本ブログ「わいるどわ~るど」開設から1年8ヶ月が経過しました。
駄文をさんざん書いて来ましたが、もうそろそろいい加減にしようかなと思います。延々と書き続けることもできますが、開設時に旅の経験や異文化について書き綴るつもりでつけたタイトルも、その後少しづつ方向が変わってきて、あまりしっくり来なくなったので、引きずるのもこの辺で....と考えまして。
コメントをくださる方々の顔ぶれも時間とともに変わって来ましたが、開設当初からずっと続けて読んでくださっている方も中にはいらっしゃるかもしれません。常連となってくださった方にも、偶然迷い込んで読んでくださった方にも、厚くお礼を申し上げます。とても楽しく、有意義な時間をみなさんと過ごさせて頂きました。実際にお目にかかることがなくても、リアルな世界と同じように、あるいはそれ以上に深い交流ができるのだなあと感激しております。
と言っても、これでブログ界を去るわけではないので、引き続きみなさんのブログにはお邪魔してコメントでおつきあいさせて頂こうと図々しく思っています。それに、また別の形でブログを再開するかもしれないしね......
みなさん、たいへんお世話になりました。(うっ。なんだか急に悲しくなって来た.....)
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- 2006/09/10(日) 05:35:37|
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ドイツに戻って来てから未解決のままになっていた問題がようやく解決しました。
なんちゃって、問題っていうのは大袈裟ですが......
「美味しい魚介類が、安く入手できるようになった。それも宅配で!」
我が家の近くには鮮魚の買えるところがなくて、わざわざベルリンにまで買い出しに行っていたのですが、高いし、面倒だし、新鮮じゃないときもあって、それが残念でした。
ところが、こういうサービスがあったんですね~。
お魚料理専門のコックさんの独自ルートで、港からポツダムへ鮮魚が直送されます。(冷凍ではありません、生です)ベルリン、ポツダムでの宅配(個配です)は水、木、金、土の4回。毎週火曜日にファックスまたはメールで送られて来る「お魚リスト」を見て注文するシステムです。それもレシピつき!このコックさん、Svenは私の友達の友達なので、私も注文してみたのですが、質も値段も大満足でした。お魚の種類はそのときによって変わるようですが、白身のお魚各種の他に、鮭、イカ、エビ、カニ、貝類もありますよ。
HPはこちらです。
お知らせでした。
- 2006/09/06(水) 05:40:41|
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本で教育コンセプトを知り、「うちの子どもに合いそうだな」と思って選んだモンテッソーリ学校ですが、実際にその教育法がどのようなかたちで実践されているのか、具体的なことは知らないまま、子ども達を通わせることになりました。
息子が転入して5ヶ月。その間に保護者会や行事などが何度かあり、子どもや保護者の話などから少しづつ様子がわかって来た。それをご紹介しようかなと思います。
普通とはかなり違った教育法が何をもたらすのか、私にはもちろんまだわかりません。これから疑問に思うことや、うまくいかないことが出て来るかもしれませんが、「こういう学校もある」という一つの例として書いていきますね。
モンテッソーリ教育の中心にある考えは、
「子どもが、自主的に、自分のペースで学ぶ」ということ。
自主的にというのは、「やりなさい」と言われてやるのではなく、自分で「やろう」と思って勉強するってことですね。教師の役目は指示を出したり、勉強を教えることではなく、生徒が自分で学ぶように環境を整え、観察し、必要な場所でサポートすること。
ですから、いわゆる「全員が黒板に向かって先生の説明を聞く」という授業形態ではなく、各自が自分で選んだ内容のことをします。教える人がいないのに、どうやって計算のしかたやアルファベットを覚えるのか?と不思議でしたが、教室には特別に開発された各種のモンテッソーリ教具があり、生徒達はそれらの教具で自習します。モンテッソーリ教具というのは、指導する大人がいなくても子どもが自然に学べるようにできていて、間違うと子どもが自分で間違いに気づくように作られているそうです。
自分のペースで、というのは、今月にはこれとこれをやって、その次の月はここまで進んで....という予定が組まれていないということ。
ええっ?自分の好きなことを自分のペースでだなんて、それじゃあメチャクチャじゃないの?子ども達は学ぶべきことをちゃんと学べるの?という疑問が沸いて来る。でも、実はこうなっています。それぞれの学年には達成すべき目標が設定されている。学年の初めに、生徒はそれぞれ記録帳を手渡され、そこには一年間でどのような能力を習得すべきがが書かれているが、どういう順番で、それぞれの過程にどの程度の時間をかけるかは自由。どういう内容の学習をし、何が達成されたかを、生徒はそこに記録していきます。教師はこまめにそれをチェックし、進捗状況を確認し、必要に応じてアドバイスする。
「学年の終わりに目標が達成されていなかったらどうするんですか?」と私は先生に質問してしまいました。
日本の学校ならば、不完全燃焼のまま次の学年に進み、新たな課題、目標を与えられる。つまり落ちこぼれる。ドイツの一般校ならば、落第して、学年を最初からやり直す。つまり、わかっていることまでやり直さなくてはならない。それってちょっとやる気が失せるかもしれない。モンテッソーリシューレでは?
