わいるどわ~るど 

異文化好き好奇心人間の世界考察ブログ

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わいるどわ~るどを終了致します

本ブログ「わいるどわ~るど」開設から1年8ヶ月が経過しました。

駄文をさんざん書いて来ましたが、もうそろそろいい加減にしようかなと思います。延々と書き続けることもできますが、開設時に旅の経験や異文化について書き綴るつもりでつけたタイトルも、その後少しづつ方向が変わってきて、あまりしっくり来なくなったので、引きずるのもこの辺で....と考えまして。

コメントをくださる方々の顔ぶれも時間とともに変わって来ましたが、開設当初からずっと続けて読んでくださっている方も中にはいらっしゃるかもしれません。常連となってくださった方にも、偶然迷い込んで読んでくださった方にも、厚くお礼を申し上げます。とても楽しく、有意義な時間をみなさんと過ごさせて頂きました。実際にお目にかかることがなくても、リアルな世界と同じように、あるいはそれ以上に深い交流ができるのだなあと感激しております。

と言っても、これでブログ界を去るわけではないので、引き続きみなさんのブログにはお邪魔してコメントでおつきあいさせて頂こうと図々しく思っています。それに、また別の形でブログを再開するかもしれないしね......

みなさん、たいへんお世話になりました。(うっ。なんだか急に悲しくなって来た.....)



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  1. 2006/09/10(日) 05:35:37|
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少しじっと座っていなさい!

先日、夫の母に本を一冊プレゼントされました。「面白かったから、よかったら読んでみて」と。

「Sitz doch endlich still! Mein Leben mit drei hyperaktiven Kindern (少しじっと座っていなさい! ー 三人の多動児との生活)」

三人のお子さんが全員、そして後に自らもADHD(注意欠陥多動性障害)であると診断を下された著者が、家族の障害に気づき、治療により困難な状況を克服していくまでの手記。

夫の母は元保育士で、障害児施設に長いこと勤務していた経験もあって、このような本に自然と関心を持ったのだと思いますが、表題を見て、孫息子のことが頭をかすめたというのもきっとあったでしょう。うちの息子、ほんとうにじっとしていないものですから。

夫が子供の頃、義母も彼の落ち着きのなさには相当に手を焼いたそうです。小さい頃の夫はとても衝動的で、そのためかなり怪我が多かったらしい。あるとき、子供をどうしても人に預けなければならない用事があって、近所の人にお願いしたら、
「こんなクレイジーな子を一人産む代わりに、普通の子を二人産んだ方がよかったんじゃない?」と後で嫌みを言われたこともあるとか。学校に入ってからも、「息子さんの態度が悪い」と担任からしょっちゅう呼び出しくらってたそうなんですね。

そして孫は見事に息子のコピー。
「ビアンカ、あなたも大変ね。わかるわ、その状況」
そう言われるんです。

ADHDというのは以前から聞いたことが合って、「もしや....?」と思ったこともあるのですが、少し調べてみた範囲では、やっぱりちょっと違うなという感じでした。今回薦めてもらったこの本を読んで、描写されているFelix君の赤ちゃん期の様子が息子のそれと酷似していたのでびっくりしましたが、その後の生活の部分はあまり当てはまらず、ADHDの基本的な特徴と言われる「注意力散漫」「衝動性」「多動」のうち、息子の場合、衝動性と多動の傾向は強いものの、「何にも集中できない」というのは完全に違います。

ADHDにもいろんなタイプがあるそうなので、素人に簡単に判断がつくものでもないでしょうが、個人的に知っているADHDのお子さん数人とも息子はかなり違うし、結局、自分達の状況と照らし合わせて「目からうろこ」という感じではありませんでした。それに、学校を変わってから息子は目に見えて落ち着いて来たので、この頃はあまり心配していません。

