまずありえない。実際、ドイツ人の友人・知人・親戚からはかなり批判されてます。私も「マズイな~」と思っていたのですが、そのうち日本に引越して来たら、こちらでは誰でもやっていることなので、「まあいいか」になってしまいました。いえ、「まあいいか」どころか、いつのまにか「このほうがいいな~」という気分にシフトしてます。

夫はかなり長いこと、「どうしてこの子はいつまでたっても一人で寝られないんだ!」と怒って、夜中に娘を子ども部屋に運んだりしていましたが、運んでも運んでも戻って来ちゃうんですよね。最近は夫も、もう何も言いません。

しかしもうすぐドイツに戻りますから、やっぱりこのままではいけないのかなと少々不安になり、先日言ってみました。

「いいかげん、なんとかしなくちゃいけないよね?」
すると夫は、
「いいんじゃないのー?このままで、別に」
「え?だって、ドイツではいけないことだって言ってたでしょ」
「そうだけど~。でも、大丈夫だよ~」
「前はあんなに怒ってたじゃない」
「うん・・・でもさ~、あと何年一緒に寝られるのかなと思ったら、無理に追い出さなくてもね・・・」

彼も完全に添い寝志向にシフトしちゃってますね。

「それに日本の家は寒いから、くっついて寝ないと耐えられないんだよー」
ああ、そういう理由もあったのね。日本の添い寝習慣には。

結局、添い寝をすることの是非はいまだにわかりません。我が家では夫婦の方針が決まらないまま、子どもの意思でこうなってしまいました。まあ、そのうち自分で決めて一人で寝るようになるでしょうが、ずっと添い寝を続けたことが人格形成にどういう影響を与えるものか、見当がつきません。

今では、娘のみならず時折り息子までが寝室に割り込んできても文句を言わなくなった夫なのですが、それでも絶対に許容できないことが一つだけあります。

母親と子ども達が一緒に寝て、父親は別室」というスタイル。

これだけは何故か絶対に絶対に嫌だそうです。












  1. 2006/02/11(土) 18:41:43|
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謝るべきかどうかの基準

インフルエンザウィルスの家庭内蔓延のため、家に監禁状態が続いています。娘は復活してきましたが、息子の方は長期戦になりそう。

というのは、彼は薬を受け付けない体質なのです。強い薬をのむと、お腹をやられて吐くわ下すわになり、もともとの病気の症状よりずっと辛いということになってしまう。医者もそれを知っているので、今回は抗ウィルス剤も抗生物質もなし。症状緩和の薬のみ処方されました。しかし、それすらもダメですね。お腹ゴロゴロ、ピーピーで何も食べられません。もうただひたすら自然治癒を待つのみです。

一体この監禁生活はいつまで続くのか。わくわくふわくさんに「病気のときは、やらなければならないことはせず、やりたいことだけやっていると治る」と言って頂いたので、もう開き直ることにしました。引越しなどどうとでもなる。好きなことをやって暮らすことにします。

さて、先日nyf1403さんのブログで「ドイツ人ってあんまり謝らないよね」ということが話題になっていました。それでちょっと考えていたんですが、前回のエントリーとも関連して気づいたことが一つ。

日本では相変わらず次から次へといろんな事件が世間を賑わしていますね。報道を見て(聴いて?読んで?)いると、そこにあるパターンが見られます。

世間を騒がす人って、最初の頃は大抵かなり強気。「これくらい誰でもやってるじゃないか。なにがいけないんだ」という風に。でも、そのうち世間が「人に迷惑をかけておきながらその態度はけしからん!反省の色が見えない!」と怒り出すと、急に人が変わったようにしおらしくなって、平謝りモードになるなあ~。(本当にヤバイことをした人は、簡単に謝らないみたいですけど)

ドイツ人も国民から批判を受けて反省コメントとか謝罪コメントをすることってたまにありますが、もっと淡々としているような。そんなに極端に態度が変化することってあるだろうか。