「
その生徒が終わったところからその続きをやります」との回答でした。
すべての子どもが同じスピードで発達するわけではない。子どもの能力はすべての分野において等しい早さで発達するわけではない。なんにでも個人差がある。
ある保護者から聞きました。
「うちの子は、一年生のときには文字が全然書けなかったんですよ。読むことや計算、運動など、その他のことには何の問題もなく、意欲的に学習してたんですが、何故か筆記用具を上手に持つことができなくて、字が書けませんでした。同じ理由で、絵もほとんど描きませんでした。それが2年生になってから問題なく鉛筆が握れるようになって、そうしたらすごい意欲で字を練習し始めて、あっという間にみんなに追いついてしまいました。随分心配もしたんですが、焦らなくてよかった。普通の学校だったら「アルファベットも書けない」ということで落第になってたかもしれません」
そういうこともあるんですね。
学校生活は主に、個人または少人数での自主学習が時間の大半を占めていますが、その他にホームルームのような時間(教師と生徒達が円座になって話し合い)や、クラス全体でのプロジェクトワーク、個人研究発表(一人一人が一年間に3~4回発表をする)、修学旅行準備、ワークショップなどがあります。
学習の様子を写した写真が
学校のHPで見られます。ご興味があったら是非ご覧になってください。
教室はとてもリラックスした雰囲気です。写真でわかる通り、子ども達は床に座って勉強していることが多いです。「勉強するときにはきちんと学習机に座り、正しい姿勢で」と日本では教わりますから、ちょっとびっくりする光景かも。しかも、教室には常に水と温かいお茶が用意されていて、子ども達はお茶を飲み飲み勉強する....なんて言うと、ますますびっくりでしょうか?
- 2006/09/04(月) 05:28:22|
- モンテッソーリシューレ
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記事にするほどまとまっていないのですが、言語習得についてちょっと思ったこと二点、忘れないうちにメモしときます。
「小さな子どもは何の苦労もなく、外国語を覚えることができる」
という主張がありますよね。子どもは母国語を覚えるのと同じように外国語を覚えることが出来るからだとか。それで、「外国語学習を始めるのは早ければ早いほどいい」「○歳までにやらなければ手遅れになる!」と考え方が出てきて、幼児向け英会話学校が繁盛したり、義務教育における英語学習導入を早めようという議論がなされたりします。
個人的には、「子どもは
何の苦労もなく~」はちょっと違うぞと思い、また「早ければ早いほど~」もなんだか短絡的な気がしてしまいますが.....
しかし、「同じ言語環境に置かれたとき、大人と子どもの言葉のおぼえ方は違う」、これは本当だと思いますね。環境の諸条件が整えば、ほとんどの子どもは外国語を習得できる。大人の場合は......人によりますね。覚える人もいれば覚えない人も。
そこのところがどうも不思議。
人間には言語を習得する能力が生まれつき備わっていて、日本に生まれたら自然に日本語を覚えるし、アメリカに生まれれば英語を習得する。もちろん、饒舌な人と口べたな人という程度の言語運用能力の差は存在しますが、基本的には誰でも言葉を覚えることができる。
それが外国語となると、急に難しくなっちゃうのは何故?