でも、この本、とても興味深く読みました。母親である著者は三人の子供が学校で問題児扱いを受け、周囲からさんざん苦情を言われ、仲間はずれにされ、おまけにカウンセラーや心理セラピスト達からことごとく、「お子さんがこうなったのは、母親のあなたの躾けが間違っているから」「あなたの愛情が足りないから」「あなたの接し方が悪いから」「あなたの精神状態がよくないから、子供がトラウマになる」など言われ続け、悩み、親としての自信を失って行く。そして長い闘いの末、ようやく診断が下され、投薬治療によって状況が大きく改善されます。しかしそこでもまた、「ADHDなんて、子育てがうまくできないことの言い訳」だとか、「子供に薬を与えて静かにさせるなんて、ドーピングと同じ」という批判の目に曝され、苦悩する。

ADHDに限らず、昔なら「変な子」「どうしようもない子」と見られて終わっていたのが、実は特定の先天性もしくは後天性の原因による障害であることが明らかになるケースが増えていますね。セラピーによって困難な状況が取り除かれたり、周囲の理解が得られるのはよいことでしょう。

でも、とても難しいですね。障害ってそもそもなんなのか、と考えると。

私なりの理解では、世の中には健常者と障害を持つ人の二種類の人間がいるのではなく、人間には知的にであれ、身体的にであれ、それぞれ特徴が必ずあって、その特徴がある一定以上に目立って、その結果社会の中で生活するのが難しくなった場合、それを「障害」と呼んでいるのだ、とそう思っているのですが、そうではないのでしょうか。

そして、「普通の人」とはあらゆる意味で平均的な人のことで、実際にはあらゆる面で平均的な人なんて滅多にいない。たとえば私の「日付/時間間違い癖」なんて、人から見ればかなり異常なことだろうと思うし.....

「○○症候群」という名称が与えられると、その特徴は「病気」や「障害」として扱われるようになって、そこに医学的定義が存在するようになるのでしょうが、異常であるということの定義だって、時代背景や文化によっても相当に誤差が生じそうだから、普遍的なものとは言えない。

複雑だなあと思います。

何かの困難にぶつかった人にとって、原因を知ることは状況克服の助けになるのでしょう。そして今のところ困難にぶつかっていない人にとっては、「世の中にはいろんな人がいて、何が普通であるかは簡単には定義できない」と心に留めておくことが助けになるのかもしれない。

そんなふうに思いました。


  1. 2006/08/18(金) 22:08:20|
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食の許容範囲

先週末の三連休には友人家族が遊びに来ていました。旦那さんは夫の古くからの親友で、奥さんと私も親友、子ども達も仲良し。住んでいる場所は数百キロ離れていても、年に数回は行き来し、バカンスも一緒に過ごす友達です。

この友達一家と会うのはいつも楽しみなんだけど、実はちょっと厄介なことがあります。っていうのは、彼ら日本食が全然ダメです。いや、中華もインド料理もダメ。洋食以外全部ダメ。だから、一日二日のときはいいけど、何日も一緒に食を共にする場合、メニューを何にしていいか悩みます。

彼らが料理をするときはいいんですよ。私達、合わせられるから。問題は私が作るとき。

彼の方は、好きじゃないものでも出されればちょっとは食べますが、彼女はまるっきり手をつけませんの。日本食は慣れない素材が多いから抵抗があっても仕方あるまいと思って、日本食は一切出さないことにしてるんです。それでは洋食ならいいのかと言うと、これまた好き嫌いが異様に多くて、肉はフィレしか無理、魚介類は絶対無理、あれは無理これも無理。困っちゃうな~。

まあね、食べないのは彼女の問題ですから、私が困ることはないんですけどね。

そして彼らの子ども達も恐ろしい偏食です。どうせ知らない物は食べないだろうからと思って、ドイツの子どもがよく食べるものしか用意しません。それでも、「このパンは白すぎるから嫌い、あのパンは黒すぎるから嫌い」と好みがうるさい。嫌いなものが多そうだからと、いろんな(普段買わないような結構高い)ハムを10種類近く並べてるのに、「いいハムがない~」と食べない。スパゲッティを作っても、「ソースなしにして~」。じゃあ、ヨーグルトでも食べなさいと冷蔵庫から出してやると、「果肉の入ってるのは嫌い。入ってないのないの?」