それで思ったんですけど、日本人はよく謝る民族と言われるけれど、もしかして日本人にとって「謝るべきか、謝らなくてよいか」の基準は、行為そのものの善悪よりも、「人様に不快な思いをさせたかどうか」なんじゃないだろうか。

正しくない行為をしても、誰もそれを気にしていないようであれば、それほど悪いことをしたという意識はない。なんだかみんな怒ってるらしいということになって初めて、「やべぇ!マズいことしたらしい・・・」と思う。

っていう傾向ってないかな。

というよりも、日本人にとっての善悪の基準の一つがそもそも「他人に嫌な思いをさせるかどうか」なのかも。相手を怒らせた、不快にさせた、ということが既に「悪いこと」なので、そういう事態になったら謝らなくてはならない。

自分の落ち度とははっきり言えない状況でも、相手が不快に違いないと思うと「すみません」と謝らずにはいられず、謝られた方は「相手を恐縮させてしまった」のは悪いことなので、「いえいえ、こちらこそすみません」と謝り、最初の側は「自分が謝ったことで相手を逆に恐縮させてしまって悪い」と恐縮し・・・・と延々と謝罪のピンポンを繰り返す。

このような感覚を持たない民族から見ると、不思議な光景なんでしょうね。

かなり以前、夫がまだ日本人のメンタリティをよくわかっていなかった頃。ふとテレビをつけると、昼メロやっていました。三角関係の話で、女がはっきりしないから全員が傷ついただかなんだか、そういう筋。

女「私のせいよ!」
男1「何、言ってるんだ。悪いのは僕だ!」
女「いいえ、あなたは悪くなんかないわ。私が・・・私が・・・」
男1「自分を責めるのはやめるんだ。ああ、僕さえいなければこんなことには・・・」

とかなんとか泣きながら揉みあっていると、バーンとドアが開いて、もう一人の男が乱入。

男2「違うんだ!何もかも俺のせいなんだっ」

夫はそれを見ながら、目をパチクリしていました。
「何やってんの、コイツラ。あほじゃないの・・・・」
  1. 2006/02/08(水) 11:48:57|
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私もスシネタに参加

Kiasuさんすまいるさんアキツさんのスシ談義に私も加わらせてくださいな。

私の夫は自他共に認めるスシフリークです。一週間に最低一度はスシを食べないと禁断症状が出る、毎日、いや一日二食スシだって平気というツワモノです。

もちろんそんなに頻繁にお寿司屋さんへ行く経済的余裕は我が家になし。というか、まともなお寿司屋さんに家族で行ったことは一度もないかも。もっぱら、回転寿司またはお持ち帰り寿司。美味しいお寿司は会社の飲み会で食べてきてね。

私はお寿司はそれほど好きではありません。嫌いじゃないけど、別に格別食べたいとも思わない。でも夫がなんちゃってスシフリークなので、ドイツに帰って「がってん寿司」に行かれなくなったら厄介だなあ~と心配してました。

ですからベルリンに転勤の話が出た時点で、早速ベルリン市内のスシレストランをネットで検索したのです。いや~、出るわ出るわ。Sushiと名前のつく店だけで70軒くらいヒット。ドイツでもスシの人気は衰えを知らず、スシバーは増える一方とはわかっていたけどここまでとは。

数あるスシバーの大部分は日本人から見た合格基準に達していないと想像がつきますが、これだけあればまともなお店だってあるに違いない。とりあえず一安心。

実際にベルリン市内を歩いて見たら、さらにビックリ。右も左もスシスシスシスシ・・・・な~んでこんなにスシ屋ばかりなの!?というぐらい目につきました。だけど思ったとおり、日本人ではない他のアジア人が経営してるところが多いようでした。以前から韓国料理屋が日本料理屋も兼ねている店はしばしば見ましたが、ベルリンでよく見たのは・・・