日本で日本語を習得するのと、日本にいながら普段耳にしない外国語を勉強するのとではそもそも学習環境が違うので、同じように覚えることが出来ないのは当然だけど、たとえばフランスならフランスに一定期間住んだとき、子どもと大人ではフランス語習得のスピードが明らかに違い、また大人の間にも明らかな個人差がある。
「母国語を習得するのと、外国語を習得するのは、全然違うプロセスだから」
と言ってしまえば片付いてしまうことかもしれません。
「母国語をおぼえるときには脳のこの部分がこう働くが、母国語を習得した後に外国語を学ぶ場合には、この部分がこうなってああなるから、違ったプロセスで言葉が学習されるのです」とか、「何歳までは脳がこうだから外国語も母国語と同じように学習できるが、何歳くらいからはああなるから云々」という脳科学的説明も存在するのでしょうね。
物理的メカニズムのことはよくわかりませんが、モンテッソーリの本を読んでいたら、手がかりになりそうな説明を見つけました。そこに書いてあったことを簡単に言うと、
子どもと大人では、「自己」と「外界」との関係性が違う。大人は見たもの、聞いたことを「記憶」するが、子どもはそれらを「吸収」し、内面化するう~む。大人は、体験したことを内面化しないのだろうか?いや、すると思う。でも、言われてみれば、子どもほど何でもかんでも自分の中に取り込んでいくわけではないですね。多分、生まれたばかりの赤ん坊は自分と外界との区別がついていないんだと思うけど、それが大きくなるにつれ、次第に物事を「客観視」する能力がついてきて、客観的に物を見れば見るほど、それを取り込んで「内面化」することが困難になる、とは言える気がする。
外国語学習にも当てはまるでしょうか。年齢が上がって来ると、外国語は「記憶の対象」となってしまい、自分の血肉の中に取り込んで行くのが難しい。
大人の間の語学習得速度(または質)に差が出て来るのも、言語を内面化しやすい人と、そうでいない人がいるってことなのかな?ま、それだけじゃないでしょうけど、一要因ではある気がして来ました。
だとしたら、抽象思考能力が発達していない幼児に英語のフレーズを叩き込むより、別のいろんな体験をさせて「内面化の感度を高める」ほうが効果的では、という気もチラッとしますが、これはもうちょと考えてみることにします。これがメモその1。
メモその2は「外国語の発音やイントネーション」について。
外国語を話す人の中には、ネイティブそっくりの発音やイントネーションで話す人と、文法や語彙の面では非常に正確なのに発音がジャパニーズな人といますよね。これって、「口の筋肉が柔軟」とか「耳がいい」とかに関わるものだと今まで思っていたのですが、どうもそれだけじゃないようだ....
近所に南ドイツ、バイエルン地方出身の家族が住んでいるのですが、彼らはものすごくバイエルン訛りなのです。それが私には不思議で。「どうしてネイティブのドイツ人なのに、そんなに訛りを引きずるのか?外国人でももっと現地の言葉に同化している人、たくさんいるのに」と。
あっ、そうか。訛りの強い人って、会話相手の言語にあまりシンクロしないんですね、きっと。
人と話していると、つい相手の話し方につられてしまう、人の文章を長いこと読んでいると、文体が移ってしまうっていう現象があります。自分は自分らしい話し方を貫きたいと思いながらも、ついつい、関西弁の人と話してるとつられて関西弁もどきになっちゃうとか。人のブログを読みふけっていた後にさあ、エントリーをと思うと、なんだか文体がその人のにソックリ!とか。
でも、そうならずに、常に自分のペース、イントネーション、言葉遣いなどを保てる人もいるんですよね。
これは、どれだけ相手の言語にシンクロするか(いい、悪いは無関係に)によるのではないでしょうか。
ま、ちょっとした思いつきです。間違っているかも。
以上、考察メモでした。
- 2006/08/31(木) 19:24:26|
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今、ちょっと焦ってます。
ドイツ帰国前に仕事を一旦全部やめて、専業主婦状態になって早6ヶ月以上が経過しました。家や庭の環境整備はある程度のところまで進み、二人の子どもの学校生活も軌道に乗りつつあります。
午前中少し時間ができたので、そろそろ自分の身の振り方を考えようかな。何ができるかな。どのくらいできるかな。可能性を探ってみようか、と思い始めたこの頃。
そこにこういう話が舞い込んで来ました。
モンテッソーリシューレで日本語を教えるな、何っ?