もう知らんよ。

母親が偏食で限られた食品しか食卓に上らないなら、これも当然かもしれませんな。うちはみんな舌が肥えているとはとても言い難いけど、食の幅を広げることに積極的で、「知らないものを食べてみる」のが好きなので「味見もせずに拒否」というのは不思議。だから、いろいろ食べてみた方が楽しいのにね~と思わないわけでもないけど、特定のものしか食べない人はそれで満足しているわけで、「美味しいものいっぱいあるのに食べないなんて人生損してるわね~」と同情するのは余計なお節介なわけで、本人が望む食生活を送っているならそれでいいわけで。

この「未知の食べ物にどう反応するか」って、その土地にどういう食べ物があるかとか、家庭でどんなものを与えられているかなどが影響しているのは間違いないけど、遺伝的要素も大きい気がします。うちの息子は好き嫌いがなくてよく食べるんですが、単に嫌いなものがなく食欲旺盛というだけでなく、個々の食べ物に異様なほどの関心を示します。テーブルにつくといつも、キリンのように首を伸ばしてどんな食べ物があるかチェックするし、食べる前から舌なめずりしてるし、「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」という言葉を発せずに食事を終えることはないし、お腹がいっぱいでも必ず全種類のおかずを網羅したかどうかにこだわるんです。

これは我が家の食育の成果ではなくて、どうも生まれつきみたい。

初めて離乳食をあげたとき。「離乳食のあげ方」という本には、最初からいきなり大量にあげるのではなく、最初の日はスプーン一匙から始めましょう、毎日少しづつ量を増やしていきましょうと書いてありました。初めての経験で何を食べさせたらいいかわからないから、とりあえずベビーフードのニンジンペーストを買ってみました。瓶のラベルには、防腐剤が入っていないから開けたらすぐに食べきるように、とある。ああ、一口しかあげないで残りは捨てるなんてもったいない~。

そう思ってスプーンを息子の口に差し込むと、ごっくんと飲み込んでまた口を開けました。あ、もっと食べたいのね、もう一口だけいいよね。ごっくん。期待に満ちた目をしてまた口を開ける。いいよね、もうちょっとだけ。ごっくん。本人が食べたがるだけ与えても大丈夫だよね?ごっくん。

結局、一瓶全部食べちゃった~。彼の食い意地は育ちのせいじゃないです、多分そういう遺伝子です。

世の中には「新奇探索傾向」の強い人と「損害回避傾向」の強い人がいるらしいですが、味覚に関してもきっとそういうのがあるんだろうなあ。ゲテモノ食いの人、食わず嫌いの人。

どっちが得なんだろう?未知の食べ物にどんどん挑戦する人は、驚きとそれにともなう喜びを味わう機会が多いけど、毒キノコなんかをうっかり食べて死ぬ確率も高い。しかし、未知の物を食べてみる勇気ある人がいなければ、それが食べられるか食べられないか永遠にわからないのだから、そういう人のお陰で人間の食生活の幅は広がって来たんですよね。特定のものしか摂取しないとなると、食糧難に陥りやすい。つまり珍しい食べ物好きな人は、人類の存続に貢献するってわけか~。

まあ、どっちでもいいです。厳選された食生活でも、バラエティに飛んだ食生活でも、自分の食べたいように食べられるのは恵まれたこと。そうできない場合だってあるんですものね。感謝しつつ、我々家族は未知の食品の探索に励むこととします。







  1. 2006/06/10(土) 04:53:55|
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言語と人格

子ども達と三人でベルリンから日本に帰ってきたところです。

夫は早速フランクフルトで一仕事あるそうで、フランクフルト空港で別れました。帰って来たら、ここには全く違う現実があります。さっきまで「私たちって本当に日本に住んでいるんだっけ?」という感じだったのに、家の鍵を開けて中に入った途端、ドイツへ行っていたなんて夢のよう。

自宅のお風呂に入って、
「やっぱり現住所のあるところが自分にとっての現実かしら?」
と感じました。

家族でドイツに滞在したのは久しぶりでしたが、滞在中、私はある奇妙な感覚にずっとつきまとわれていました。

なんか、家族がいつもと違う!