Thai-Sushi Restaurant

う~ん。タイ料理と一緒ですかー。まあ、いいけどね。

私は自分が食べるなら、日本のお寿司に近いものが食べたいですけど、お寿司が現地化してもOK派です。アキツさんもおっしゃっているように、日本人だって外国料理をどんどん日本化しているもん。中華などは、私、もしかして本場の味より和製中華の方が好きかも・・・って思ってます。(でも日本のピッツァは嫌い)

欧米人のしょうゆドボドボ、わさびベタベタは見ていて「ううう...」ではありますが、私が作ったわけじゃないから許す。

そういえば、ポツダムのレストランでこういうの食べましたよ。

サーモンロール 生姜とえんどう豆のサラダ わさびナッツ添え

スモークサーモンをくるくる巻きにして、海苔をその上から巻いてあります。その横に、お寿司についている「がり」とさっとゆがいたえんどう豆を一緒に千切りにしたものが添えられている。そしてまわりには「わさびナッツ」。わさびナッツって、小さくて丸いお煎餅の中にピーナツが入っているの、ありますよね。あれのワサビ風味。そして、全体には砂糖醤油のようなタレがかかっていました。

一口食べたところで、
夫「どう?味は?」
私「うーん。ちょっと待ってもう一口」
夫「どう?」
私「う~~ん。まだよくわからない」
夫「どう?」
私「う~~~~~~~~~ん」
うんうん唸っているうちに、全部食べてしまいました。

美味しいとは言えないが、美味しくないとも言えない。知っている味とは言えないが、知らない味とも言えない。「失敗料理」のようでもあり、「懐かしの味」のようでもあり・・・

創作料理なんでしょうけどね。日本人として日本の食材に先入観があるためか、今ひとつ感動できませんでした。

でも、いいんじゃないでしょうか。同じ物ばかり食べているよりは。どんどん実験して意外な味、絶妙なハーモニーを創り出してもらえたらと思います。

  1. 2006/01/23(月) 10:00:14|
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国民性やその他いろいろについて

最近、Ryoさんのブログ「必至にいろいろ考える」をよく読ませて頂いています。Ryoさんはバリ島の生活の中で感じたこと、気づいたことなどを書いていらっしゃいます。

いつも、「う~ん。なるほどそうなのか。そういう考え方があったのか」と感心し、それまでの自分の考え方を振り返ったりしています。とても興味深いです。

私はドイツだけでなく、アジア各国の文化や考え方にも関心がありますが、長年ドイツに住んでいたのでどうしてもドイツとの比較で日本を見てしまいます。ドイツ的な感覚からすると日本人は、「論理的というよりむしろ情緒的」で、「個人主義というよりもむしろ集団志向」で、「能動的というよりもむしろ受身的」で、「白黒明白というよりも曖昧」で、それでもって「自己が相対的」。

これじゃ、まさにクリシェそのものではないか~、と自分でも少々うんざりし、「もっと別の発見はないのだろうか」と思うのですが、人から聞いたことの受け売りばかりというわけでもなく、本当にそのように感じてしまう自分。

Ryoさんは「日本人とは云々・・・」と論じられているわけではなく、ご自身の生き方、考え方について再考するというスタンスでいらっしゃいますが、エントリーを読んでいると、日本で生きてきたという共通のバックグラウンドを持つ私やその他の日本人をも含めた考察であるとも感じられ、非常に考えさせられるのです。

そして、バリ島という社会文化の中から見た日本は、私がドイツというフィルターを通して見る日本とは違う。ときには全く逆のようにすら見えます。

物事って、実体があるようでない。物事は見る角度や比較するものによって違って見える。そんな当たり前のことに改めて気づきます。

しかし、人間である以上、物事についてなんらかの印象や意見を持つのは自然なことで、また、何も意見を持たなければ行動することもできないのですよね。意見は持たなければいけないが、自分の意見は「絶対」ではないということを常に念頭に置いておく。これって、とってもムズカシイ!