校長に打診されたのは2週間前。モンテッソーリシューレには、通常のFreiarbeit(自由学習)の他に、ワークショップの時間というのがあります。日本の学校でいうと「クラブ」に相当するでしょうか。数多くあるワークショップの中から、子ども達がやりたいものを見つけて参加することになってます。
日本の学校と違うのは、教員がそれぞれのワークショップを担当するのではなく(そういう場合もある)、外部から講師を連れて来るところ。プロの音楽教師や語学教師が出張してくる場合もあれば、保護者が講師を務めることもあるそうです。この場合、ボランティアではなく、「仕事」として報酬が支払われます。
このワークショップの一つとして、「
日本語クラスを是非設けたいので、講師やってください!」と言われてしまったのだ.......
え~~~!私、教えるの下手なんですよ。もちろん、日本語教師の資格もないし。10年以上前に、あるベテラン日本語教師に弟子入りして手ほどきを受け、一年ほど教えた経験はあるのですが、そのときは成人相手の講座でしたし。子どもに教えるなんて、自信な~い!
断ろうかと思ったけど、「お願いしますよ。ねっ」と校長に依頼されてしまっては......
先週の木曜日は「ワークショップ紹介の日」で、昼休みの校庭に講師陣がずらりと並んでそれぞれ店開き。生徒達はブースを回って内容の説明を聞き、やりたいものに申し込むということになってました。仕方ないので私も行きましたよ。「日本語ワークショップ」って言ったってねえ。子ども相手にそう長時間は持たないし、どうしよう。言葉だけじゃつまらないだろうからと、折り紙や着物、お箸にマンガなど、いろいろ持って行きました。
しっかし、日本語なんてやりたい子、いるんでしょうかねえ~。
と懐疑的だった私。ところが、ところが!どんどん集まって来ました。テーブルに貼った「あいうえお表」に関心を示した子は少なかったのですが、「お箸使わせて~」「着物を着せて~」「折り紙を教えて~」と大騒ぎ。
「あたし、これやる!」「ぼくも!」「おれも!」と、申し込み用紙に名前を書いていきます。なんと30人以上!ビ、ビックリ~。
ということで、日本語ワークショップはめでたく成立することになりました。事前に「どのくらいの時間、やってもらえます?」と聞かれたので、「えー、そうですね。一時間くらいだったら.....」と消極的に答えておいたのですが......
ついさっき、教頭先生から電話があって、
「すみませんが、明日から早速お願いします」ですと。い、いきなり明日~。
おまけに、こんな展開に。
「1年生から7年生までの希望者がいますから、全員一緒というのは無理ですよね。1,2,3年生クラス一つに、4,5,6年生クラス一つ、それに7,8年生クラス一つということで、全部で3コマ担当してください」
な、なんか話が違うぞ~。ああ、どうしましょ。今日はこれから授業計画を立てなければなりません。
うまくいくか、心配です....... 緊張~
- 2006/08/30(水) 02:37:18|
- モンテッソーリシューレ
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息子のクラスの保護者会に行って来ました。
今回の集まりは、新年度の「役員選出」と、9月に予定されている
修学旅行が話し合いのテーマでした。
今年4月に息子が転入して三日後くらいに、いきなり一週間の修学旅行があったのですが、このときは飛び入り参加のようなもので、準備期間にはいなかったので、親である私も息子も何が何だかよくわかりませんでしたが、今回はこうして事前の説明会にも出席して、少しその様子が見えて来ました。
この学校では、生徒は定期的に修学旅行に行くようですが、これは「学年ごと」の行事ではなく、クラスごとです。
学校では「テーマ旅行」と呼ばれていて、あらかじめ設定した学習目的のための旅行ですが、クラスによってテーマが違うので、行き先もそれぞれ違います。
今回の目的地はハルツ地方。日程はなんと9日間!長い!
先生曰く、「一週間では徹底的にその土地のことを調べるのは無理だろうということになりました」。はあ、本格的なんですねぇ。。。
場所はとりあえず先生が決めるのですが、その後は全部、生徒達が自分達で計画するらしい。先生が目的地に関する文献を用意して、「さ、これを読んで何を調べたいか、考えなさい」と。
生徒達は本や地図を見ながら、そこはどういう場所なのか、そこで何ができるのか、何が学びたいかを考える。アイディアがたくさん出たら、どこまで実行可能か、実行するためには何が必要か、どんな準備をしておかなくてはいけないかなどを考える。その後は具体的に、どうやって行くのか、お金はいくらかかるのか、持って行く物は何かを検討する。
9日間、テント生活で完全自炊だそうです。献立は?買い出しは?予算は?全部、自分達で。
「子ども達、張り切って着々と準備を進めています。これだけ大がかりな旅行を計画、実行するんですから、いろんな能力が身につくし、自信がつきますよ~」と、先生は仰っていました。
う~ん、なんだかすごく楽しそう。子ども達が羨ましいよ~。私が小学生のとき、何かを決めるのに、ここまで自分たちの裁量に任されたことってあっただろうか。5年生のときに宿泊研修っていうのがあって、6年生で修学旅行がありましたけど、自分たちで決めたことなんて何一つなかったような......