埼玉での家族の生活をしきっているのは私です。経済的には夫が大黒柱なのですが、言葉や習慣に不慣れなため、日常の雑事のほとんどは私の担当。

夫はもともとは毒舌でどちらかというとクールな印象の人なんですが、日本では言葉がたどたどしく、受け答えがとんちんかんだったりするので、「ほのぼのおとぼけキャラクター」で通っています。

それがドイツの地を踏んだ途端、バリバリテキパキ男に変身。日本語のときの倍くらいの早口で複数の交渉をこなし、日本では発揮できなかったブラックユーモアも全開。

「そういえば、この人ってそうだった~」
忘れてました・・・

私はといえば、子どものようにぼやーっと一緒に座っているだけで何の役にも立たず。日本では個性が強いほうで、どこにいても割合目立つタイプなのですが、ドイツに戻れば、「おとなしく無個性で人畜無害な日本女」ですよ。(ホントです)

息子は普段も活発な子ですが、ドイツではさらにいきいきとして、スチュワーデスだろうが、レストランのウェイターだろうが、誰でもお構いなしに話しかけています。飄々として生意気で、ユーモラス。三年日本に住んでも、息子はやっぱりドイツの子なのでしょうか。自信に満ちて見えました。

娘も滞在の終わり頃にはずいぶん流暢にドイツ語を話していましたが、ドイツ語を話す彼女は私にはなんだか「知らない子」のようで、とても不思議な思いで眺めていたのです。いつもの娘の「切れ味の良さ」はなりを潜め、単純で無邪気な女の子がそこにいました。

話す言語が違うと、人の印象ってこんなにも違うのでしょうか。

日本語を話すときとドイツ語を話すときとで、私達家族の人格が変わると言ってしまうのは、言いすぎかもしれません。何語を話そうとも、人格はきっと一つだけなのだと思う。

でも、何かが違う。

なんとも形容しがたい変な気分です。




  1. 2006/01/07(土) 23:38:26|
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失敗は成功のもと!

「失敗は成功のもとっ!」
よく、小さな子ども達が言っています。

そういえば、私も子どもの頃にはよくそう言っていましたね。でも、最近は言いません。なんででしょ。

そんなことをふと思い、以前panicsさんがブログで紹介されていた「失敗学のすすめ」という本を手に取ってみました。プロローグはこんな感じです。(抜粋)

人は失敗から学び、さらに考えを深めて行きます。(中略)失敗はとかくマイナスにみられがちですが、じつは新たな創造の種となる貴重な体験なのです。
 いまの日本の教育現場を見てみますと、残念なことに「失敗は成功のもと」「失敗は成功の母」という考え方が、ほとんど取り入れていないことに気づきます。それどころか、重視されているのは、決められた設問への解を最短で出す方法、「こうすればうまくいく」「失敗しない」ことを学ぶ方法ばかりです。(中略)
 創造力を身につける上でまず第一に必要なのは、決められた課題に解を出すことではなく、自分で課題を設定する能力です。あたえられた課題の答えのみを最短のみちのりで出していく、いまの日本人が慣れ親しんでいる学習法では、少なくともいまの時代に求められている真の創造力を身につけることはできません



ごく当たり前のことという気もしますが、改めて言われるとちょっと考えてみたくなります。そういえば、今の世の中、ハウツー本が多いですね。「初めてでも失敗しない~作り」「成功する~法」というタイトルの本、すごーく多いですね。

 「こうすればうまくいく」といういわば陽の世界の知識伝達によって新たにつくりだせるものは、結局はマネでしかありません。ところが、「こうやるとまずくなる」という陰の世界の知識伝達によって、まずくなる必然性を知って企画することは、人と同じ失敗をする時間と手間を省き、前の人よりも一ランク上の創造の次元から企画をスタートさせることができます



つまり、失敗することは自分自身の創造力を高めるチャンスであるばかりでなく、失敗談を公表することで人の為にもなるということですね。これも当たり前のようでいて、なかなかできません。でも今後は、失敗しても転機の訪れだとポジティブに考えるように心がけようかな。

しかし、世の中がどんどん複雑化して、時間に追われて生活していると、一つ一つのことにじっくりと時間をかけていられないから、手っ取り早く目的を達成する方法をつい考えてしまうんでしょうね。子どもの頃は時間が無限にある気がして、合理性など追求しませんでしたけど。