ドイツの大学では文化人類学を専攻していましたが、ドイツ人学生達が○○族について、など議論しているときに、日本というフィルターを通して○○族を見ている私にはドイツ人の議論がとんでもなくとんちんかんに感じられたことがありました。

私が何かについて日本人やドイツ人と議論しているときも、たとえばインド人などからすれば、怖ろしく的外れに聞こえたりもするのだろうなあ~。

と、ちょっと恥ずかしくなりました。

これからも、読む方によってはとんちんかんな理論を展開するかもしれませんが、どうかご勘弁くださいね。
  1. 2006/01/22(日) 12:10:16|
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散歩

今朝、朝食の後で夫が、
「今日は工場じゃなくて東京オフィスの日だよ」と。

それは、私に駅まで車で送っていけということを意味します。普段は家から工場まで自分で運転して行っていますが、週に二度ほど都内の本社へ行かなければならず、そのときには私が駅まで送るのです。

家から最寄駅までは、私の足で約10分。夫のコンパスの長さだと7~8分もあれば充分。決して歩けない距離ではありません。実際、私は歯医者や買い物で電車を使うときに歩いていますしね。でも夫には「遠すぎる~」。まあ、たいして手間でもないので、送ってあげますけど。

私自身も横着な人間なので、彼をとやかく言うわけではないんですが、駅で夫を降ろして「行ってらっしゃ~い!」と見送ったところで、思わずぷっと吹き出してしまいました。

だってね、普段は数百メートル先の店に買い物に行くのにも車を使う人なのに、週末になると「散歩、散歩!」とムキになるんだもん。

夫に限らず、ドイツでは散歩好きな人が多く、週末の散歩は国民のスポーツとまで言われているくらいですが、私が週末散歩を断ると、夫は「どうして行かないの?」と、さも理解に苦しむという顔をするんですよね。

私「だって毎日歩いているんだから、週末くらい歩かなくてもいいでしょ」
ドイツでは私、車の免許を持っていませんでしたから、いつも徒歩でした。日常生活の中で日々歩いていれば、なにもわざわざ「まとめ歩き」することもない。

ドイツで人の家にお邪魔すると、お茶やケーキを出してもらってしばし歓談の後、
「じゃ、そろそろ散歩に行きましょうか」
となることが多いです。これが最初は不思議で。わざわざ家に遊びに来たのに、何故また外へ行くのか。

お天気がよければ、それもまたよし。でも、天気が悪くても行くのには、なかなか慣れませんでした。ママ友達に「子ども達を遊ばせながらお茶でも飲もう」と家に招かれ、「今日は寒いし雨が降りそうだから、さすがに散歩には行かないだろう」と思って出かけて行くと、玄関に入るなり、「なんだか雨が降りそうだから、今のうちに散歩に行ってしまいましょうよ」と言われたりして。そこまでして行かなくちゃいけないの?とウンザリすることも。

大学の文化人類学科の仲間と田舎へ春合宿に行ったときも、まだ花もない寒々とした草原を皆で歩きました。世界のあらゆる奇妙な文化や習慣について議論しながら。私も仕方なく、ジャンバーのポケットに手を突っ込み背中を丸めて歩いていましたが、思わず口にしてしまった。

あ~あ。なんでドイツ人って散歩に行くんだろう!

若きドイツの文化人類学者達、ここで初めてドイツの奇妙な習慣に気づいたようでした。

とは言うものの。森や広々とした公園の中の散歩というものは、お天気さえよければ、とても気持ちがよいものです。私も長年のドイツ生活で散歩熱ウィルスに感染したのか、長い間散歩に行かないでいるとどうも調子が悪いのです。

しかし今住んでいるこの町では、住宅街の中をおばさんが用もなく一人でウロウロしてるとおかしいし、犬を連れているわけでもないのに土手をぶらぶらするのも妙だったりで、なかなか適当な散歩コースが見つかりません。固いコンクリートの上を長時間歩くのも疲れる。

そんなわけで、ドイツに帰って森へ散歩に行くのがちょっぴり楽しみだったりします・・・



  1. 2006/01/20(金) 10:03:40|
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