旅行の「しおり」なるものが配られて、そこに「何時に出発して、何時にどこそこへ着いて、何時に何をして、何時にご飯で」というようなことが細かく書かれていて、「持ち物」と書かれた紙に書いてある物を用意して(親が用意した)、予定通りの場所に予定通り連れて行かれたって感じ。
何を見たとか、何を聞いたとか、なんにも覚えてないっす。
「お前達の好きなように決めなさい」なんて、せいぜい「お楽しみ会」ぐらいのものだった気が....
自主的に学ぶ、ということがモンテッソーリ教育の要ですから、それが修学旅行であっても、先生や保護者がお膳立てしないというのも頷けます。
自分で計画し、実行する喜びを味わって成長する機会になったらいいな~と、子どもを送り出すのが楽しみで、楽しみで。
- 2006/08/29(火) 05:47:54|
- モンテッソーリシューレ
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前にも書いたことがあるような気もするけど、どうだったかな。
ドイツで子育てしていて、日本よりも楽なこと、日本よりもいいなと思うこともたくさんあるけれど、ちょっとこれだけは....ということもある。その一つが、
「子どもがお菓子を食べる機会があまりに多い」ってこと。
ドイツの家庭ではお昼をメインの食事にしている場合が多く、夕食はパンにハムやチーズをのっけただけの軽食で、これにはそれなりの利点はあると思うんです。寝る前にあまりこってりしたものを食べないほうが健康にいいし、準備や後片付けの手間も少なく、のんびりできる(これは前に書きましたね)。
しかし、夕食を食べてるんだか、食べていないんだかっていう家庭もあるみたいで.....
昨日、娘は友達のお誕生会に招かれました。時間は午後3時から7時までという設定。終わるのが7時なんだから、何か簡単な食事でも出るんだろうなと思い、夫と息子との三人で夕食を済ませちゃったんです。しかし、7時に迎えに行ったら.....
「お腹空いた~。ご飯ある?」と娘が。
「何も食べてないの?」
「お菓子や果物は食べたけど.....あと、ちょっとバゲットが出た」
う....それだけなんですね。ソーセージとかフライドポテトくらいは出るのかと思ったが。
またあるとき。友人夫婦が「動物園に行くから、お宅の子ども達も一緒に連れて行ってあげる」と言ってくれました。お言葉に甘えてお願いし、昼食後子ども達は出発。帰りの時間は何も言っていませんでしたが、夜7時になっても連絡はなし。まあ、お金を持たせたから、何か買って食べただろうと思っていました。
ようやく子ども達が帰って来たのは夜9時です。娘は車の中で眠ってしまっていました。息子は、帰るなり、「お腹空いた!」。夕食は食べなかったのかと尋ねると、「食べてない。アイスや果物は食べたけど」
お菓子でお腹がいっぱいになれば、夕食は別に要らんだろう、って家庭、そんなに珍しくもないみたいなんですよ。
息子が一年生のとき、クラスでクリスマスパーティがあって、「各家庭、一品ずつ食べ物を持ち寄りましょう!」というお便りが来ました。食べる時間は夕方5時頃、と書いてあった。私は当然晩ご飯バイキングだと思って、「鶏のから揚げ」を持って行きました。ところが、他の人は.....