今の自分の生活において、本当に試行錯誤しながらやっていることって育児くらいでしょうか。そういえば、私の子育て奮闘を観察していた母が、あるときこんなことを言いました。

「私がもし今、もう一度子育てをするとしたら、今度こそうまくやれそうな気がするな~」

そ、それって.....私たち姉弟は失敗作でしたってことなのかい。なんだか、笑うに笑えませんでしたが。私も子育てに自信が持てるようになるのは、孫を持つ頃なんでしょうか。それもなんだかね~。

ま、それはおいといて、この本の著者は面白い提案をしていました。
「失敗博物館」を作ってはどうか。
失敗を公共のものとして、みんなで有効利用する。いいかもしれません。

当ブログに晒している私の数々の失敗談も、どなたかのお役に立てばいいんですがね.....
  1. 2005/11/17(木) 13:05:11|
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モンテッソーリについて教えてください

読者のみなさんにお願いです。

どなたか、「モンテッソーリ・スクール」について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、教えてください。

コメントでもメールでも結構です。よろしくお願いいたします。
  1. 2005/10/18(火) 19:43:07|
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何色が好き?

だいぶ前になりますが、夫とこんな会話をしました。

夫「ねえねえ。知ってる?アメリカでは、赤い車に乗ってるドライバーは自動車保険の保険料が高いんだって!」
私「なにそれー」
夫「赤を好む人間は攻撃的だから、事故を起こしやすいんだって」
私「えー、そうなの?」
夫「でもさ、オレみたいに中古の車しか買わないヤツって、色なんかあまり気にしないよね。たまたま安かったから買ったのが赤だったってこともあるよね」
私「そういえば、うちも前に赤い車乗ってたね~」

本当にアメリカでは赤い車のドライバーの保険料が高いのか、真相は定かでありませんが、「色と心理の関係」ってちょっと気になっていました。

女性誌によく、「あなたのパーソナルカラーは?」というお洒落アドバイスを見かけます。人を「春夏秋冬」の四つのタイプに分け、似合う色を判断する、あれです。

私は秋タイプ。確かにオレンジやブラウン、ゴールドなどが似合います。でも私、これには不服なんだ!本当は、好きな色は青や緑。水を連想する色が大好きです。それなのに似合わない。残念~。

最近、色彩心理の本を見てみましたところ、いろいろ面白いことが書かれていました。

ロールシャッハテストというのがありますよね。色のついた図版を見て、何が見えるかを答えるもの。そのときに、図版の色と形のどちらにより強く反応したかで、その人の性格がある程度わかるらしい。

色により強く反応する人は、「感受性が豊かで表現力があり、突然の環境変化にも心の動きをコントロールでき、他者とも暖かい人間関係が構築できる」そう。一般に、色は情緒的側面、形は知的側面に結びつくとか・・・

そして、赤や黄色などの暖色に反応する人は、愛情欲求、敵意を外に向かって示そうとするタイプで、行動力があり、自らが環境に積極的に働きかけようとするタイプ。青や緑などの寒色に反応する人は、自己に対して抑制が強い場合や依存的欲求がある。

エッ?私って、抑制・依存タイプ・・・?

みなさんはどうですか?

子どもの絵の色彩とそこに表れる心理というのも、よく研究されているようですね。

白は警戒心と失敗感。
黒は恐怖と抑圧。
赤は興奮・活動・不満・攻撃
オレンジは強い愛情欲求
黄は愛情欲求・依存
黄土は劣等感
茶色は物的欲求
緑は心労・衰弱・悲哀
青は服従心・義務感・自生・自立
紫は疾病障害

へえ~という感じです。

でもだからと言って、素人が中途半端な知識で、色彩から子どもの心理を読もうとするとちょっと危ないかも・・・

こんなことがありました。小学校1年生の私は、友達と二人で、お菓子の包み紙を画用紙にペタペタ貼りつけて遊んでいました。包み紙は色とりどり。赤・黄色・ピンク・緑・紫・青・・・
友達がサッとテーブルに手を伸ばしました。
「あたし、これがいい~!」
綺麗な色を全部、取ってしまいました。残ったのは陰気な色ばかり。でも、「私もきれいな色がいい」とは言えなかったんです。しかたがないので、貼りました。青・紫・茶色・黒ばかりを。

そこへ父が入ってきて、私たちの作品に目をやり、さっと顔を曇らせた。
「ビアンカ。お前は、そんな暗い色ばかり好んで・・・・」
ああ、どうしよう。娘には何か問題がある!父の当惑を感じました。「たまたまその色を選ぶしかなかった」んだけどなー。

それから、こういうことも。子供の頃、私はお日さまを黄色く塗っていました。だって、黄色く見えたから。
「ビアンカちゃん、お日さまは赤でしょう」
幼稚園の先生に叱られました。でもどうして?私には太陽は赤く見えないのに。
「やっぱり、うちの娘には問題が・・・」
父は心配したかもしれません。

でも、ドイツでは、大抵の子は太陽を黄色く塗るんですね。それを発見して拍子抜けしちゃった。別に私がおかしいってわけじゃないのね。多分、日本人の多くにとって、お日さまは赤いイメージなのでしょう。日の丸も赤いし。色のイメージって、文化によっても違うんですよね。

人間の色彩に対する反応は、本能的な部分と、文化による部分と、実際的な部分などが複雑に絡み合っているのでしょう。
  1. 2005/10/16(日) 00:33:43|
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暮らしやすさランキング

昨日、毎日新聞のウェブサイトを覗いたら、「インテリジェンスの業界レポート 暮らしやすい国、暮らしやすい県」という記事見出しが目につき、思わず読んでしまいました。

「暮らしやすい国」1位はアイルランド。これは、英エコノミスト誌が国内総生産(GDP)、経済の安定、治安、家庭生活などを基準に求めた「暮らしやすい国」ランキングの結果。アイルランドは世界第4位のGDPを誇り、家族や共同体の結びつきが強いことなどが評価された。2位にスイス、3位ノルウェーと続き、日本は17位にランクインしている。


ですって。

アイルランドが一位ですか・・・アイルランドといえば「豊かな自然に恵まれたのんびりとした場所」というイメージがあり、いつか旅行で訪れてみたいとは思っていましたが、「移住したい」と思ったことはなかったので、ちょっと意外。二位のスイスにも少々驚きました。そりゃ風光明媚でしょう、なんたってスイスだもん。でも、物価が高いし、食べ物の種類はドイツより全然少ないと聞いていたので、やはり「旅行で行けばそれでいいかな」と思っていました。

こういうランキングって、どの程度意味のあるものかわかりませんし、結局は個人の主観だと思うのでたいしてあてにはしませんが、少しは気になるので、The Economist誌の元記事The worlds' best countryをチェックしてみたところ、「住みやすい国ランキング」の上位十国はなんと全部ヨーロッパの国ですよー。

しかし、ランキング表の順位を見ても、私にはどうもピンと来ませんでした。ちなみにこのブログによくコメントをくださる皆様の住んでいらっしゃる国の順位は、イタリア8位、アメリカ13位、フランス25位、ドイツ26位、イギリス29位、韓国30位ですよ。どうでしょう、妥当ですか?それとも、とんでもない?

さらに、私は毎日新聞の記事の「埼玉県は暮らしにくい県全国ナンバー1」にもビックリ!記事によると、このランキングは経済企画庁の「豊かさ指標」をもとにしたもので、結果に対しかなり不満の声が上がったため発表を中止したようですが、埼玉県がそんなに悪評高いなんて全く知らんかった~。(騒がれた頃、日本にいませんでしたので)

私、埼玉を「なっかなかえーところ!」って思っていましたがね~。まあ確かに、今ひとつこれといった特徴はないですが、可もなく不可もなく適度で暮らしやすいんじゃないかな。埼玉県人は素朴でおっとりとした人が多い気がしますし。

埼玉も広いので、他の地域のことはわかりませんが、少なくとも私達が現在住む埼玉西部は、都内に出るのにそれほど不便でもないし、その反面、家の近くにもまだまだ田園風景が残り、ちょっと車を走らせれば山や川がたくさんあって、子どもたちも自然の中で遊ぶことができます。だから、結構いい線いってるんです。