全員、お菓子っ!!クッキーにケーキにマフィンにチョコレート。手作りもあれば、市販品もありますが。もう、これでもかってくらい、お菓子お菓子のオンパレード。
いくら美味しくても、そんな甘い物ばかりはとても食べられないでしょう。と思ったのは私だけですか?そ、それに.....お菓子をそんなに食べたら晩ご飯に差し支える~。なんて、誰も心配しないのね。
すごいカルチャーショック。
それに....ドイツって、何か行事っていうと、子どもが山のようにお菓子をプレゼントされる仕組みになっています。こないだも、娘は小学校入学式のしきたりとして、ボール紙で作った巨大な円錐形の入れ物にお菓子をぎっしり詰めたものを抱えて学校へ行ったのです。しきたりですから、皆と同じように用意しましたが、内心、ため息でした。
だって、これを皮切りに、冬に向けて「
ドイツお菓子食い大会」が始まるんですもの。
この入学式のお菓子を食べ切ってやれやれと思った頃に、クリスマス前の「アドベント」という季節がやって来ます。この時期のドイツ人のお菓子消費量はすごい。子ども達はどこへ行っても、チョコレートだのクッキーだのをプレゼントされます。おまけに、これもまたしきたりとして、この時期にはどこの家でもクリスマスのクッキーやチョコレートなどを器に山盛りにしてテーブルの上に置いておく。午後のお茶にでも呼ばれようものなら、「どうぞどうぞ」とひっきりなしにお菓子を勧められます。
大人はいいんですよ。自分でセーブすりゃいいから。でも子どもって、目の前にあればどんどん食べちゃうじゃないですか~。
クリスマスが終わった、やれやれ、と息をつく間もなく、2月にはカーニバル。パレードでは「飴の雨」が降り、子ども達はビニール袋いっぱいに、それを拾い集める。カーニバルのお菓子がなくなる頃には、復活祭。イースターバニーやイースターエッグをかたどったチョコレート攻めです。
まあね。こういう行事のときのお菓子って、その昔、日常的には甘いものなんて贅沢で食べられなかった時代にお祝いのときだけとお菓子を食べた、その名残なんでしょうけど。でも、現代では毎日のように食べてるわけですからね、そんな必要はないと思うんですよ。
さらに!ドイツの学校には日本のように「学校にお菓子を持って来てはいけません」という決まりはありませんから、平気で持たせてる親が多いですよ。誕生日にはお母さんの焼いたケーキを持って学校へ行き、先生やクラスメートと一緒に食べるのが習わしです。
年がら年中、誰かしらの誕生日があって、そのたびにケーキやらお菓子を頂いて、夏は夏でアイスクリームをしょっちゅう食べる。
どこかで読みましたが、ドイツ国民の一人当たり年間砂糖消費量は日本人の2倍らしい.....
日本人だって、必要以上にお砂糖摂取してるはずですから、その倍っていうのはあまりにすごい。これじゃあ、ドイツに肥満児が多いのも無理ないわ。
よその家庭のことはよその家庭として、
うちはなるべく食べさせたくな~い!と言っても、これだけお菓子が氾濫している世の中、お菓子与えないっていうのも難しいんですよね。せめて、お砂糖かなり控えめのものをと思ってなるべく手作りしてるんですが、子どもは「母の手作りケーキ」よりも添加物いっぱいの駄菓子の方が良かったりして、頭痛い~。
寒い季節が近づくに連れ、お菓子の洪水といかに戦うかと、身構える母です。
- 2006/08/28(月) 04:59:17|
- ドイツ
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麻さんがブログに、夕方のお子さんとのお散歩について書いていらして、そのお散歩を「子ども達の放牧」と呼んでらっしゃるのを、なるほどなあと思いながら写真を拝見してました。
麻さんに習って、今日は私も夕食後に子ども達を放牧することにしました。行き先はすぐそこの森です。娘が自転車に乗りたいというので、自転車で。みんなで車庫から自転車を出して、さて行くか!と走り出すと、後ろから......
ニャー、ニャー
と、慌てた声が聞こえるので振り向いた。なんと、うちの黒猫「ぷう」が、急ぎ足でついて来るんですよね。
「おまえも来る?」と聞くと、「ニャー」。
そんなことってあります?犬でもないのに。
まさかと思ったんだけど、本当についてきました。森の中、数百メートル入ったのですが、しっかり足並み揃えて来るんですよ~。
森の中でカゴを下げた人達にすれ違って、カゴの中にはキノコが。キノコ狩りの季節なんですね。さっそく私達も探しました。

いろんなキノコがありましたが、キノコの種類、よくわからないので、近所のおじいさんにでもよく聞いてみなければいけませんね。毒キノコだったら怖いもんね。
その間、ぷうは嬉しそうに、辺りをぐるぐる走り回ってました。ますます犬っぽい。
さて、帰るか~と走り出したら、

ニャンニャンニャンと自転車の後ろを走っていくこの猫、何者でしょう?
- 2006/08/25(金) 03:12:43|
- 日常
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楽しかった夏休みもあっという間に終わり、今日から子ども達は学校で~す!