もしかしたら、私の「住みやすさ」の基準が、他の多くの人たちの基準とズレているのかもしれませんけどね。

そんなわけで総合的には埼玉の暮らしが気に入っている私ですが、今度引っ越すときには何を基準に住む場所を選びたいかというと・・・

広くて、景色の綺麗なところ

これに尽きます。(あ、あくまで理想なので、実現するかどうかは別です)

かつては「交通の便のよいところ、大型書店のあるところ」が絶対条件でしたが、こちらへ来てから車の免許を取ったし、今はamazonもありますから、多少不便でも緑の多いところがいいな~と思っています。

みなさんの基準は?

  1. 2005/07/25(月) 13:42:07|
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外国に暮らす

「遠い日本からはるばるドイツに来たなんて、勇気あるね~」
ドイツにいた頃、よく言われました。

でも、それほど勇気はないんです。私が日本を離れ、外国で生活するようになったのは、一大決心の末ではありませんでした。楽しそうだなと思って、行っただけ。

「あなたは何処ででも生きていけるんでしょう?」
これもよく言われます。どうかな?どこででも生きていけるのかな?よくわかりません。色々な場所で生活するのが好きですし、言葉を覚えるのも好き、習慣や文化の違いも楽しむほうではありますが、どんな環境でも全くOKかと聞かれると、ちょっと自信ないかな~。

12年に渡るドイツ生活も、山あり谷ありでした。今日はそのお話。日本を離れてからの私の時間はこんなふうに流れていったのです。

渡独時~滞在3ヶ月  すべてがキラキラ期 
行ったのが夏だったので、気候よし、景色も最高で、見るものすべてが輝いて見えた。ドイツ語学校に通い始めて、ルンルン楽しい毎日。

3ヶ月~6ヶ月 なんだよ、この国は!期
最初の興奮が醒め、アラが見えてきた。無礼なドイツの店員に憤慨!ドイツ語も難しくて、ちっとも上達しないっ。いーよ、ドイツ語なんてもうやめるから。英語で話すもんね。それに、秋になったらやたらと寒くて風邪ひいた!もうイヤッ、こんなところ。

6ヶ月~1年 やっぱり頑張るぞ期 
ふてくされてロクに勉強もせず過ごしていたが、あるとき大型書店の前を通りかかり、ふら~っと中に入ってしまう。店内は素敵な装丁の本で溢れている。それを見ていたら目に涙がにじんできた。「世の中にはこんなにたくさん本があるのに、私には読めないなんて・・・ぐやじいよ~」発奮して猛勉強。

1年~5年 希望に燃え燃え期
ドイツ語が上達してきたら、友達もできて楽しくなってきた~。習慣の違いにも慣れたし、この調子ならすべてうまく行くわ。バッチリ順応、ドイツ語だって頑張ればネイティブ化するはず!

5年~8年 忙しくて何にも考えてないよ期
子どもが生まれて育児に忙しく、ドイツがどう、日本がどうなんて考える暇はなし。とにかく子どもを追っかけて、その合間に翻訳の仕事して、大学のレポート書いて・・・

8年~10年 結局だめかも期
いくら頑張ったところで、私は所詮外国人。もういい加減、言葉に不自由はしなくなったけど、でもやっぱり感覚的にドイツに完全同化はできないわ。バックグラウンドが違うんだから・・・昔流行った歌謡曲も知らないし、日曜学校にも通ってなかったし。みんなの話に無理して合わせるの疲れるよ。

10~12年 お願い、一回帰らして期
年がら年中外国語喋って、脳みそ酷使し過ぎ。ちょっと休憩したい~。子ども達、頼むから日本語覚えてくれ!せめてお前達くらいは、お母さんと文化共有してね。ドイツもいいところだけど、日本でみんなで温泉入って、花火見たいね~。