私はもうしばらく夏休みでもよかったな~という気分だけど(だって、楽しいんだもん)、子ども達は「やったー。学校!」と張り切って出かけて行きましたよ。
さて、それでは雑務に取りかかるか、と、村の有機ショップに買い物に行きました。ここの店主は私と同年代の女性で、村の小学校に通う息子さんがいます。初めてこの店へ行ったとき、リーケに「あなたの息子さんはどこの学校?」と聞かれて、「ポツダムのモンテッソーリシューレに通っている」と話したら、彼女は大きなため息をつきながらこう言ったのでした。
「いいわね。私も本当はうちのヨーナスをモンテッソーリシューレに入れるつもりだったの。でも本人が、どうしても村の子ども達と一緒の学校がいいって言うから、その意思を尊重して村の学校に入れたのよ。結果的に、ヨーナスは元気に学校に行っているし、放課後は近所に友達がいるから、これでよかったのかなとは思うけど、でもここの学校、内容がちょっと......授業のことや運営のことで、不満がいろいろあって、もしあのときヨーナスを説得してポツダムへ行かせてたらと思うことがあるんだよね」
私は、村の公立小学校については何も知りません。息子の学校と比べてどちらが良いというようなこと、全くわからないし、比較して云々する気もないのですが、まあとにかく、リーケは上記のように言っていたんですね。
我が家の場合、ドイツに戻って来るときに、まず学校探しをして、たまたま良さそうなところが見つかったので決めました。ですから、できれば学校の近くに住居を得たかったのですが、短期間ですべてを決めなければならない状況だったので、思った具合にいかず、結局、6kmも離れたカプート村から子どもを通わせることになってしまいました。
この辺りの環境がとても気に入ったので、後悔はしていないんですが、交通の便が悪くて子どもが自力で学校に通うことができない上、友達はポツダムに住んでいて、放課後遊ぶ約束をするたびに私が車を出さなければならないのが、正直言って面倒です。でもまあ、子どもが喜んで通っているんだからいいか、と思うことにしてるんです。地元の学校があまり評判良くないならなおさら。
しかし、今朝私が、「今日から新学期だね。ヨーナスは元気に学校に行った?」と声をかけると、リーケは明るい顔でこう言いました。
「聞いてくれる?ヨーナスの学校、大改革して、今日から晴れて全日制の学校になったのよ!」前にも書いたことがありますが、ドイツの公立校は伝統的に授業は午前中だけで、給食もありません。それが、このたび村の学校に給食が導入され、生徒は午後1時半まで学校にいることができるようになったという。
「それだけじゃないの。
朝は授業前の6時から預かってくれることになったし、午後はいろんなアクティビティに参加できることになったの。学校でピアノを習ったり、空手や柔道もできるのよ。授業の進め方も、新しいアイディアを取り入れてかなり変わるはず」
へえ~、そうなんだ。それはすごい、よかったね!と私が言うと、
「でもね、ここまで来るのは大変だったのよ。
私達保護者が改革班を立ち上げて、一生懸命学校や市に働きかけて、ようやく子どものために良い環境をここまで整えてやることができたわ。保護者が立ち上がらないと、何も変わらないからね」と。
頑張ったんですね~。
日本でもドイツでも、教育制度に対する保護者の不満は大きく、「公立校にはとても任せられない」と私立の学校に目を向ける保護者が増えている印象を受けます。とは言っても、私立校が近辺になければ選択のしようもないし、経済的なこともあるし、「公立校にはもう見切りを付けた」なんてみんなが言えるわけじゃない。
「いまや、良い教育を受けられるのは裕福な家庭の子どもだけ」なんていうことをしょっちゅう耳にするようになって気が滅入っていたので、村の小学校改革のニュースを聞いて、少し明るい気持ちになれました。
ヨーナスの学校生活が、ますます楽しいものになるといいな。
- 2006/08/21(月) 20:38:36|
- 教育・学校
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先日、夫の母に本を一冊プレゼントされました。「面白かったから、よかったら読んでみて」と。
「Sitz doch endlich still! Mein Leben mit drei hyperaktiven Kindern (少しじっと座っていなさい! ー 三人の多動児との生活)」三人のお子さんが全員、そして後に自らもADHD(注意欠陥多動性障害)であると診断を下された著者が、家族の障害に気づき、治療により困難な状況を克服していくまでの手記。
夫の母は元保育士で、障害児施設に長いこと勤務していた経験もあって、このような本に自然と関心を持ったのだと思いますが、表題を見て、孫息子のことが頭をかすめたというのもきっとあったでしょう。うちの息子、ほんとうにじっとしていないものですから。
夫が子供の頃、義母も彼の落ち着きのなさには相当に手を焼いたそうです。小さい頃の夫はとても衝動的で、そのためかなり怪我が多かったらしい。あるとき、子供をどうしても人に預けなければならない用事があって、近所の人にお願いしたら、
「こんなクレイジーな子を一人産む代わりに、普通の子を二人産んだ方がよかったんじゃない?」と後で嫌みを言われたこともあるとか。学校に入ってからも、「息子さんの態度が悪い」と担任からしょっちゅう呼び出しくらってたそうなんですね。
そして孫は見事に息子のコピー。
「ビアンカ、あなたも大変ね。わかるわ、その状況」
そう言われるんです。
ADHDというのは以前から聞いたことが合って、「もしや....?」と思ったこともあるのですが、少し調べてみた範囲では、やっぱりちょっと違うなという感じでした。今回薦めてもらったこの本を読んで、描写されているFelix君の赤ちゃん期の様子が息子のそれと酷似していたのでびっくりしましたが、その後の生活の部分はあまり当てはまらず、ADHDの基本的な特徴と言われる「注意力散漫」「衝動性」「多動」のうち、息子の場合、衝動性と多動の傾向は強いものの、「何にも集中できない」というのは完全に違います。
ADHDにもいろんなタイプがあるそうなので、素人に簡単に判断がつくものでもないでしょうが、個人的に知っているADHDのお子さん数人とも息子はかなり違うし、結局、自分達の状況と照らし合わせて「目からうろこ」という感じではありませんでした。それに、学校を変わってから息子は目に見えて落ち着いて来たので、この頃はあまり心配していません。
でも、この本、とても興味深く読みました。母親である著者は三人の子供が学校で問題児扱いを受け、周囲からさんざん苦情を言われ、仲間はずれにされ、おまけにカウンセラーや心理セラピスト達からことごとく、「
お子さんがこうなったのは、母親のあなたの躾けが間違っているから」「
あなたの愛情が足りないから」「
あなたの接し方が悪いから」「
あなたの精神状態がよくないから、子供がトラウマになる」など言われ続け、悩み、親としての自信を失って行く。そして長い闘いの末、ようやく診断が下され、投薬治療によって状況が大きく改善されます。しかしそこでもまた、「
ADHDなんて、子育てがうまくできないことの言い訳」だとか、「
子供に薬を与えて静かにさせるなんて、ドーピングと同じ」という批判の目に曝され、苦悩する。
ADHDに限らず、昔なら「変な子」「どうしようもない子」と見られて終わっていたのが、実は特定の先天性もしくは後天性の原因による障害であることが明らかになるケースが増えていますね。セラピーによって困難な状況が取り除かれたり、周囲の理解が得られるのはよいことでしょう。
でも、とても難しいですね。障害ってそもそもなんなのか、と考えると。
私なりの理解では、世の中には健常者と障害を持つ人の二種類の人間がいるのではなく、人間には知的にであれ、身体的にであれ、それぞれ特徴が必ずあって、その特徴がある一定以上に目立って、その結果社会の中で生活するのが難しくなった場合、それを「障害」と呼んでいるのだ、とそう思っているのですが、そうではないのでしょうか。
そして、「普通の人」とはあらゆる意味で平均的な人のことで、実際にはあらゆる面で平均的な人なんて滅多にいない。たとえば私の「日付/時間間違い癖」なんて、人から見ればかなり異常なことだろうと思うし.....
「○○症候群」という名称が与えられると、その特徴は「病気」や「障害」として扱われるようになって、そこに医学的定義が存在するようになるのでしょうが、異常であるということの定義だって、時代背景や文化によっても相当に誤差が生じそうだから、普遍的なものとは言えない。
複雑だなあと思います。
何かの困難にぶつかった人にとって、原因を知ることは状況克服の助けになるのでしょう。そして今のところ困難にぶつかっていない人にとっては、「世の中にはいろんな人がいて、何が普通であるかは簡単には定義できない」と心に留めておくことが助けになるのかもしれない。
そんなふうに思いました。
- 2006/08/18(金) 22:08:20|
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