12~14年 やっぱり日本最高!期
美味しい~!楽しい~!寒くな~い!コンビニもファミレスもあるし、便利便利っ。帰ってきてよかったー。

14年~現在 考えてみりゃドイツはいいとこだった期
日本は楽しいけど、ちょっとめまぐるしいわ。それに暑過ぎ~。たまにはドイツみたいに、週末は家族でのんびりっていうのもいいかも。庭の芝生でバーベキューとかさ・・・
日本では今「スローライフ」なんて流行って、環境に敏感な人が増えてきている。意識の高い日本の奥さんたちは「これ、体にいいから」ってドイツから輸入した無添加グッズ使ってるんだね。う~ん、ドイツにいた頃は当たり前すぎて深く考えたことなかったけど、恵まれた環境にいたんだねー。

とまあ、こんな感じでございます。

来年はいよいよドイツへ帰国。どのような展開が待っているのでしょう。私は腹をくくってドイツの地に安住できるのか?夫はどうでしょう。
「あ~、日本語の勉強しなくてよくなって、せいせいしたわ」と喜ぶか、あるいは・・・
スシ食いてえ~っ」と悶えるのか。
子ども達は!?

まだまだ先が見えない我が家です。

  1. 2005/07/22(金) 21:20:25|
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人に言えないこと

「私はどこからどう見ても、まったく普通の人間です」

そう自信を持って言える自称平均人間ってどのくらいいるのだろう。自分を異常な人間だと考える人は、多分ほとんどいないだろうけど、「基本的には普通。でも、この部分に関しては、みんなとはかなり違う。その点に限っては少数派」って思っている人は案外多いんじゃないでしょうか。

いろんな方のブログを拝見するようになって気づいたのですが、「ここの部分が自分は人とちょっと違います」ということをオープンにしているブロガーがたくさんいます。

違う部分というのは、例えば、世間ではどちらかというと否定的に受け止められがちな病気や性癖であったり、幸せとは言い難い過去であったり、一般的ではないライフスタイルであったり・・・

実生活ではなかなか語られることのない側面が、ブログに記されている。普段は、「こんなことを話すと相手がびっくりしたり、戸惑ったり、自分に嫌悪感を抱くんじゃないか」と思って言えないことも、匿名のブログでは案外さらりと書くことができる。実生活では、よほど親しくなって信頼関係が築かれて初めて、「実はね・・・」と切り出すことでも、ブログならプロフィール欄に書いちゃったりして。

ブログの利点の一つなのじゃないかな、と思うんです。

初対面の人にいきなり「私は癌です」と言われたら、戸惑います。癌の話をされるとどう返事していいか悩むし、かといってその話題を避けることは、その人の大きな一部を無視するようで不自然だし・・・

ブログなら、その人の話したいことを黙って読むだけでいい。コメントする義務はありません。「ゲイです」「鬱病です」「風俗譲です」「痔です」「破産しました」「リストラされました」etc...いろいろあると思うんです。その人は「○○であること」について綴っているかもしれないし、○○については特別話題にせず、単に一個人としての日常や考えを書き記しているかもしれません。○○ではない、いわゆる「普通」の人がそんな日記を読んだらどう思うかな。
「○○であるって、そういうことなのか~」
「この人、○○だそうだけど、考えてることは私と同じだわ」
「○○の人って、なんか得体が知れないと思ってたけど、別に普通なのね」
多分、こんな感じ?

人に言えないことを「告白する」本は昔からありました。でも、それはあくまでも「告白」であり、勇気のいることだと思います。そして、そういう本を読むことも、ちょっと勇気のいることなのではないかしら。

ブログであまり意識することなく様々なことを語ることができ、様々なことを知ることができるのって、社会を柔軟にするのに役立っているんじゃないかな~。誰しも未知のことにはどうしても恐れや不審感を抱くものですが、知ってみればどうってことないことが多いんですよね。

私もかつては人に驚かれたことがあります。
「あの人、ガイジンのカレシがいるんだって!」って。
でも今じゃ、好奇の目で見られることはほとんどありません。パートナーが外国人だって、どってことないさ。みんなの意識がそう変わって来たから。

いろんな人の心に触れていくうちに、先入観や偏見が少しづつほぐれていく・・・

そうだったらいいんだけど。



  1. 2005/07/16(土) 21:39:09|
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